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ノート:藤原兼家

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兼家の生年は929年か939年か

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 生年が「延長7年(929年)」とあるが、「生涯」のところに「実力者藤原師輔の三男に生まれ、天暦2年(948年)に従五位下に叙され、翌天暦3年(949年)には10歳にして昇殿を許された。」とあり、年数が合わない。10歳ならば939年に昇殿を許されなければならない。また、他の藤原氏の年数も合わなくなる。要調査・確認が必要である。--riki 2009年2月12日 (木) 12:40 (UTC)riki[返信]

公卿補任では康保5年(968年)の条に年齢40歳とあり、また尊卑分脈で延長7年誕生とあるため、929年生まれは動かないでしょう。公卿補任では天慶9年(946年)童殿上・天暦3年(949年)昇殿尊卑分脈では天慶元年(938年)童殿上・天暦3年(949年)昇殿とあります。現行の執筆内容は、公卿補任・尊卑分脈とも一致している天暦3年(949年)の昇殿との記載と、尊卑分脈における天慶元年(938年)童殿上との記載が混乱して記載されているものと思われます。童殿上は正式な昇殿ではないため、「10歳にして」の部分を削除することでいかがでしょうか。あるいは、どうしても「10歳にして」の記述を残すべきであれば、童殿上であることを明記すべきでしょう(摂関家の子弟で10歳の童殿上が特筆すべきであるのかどうかはわかりかねます)。なお、当方手持ち資料では『大辞典desk』(講談社、1983年)では明確に「10歳で昇殿」との記載があり、悩ましい所ですが。--Snap55 2009年2月13日 (金) 17:42 (UTC)[返信]