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ノート:藤本綾

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引退理由の噂について

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藤本綾が芸能界引退に追い込まれた背景には、ブブカにフェラチオをしている写真が掲載された事件があるのは、明白な事実です。何故、この事を記載してはいけないのでしょうか?(2006-07-10 19:40:49の版 210.87.78.174さん)

どこの発表によるものでしょうか。--ゆきち 2006年7月10日 (月) 20:41 (UTC)[返信]

確かにゴシップ誌に藤本綾と思われても仕方がない写真が載ったのは事実です。そして、事務所はそれを本人のものと認めはしなかったまでも、世人(というかネット世界)では本人のものと決めつけてるのもまた事実。そのことが藤本の芸能生活の大きな障害となったのも事実。しかし、だからといってそのことをWikiに記述するのは公開処刑でもある。可哀想だとは思わないかな?もう引退もされてることだし、そっとしておいてあげようよ。Miami 2006年7月14日 (金) 11:45 (UTC)[返信]

全く構わないです。極一部の個人の感情論により、暴走して多くの方の書き込みを独断で削除し荒れているだけです。これを行っているのは誰かは言いませんが、「該当する」と思った人は反省してください。個人的な感情論はどうでもいいです。法的にひっかかる表現で無い限りは、事実は事実として客観的に紹介するべきです。wikipediaの目的は、有用な情報提供をするのが役割であり、特定の事実を隠して偏った情報を与えることではありません。多くの芸能人、公人、政治家などには、各人にとって都合の悪い情報や、逆に好かれるような情報もあります。それらを全て客観的に紹介することが必要で、好かれるような情報に限定して偏った情報を提供するのは、情報提供の公平性・客観性として、問題があります。

>「wikipediaの目的は、有用な情報提供をするのが役割であり」とおっしゃいますが、プライベートな部分でのスキャンダルが有用でしょうか?それと私が削除する以前にも同様に削除は多くの方によりされていました。そういう経緯があるからこそ半保護の申請が通ったのだと思います。Miami 2006年7月14日 (金) 19:02 (UTC)[返信]

半保護をいたしましたKotoitoです。半保護判定についてご説明いたします。すでに利用者‐会話:Takumi#藤本綾において、すぐりさんがご指摘になっていますが、「事務所が否定していることを書くのは、誹謗中傷あるいは名誉毀損で訴訟されるリスクを負うということ」、および「Wikipedia:検証可能性」の両者を考え合わせ、さらにかなり連続的に行われていることをもってIPユーザによる深刻な荒らし、と判断いたしました。しかしながら現状に至ってはノートでのご議論がはじまっており、かつ内容の編集方針に関する議論になっている点から、実態としては編集合戦であったとの解釈も成り立つものと考えます。この場合は半保護の判断を誤りとして保護に変更することもやぶさかではありません。とまれリスクがない、との合意がコミュニティで成立するようでしたら、当該案件の掲載の可否などについては容喙する立場にはありません。ただし本発言編集時の表現のままでは、掲載雑誌が「藤本綾」と本当に名指しして掲載しているかのように読めます。それならばそれでよいのですが、もしそうでないなら虚偽の記載となります。出典の明記のうえ、このあたりもご議論いただければ幸いです。--Kotoito 2006年7月14日 (金) 19:55 (UTC)[返信]
掲載雑誌では「藤■綾」となっていたように思います。それとWikiのガイドラインには「好意的な記述を」とあります。記述のもたらす影響を考慮した上での慎重な判定を望むものです。Miami 2006年7月14日 (金) 20:32 (UTC)[返信]

まず、議論を整理しましょう。「可哀想」という理由で主観的に編集し削除を繰り返し、「可哀想」という理由で擁護を繰り返し、他の方にも削除を呼びかけるのは、明確にwikipediaの精神にも反しますし、どうでもいいことです。 体裁は良いですから支持は得られるでしょうが、wikiの精神に反しますから、自覚がないだけで、荒らし行為にも当たります。 誤った方法で同意を得ようとするのではなく、論点をずらさずにきっちりと法的観点で議論をするべきです。 takumi 7/15 am5

「可哀想」という観点はひとまず、取り下げますね。それと私は他の方に削除を呼びかけた覚えはありませんよ。論点をずらすというのもあたっていません。荒らし呼ばわりされるのも心外です。それはいいとして、さて、法的観点なら法的観点でよろしいけれど、「事務所が否定していることを書くのは、誹謗中傷あるいは名誉毀損で訴訟されるリスクを負うということ」ですので、記述には慎重を期すこと、それで決着がつくのではありませんか?Miami 2006年7月14日 (金) 20:48 (UTC)[返信]
takumiさんのノートを見てまいりました。takumiさんの言わんとすることは大体わかりました。考え方のギャップは埋めがたいものがありますが、それはお互いの個性として尊重したいと思います。で、重ねて言いますと、私は他の人に同意を求めたり、削除行為を呼びかけてはいませんし、自分の考え方をWikiのコモンセンスであるがごとく押し通すつもりもございません。なので、たとえばtakumiさんとかが個人の尊厳を損なわない範囲で記述をされるのなら私は特に口出しいたしません。それが出来るのなら、という話ですが。後は皆様のご判断におまかせいたします。Miami 2006年7月14日 (金) 21:13 (UTC)[返信]

アイドルとして芸能活動をしていた人物のフェラチオ写真が雑誌に掲載されるというのは前代未聞の事件でしょう。よくある喫煙、キス、ハグなどの写真が「発掘」されたのとは次元が異なります。かなり衝撃的な事件であり、ある意味「芸能史」に残る珍事だと思うので、本文に記載する価値は十分あると思われます。客観的に見て写真が本人のものであることはほぼ間違いなく、Wikipediaに記載したところで、今更法的に訴えられるリスクなど無いに等しいでしょう。--219.100.5.6 2006年8月29日 (火) 10:03 (UTC)[返信]

「今更法的に訴えられるリスク」は判断基準ではないのですが...。--ゆきち 2006年8月29日 (火) 11:01 (UTC)[返信]

信頼できる情報源か?

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「ネタ」「虚偽情報」である可能性が否定できないなら書くべきではない

この雑誌BUBUKA堂には「超ネタ情報マガジン」と書いてあります。しかもMiamiさんによれば記事は「藤■綾」と氏名の一部を伏字にしたものとのことで、takumiさんもこれを否定なさいませんでした。つまり「ネタ」「虚偽情報」であり事務所から名誉毀損で訴えられないようにフルネームを書かずに記載されたもの、という可能性があります。こういう場合、記事本文に書くべきでないと思います。ウィキペディアは百科事典であり、ゴシップ雑誌でも2ちゃんねるでもありません。en:Wikipedia:Biographies of living personsWikipedia:存命人物の伝記にて翻訳中)というガイドラインを御一読ください。--miya 2006年7月14日 (金) 23:34 (UTC)[返信]

:写真を見た事がある人は皆分かっている事だと思いますが、あれはどう見ても藤本綾本人ですよ。顔だけ入れ替えたような捏造写真には到底見えませんでした。もし捏造写真であれば、出版社は、「藤■綾」と書いたところで法的リスクはあるわけで、押尾学とのセックス写真に「奥■恵」と書かれていた件もそうですが、法的リスクから一文字を伏字にした訳ではないと思いますよ。当事者で無いので断定的なことはいえませんが。--219.100.1.2 2006年7月15日 (土) 01:37 (UTC)[返信]

  • ネタという言葉に、「虚偽情報」という意味はないと思いますが。「ガセネタ」は「虚偽の虚偽情報」ですか?
ウィクショナリー「ネタ」Yahoo!辞書「ねた」 --Doripoke 2006年8月26日 (土) 21:49 (UTC)[返信]

「どうみても」と「公式に認めた」は異なるので、注意してくださいね。そして、そういうことを書くのがWikipediaにふさわしいかも、各自で確認してみてください。--ゆきち 2006年8月27日 (日) 10:42 (UTC)[返信]

本人の芸能活動に影響した以上、「情報が重要で残す値打ちがあるもの」と認められる可能性はあります。--240F:61:FB09:1:50E9:6F0A:90A8:76AC 2018年7月12日 (木) 21:26 (UTC)[返信]

資料

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とりあえずサイゾー2007年11月号67Pに、藤■綾はフェラ写真を公開されてその後芸能界引退をよぎなくされた、と書かれていたことを提示しときます。--H.Whity 2007年10月23日 (火) 06:27 (UTC)[返信]