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ノート:薬食同源/削除

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医食同源の発祥起源について

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医食同源が日本発祥の言葉とは知りませんでした。勉強になります。
ところで、中国語で検索してみるといくつかヒットするものがありました。

  • 医药博览には医食同源として薬膳(?)の一覧が書かれています。
  • また、根拠は定かではありませんが、ここに医食同源は中国の格言であると記されていて、意訳すると『中国に有名な格言がある: "医食同源"は中国伝統医学の基本思想で、名前が意味するように薬の源は食糧から始まっている。(略)』のようなことが書かれています。
  • 国立台湾大学ドメインのページには管理がどこなのかは分かりませんが、「神農嘗百草」の項に黄皇帝とか醫食同源の文字があります。
  • HaoYahサイトでは醫食同源は公元前一千多年的周朝と書かれているようで、本文記事の3000年前の項を説明しているのでしょうか。
  • 医食同源(醫食同源)の名が付く書籍がいくつかあり、発刊年が分からなかったのですが『醫食同源(1-4)飲食長壽祕譜』、『醫食同源(一)之醫食同源』 (ISBN 962-973-740-x)なるものが見つかりました。

以上、中国語がまったく分からずに医食同源の単語を調べた結果です。もう少し調べてみます。赤鉛筆 2004年7月8日 (木) 08:43 (UTC)[返信]


こんばんは。百楽天です。
「医食同源」は日本の造語ですが、中国ではこれを逆輸入しているのです。簡単ですが、このページ[1]の「医食同源」の説明にもあります。

[[2]]では、「醫食同源」について「這是指醫藥的來源」と書いていますね。「醫藥」という単語は史料にはでてこないと思いますよ。

「大自然病」のところに書いてある「2500年前、西方醫聖希波克拉提斯即提倡」の「西方醫聖希波克拉」はヨーロッパのことかも。H. G. Bielerという人のことが書いてありますが、アメリカの"Price-Pottenger Nutrition Foundation"という組織の中心人物の一人と思われます。

[3]にある、「神農嘗百草」は、唐代の蘇敬らが659年に著した「神農本草」の解説書(新修本草)に茶(茗)について書いたことから、「神農嘗百草、日遇七十二毒、得茶而解」の言い伝えとなりました。なお、「神農本草」は伝説上の帝王の神農が著した本草書の意味で、漢代の成立と考えられます。薬物治療の指針として当時の知識をまとめたものとされています。「神農本草経」と混同されることがありますが別物です。

「可知三千多年前的中國醫學已相當進」とは『周禮』に書かれたことであると思います。 百楽天 2004年7月8日 (木) 13:31 (UTC)[返信]


外部ページとの類似について

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ノート:薬膳にも少し関連の話題がありますが、とりあえずこちらにメモしておきます。

この記事(初版のみなのでとりあえずリンクは省略)の、医食同源について述べた部分は、こちらの外部ページ[4]と一部内容が似ているようです。

かなり微妙な件である上、その外部ページは、「ノート:薬膳」の方で言及した別の外部ページを参考にしつつ書かれているものなので、3者に共通性があります。これはちょっと扱いが難しい件ですが、とりあえずご報告、記載しておきます。

以下の点は両者で共通です。

  1. 辞典類一般での扱い
  2. 広辞苑での扱い
  3. 実際にこの語が創案された時期
  4. 「今日の料理」における使用。その使用者がどのような理由からこの語を創案するに至ったかについての解説。
  5. 「今日の料理」と同年出版の「医食同源 中国三千年の健康秘法」によける使用。

但し、該当箇所(をどうとるかは判断する人によって微妙に違うかも知れませんが)を比較した場合、このほかに、外部ページでは、調査の方法について若干の記載があり、「医食同源 中国三千年の健康秘法」の出版社が特定されているなどといった特徴があります。これに対して、投稿された文章中では、同書の著者や「今日の料理」の著者についての情報があります。

また、この語の起源に関する結論を意見や推測などとして述べた部分は両者で異なっています。

また、配列も微妙に異なっていますし、表現上は、比較的ありふれた表現を用いている上、完全に一致しているわけでもないことから、余り問題にはならないかも知れないとも思います。

そこで、仮に問題がありうるとしたら、この主題について述べる主な事実(上記5点)の取捨選択が同じである、という点が主ではないかということを思いました。

例えば、雑誌などでこの用語がどのように用いられることになったかといった受容の側面だとか、実際にどのような思想として紹介されたのかについての解説だとか、当時の社会的背景だとか、あるいは社会全般ではなく食や健康をとりまく世間の情勢だとか、具体的にどのような文脈でその語が用いられたのか(具体的に料理の例があったのか、など)、当時既に類似の用語が存在していたのかどうか、など、同じ主題について扱うにしても言及されてもよさそうな事柄と言うのはかなりいろいろ考えられるわけですが、実際には言及はなく、上記のような点を扱った文章になっています。それをもって両者が似ていると言えるか、また、そのような素材の選択について創作性が認められるか、という辺りが判断のポイントになるのではないか、というようなことを思いました。

Tomos 2004年7月23日 (金) 18:04 (UTC)[返信]