コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:茂山雅司

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

検索して出てきたもの。--Uguisuan 2010年5月1日 (土) 05:01 (UTC)[返信]

  • 武蔵円明流判官派と宮本武蔵円明流判官派高橋華王伝は異なる。
  • 茂山雅司は、高橋華王より印可を受けている(印可状は茂山雅司本人の自宅に厳重に保管済み)。証明は、高橋華王夫人、弟子の群馬県・西村啓祐や東京都・白石安男と茂山の家族のみ確認している。--以上の署名のないコメントは、122.135.115.77会話)さんが 2010年5月4日 (火) 14:59 (UTC) に投稿したものです(Uguisuanによる付記)。--以上の署名のないコメントは、125.193.36.154会話)さんが 2010年5月2日 (日) 16:54 (UTC) に投稿したものです(Uguisuanによる付記)。[返信]
なるほど、いろいろ難しいんですね。本文の方に、この流派とはどういう関係という具合に、わたくしのような素人にもわかりやすく書いていただけないでしょうか。特に、上のリンクに出てくる諸田森二さんという方も、高橋華王先生から代を継いだと称しておられ、どちらが兄弟子であるとかそういう説明を加えて頂けるとわかりやすいかと思うんです。
ただし、説明の根拠として、他の者でも確認できるような本の記述ですとか、新聞記事ですとか、そういうものを示してください。本といっても、本屋で買えない秘伝の書などでは困ります。理屈の上では印可状が真実を示す証拠なのだろうとは思いますが、ほかの者が自由に原本を確認できない資料ですので、ウィキペディアのルール上は根拠として不適切とされます。詳しくはWikipedia:検証可能性に目を通してください。
当たり前のことではありますが、「○○は詐称」などといった名誉を傷つけるようなことは書かないでください。法に触れてしまいますから。--Uguisuan 2010年5月4日 (火) 15:53 (UTC)[返信]
わたくしも素人ですが、茂山雅司と高橋華王は全日本刀道連盟(当時故中沢敏会長)の兄第弟子です。諸田森二さんは高橋華王先生の弟子ですから茂山雅司は、諸田森二さんにとって昔の中国武術でいうところの師叔にあたり、世代が一代上ということになります。あと諸田森二さんは、高橋華王さん亡き後1年後に代を継いだと称しておられますが、通常没後に継ぐことはあり得ない。例えば、高橋華王さんの内弟子であった宇津志建先生は諸田森二さんの兄弟子にあたりますが、高橋華王さんから生前直接に柳生潜流第6代宗家を印可(2004年4月30日プロデュース社発行「武神」VOL22,pp41-42)されています。茂山雅司の印可については、一般の者が確認できるような資料はありませんので、ウィキペディアのルール上は根拠として不適切かもしれませんが、高橋華王さんの奥様や門人の間では有名な話です。ちなみに、関西の武蔵円名流15代宗家の方と諸田森二さんについては、高橋華王さんの多くの新旧の門弟(高橋華王さんが特にお目をかけられました愛弟子(武道では宇津志建先生を最後に3名のみ)や内弟子・外弟子)の皆様は存じておりませんでした。
なお、武蔵円明流や武蔵円明流判官派は宮本武蔵玄信先生の弟子の宮本武蔵政名(岡本政名)先生が創流したもので、技法的にも宮本武蔵玄信先生の兵道鏡円明流とは異なります(国際武道大学教授魚住孝至著「宮本武蔵ー日本人の道」(ぺりかん社)より)。--以上の署名のないコメントは、125.195.64.120会話)さんが 2010年5月5日 (水) 15:04 (UTC) に投稿したものです(Uguisuanによる付記)。--以上の署名のないコメントは、122.135.104.242会話)さんが 2010年5月5日 (水) 12:55 (UTC) に投稿したものです(Uguisuanによる付記)。[返信]
私も同じ考えです。私は、兵法二天一流正統宗家(小倉市在)の元で宮本武蔵玄信先生の武道・武士道を修行しておりますが、武蔵円名流・武蔵円名流判官派(どう違うのでしょうか?なぜ別々に名称を商法登録するのでしょうか?何か商売と関係しているのでしょうか?)と宮本武蔵玄信先生の伝えた技法は全く違うものです。また試斬(真剣斬り)は、その切れ味、思想、技術において茂山雅司の最も得意とするところで世界一と玄人筋では有名ですが、こちらは一般の者が確認できるような資料はありませんので、ウィキペディアのルール上は根拠として不適切かもしれません。--以上の署名のないコメントは、133.31.213.145会話)さんが 2010年5月6日 (木) 02:07 (UTC), 2010年5月6日 (木) 03:00 に投稿したものです(Uguisuanによる付記)。[返信]
もうお察しかもしれませんが、茂山雅司さんについての公になった文献が無いとすると、記事自体がWikipediaでは存続するのが難しい状況です。このままでは遠からず削除依頼が出されることになると思いますが、そうなると「出典が無い」「記事を載せておく価値が無い」「自己宣伝だ」などと挙げ連ねられて一週間以上晒しものにされた挙句、記事が削除されるという流れになることが予想されます(こちらのページを御覧になると想像できるかと思います)。
最悪の事態を避けるには、初版投稿者による白紙化⇒即時削除という、上のような審議を経ない方法もあります。ただ、今回は他の記事からのリンクも出来てしまっていますから、難しいかもしれませんが。(Wikipedia:即時削除の方針#全般の8番目をご覧ください)
本文の初版を書かれた利用者:111.188.75.14さんが、もしこのノートを御覧になっておられれば、以上のようなことも踏まえて今後の方向を御検討いただいたほうがよろしいかと存じ上げます。もちろん、だれでも検証可能な文献があるのであれば、それに基づいた加筆がされるに越したことは無いのですが。
(なお、ノートでの議論の際には、書き込み末尾に署名をするルールになっています。--~~~~と最後に付け足せば、自動的に日付付きの署名に変わるしかけになっていますので、皆様よろしくおねがいします。)--Uguisuan 2010年5月6日 (木) 15:17 (UTC)[返信]

既に公にpublishされた文献に関する丁寧な記載があるので、この件については解決済ですね。お疲れ様でした。ここで議論になったことで、いろいろと武道界の内情もわかりましたし、改めて茂山先生が偉大な武人だと実感しました。--60.236.81.122