ノート:蓬萊峡
蓬莱峡の形成について
[編集]こんにちは。蓬莱峡の形成について、申し訳ありませんが、一部コメントアウトさせて頂きました。
蓬莱峡の奇観の元になってるのは花崗岩というより谷を埋めた礫層の方です。言い換えると、蓬莱峡は深い(断層)谷を礫層が半分ほど埋めた後、川がそれを再度侵食したもの、といえます。川床から見上げる崖はほとんどが礫層ですが、谷の上部にある切り立った崖は花崗岩になります(ややこしいですね、ごめんなさい)。
また、六甲を含む関西地域ではプレートの衝突は起こっていない、六甲山の隆起の元となる応力は日本海溝に沈みこむ太平洋プレートが日本列島を東から押す力である、とされています。六甲山のほかの部分は花崗岩ですが、蓬莱峡の谷自体は段丘層(堆積層)とされています。このページが参考になります。--miya 2006年5月25日 (木) 13:10 (UTC)不正確部分打消し線Miya.m 2006年5月28日 (日) 03:51 (UTC)
- どうも、こんにちは。ありがとうございます!私は全くの門外漢ですので、修正していだだけると助かります。大歓迎です。--663highland 2006年5月25日 (木) 13:24 (UTC)
- Miya.mです。昨日現場へ行って確認してきました。蓬莱峡のすぐ上手には厚い堆積層が存在しますが、蓬莱峡の奇観を形作っている岩は花崗岩でした。うろ覚えの知識を述べて済みませんでした。なお写真は昨年冬に対岸から撮ったものです。Miya.m 2006年5月28日 (日) 03:51 (UTC)
- 行かれたんですか!責任感の強さと行動力・決断力の速さに恐れ入りました。写真もありがとうございます。--663highland 2006年5月28日 (日) 04:41 (UTC)
- Miya.mです。昨日現場へ行って確認してきました。蓬莱峡のすぐ上手には厚い堆積層が存在しますが、蓬莱峡の奇観を形作っている岩は花崗岩でした。うろ覚えの知識を述べて済みませんでした。なお写真は昨年冬に対岸から撮ったものです。Miya.m 2006年5月28日 (日) 03:51 (UTC)
出典、カメラの位置とバス停(ご相談)
[編集] 質問 その1=#交通アクセスの節で、現地の最寄りのバス停が「写真の撮影場所」ではないとご指摘です。次の写真の何番か示していただけるとありがたいです。
質問 その2=別件、基礎地域の情報ボックスは組めないでしょうか。ご参考まで、主な場所の座標を拾い、記事に補いました。
- ページ冒頭
- 蓬萊峡(ほうらいきょう) {{Coord|34.8111544|N|135.2994381|E|format=dms}}
- 見どころ
- 小屏風岩・大屏風岩 {{coord|34.8099672|N|135.2968153|E|format=dms}}
- 座頭谷 ▲不明 広がりの東西南北地点を調べる方法がわかりませんでした。
- 知るべ岩 - ▲不明 石標の位置。旧蹟「大閤知るべ岩」とも。
- 剣山 {{coord|34.80725|N|135.29696|E|format=dms}}
- 湯山古道 ▲不明、OSMに「道」として未記載のようです。
質問 その3=出典を補いました。果たして執筆された意図と整合性があるかどうか、ご確認願えるとありがたいです。(国立国会図書館経由で探した、電子化資料を補足。)
また「#歴史」の部分は、おそらくテキスト化されていない地誌があると想像します。資料を閲覧できる方に調べていただけたら誠に幸いです。
仮番 | 旧版 | 確認をお願いします[※ 1] | 備考 |
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00 | ページ先頭 |
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01 | 01 概要 |
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02 | 02 歴史 |
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← 旧版の発行年「1711年」を上書き。文献に合わせました。 |
03 | 03 見所 | ||
04 | 04 所在地 | ||
05 | 05 交通アクセス |
阪急バス「蓬萊峡」停留所は、蓬萊峡を見下ろす高台 |
→写真に付番しました。「上記写真」とは写真1〜3のどれでしょうか? |
06 | 06 参考文献 | ||
07 | 07 脚注 | ||
08 | 08 関連項目 | ||
09 | 09 外部リンク | ||
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