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ノート:荒川長実

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荒川伊豆守長実(景親)は第4次川中島合戦で(1561年)討ち死にした。弟荒川伊豆守詮次がその師一世水天大和尚 が開祖となり(1561)鶴岡市に大昌寺を創建され、長実および謙信ほか上杉所縁の武将を祭っている。 弟はその後2世水天運を継いでいる。

長実は垂水荘(新潟県関川村湯沢)に居館し第4次合戦において上杉輝虎(謙信)より垂水源二郎の名前で血染めの 感状を受け、現在もその子孫に受け継がれている。

詳しいことは関川村せきかわ歴史とみちの館に展示されており、長実が相模国足柄郡河村郷(神奈川県山北町)の 河村義秀を祖としていることがわかるとおもいます。

垂水 昭--59.190.37.102 2008年9月4日 (木) 04:09 (UTC)--59.190.37.102 2008年9月4日 (木) 04:09 (UTC)[返信]