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ノート:茶摘み

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利用者:細川右馬守さんによる新説について

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論点を以下の2点に分けて考えるのが良いと考えます。本文も項目分けしました。

論点1:文部省唱歌「茶摘」の歌詞は、本当に宇治田原町に伝わる茶摘み歌から採られたのか?

この点につき、利用者:細川右馬守さんは、

「宇治田原町内には上記の茶摘み歌が伝えられていたという事実は確認されておらず」

と主張されており、非常に興味深い指摘だと思います。これを裏付けるため、出典を明記した上で、脚注などを用いて記述と出典を対応させてください。

なお、「中立的な視点」の確保及び「独自研究・見解を載せない」というウィキペディアの基本方針に鑑み、「こういう説もある」というニュアンスに文末を修正するのがよいと考えます。

また、「ころがし唄」及び「はさばき」については、「記録されている」とありますが、出典を明記した上で、脚注などを用いて記述と出典を対応させてください。もし、(宇治田原町に伝わる歌として)「記録されている」のであれば、その旨を明確にされると、読者にとって理解が容易になると思われます。さらに、「各地の茶摘み歌」の項目に列挙すると一層読みやすく使いやすくなると考えます(一旦削除しました)。

論点2:茶摘み歌は、宇治田原町のみに伝わるものなのか?

この点については、全国各地に様々なものがあると思います。細川右馬守さんが例示された各地の茶摘み歌もその一例だと思われます。これについても、出典を明記した上で、脚注などを用いて記述と出典を対応させてください。--Dettydaddy 2008年6月5日 (木) 23:12 (UTC)[返信]


私が追加した文章について、どの部分がどの文献を基にしているのかを部分ごとに明らかにするという意味でしょうか。 根拠とした資料として参考文献に追加したのでは不十分でしょうか。他の従来の文章については同様の措置は必要ないのでしょうか。 今回、私が茶摘みの歌のルーツに関して追加したのは、多くのサイトやブログ等がここを参照して宇治田原発祥説を紹介していることが多く見受けられるため、その影響力の大きさから、そのままにしておくべきではないと考えたからです。 「宇治田原にはそのような茶摘み歌は伝えられていない」というのを説のひとつとするならば、「宇治田原の歌が基になった」のも説のひとつとして双方を並立させるほうがいいのではないでしょうか。 現に私は宇治田原町内で様々な資料を調べ、また聞き取りするなかで、そうした事実を把握しているのですが、基になったとされる茶摘み歌が宇治田原町内で資料として残されていないことでは根拠とならず、「記録されていない」と書かれた文献がないといけないのでしょうか。 これからは宇治田原発祥説の基となった資料の信用性を検証する必要もあると思います。--細川右馬守

>私が追加した文章について、どの部分がどの文献を基にしているのかを部分ごとに明らかにするという意味でしょうか。

●おっしゃる通りです。なお、書籍名を明示する場合は、出版社名、著者名、ISBN(国際標準図書番号)を併記すると、資料としての有用性・信憑性・検証可能性が一層高まると思われます。

参考1:Wikipedia:検証可能性
参考2:Wikipedia:出典を明記する

>根拠とした資料として参考文献に追加したのでは不十分でしょうか。

●実際にその情報を図書館等で確かめたいと思う人の立場に立てば、十分とは言いがたいと考えます。何ページまで示す必要は少ないかもしれませんが、せめてどの文章がどの書籍に対応しているのかについての説明は必要だと思われます。

参考1:Wikipedia:検証可能性
参考2:Wikipedia:出典を明記する

>他の従来の文章については同様の措置は必要ないのでしょうか。

●あると思われます。ただ、既に世間一般的に通説となりつつある説(真実か否かは別)をそのまま掲載する場合と、その「通説」を真っ向から否定する「新説」を主張する場合とでは、後者に求められる挙証責任(立証責任)の大きさは変わってくると思われます。

>今回、私が茶摘みの歌のルーツに関して追加したのは、多くのサイトやブログ等がここを参照して宇治田原発祥説を紹介していることが多く見受けられるため、その影響力の大きさから、そのままにしておくべきではないと考えたからです。

●ウィキペディアの影響の大きさについてはまったく同感です。

ただ、「宇治田原町発祥説(歌詞)」については、ウィキペディアがオープンする前から、既に日本国内の通説(真実か否かは別)として「流布」していたと思われ、ウィキペディアが諸悪の根源ではないと思われます。

とはいえ、仮に「宇治田原町発祥説(歌詞)」が実はまったくの事実無根のウソで、仮にウィキペディアがそのウソの伝播を徒に助長しているとしたら、それはウィキペディアにとっても利用者にとっても不幸なことです。

この点については、「~という指摘がある。」という第三者的な文末にすることで回避できているはずなのですが、ウィキペディアの主張のように誤解する人がブログなどで引用してしまうこともありうることです。それはもう仕方のないことです(メディア・リテラシーの問題)。

>「宇治田原にはそのような茶摘み歌は伝えられていない」というのを説のひとつとするならば、「宇治田原の歌が基になった」のも説のひとつとして双方を並立させるほうがいいのではないでしょうか。

●これは「ころがし唄」及び「はさばき」についてでしょうか?これらの歌については、論旨を明確にするために一旦削除しただけですので、もしある程度の情報量になるようでしたら、「宇治田原に伝わる歌について」という項目を追加して、そこでまとめるのが利用者・学習者にとって有用だと考えます。

その際、その項目の「真下(直後)」に<参考文献>として出典を明記しておけば、学生さんや研究者の方の利便性も向上すると思われます。

参考1:Wikipedia:検証可能性
参考2:Wikipedia:出典を明記する

>現に私は宇治田原町内で様々な資料を調べ、また聞き取りするなかで、そうした事実を把握しているのですが、基になったとされる茶摘み歌が宇治田原町内で資料として残されていないことでは根拠とならず、「記録されていない」と書かれた文献がないといけないのでしょうか。

●ここで問題になってくるのは、ウィキペディアの大原則の一つであるWikipedia:検証可能性というキーワードです。

 利用者:細川右馬守さんは、ひょっとしたら学者にも匹敵する程の膨大な文献と数多くの聞き取り調査の結果が頭に入っているのかも知れませんが、残念なことに、それは第三者にとっては直ちに検証ができないものなのです。つまりネットの向こう側の不特定多数の第三者にとって検証可能性が著しく低い情報といわざるを得ません。

 すなわち、利用者:細川右馬守さんの脳内に格納されたにすぎない情報のみでは、第三者がその情報をネット上から直ちに確認することはできないのです。

参考1:Wikipedia:検証可能性
参考2:Wikipedia:出典を明記する

なお、利用者:細川右馬守さんがやろうとしていることは、UFOがいないことを証明するのと同じぐらい難しいことだと思われます。

「UFOは実在する!」と主張する人を黙らせるには、「それは合成写真だ!」というように、それらの説を一つ一つ論破していくのが近道かもしれません。

つまり、まず「宇治田原発祥説の基となった資料」を見つけ出し、それらの主張の論理的矛盾をついたり、信憑性に疑問を投げかけたりして、火元を一つ一つ消していくやり方です。

ただ、こういった作業の多くは「独自研究」と評価されることが多いかもしれません。

参考1:Wikipedia:独自研究は載せない
参考2:Wikipedia:中立的な観点

>これからは宇治田原発祥説の基となった資料の信用性を検証する必要もあると思います。

おっしゃる通りです。現在日本に広まっている数々の通説には、こうした根拠の不明確な口頭伝承が数多く存在すると思われます。

そして、こうした口頭伝承を真っ向から否定していくことは、並大抵のことではありません。「宇治田原発祥説の基となった資料」を見つけ出していく作業だけでも疲れそうです。

ただ、細川右馬守さんは既に相当数の資料を把握されているようなので、それ程大変なことではないのかも知れませんが。

■最後に(最も重要なポイントです)

通説的な口頭伝承を否定していく労力は並大抵のことではありません。

ただ、その困難さを乗り越え、それを独自研究として調査していくことは素晴らしいことです。是非個人サイトやブログで独自の研究成果を発表していただきたいと考えます。

その独自研究が多くの人々に有用と評価されれば、「外部リンク」でその研究ページへリンクすることも検討されてしかるべきと思われます。

とはいえ、ウィキペディアの重要な基本方針に「独自研究は載せない」というルールがあります。長年の通説を完全否定する見解は、それが客観的な資料で裏付けられ、多くの人々の間で広く認められるまで、「独自研究」と評価されてしまうことはやむを得ないことだと考えます。

参考1:Wikipedia:独自研究は載せない
参考2:Wikipedia:中立的な観点
参考3:Wikipedia:検証可能性

なお、私のコメントはあくまでも私一個人の見解です。できれば、ウィキペディアの「Wikipedia:コメント依頼」の機能を利用して、もっと多くの人々に「歌詞の由来」についてこのノートで議論を深めてもらうのが良いと思われます。

参考:Wikipedia:コメント依頼

最後になりますが、利用者:細川右馬守さんの茶摘に対する熱意は素晴らしいと考えます。

ただ、天動説に対して地動説を唱えたガリレオ・ガリレイのように、長年の通説を覆すのはそんなに簡単なことではないと思われます。

自分の新説を、顔も素性も知らない不特定多数の人々に理解してもらうには、それなりの明確な説明と客観的な根拠が不可欠です。

さらに、それを何かと制約の多いウィキペディア上でやろうとするのならば、個人サイトでやる以上に気を使う必要が出てくるというのが、今回の重要なポイントです。

なお、ウィキペディアの記述を盲目的に信用してしまう個人ブロガー等については、あくまでもメディア・リテラシーの問題であり、茶摘に関する一般的な通説を紹介したに過ぎないウィキペディアの記述それ自体には問題はないと考えます。--Dettydaddy 2008年6月9日 (月) 06:22 (UTC)[返信]

追記:「宇治田原町内には上記の茶摘み歌が伝えられていたという事実は確認されておらず」という点につき、Wikipedia:検証可能性が確保されるまで、当該記述は削除すべきと考えます。--Dettydaddy 2008年6月10日 (火) 10:05 (UTC)[返信]

参考1:Wikipedia:独自研究は載せない
参考2:Wikipedia:中立的な観点
参考3:Wikipedia:検証可能性
参考4:Wikipedia:出典を明記する
参考5:Wikipedia:信頼できる情報源

改名の提案

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初出の『尋常小学唱歌』での題は『茶摘』なのでオリジナルを尊重して『茶摘』に改称すべきだと思います。--203.180.87.204 2007年1月24日 (水) 14:34 (UTC)[返信]

このままでよいと思います。理由は現在使われているタイトルのほうを中心にすべきだからです。茶摘はリダイレクトにしておけばよいでしょう。--春野秋葉 2007年1月24日 (水) 15:16 (UTC)[返信]

そもそも「茶摘み」という題は一般的ではありません。現在小学校では「茶つみ」という題で教えられています。「茶つみ」か「茶摘」がどちらかに変更すべきでしょう。--133.9.4.12 2007年1月25日 (木) 05:24 (UTC)[返信]

旧仮名遣いに直さないでください

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IPユーザーの方が『茶摘み』の歌詞を旧仮名遣いのオリジナルに変更されていますが、現代仮名遣いに変更されてから半世紀以上がたち、学校でも現代仮名遣いの歌詞が使われています。「オリジナル重視」を主張するあまりに旧仮名遣いの歌詞に直さないようにしてください。--春野秋葉 2007年1月27日 (土) 13:46 (UTC)[返信]

私は原典通りの資料も併記するというのも有りとは思います。ただ、本気で忠実に則すのであれば徹底的に行うべき。なお、コモンズでTRONコード収録文字を地道に実装中です。変体仮名(TRONコード9-8321~9-846A、9-8521~9-8D7E)はもう少し後になりそうですが、必要となるもので通常用いられる文字コードに無い字形等があり、且つ、TRONコード(出来ればGT書体枠推奨)に収録されているものであれば、仰って頂ければ優先してお作り致します。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月14日 (水) 00:54 (UTC)[返信]
住民基本台帳収録変体仮名168文字が上がりましたのでご報告致します。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月1日 (木) 00:56 (UTC)[返信]

歌詞の由来について

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ウィキペディアは研究発表の場ではありません。また、「中立的な視点」を確保する必要があります。したがって、「~説がある。しかし~ではない。」のように、ある説がある説を否定するという体裁ではなく、両説を並列的に記述するのが望ましいと考えます。--Dettydaddy 2009年1月28日 (水) 10:05 (UTC)[返信]