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ノート:芹沢鴨/過去ログ1

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統合

  • 芹沢鴨粛清芹沢鴨に統合したほうがいいと思います。特に新しく記事を作る必要はない。

Maakun 2005年11月11日 (金) 12:09 (UTC)


自費出版について

  • 自費出版は多くの流通がないことから、確認が容易ではない不便さがあります。WikipediaにはWikipedia:独自研究は載せないという趣旨がありますが、たとえば、自費出版であろうが、その書物、文献が多くの公共機関に献本があり、中身に信憑性があるものについては参考文献、あるいは引用文献になりうるものと考えます。ちなみに消去したものの一部については行政に準ずる機関で販売されており、またいくつもの図書館でも収蔵されており、自費出版ではないことは明らかです。消去した人物は明らかに文献も見ずに対処されているとしか考えられない行為(参考文献の消去が一例)がうかがえます。その理由には投稿者の投降記録が示すように、あきらかに個人攻撃ととれる行動がみえており、これはWikipediaの指針にあるWikipedia:個人攻撃はしないの趣旨に反します。普通なら投降される良識者は、なんらかの文献を発見し、それをWikipediaに投降するといった健全とした行為が受け取れますが、意見の相違があるなら、ご自身で根拠を提示のうえ、記入することがWikipediaにとって有用ではないかと考えます。--ふんにゃらにゃ 2008年3月20日 (木) 09:21 (UTC)


    • 『芹澤家の歴史』については「私家版」と明記されています。私家版というのは自費出版のことです。違いますか。図書館に収蔵されていようがいまいがその点は変わらないはすです。
    • 「とりあえず役人が間違いないと言っているから間違いない」と考えるのは日本人の通弊かもしれませんね。さて、玉造町観光協会に、はたしてあなたの原稿を査読するだけの能力がありますか。同協会のウェブサイトを見る限り、ただ鵜呑みにしてそのまま発表しているだけにしか見えません。Wikipediaにおける信頼性については自費出版と同じことではないですか。
    • 記事を編集するときは、記事の全体をよく見渡して、全体の整合性を考慮しながら編集するようにしましょう。旧水戸藩士の川瀬家に伝わった文書が芹沢の暗殺を9月16日としていることは、すでにこの記事の別の場所に書いてあります。同じことを2度書く必要はありません。また、あくまでも18日説が誤りであると断定したいのであれば、あなたご自身の手で記事全体から18日説を削除して16日説に統一した記事に編集しなおすべきです。現在の記事は、16日説と18日説の両論併記になっています。両説とも反対説を圧倒する決め手がないからこそ両論併記になっているのではないでしょうか。
    • 日野市の資料館が刊行した図録と、PHP研究所が刊行した新書とでは、後者のほうが入手が容易で社会的な信頼性も高いことは言うまでもありません。日野市の図録を記載しない必要はありませんが、PHP新書をあえて削除する理由はないでしょう。
    • 純粋に参考文献の選択方法について議論したいのであれば、Wikipedia‐ノート:独自研究は載せないWikipedia‐ノート:検証可能性Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源などで議論されるべきだと思います。参考文献はただ「参考文献とは何か」ということを述べただけの国語辞典的な記事です。--呆庵入道 2008年3月20日 (木) 12:06 (UTC)
  • ながながと書かれておりますが、要は「お前が書いたことは信用できない」という結論に帰結します。ちなみにその件につきましては発行元に問合せはされたのでしょうか?もしそうではなく、根拠もなく偏見と憶測のみを述べていることは再度述べますが、Wikipedia:個人攻撃はしないの趣旨に反する行為と結論します。また個人情報の漏洩に繋がる文面もありますね。どうも感情のみが先行しているようですが、ご自身のページに書かれている「記事を書くための手間は惜しまずに。」の原典に戻り、調査のうえでの記述をお願いいたします。ちなみに自費出版の是非についてはノート:参考文献で意見を問いたいと思います。これは投稿者さんの問題でなく、今後Wikipediaで問われる広義的なテーマと感じたからで、それまでは掲載は必要と考えております。上記で述べられている場所がよいのか、この項目でよいのかは私と投稿者さんの観点の違いです。
  • 16日説と18日説ですが、現在、どちらを確定するかについては確定的根拠が少ないというのが現状です。16日説は菊地明氏が記述した「16日は雨だった」ということと、私が見つけた文書が根拠となっており、18日説は墓石の日付と投稿者さんが書いた書籍ですね。これは後世になってもう少し根拠物件が発見できたときに判定することが必要ではないかと思います。私は16日説を採用しておりますが、これはあくまでも私の私見であり、押し付けているわけではありません。ですからWikipediaでは両論併記が望ましいと考えます。投稿者さんもその意見では一致しているようですからその点は問題はないでしょう。--ふんにゃらにゃ 2008年3月20日 (木) 16:59 (UTC)
ご指摘のとおり、私は「おまえが書いたことは信用できない」と申し上げております。なぜならそれは、あなたが本件記事の編集にあたって、Wikipediaでいうところの信頼できる情報源を使用していないからです。
ガイドラインを熟読されればおわかりになると思いますが、自費出版された書籍が「信頼できる情報源」とされていないのは、流通する範囲が狭くて入手や閲覧が困難だからではありません。情報源としての品質管理のための精査がなされていないからです。『芹澤家の歴史』は上梓に当たってそのような手続きが踏まれていますか。また、玉造町観光協会はそのような精査をする能力を備えていますか。私が問うているのはそれだけのことです。あなたは、YESならばYESと答え、NOならばNOと答えればよいだけです。ただし、YESにせよNOにせよ、それを立証する責任はあなたにあります。このこともWikipediaのガイドラインにきちんと明記されています。芹沢雄二氏と親交があるわけでもなく、玉造町観光協会と密接な関係にあるわけでもない、どこの誰かもわからないただのドシロウトであるあなたには、その立証は困難を極める作業になるでしょうが、それは芹沢氏が自費出版した書籍や同協会が発売している書籍を記事の出典に選んだあなたの自業自得です。私の関知するところではありません。なお、そのことが立証できるまでは、あなたが異常にこだわっているあの数行の記述は削除されてもあなたに抗弁権はありません。そのこともガイドラインに明記されています。--呆庵入道 2008年3月21日 (金) 13:24 (UTC)
  • すごい感情論に至ってますね。簡単な調査もこころみず、管理者でもないイチ投稿者の方の脳内空間で浮かんだ事象をWikipediaは認めておりませんよ。Wikipediaのガイドラインには中立性を謳っておりますが、イチ投稿者さんの文章に中立性は見当たらないですね。で、何度も申し上げますが一部は自費出版ですが、それは芹沢家にある古文書(現在、古文書は茨城県立歴史館に寄託されている)の通説と翻刻文で形成されています。歴史館にある古文書と比較検討してますが、一致してますね。ただ、親交云々を述べているイチ投稿者さんは芹沢さんをご存知ありませんよね。「芹沢家の歴史」について述べてる内容が無茶苦茶ですから。「講釈師、みたことのようなものを言い」の典型例ですね。議論以前の問題です。
  • もうひとつは何度も自費出版ではないと申し上げております。捏造ですね。所蔵図書館の検索で容易に自費出版でないことは確認できます。また、一読もしたこともない書物をインチキ扱いして述べたところでイチ投稿者に信憑性、正常性が疑われますね。これが一読したうえでの批判なら対処も出来ますが、Wikipediaに自費出版の項がありますので、こちらの内容にまったく合致しないものを自費出版として述べること自体が笑止ですね。
  • イチ投稿者さんと私の決定的な違いは、イチ投稿者さんは「文献も見ずに述べていること」と、私は「文献を見ている」こととの違いですね。ドチラに信憑性があるかは一目瞭然です。私は何度も史料、文献をご覧くださいと申し上げてます。該当図書も図書館のなかには協力貸出制度もありますので費用をかけずに容易に見ることができるのですが、「馬の耳に念仏」状態では仕方ないですね。
  • 「お前の書いたことが信用できない」、「ドシロウト」等、論理的でない誹謗中傷を書きまくっている時点でWikipedia:個人攻撃はしないに該当いたしますね。信用性については「信憑性」、「史料の裏づけ」という、万人が納得できる意見は賜りますが、駄々っ子の論理には承伏できません。--ふんにゃらにゃ 2008年3月22日 (土) 04:07 (UTC)


『芹澤家の歴史』は著者の所蔵する古文書を基にして書かれた。自分は両者の内容を比較して内容が同一であることを確かめた。だから『芹澤家の歴史』は自費出版であっても信頼できる情報源だ。要はそういうことですね。
それだけではWikipediaで言うところの「信頼できる情報源」としての要件を満たしていないことは、ガイドラインを熟読すればおわかりになると思うのですが、どうしてガイドラインを読もうとなさらないのでしょうか。
あなたの説明では、客観的な第三者の目がどこにも入っていません。査読がいっさいされていないのです。史料批判もいっさい欠如しています。『芹澤家の歴史』が著者所蔵の古文書に基づいて書かれているのなら、著者所蔵の古文書の内容と『芹澤家の歴史』の内容が一致するのはあたりまえです。完全な循環論法です。そんなものは精査でもなんでもありません。ただきちんと丸写しにされているかどうかを確かめただけのことです。そんなことは機械にでもできます。そんなものが学問といえますか。そもそも「子孫の言うことだから信用できるとは限らない」「子孫に伝わっている古文書だから信用できるとは限らない」というのは歴史学の基本ではないですか。
あさくらゆうさんとかいう無名のアマチュアが書いた冊子についてですが、それが自費出版だと申しあげたことはありません。玉造町観光協会が出版したものであることは承知しています。記事にそう書いてありますから。私は、同協会にその冊子を査読する能力があるのか、と確認をとっているだけです。同協会は、玉造町商工会と一心同体です。玉造町商工会は地元の中小企業の互助会です。そういう組織がきちんと学芸員を雇うなり公的資格を持つ専門家に委嘱するなりして内容の精査を行っていますか。それができていないのなら、著者の書いた文章をそのまま誰もチェックしないで垂れ流しているだけですから、自費出版と同様「信頼できる情報源」とは呼べない、と申しあげたのです。玉造町観光協会ははたして学術的な歴史書を出版する出版社として信頼するに足る組織ですか。はっきり答えてください。
「ドシロウト」というのは、あなたがWikipediaではそのように振る舞いそのように扱われることをお望みのようですからそのように申しあげただけのことですが、お気に召しませんでしたか。専門の研究者として扱われたいのであれば、きちんとご自分の利用者ページで専門の研究者としての身分と実績を明かして、編集に際しても専門の研究者にふさわしい振る舞いをなさればよろしいかと思います。いまのあなたは匿名をいいことに独自研究を垂れ流しているだけのただのドシロウトです。
とにかく、いつまでも逆上していないで、つまらない問題のすりかえももうやめて、Wikipediaのガイドラインを冷静に熟読してください。話はすべてそれからです。(2008年3月22日 (土) 06:59に呆庵入道氏が書いたもの)


  • ガイドラインについて理解していないと言ってるお言葉はすべてイチ投稿者さんに返上します。感情をあらわにして、かつ中立性さえをも失って、「ドシロウト」、「逆上」といった誹謗文を書く人間を基準にしたガイドラインはWikipediaにはないですよ。「逆上」の言葉もイチ投稿者さんに返上いたします。
  • ご自身で確認もされず、また、ご自身の空想だけの論法で言っておりますが、芹沢家の文献は茨城県内のいくつもの学会で用いられており、その信憑性はじゅうぶんに評価されているものです。私は便宜上書いているだけで、お疑いなら寄託を受けている茨城県立文書館等に問い合わせれば確認できる話です。私の話うんぬんを問う前に何度も申し上げますが、ご自身で確認することなく、意固地になるのもいかがでしょうか?また、匿名はあなたも一緒なことであり、匿名をいいことに悪口雑言を浴びせている文章をみていると思わず笑ってしまいましたよ。
  • で、原点に帰り、独自研究を載せない、といいますが、どこがどう独自研究なのでしょうか?今回は参考文献を提示しているだけですよ。
  • 玉造町観光協会についても、憶測だけの文法ですね。ちょっと電話や手紙等で確認することがじゅうぶんできる環境にあるのに、自分の憶測、妄想だけで構成されています。
  • 自費出版議論は当初、イチ投稿者さんが見出しにお書きになっているでしょう。よくご自身の文章を読み返してください。このノートで「自費出版同様」と記されているでしょう。
  • 以上、正常な議論はできないと判断しています。保護は妥当と考えます。--ふんにゃらにゃ 2008年3月22日 (土) 08:39 (UTC)
Wikipedia:信頼できる情報源には「証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり、情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます。」とあります。あなたが「自分で確かめろ」とくどいほど繰り替えすのは、ただの“逃げ”です。
逆に言えば「茨城県内のいくつかの学会でしか用いられていない」文献の信頼性とはどんなものなのでしょうか。県立文書館に寄託されているから信頼できる、というのもどうもよくわかりません。あなたにとっては、官公庁のお墨付きがそれほどまでにありがたみのあることなのでしょうか。
玉造町観光協会がいかなる組織であるかについては、同協会のオフィシャルウェブサイトを見ればわかります。で、同協会に学芸員はいるのですか?いないのですか?お答えください。
「ある書籍が自費出版である」ということと「ある書籍が自費出版と同様の信頼性しか持たない」ということとは違います。あなたは両者を混同しています。
「悪口雑言」というのは私の文章のどの部分ですか?具体的にご指摘ください。--呆庵入道 2008年3月22日 (土) 13:01 (UTC)
ふんにゃらにゃらさんの利用者ページによると「史料は原本で見ることをモットーとしてます。」とのことです。問うに落ちずに語るに落ちるとはこのことですな。彼の提示する参考文献とやらが信頼できる二次情報源ではないことを告白したようなものです。--呆庵入道 2008年3月23日 (日) 02:48 (UTC)
  • 正常な思考を持ちえない方を相手に貴重な時間を費やしたことに後悔しています。いいですね。暇な方は。このノートに書きこみがないことが証明の証でしょう。Wikipedia:個人攻撃はしないをよくお読みいただきくださいね。以降、正常な方とは議論しますが、常軌を逸した方とは議論をお断りします。--ふんにゃらにゃ 2008年3月23日 (日) 12:48 (UTC)
暇ということなら、日本全国を経巡って、あちこちの市町村役場や法務局に押しかけては赤の他人の戸籍を盗み見ることを無上の愉しみとしているあなたのほうが、よほど豊富な余暇をお持ちだと思いますが…。まあ、返答に窮すると問題のすりかえと人格攻撃に逃避するのは、あなたの常套手段、もう慣れっこです。で、芹沢家文書は信頼できる二次情報源なのですか?また、玉造町観光協会には学芸員はいるのですか?いないのですか?答えてください。待つことには慣れています。時間はたっぷりあげますから、きちんと調べておいてくださいよ。--呆庵入道 2008年3月24日 (月) 10:28 (UTC)
  • いやはや……もうストーカーですね。家には来ないでくださいよ。でも来そうですね。最近自宅の駐輪場でバイクが壊されましたがあなたじゃないですか?じゃなければ私の個人情報を知りすぎてますよね。そんな悪趣味はいずれ刑事事件に発展しますよ。ともあれ、偶発的にも保護によって私の望みは叶ってますので。残念でした。--ふんにゃらにゃ 2008年3月24日 (月) 13:39 (UTC)
保護も5年も10年も続きはしないでしょうからね。別に待つことは苦ではありません。しかし「私の望みは叶ってます」とは、実に語るに落ちるというものですな。記事を充実させることよりも売名のほうが大事だとは。--呆庵入道 2008年3月25日 (火) 11:03 (UTC)

ふんにゃらにゃ氏の“最近自宅の駐輪場でバイクが壊されましたがあなたじゃないですか?じゃなければ私の個人情報を知りすぎてますよね。そんな悪趣味はいずれ刑事事件に発展しますよ。”は呆庵入道氏に対しての名誉毀損に該当します。直ちに謝罪をするなり、事実と断ずる根拠があるなら立証説明を求めます。--あいびす 2008年3月29日 (土) 04:37 (UTC)

さて、特にご反対がなければ、Wikipedia:独自研究は載せないに基づき、参考文献から『芹澤家の歴史』『新選組水戸派読本~新選組を創った男』『新選組読本~隊士外伝』の3件を削除したいと思いますが、ご賛同いただけましょうか。ご意見お願いします。--呆庵入道 2008年6月23日 (月) 13:47 (UTC)

こりゃもう一回議論やり直したほうがいいっしょ。議論参加者二人だけで、しかも話し合い物別れに終わってる。保護依頼かけときますね。--アダモステ 2008年6月23日 (月) 18:21 (UTC)
  • 反対ですね。「芹澤家の歴史」は過去の事例から削除してもよいかと思いますが、呆庵入道さんがご自身でご確認も取っていないものを削除するのは単なる思い込みです。以前玉造町にあった新選組水戸派資料館で『『新選組水戸派読本~新選組を創った男』を購入しましたが、史料の写真も多く、著者の文章抜きでも原本で確認可能です。ましてや茨城県立歴史館の史料が信用できないなんてのはあなたの認識を疑います。ちなみに奥付も「玉造町観光協会」となっておりましたので、自費出版とは違います。もし、その2つを削除したいのなら、項目を分けてWikipedia:独自研究は載せないの趣旨に基づいた議論することをお勧めします。--221.243.86.106 2008年6月23日 (月) 18:31 (UTC)

偏った発言ととられそうだったので修正しました。--221.243.86.106 2008年6月23日 (月) 18:36 (UTC)

こりゃ、二人の話が相当ズレたままで噛み合いませんね。「査読などの定義」などはここではなく、もっと多くのWikipedianが集まるところで、きっちり議論をして、Wikipediaとしての統一見解を結論づけたほうがいいんじゃないですか?--経済準学士 2008年6月23日 (月) 18:40 (UTC)
玉造町観光協会は単なる地元の中小企業の互助会です。そのような組織に査読能力があるのか、というのは当然の疑問です。221.243.86.106さんは私の意見を誤読しておられます。なお、観光協会に査読能力があるのかどうかの立証責任はふんにゃらにゃさんにあります。ふんにゃらにゃさんはその責任を果たせずに夜逃げしました。221.243.86.106さんは、その責任を肩代わりしてくださいますか?それなら私も納得いたしましょう。まあ、私としては芹沢鴨の記事が間違った出典に基づいて誤った記述になっていても痛痒も感じないので、これ以上無理押しして記事を編集しようという気はありません。ただ、観光協会発行のパンフレットが出典として堂々とまかりとおる現状は、記事全体の信用性を失墜させるでしょう。
経済準学士さんのご指摘はごもっともと思いますが、その問題提起は、既存のガイドラインの解釈変更を要求しているふんにゃらにゃさんご自身の手でなされるべきでしょう。--呆庵入道 2008年6月29日 (日) 13:39 (UTC)
  • パンフレットという意味がわかりませんが?新選組水戸派読本をパンフレットと呼んでいる時点でなんらかの悪意を感じます。見てもない物を勝手に決め付けたい理由は別にあるのではないでしょうか?どうやら上の文章から、呆庵入道さんとふんにゃらにゃさんとはお互いになんらかの縁があるのでしょうが、ここはWikipediaです。芹沢鴨の名を借りた個人の喧嘩はやめてください。ふんにゃらにゃさんだけでなく3月22日の記事を読む限り、呆庵入道さんは単に個人的にあさくらゆうさんという著者が嫌いなだけでこの議題を持ちあげているだけでしょう。個人の好き嫌いだけで記事を編集することはやめていただきたい。
  • 水戸派読本だけに限定しますが、各引用文献には所蔵先も書いてあり、また写真で読めるように配慮されています。活字化された文章だけでなく、そういった気遣いが見られます。暗殺の件についても川瀬家文書はそのまま写真があり、活字でなくとも読めるようになってます。私は参考文献にあってもよいのではと考えます。--221.243.86.106 2008年7月7日 (月) 16:57 (UTC)
  • IPユーザですが勝手に議論対象の参考文献を削除しました。議論内容とは別に、wikipediaという場所柄「正しいかもしれない情報が載っていない」よりも「誤っているかもしれない情報が載っている」方が問題と考えたためです。
  • ついでに議論にも一言、残念ながら歴史資料には誤った内容のものが少なくありません。当時の著者が間違えている場合もあれば、作為的に捏造している場合もあります。歴史学とは「まず史料の正当性を確認する」ところから始めなければなりません。ましてや当該人物の郷土や親族の史料は、特に慎重に扱わなければなりません。呆庵入道氏はそのことを訴えておられるのでしょう。
  • なお私はあさくら氏がどんな経歴の方かは存じません、さらっと調べてみても、郷土史家であり、講演、著作がある位しか分かりません。在野にもすばらしい歴史家はいますが、自己顕示欲の強いアマチュア歴史家もその何十倍もおり、どちらなのかの判断は私には出来ません。しかし、各地の史料を「無批判に」引用しまとめるだけの独自研究なら、多大な熱意と少しの文才さえあれば誰にでも出来てしまいます。--118.8.65.4 2008年7月12日 (土) 15:30 (UTC)
  • 上記についてコメントします。玉造町観光協会内部には多くの郷土史家も存在しており、その集大成が「玉造」という郷土史として刊行されています。当時、郷土史家会長を館長にしていた「新選組水戸派史料館」で販売してたものであり、当然チェックの対象となっているものです。ちなみに呆庵入道[1]で問題となった人物です。また、前にも問題にしておりますが、ここは自費出版についての項ですから、「新選組水戸派読本」等は対象となりません。--ふんにゃらにゃ 2008年8月18日 (月) 18:49 (UTC)


「自費出版について」についてのコメント依頼

    • 「芹澤家の歴史」は自費出版ですが、茨城県のいくつかの図書館に所蔵されており、内容も同家所蔵(現在は茨城県立歴史館寄託)に基づいてますので、残したいという希望があります。
    • 「新選組水戸派読本」、「新選組読本~隊士外伝」は自費出版ではないので、節そのものが違うと思っております。
  • 何度も何度も言われているようですが、理解されておられない(理解しようとしていない?)ようなので再度。

まずはふんにゃらにゃ様の結論が、Wikipediaの指針とは相容れないことを理解されるべきです。 前提知識としてこの辺りをご覧下さい、「史料」、「史料批判」。 その上でwikipediaでの指針をご理解下さい「信頼できる情報源」、「検証可能性」、「独自研究は載せない」。

呆庵入道氏の発言を全て個人攻撃と受け取っておられるようですが、ふんにゃらにゃ様の返答や編集態度にも問題があるように読めますよ。 (お互いどっちもどっちですが、呆庵入道氏の方が正論を吐いているかと) --122.17.33.253 2008年9月13日 (土) 03:45 (UTC)

  • 信頼できる情報源検証可能性独自研究は載せないと申されますが、これはあくあでも呆庵入道氏の曲解です。参考文献は網羅されており、玉造町観光協会を単なる互助団体扱いしています。この観光協会には多くの郷土史家も内在しています。Wikipedia:検証可能性についても3点ともに参考文献、引用文献の所蔵元がはっきりしてます(例では茨城県立歴史館蔵のものとか~標題は同館のHPにある史料検索で所蔵が確認できます)。もし、呆庵入道氏の言を受け入れれば、行政と密接な観光協会発行のすべての歴史発行物がインチキという意味にもなるでしょう。ちなみに呆庵入道氏は上記の文献は一切一読もしていない、という点を考慮してください。(端々にその言が登場します)
  • また、呆庵入道氏に関しては、私もWEB上で余分なものも書き過ぎましたが「売り言葉に買い言葉」ということですね。また、彼は私について、過去の経緯から個人攻撃が目的なので、辟易した、というのが、実情です。--ふんにゃらにゃ 2008年9月13日 (土) 07:44 (UTC)

「芹澤家の歴史」は自費出版とご自身で明言している通り、wikipedia上では自費出版を参考文献とする事を認めていません。以前に歴史とは異なるジャンルでも論議がありましたが、wikipediaでは自費出版による編集を認めませんでした。もし異論があるならばwikipedia上の指針改定をご自身の手で為さるべきでしょう。--あいびす 2008年9月13日 (土) 10:02 (UTC)

「芹澤家の歴史」についてはあいびす様の仰る通りかと思います。ましてや本ケースは、該当記事の人物(芹沢鴨)の親族による自費出版物であり、明らかに不適当です。
「~読本」の2冊も自費出版でこそありませんが、出版社や研究機関の出版物と、人口1万数千人の玉造町の観光協会からの出版物を同列に語るべきではないでしょう。「呆庵入道氏の曲解」と曲解されておられるようなので、あえて極論で申し上げます。地方の観光協会から発行される出版物のほとんどが学術的には無価値です。これは出版物の内容に関わりません。査読の有無が明確でなく、発行元の権威がないからです。また観光協会という組織上、郷里のPR的性質を伴いがちであることも史料の信憑性を低めます。
しかし学術的に無価値であっても、wikipediaにおいて無価値かどうかには議論の余地があります。ただこちらも教条主義的には「信頼できる情報源(学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次情報源)」では無いため、引用元としては認められないでしょう。--122.17.33.253 2008年9月15日 (月) 16:30 (UTC)

  • 「芹澤家の歴史」の件についてはwikipediaで提案を考えましょう。親族だからといって贔屓目に書いたと捉われているのが残念です。茨城県立歴史館に原本があり、同時代史料で傍証も取れるものが多いのですが、空想で物を考えるとそのような結論に出るのは多いのでしょうね。このような例もあり、自費出版の定義もなにかしら必要なのでしょう。ただ、順序がありますので、このノートの議論中で間に合うかどうかはわかりませんが、時間にゆとりがあるときに、ある程度の努力はしたいと思います。
  • 信頼できる情報源中、「特別な主張には特別な証拠が求められる」

に則り申しあげれば、私は傍証となる史料の所在~たとえば、水戸派読本に掲載されている引用文献、参考文献となっている川瀬家文書や玉造勢進退始末は茨城県立歴史館に蔵されており、直に閲覧が可能だということです。また、玉造勢進退始末は「茨城県史」や「玉造町史」でも使用されています。その他でも確認できるものは多くあります。

  • あと、観光協会の発行物は無価値という根拠、文献はなんでしょう?単にご自身の「思い」でしたら構いませんが、観光協会発行のものを無価値と決め付ければ、wikipediaに掲載されている参考文献にいくつもが観光協会発行のものがあります。また、同じ感覚であれば行政発行物でも同様のことがいえるでしょう。地域の歴史をPRのために発行されてますから。ちなみに122.17.33.253氏はこの案件以外でもこのような事例を糺す努力を惜しまないという意思をお持ちなのですね。まさか、この件のみはダメでほかはOKというという訳ではないですよね。そうなると根気と努力が必要ですね。
  • 呆庵入道氏の曲解の事例は2008年6月29日 (日) 13:39 の際、「パンフレット」発言などでじゅうぶん理解が出来ます。もし、突っ込んだ意見を言うなら、再三私は観光協会に確認をとるよう求めています。ちなみに現在は行方市観光協会となっていますが電話番号はかわっていないようです。--ふんにゃらにゃ 2008年9月15日 (月) 20:05 (UTC)

何度も申し上げていますが、自費出版は参考文献に引用できない。これはwikipediaのルールです。wikipediaを国と定義すれば国是であり法律です。故に前提の段階(即ち、自費出版でも史料的価値があるなら参考文献にしてもよい)が誤っているのです。故に参考文献から削除するのが正しい。

個人的には「新選組水戸派読本」についても疑問を抱いております。それは著者のあさくらゆう氏が執筆・主張している内容が本書発行以後の他の幕末通史の書籍には殆ど見られず、これがwikipediaの定める「独自研究は載せない」に抵触するのではないかと考えられます。 ですが、同時に他書籍に見られない史料などを紹介し、客観的にも確定し得るほどの新たな史実を紹介している点など本書のすべてを支持はしませんが資料的価値との観点からすれば参考文献とすべき主張も頷けるのもまた事実です。 こちらは自費出版とは異なりますので、観光協会発行をどう識別するかが争点と考えます。--あいびす 2008年9月16日 (火) 11:25 (UTC)

wikipedia上にてこのような話をしているため、誤解させてしまったなら申し訳ありません。

学問の世界ではどんなに優れていて正しい主張や研究であっても、正当な審査を経ていないものは無価値です。ここで言う正統な審査とは権威ある論文誌への投稿、学会での発表等です(当然同じ分野の研究者の査読を受けます)。地方自治体の観光協会の発行物のほとんどは、このような審査を経ていません。従って"学術的には"無価値(呆庵入道氏曰くパンフレット)だと言っております。これは私の「思い」でもなんでもなく「常識」の部類です。
なお(資料統計等の)行政発行物はまた別です。これらは(少なくとも日本では)行政機関としての権威と、上級庁の監督の下に発行されているため信頼できる情報源とされています。

自費出版についてはあいびす様が仰ってくださいましたので「~読本」について。今回問題にしている「特別な主張(~読本)」は二次情報源にあたります。ここではその二次情報源自体に対して「信頼できる情報源か?」「独自研究ではないか?」を論じているため、基となる一次情報源(川瀬家文書等)の信頼性や検証可能性は全く関係ありません。
観光協会に関しては「郷土史家が内在している」と仰られていますが、残念ながらwikipediaでは「独自研究家がいる」以上の意味を持ちません。最低でも「著名な郷土史家である○○氏が居られる、なお○○氏とはこのような史家である」位の説明は必要です。また例えば「○○大学の○○教授が監修されている」、「著者は○○史学の博士である」といった説明があれば今の状況よりは信頼性が増します。
これらの確認を取りこの場で示す責務は、掲載を希望するふんにゃらにゃ様側にあります。「読めば分かるはずだ、読んでもいないのに文句を言うな」はwikipedia内では通用しません。「~読本」が「信頼できる情報」で「独自研究ではない」ということを、誰の目にも分かる形で示さなければなりません。

自分の気がついた部分は、出来る範囲で修正していきたいとは思っておりますが、当然一人で全てを出来るわけはありません(wikipediaも個人にそこまでを求めておりません)。手始めに熱意ある編集者様の誤解を解けたら幸いです。
発言者の同一性のためユーザ登録致しました。上記IP:122.17.33.253は私です。--Hortensia 2008年9月16日 (火) 14:11 (UTC)

Hortensia氏の「確認を取りこの場で示す責務」というのは著者、もしくは直接著者に聞かねば解決し得ないでしょうし、少なくても「新選組水戸派読本」には、wikipediaが定める審査・査読は見当たりません。もちろん、それを実証すべき責務はふんにゃらにゃ氏にあります。これらwikipediaが定める審査・査読らを実証できれば参考文献へ、無理であれば削除すべきでしょう。--あいびす 2008年9月16日 (火) 14:50 (UTC)

またもや長文になりますが、訂正と補足をさせて下さい。

あいびす様が「自費出版は参考文献に引用できない」と断じておりますが、自費出版であっても引用元にできる例外(「自己公表された情報源」参照)もあります。残念ながら「芹澤家の歴史」は例外条件を全く満たしておりません。またあいびす様も仰っているように、観光協会の発行物でも史跡や郷土史料のリファレンスとしてであれば、wikipedia上で引用元とする価値はあるかもしれません。しかし本ケースのような著者の独自解釈や考察が入った読み物は、「独自研究」の恐れがあるため引用元として適しません。第三者による裏づけが必要となります。

なお私が前コメントで例示したような内容を観光協会や筆者に確認を取りご本人がこの場でその旨を説明されても、残念ながら立証したことにはなりません。理由は「「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」をご覧下さい。この点に関しましては私も誤解していた部分があります、申し訳ございません。私が考えうる限り一番確実で現実的な証明手段は、「~読本」を引用元とした別の二次情報源を示すことかと。wikipediaが定めるルール上、大手出版社からの刊行物や、地方学会の論文、修論博論、もしくは信頼できる(執筆者による)Webサイトでも充分でしょう。なお書評の類は不適です。

ちなみに私の指摘した内容のほとんどは、本ノート内で既に呆庵入道氏が仰っておられます。wikipediaのルールや史学の基本的な部分を誤認したままでは、今回の参考文献の件だけでなくふんにゃらにゃ様の執筆した記事全体の信頼性が揺らいでしまいます。呆庵入道氏の全てを肯定はしませんが、氏が貴方の編集記事を悉くリバートするのは個人攻撃ではなく、貴方の誤認ゆえの誤った記述を修正しているように見受けられます。

私としては貴方が白痴を装った悪意ある関係者ではなく、未だ知見は足りないものの執筆熱意のある編集者であって欲しいと願っています。--Hortensia 2008年9月18日 (木) 12:15 (UTC)

  • こちらの多忙がwikipediaに費やす時間を与えてくれません。その間に話が進んでるので、放置すれば無礼に当たると思い、急ぎコメントいたします。確信な内容でないことをご容赦ください。

 これは参考として掲載しますが、

  • ○芹澤家の歴史の執筆者、というより、もとの文責者たる芹澤外記氏は玉造町郷土文化研究会会長であり、県会議員でした。行方郡八代小学校校長を皮切りに茨城県内の教育界に貢献し、樺太渡航でも、樺太内の日本人教育に尽力しました。戦後、帰郷すると、教育関係から推され茨城県会議員を勤めた人物です。
  • ○玉造町観光協会発行の2冊を「本ケースのような著者の独自解釈や考察が入った読み物」と著してますが、Hortensia氏は実際にお読みになったのですね。そうでなければ上記の文章が構築できません。ちなみに今回批判を行った呆庵入道氏とあいびす氏は読んでいないことを明言しています。私は読んでますが客観的に書かれており、主観的な見解は感じませんでした。Hortensia氏は著書のどの部分が上記のケースにあたるかを説明する義務があります。その部分について、私の見解を述べたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
  • ○確かにHortensia氏のおっしゃったとおり、過去、叱責された行為については勘違いな傾向で解釈した部分もあり、未だ勉強中です。今回のコメント依頼も再度、泥試合を防ぐ意味も込めて、とりあえず復活して提起いたしました。ですので、上記のように批判を受けることも享受しています。
  • ○あいびす氏は呆庵入道氏の友人ということだけで私の中でフェードがかかっています。ですので、Hortensia氏の見解とは若干違うかと思います。ただ、コメントすべてを無視はしません。
  • ともあれ、コメントも2名のみという状況もありますので、本論には時間をかけたいので、最低、もう少し、コメント参加者を募り、そのうえで数週間は時間をいただきたいものです。いくつかの選択肢はあってもよろしいかと思います。よろしくお願い申し上げます。--ふんにゃらにゃ 2008年9月18日 (木) 22:49 (UTC)


文責者が芹澤外記氏であろうと芹沢雄二氏の名で出版されている事実は動かしようのない事実です。何度も申し上げますが、wikipediaの規定に外れている以上は参考文献として認められないのです。またふんにゃらにゃ氏は私に対して誤認と偏見から事実を曲解されて解釈しております。本来、本ノートにそぐわない内容ではありますが、私の立場・名誉に関わる事なので、一度限りとして申し上げておきます。

第一に呆庵入道氏とは友人ではございませんし、当然ながら一面識も持ち合わせていません。しかし貴方が私と呆庵入道氏が友人と結論付けるからには、第三者に説明しても納得し得るだけの客観的事実を以ってこの公共の場(wikipedia上)で主張されていると思われます。もし風説なり、根拠に乏しい事実により主張されているならば大変不愉快です。是非ともその根拠をご提示下さい。

第二に「新選組水戸派読本」については、著者本人から本書を紹介して頂き、その上で購読の意思を示し、十分拝読させて頂いた上で論評させて頂いております。また著者が発行した他の著作(初期の同人レベルの冊子)も拝読しております。故に貴方が「新選組水戸派読本」を客観的に論評出来得る立場にいない事を承知しており、かつそれを証明する証拠も持ち合わせております。

今まで申し上げなかった理由は先にも書きました通り本ノートと直接関係のない内容であり、かつ貴方のお立場と今後のご活躍を考慮した上で明言を避けておりました。しかしそこまで恣意的な解釈をして私を貶める言質をされるのであれば対応せざるを得ないと判断しました。誤った認識からは誤った結論しか導き出すことはできません。重ねて申し上げますがふんにゃらにゃ氏が主張する点は、本ノートとは直接関係ありませんので、必要があれば私のノートで実証しても構いませんが、貴方が心から謝罪するのであれば事を荒立てずに済ませたいです。--あいびす 2008年9月19日 (金) 07:33 (UTC)

  • 1点のみ申し上げます。個人情報の暴露合戦をお望みのような文言はよしたほうがよいでしょう。私のノートにそのような書きこみがあることと、個人的に友人から受け取ったメールでそれ以上に確認は取れております。でも暴露合戦をすることがお互いの利点があるのでしょうか?
  • ですので「貴方が心から謝罪するのであれば事を荒立てずに済ませたいです。」というような一種脅迫とも取れる文言を入れることはやめましょう。つまり、言いたかったことは純粋な批判でない批判に対して納得できない面があるということです。それでも立証については思うところもあるので考慮して、多くの意見を入れながら、ノートの議論をしましょう、という意味です。
  • ついでにあいびす氏は「芹澤家の歴史」をお読みではないのですね。芹澤雄二氏が著書中(98p)に記載されてますよ。それと「水戸派読本」についての評価の点であいびす氏の記述を見落としておりました。誤りがあったことは陳謝いたします。
  • ともあれ、無視しているという訳ではないので、その誤解については解消したいと思います。--ふんにゃらにゃ 2008年9月19日 (金) 10:06 (UTC)


「芹澤家の歴史」も拝読した上で申し上げております。ふんにゃらにゃ氏がどの様に説諭されても、本書は芹沢雄二氏の手によって自費出版されている事実は動かしようがありません。だから削除の対象と申し上げております。かつて商業ベースで活躍している著者がご自身の作品の内容を披歴した著書を自費出版しましたが、それすら自費出版を理由に削除された前例があります。

私が「新選組水戸派読本」を読んでいる事実を認め、御自身の誤認を陳謝している点は理解できました。但し、「あいびす氏は呆庵入道氏の友人」と主張されている点については、誤謬や誤解による恣意的な解釈を未だ持ち合わせておられるのでしょうか?簡潔にご説明願います。この場で説明出来ないのであれば、両人の名誉の為にも謝罪して頂きたく思います。

また他者の発言(主に警句)を曲解して自身の都合よく解釈する主張(「個人情報の暴露合戦」「脅迫」云々の下り)は多くの方から注意されたはずです。どの様に読んでも暴露合戦を望んでいるとか、脅迫しているとは読み取れません。改めて申し上げますが、前回の教訓を生かしてください。--あいびす 2008年9月19日 (金) 11:27 (UTC)


まずは「芹澤外記」氏について、以前の私のコメントに沿っての説明でしたらお手数をおかけしてしまい大変申し訳ありません。それとも「芹澤家の歴史」の著者は著名人であるため例外条件に適合し、自費出版であるが参考文献に掲載可能との主張なのでしょうか。

私は3冊とも読んでおりませんが、仮に読んでいても私に指摘するような義務はありませんし、それは意味のないことです。さらに言えばほんにゃらにゃ様の感想や見解も、この場では何の意味も持ちません。何故なら貴方が何者であるかは、wikipedia上では(ある程度の推測は出来ますが、著名人本人が告白する以外には)誰にも分からないからです。歴史愛好家なのか、歴史学の教授なのか、歴史好きの小学生なのか、はたまた実は筆者本人なのか分かりませんよね。私を含めて他の誰であってもそれは変わりません。そのためにwikipediaでは「信頼出来る第三者」の判断に委ねるしかないのです。

この場では「誰が」コメントしたかに関わらず、コメントの「内容」で判断するべきです。誰の発言かによって対応が変わるのであれば「ふんにゃらにゃ氏はあさくらゆう氏や玉造観光協会と非常に関連深い人物であるから(意見にバイアスがかかっているため)信用できない」のような言葉も甘んじて受けなければなりませんよ。少なくとも私には本ノート内であいびす様が「純粋な批判でない批判」をしているようには思えません。またそもそもふんにゃらにゃ様の「あいびす氏は呆庵入道氏の友人ということだけで…」この発言が発端ではありませんか?これについてはあいびす様が明らかに誤りだと明言されているのですから、素直に謝罪なさるべきです。

より多くのコメントを募ることには賛同いたしますが、時間をかける必要性はあまり感じません。何度も申し上げますが、掲載希望なのであれば「信頼できる情報」で「独自研究」ではなく、さらに言えば「wikipediaに載せる価値がある」ことを、ふんにゃらにゃ様が誰の目にも分かる形で証明しなければなりません。貴方の多忙によりそれが出来ないのであればひとまずは削除し、貴方の準備が整い次第再度掲載の議論をするのが筋ではありませんか?それ以外の選択肢は今のところ無いように思えます。--Hortensia 2008年9月19日 (金) 13:37 (UTC)


各々主義主張は異なるのは当然であり、私個人の価値観からすれば「芹澤家の歴史」を参考文献にするのも善しと判断しています。「新選組水戸派読本」は客観性に乏しいために不可との認識です。ですが、いくら個人的にどう思っていてもwikipediaは公共の場であり、定められた規律があります。そしてwikipedia上で編集に携わるのであれば、定められた規律に従う義務があります。

またwikipediaは貴方の都合で左右される場ではありません。Hortensia氏の主張されている通り、一度当該項目を削除をし、その上で時期を置いて論議するのが筋でしょう。どちらにしても現時点に於いては貴方の主張が受け入れられる事はないです。 どうしても主張を通したいのであればwikipediaの規律を改定する為に努力する事をお勧めします。--あいびす 2008年9月19日 (金) 14:41 (UTC)

最後のコメントより1週間以上経ちますが、まともな回答がないようなのでひとまず当該文献を削除致しました。また他の新撰組関連記事の文献(全てふんにゃらにゃ様による追記)も削除致しました。この後に及んで拙速を良しとするつもりはありませんが、これ以上引き伸ばしのような議論は不要かと。

ふんにゃらにゃ様は少なくともこの場において、あいびす様への謝罪はなさるべきです。まだ述べたいことはありますが、本ノートの議論とは離れるため利用者‐会話:ふんにゃらにゃにコメントさせて頂きます。--Hortensia 2008年9月27日 (土) 14:56 (UTC)

  • まともどころか、多忙でwikipediaにログインできないでいました。それにしても乱暴ですね。投稿履歴を観ましたが驚くばかりです。たった1週間でこんなことを書いていることに遺憾を覚えます。Hortensia氏にお聞きしますが、あいびす氏が呆庵入道氏と知人、友人ではないという証拠はあるのでしょうか?本人が言ってる?では信用できません。私の知る限り、
    • 呆庵入道氏の擁護発言
    • 本人の投稿履歴(私の部分のみ後追いしている)
    • 私のノートに書いているIPさんの発言

これだけでも信用できるかは難しいでしょう。また、曲解と曲解しているのはあいびす氏でしょう。事を荒立てずに済ませたいですという2008年9月19日 (金) 07:33の文言もそうですが、不思議なのはあいびす氏が呆庵入道氏の友人だということは貶める行為なのでしょうか?これも疑問のひとつだったのですが、なにより、Hortensia氏とあいびす氏については両者の投稿履歴や文言、論調が一致いたしますね。その点について、非常に疑わしい部分があります。第一、見ず知らずの人間が呆庵入道氏の友人と書かれたとしても、自身の文句でもないのに敏感に反応することに驚きを感じています。このあたりのことを推理すると、私にはいささか怖い面が見えて仕方がありません。

  • ともあれ、あいびす氏につきましては、友人ではない証拠が出た時点で謝罪するということにしまして、このコメント依頼につきましても、恣意的でない中間にあたる第三者の登場を待ってからある一定の指針をつけて、結論をつけるのがベストでしょう。私に対する疑義のみが先行して、ノートの本来あるべき意味を逸脱してますので。--ふんにゃらにゃ 2008年9月27日 (土) 21:04 (UTC)


薄弱極まる根拠に呆れ果ててしまいます。

・呆庵入道氏の擁護発言について : 主張が一致(ふんにゃらにゃ氏の発言・姿勢に問題あり)しただけであり、共闘したわけではありません。貴方の主張がまかり通るなら貴方を批判する者すべてが『発言者のお友達』になります。

・本人の投稿履歴(私の部分のみ後追いしている)について : 誰も望んで相手をしたくないだけじゃないですか?これは投稿者以外に責任を帰するものであり、私に責任はありません。

・私のノートに書いているIPさんの発言について : それは一読しておりましたが、敢えて論議し得る内容でもなかったので無視しておりました。そもそも貴方が出所不明な発言を信じるとは到底思えなかったからです。しかし今回貴方が口に出した事で状況が一変しました。お聞きしますが、その発言者の内容が真に足りると結論付けた根拠はどこですか?

以上から貴方の主張は笑殺する程度の根拠です。 「友人ではない証拠が出た時点で謝罪」とは驚きです。最初に主張したのは貴方なのですからご自身で第三者が納得し得る証拠を提示するのが筋でしょう。それを私が証明しなければ謝罪しないとは本末転倒です。呆庵入道氏とあいびすが友人というのは、事実に反しており、彼と同列という認識は大変不快感を覚えるので謝罪して頂きたいと申しております。また狭小や視野と見識で導き出す愚をこれ以上冒さないで頂きたい。今回の発言にもそれらを見てとれる箇所があります。


また本旨についてですが、すでに結論は導き出されております。

「芹澤家の歴史」はwikipedia上の規定に反している以上、参考文献としては認められない。 「新選組水戸派読本」はふんにゃらにゃ氏より『客観的に問題ない』と主張されたが、その主張に説得力がないために意味を成さない。

以上は今までのノートでも記載しており、説明もしております。 また第三者が登場しても進展は望めません。貴方の過去の発言からすれば「読んでないのに何を言う」的な発言が多く散見します。

本書を読んでない者が擁護するには、wikipediaの規定について論議せねばならず、それは必然と削除にせねばならぬというのが当然の結論になる。 逆に読んでいる者が擁護するにも「芹澤家の歴史」は自費出版の為に入手は困難。「新選組水戸派読本」も一般の店頭売りではないために入手は困難。以上の点から一読者が主張するにはハードルが高い。

これらに対しての反証も為されておらず、解決していないと主張されても意味がありません。以上の点からも削除が望ましいし、直ちに実行すべきです。wikipediaの規定を受け入れたくないのであれば、規定の改定とご自身でHPなりブログを立ち上げてその場で主張すべきでしょう。--あいびす 2008年9月28日 (日) 02:15 (UTC)

  • 整理しましょう。あいびす氏が呆庵入道氏の友人ではないという理由は、
    • 本人の供述

これ1点でよろしいですね。 3点の状況証拠と本人の供述1点だけの差は歴然かと思いますよ。てっきりもっと具体的な発言がいただけると思ったのですが。私が呆庵入道氏とあいびす氏が友人と推量したのは前記発言3点の総括に拠ります。もちろんまだありますが、個人情報になるものは出せないのでこの程度で押えてます。それでもwikipedia内に出ている情報だけでじゅうぶん比較できると思います。「誰も相手にしたくない」というのは憶測ですよね。なら何故あいびす氏は私のみに限定して投稿しているのでしょうか?私個人に恨みがあっての糾弾でしょうか?申し訳ありませんが、あいびす氏に応答したのは復活してからですので、それ以前に貴方とは議論を行っておりません。ですので、3点が共通する証拠となりうるのです。呆庵入道氏の一件でこれだけ興奮しているあいびす氏より、IP氏の発言の方が信憑性があります。ですので「笑殺」はできません。それにしても不思議ですよね。糾弾して「出てけ!」とか、「最低な奴」とか言って排除している訳でもないのに、これだけ興奮することに疑義を感じます。

  • 販路について述べておりますが、公共図書館での利用はいかがでしょうか?以前、呆庵入道氏の問いに答えましたが、困難のハードルは下げてるとは思います。それでも気に入らないというのでは処置なしですが。
  • ともあれ、お二方が提示された「参考文献の明示」は、この状況では気分で却下になるのは非を見るより明らかですので、一定期間を置くことが重要と考えます。もちろん未来永劫という意味ではありませんし、再度コメント依頼も提出するつもりです。--ふんにゃらにゃ 2008年9月28日 (日) 04:18 (UTC)


私は事実に反している点についてのみ言及しており、それを興奮などと揶揄をしないで頂きたい。重ねて申し上げますが、貴方が最初に主張した事ですよ。主張した本人が実証せずに相手に証明を要求し、しまいには推論で論じているなど甚だ迷惑です。先にも書きましたが「呆庵入道氏とあいびすが友人というのは、事実に反しており、彼と同列という認識は大変不快感を覚えるので謝罪して頂きたいと申しております。」と趣旨と理由を述べております。

私も他のwikipediaの編集作業をしたいのですが、まずは第一歩として本ノートに対応しているだけです。それを信じるか否かは貴方のご裁量に委ねます。

「芹澤家の歴史」については、どのように主張されてもwikipedia上の規定に従って頂くか、不服ならば改定の申請なりをする事をお勧めします。これも何度も申し上げております。公共機関云々ですが、それは以前著作の保管場所についてご説明頂いておりましたが、今回の主張は異なります。貴方は「見てないのに論じるな」と事あるごとに主張しており、論議する上で閲覧する事が条件というのであれば、ハードルが高いと申したまでです。 また「新選組水戸派読本」については特に言及がありませんが、これについても先刻説明しました通り、貴方の主張が受け入れられる事はありません。

貴方の主張が受け入れられないのはwikipediaの規定に従っていない為であり、この状況で却下(削除)されるのは当然の帰結です。wikipediaは貴方の気分で左右される場ではないのですよ。--あいびす 2008年9月28日 (日) 05:51 (UTC)

まずは確かに拙速に過ぎたことは申し訳なく思います。しかし乱暴だと申しますが、wikipediaでは7日間以上異論がない場合には決定事項とする「ルール」があります。多忙でログイン出来なかったことは何の言い訳にもなりません。そもそも本ノートは貴方が意見を求めています。今回は私とあいびす様が「当該文献の信頼性等を立証できないならば削除が妥当」との提案を致しました。また私は貴方が証明するための具体例も示したつもりですが、貴方からは検証結果もこれに対する異論や建設的な対案も出てきません。貴方の反論内容は「私とあいびす氏の意見は信用できない」とのことでしょうか?何度でも言いますが、貴方が参考文献の信頼性等を立証しない限り削除が妥当です。貴方がコメント依頼をしたJms氏も仰っておられますよね?ともあれこの3名以外の意見を募ることには賛成ですので、再度コメント依頼に記載いたしました。

  • 貴方も呆庵入道氏もどちらにも問題(暴言癖でブロックされる等)がありますが、発言内容を比較すると呆庵入道氏に歩があると私も思っております。
  • 貴方がwikipediaのルールを守らないためではないですか?私も貴方(の編集姿勢)を知ってしまったからには、今後貴方の編集をチェックし、問題があれば修正するでしょう。これをストーカー扱いされてはたまったものではありません。
  • 例えばIPユーザが「ふんにゃらにゃさんは○○○です」等と誹謗中傷したら、私はそれを信じていいのですね?

「友人でない証拠」は出せません。悪魔の証明という言葉を知っていますか?貴方の発言はまさにそれです。これはwikipediaのみならず、実社会においても批判される論法です。確たる根拠も無い発言をしたのですから、素直に謝罪なさい。

同様に確たる根拠も無くソックパペット扱いされたことも不快ですが、あいびす様が特に問題にしないのであれば私も流しましょう。暦通りの日中勤務であれば平日夜間や週末に編集時間が重なるのは自然ですし、このような場での議論に相応しい文体も限られてきます。私とあいびす様が同一人物でないことは、管理者に問い合わせれば分かることです。--Hortensia 2008年9月28日 (日) 17:01 (UTC)

  • 不思議なことが書いてありますね。私はwikipediaで一度もあいびす氏とHortensia氏がWikipedia:多重アカウント、つまり同一人物だとは記載してませんよ。ずいぶんおかしなことを言ってますね。
  • 友人ではない証拠について~はあいびす氏が答えることですよね。Hortensia氏がなぜ異常なまでに弁護するのでしょう。逆にこの異常な弁護がややこしくなる原因です。この件はあいびす氏のノートに移します。
  • ルールと申しますが、意見がまとまったとはとうてい言えるしろものではないでしょう。私も投げ捨てたわけではないのですから。放置する気はありませんでしたが、Hortensia氏のやってる行動のほうが恣意的です。
  • コメント依頼については今月出していたので、私からはだせませんでした。ありがとうございます。しかし、Jms氏についての文言は恣意的ですよね。それでも参加依頼の努力は歓迎いたします。より多くの方の参加によって指針が形成され、結論に導かれることを祈ります。--ふんにゃらにゃ 2008年9月28日 (日) 19:11 (UTC)

何やらわたくしの述べた事が意図に反して解釈されている様な気がしないでもないので、コメントしておきます。

  • 自費出版された書籍について、それが自費出版であることだけを理由に排除するのはナンセンスです。たとえば『官報でみる鹿島鉄道の歴史』という書籍が自費出版されていたとしましょう。内容は官報で鹿島鉄道に関連する部分の写しだけをまとめたもの (編著者の論評なし) だとします。これは資料として使えないでしょうか? そんなことはないでしょう。もちろん、官報の写しなのですから、参照するのに個別官報を直接挙げれば済むのですが、そのことと、自費出版であることだけをもって排除することとは別のことです。次に、『資料有田家文書』という自費出版本があったとしましょう。内容は、今は博物館に納められている有田家文書を、博物館への寄贈の際に有田家で撮影した写真だけをそのまま本にしたもの (編著者の論評なし) だとします。これは自費出版であることを理由に排除されるべきでしょうか? そんなことはないでしょう。
  • では自費出版であればなんでも良いかといえば、もちろんそんなことはなく、上記の様な一次資料の直接複製の様な場合をのぞけば取扱いには注意が必要でしょう。しかしその議論には内容に踏み込んだ精査が必要であり、場合によってはその精査自身が独自研究である事もあるでしょう。
  • 問題点は雑駁に「参考文献」としていることにあるのかもしれません。もし、問題となっている資料に上記の『官報でみる鹿島鉄道の歴史』や『資料有田家文書』の様な部分があって、その部分が一次資料の代わりとしてして参照されているなら、必ずしも排除できないでしょう。そうした、資料として問題ない部分を参照しているなら、そのことを明確にすれば済む筈で、そのあたりをあいまいにしたまま「参考文献」として扱うから、認めるか認めないかという議論になるのではないかと思います。なぜそうした事実に基づいた精度の高い議論をせずに、関係ない議論をなさっているのか、またなぜコメント依頼と称して他人を巻き込もうとするのか、わたくしにはわかりません。--Jms 2008年9月28日 (日) 21:49 (UTC)
  • JMSさん、ありがとうございます。これから提示しなければならない課題をご教示いただけ感謝いたします。そうですね。参考文献とだけ記して雑駁にして論議していたのは不徳の至りです。参考にさせていただきたいと思います。--ふんにゃらにゃ 2008年9月28日 (日) 22:30 (UTC)


今までログのみでしたが、今回初めてコメントさせてもらいます。

「芹澤家の歴史」については公共機関に収まっていると過去ログにありましたが、地方の人間はわざわざそこまで借りに行って一読し、その上で論議に参加せねばならぬのでしょうか?事あるごとに「読んでないなら論議に参加するな!」みたいに読み取れる文脈があります。これでは論議のしようもありません。そのあたり、ふんにゃらにゃ氏はどうお考えですか? 「新選組水戸派読本」については、ふんにゃらにゃ氏は客観的に見て問題がない、あいびす氏は客観性に乏しいと主張されていますが、その根拠はどこにあるのでしょうか?お互い奥歯に物の挟まった言い様ですが、その理由を明確に説明して頂けねば納得しえぬと思います。


あいびす氏が主張している友達云々について感じたのは、どうしてあいびす氏に立証責任があるのでしょうか?そもそもそれを主張したのはふんにゃらにゃ氏であってあいびす氏じゃないです。一例ですが、犯罪を犯した被告に対して「お前の犯罪は自分で実証しろ」と言っているのと同じです。実社会であれば実証すべきは警察や検事の仕事です。しかもふんにゃらにゃ氏ご本人が「状況証拠から推論できる」とおっしゃっていますが、その提示された状況証拠が合致すればすべてが「友人・知人・同一人物」と決め付ける事が出来てしまう。それは危険な物事の考え方です。推測や状況証拠で処断されるなどとてもじゃないですが、正常な考え方とは言い難いです。 ちなみに私はふんにゃらにゃ氏でもなければあいびす氏でもHortensia氏でもないです。新川優一個人です。 「言論の自由」と「思想の自由」は同じ自由でもその範囲は異なるのですし、ご自身がどのように思うかは個人の自由でしょうが、明確な根拠付けもなく推測で口に出した以上はご自身の非を認めて素直に謝罪するのが大人だと思いますよ。


私も幕末は好きです。できれば良好な解決を願う次第です。また初コメなので不明な点はお詫びします。--新川優 2008年9月29日 (月) 02:40 (UTC)


Jms様のご指摘された「論点が資料の信憑性の問題」という点についてふんにゃらにゃ氏は論理的・客観的事実を証明していない、これが最大の問題であり本ノートの主旨です。その点について主張されたふんにゃらにゃ氏に対して何度も実証の要求を求めて参りましたが、論議のすり替え、曲解などによって阻まれているのが現状です。少なくとも私はふんにゃらにゃ氏に対して毎回説明を求めてまいりました。

「芹澤家の歴史」は縁者が編纂した歴然たる事実があり客観的事実に乏しい。また独自研究という側面もあり、精査が不十分と認識しております。以上の点について今まで何度もその証明を求めて参りましたが、ふんにゃらにゃ氏は「証明はそちらがすべき」と相手にせず、今まで建設的な議論がなされていません。また自費出版について、他ノートで同様の定義が為されましたが、結果として認められなかった事実があります。(余談ですが個人的には自費出版擁護派でしたが、認められませんでした)

「新選組水戸派読本」についてはさらに問題があります。本書を参照とした研究書は皆無であり独自研究の側面は拭えません。まさか「本書を参考とするな」という見えない圧力が本書や著者に及んでいる…などという理由はないでしょう。最も本書の内容については見るべき点は確かにある事はすでに述べた通りです。しかし「客観的事実に問題なし」とふんにゃらにゃ氏が主張した点には疑義があります。その点についても明確な説明が今なお為されていません。新川優氏の主張されている点については実証する事が可能なだけの根拠も証拠も揃えております。ですが、まずはふんにゃらにゃ氏から説明があって然るべきです。新川優様にとっては満足いかぬ回答とは思いますが、それはお詫び致します。

友人云々については私のノートでお願いします。こちらは新川優様の主張がそのまま私が述べたかった事を披歴しておりますのでこの場では敢えて申し上げません。

Hortensia氏が指摘している通り、少なくてもwikipedia上で定めている規律(反証あるべきは1週間以内するのが合理的)という点について貴方は主張を為されなかった。主張できぬ事由があったとしても、期間内に異論がなければ納得したか、匙を投げたかと考えるのはごく普通の認識です。故に一度削除するのは当然の処置であり、その上で改めて異論があるなら応じれば良いはずです。

もう少し感情を抑制し、言動を弁えなければ貴方のためにもなりません。wikipediaは貴方の欲求を充足させる為に存在しているわけではありません。--あいびす 2008年9月29日 (月) 09:53 (UTC)

こんな馬鹿な現象になったことに驚き、最悪なものなっていることも衝撃です。あいびすさんとはニフティのころ、違う名前を用いていたことはよく存じております。この版と同様に最悪な状況となったこともそんな昔ではありません。つまり、要は お互いに相手の個人情報を知った上での喧嘩 という、お粗末なものです。今回は特にあいびすさん側からのクレームが端を発してます。申し訳ありませんが、122.17.33.253というアドレスも知ってますよ。お願いですから、 wikipediaを利用した内輪の喧嘩はやめてください! この一言につきます。 ちなみに私はあいびすさんとHortensiaさんを同一人物と考えます。2008年9月28日 (日) 17:01の承認もありますので、wikipediaに提案しましょう。 だからといってふんにゃらにゃさんを擁護する訳でなく、今回の一件が終わったら出て行ってもらいたいです。私も一度はコメント依頼を出しましたがいまは後悔しています。 とにかく、内輪の話は別の場所で行ってください。あなたたちはwikipediaの恥です。--221.243.86.106 2008年9月29日 (月) 16:14 (UTC)


221.243.86.106氏の主張は理解できません。クレームと申しますが、事実を異なる点を発言し、事態を混乱に導いたのはふんにゃらにゃ氏です。そして私は一度もwikipediaへ提案する事を拒絶した事はありません。

それと私は何もふんにゃらにゃ氏個人に対して敵愾心があるから論陣を張っているわけではありません。あくまでwikipediaの規律に従って編集して頂きたい、ただそれだけを一念に申し上げているだけです。少なくとも礼節を以ってふんにゃらにゃ氏へ本ノートにおける問題点を提示し、建設的な発言を待っておりました。それを怠っているのは私でしょうか?私は問いには必ずお答えしています。

ちなみに吊庵氏がブロックされて淘汰されたのはwikipediaに規律に従わぬ以上、当然の事と考えています。Hortensia氏は吊庵氏を支持しているようですが、私はたまたまこの場で考え方が一致したのみで、その後は一度も彼を擁護・支持した事はありません。私個人としては、早々に本ノートを結審させて別の編集に携わりたいと考えていますが、ここまで長引くとは想像だにしておりませんでした。

Hortensia氏はどこの誰であるか皆目見当もつきませんし、当然ながら私ではありません。これはふんにゃらにゃ氏にも重ねて申し上げてきた事ですが、事実と反する事を軽々しく申し上げないで頂きたいです。ご自身がどのように思うかまで掣肘したいとは考えませんが、web上で発言するにはそれだけの責務が課せられるのです。事実と反する事を言われるのは大変迷惑で不愉快に思います。--あいびす 2008年9月29日 (月) 20:56 (UTC)

Jms様コメントありがとうございます。しかし自費出版に関してははっきりと明記されたルールがあります。「自己公表された情報源」。また歴史記事に関しては一次史料も情報源として使うべきではないと認識しています。「~読本」に関しては私もJms様と同様に、リファレンスとしてであれば議論する価値があると申しました。しかしその件に関してのふんにゃらにゃ様からのリアクションはありません。

私のためにあらぬ嫌疑をかけられ、あいびす様には大変ご迷惑をおかけしております。同一地域在住で同一のISPでない限り嫌疑はすぐに晴れるでしょう。仮に全て同一であったり、同一地域で複数ISP等と邪推されてはこちらも別人である証明は難しくなりますが、まっとうな裁定が下されると信じています。ちなみに122.17.33.253は大手ISPに割り振られているIPであり、ランダムにプライベートIPのユーザに振られるだけです。逆引きして頂ければ一目瞭然です。「なにより、Hortensia氏とあいびす氏については両者の投稿履歴や文言、論調が一致いたしますね。その点について、非常に疑わしい部分があります。」「私はあいびすさんとHortensiaさんを同一人物と考えます。」これらの発言について謝罪などは求めませんが、私もソックパペット扱いされたままでは不愉快ですのでこの場での訂正を願います。

さらに言えば私も呆庵入道氏を支持している訳ではありません。ただ発言内容はふんにゃらにゃ様より氏の方がより論理的で私の意見とも近しいというだけです。--Hortensia 2008年9月30日 (火) 13:23 (UTC)

自費出版が全て自己公表された情報源だという訳ではない、という主旨なのですが…。一次資料と一次史料では扱いも異なる場合があるでしょう。意図的に混同なさっているとは思いませんが、もう少し丁寧が議論が必要なのかもしれません。--Jms 2008年9月30日 (火) 13:42 (UTC)
  • 221.243.86.106氏と私の意見を混同しないでください。節を分ける等の努力が必要です。冷静でない証拠でしょう。申し訳ありませんが、現在見ている限りで理論的なのはJms氏だけです。Jms氏の意見を入れて少々本文の内容を変えてみました。ひとつひとつ追ってゆっくりやってもよい案件だと前に申したのですが、無理やり性急にはやることが疑念に感じます。あいびす氏にしましては、議論が継続しているのを承知のうえで改変してましたね。私が直す前に直されてましたので、なにもしてませんが、保護依頼の対象になりそうですね。ともかく、Jms氏が提案した丁寧な議論は私の賛成するところです。--ふんにゃらにゃ 2008年9月30日 (火) 15:06 (UTC)


Jms様のご指摘についてですが、一次資料と一次史料しての扱いを十分配慮したとしても本書は参考文献として問題があります。その根拠を簡潔に列挙します。

著作それ自体が縁者による編纂であり公正さに欠けており、その根拠として芹沢鴨の研究が掲載されている近年発行された研究本の参考文献には、一つとして取り上げてないという事実があります。(新選組読本のみ芹沢鴨以外の項で参考文献として紹介)以下は芹沢鴨の研究が記載されている一部の著作ですが

  • 別冊歴史読本新選組組長列伝(新人物往来社編 2002年発行)
  • 新撰組全隊士録(古賀茂作・鈴木亨編纂 2003年発行)
  • 新選組銘々伝第四巻(新人物往来社編 2003年発行)
  • 新選組読本~隊士外伝(あさくらゆう著 2005年発行)

発刊されたすべての著作を確認したわけではありませんので、或いは参考にした著作があるかもしれません。しかし少なくても今回挙げた著作は研究家として一定の評価と実績を得た研究家が執筆されております。その彼らにして「芹沢家の歴史」を参考にしてない点など考慮すれば公正さに欠けている裏付けになるのではないでしょうか?これが仮に他の研究本でも参考文献として一次資料ないし一次史料として扱われているならば当然本書を参考文献にすべきという主張も理解できます。その場合は自費出版という定義をどう考えるか?になりますが、この点については今までも再三説明してきましたので割愛します。

最後の提案から一週間異論・反論を為さらなかったのは、ふんにゃらにゃ氏ご本人であり、Wikipedia上の規律に違反しているわけではありません。ご自身の編集について何とも思わないのでしょうか?その主観的な価値観では水掛け論になりますよ。また何度も申し上げておりますが、問題点について異論があるならば主張して頂きたい、これも何度も申し上げているのですが…。--あいびす 2008年9月30日 (火) 15:40 (UTC)


度々コメントありがとうございます。あいびす様とは別の点から、私の解釈を述べさせて下さい。

「自費出版が全て自己公表された情報源ではない」という意見には同意です。また「wikipediaでは自己公表物は(例外を除いて)引用元として認めない」これも共通認識かと思っております。しかし「自費出版物が自己公表された情報源かどうかを判断する」ことは非常に困難です。これは入手の困難さに加え、執筆者に内容を精査する専門性も求められるためです。そのため「wikipediaでは自費出版物も(例外を除いて)引用元として認めない」とのルールがあると解釈しております。

なお史料と資料については、史学分野では史料との言葉を用いる認識(歴史資料≒史料)でした。混同していると思われる部分をご指摘頂けるとありがたいです。

ふんにゃらにゃ様と221.243.86.106様の発言を混同は致しておりません。貴方の「なにより、Hortensia氏とあいびす氏については両者の投稿履歴や文言、論調が一致いたしますね。その点について、非常に疑わしい部分があります。」は「Hortensia氏とあいびす氏は同一人物ではないか」と言っているのと同義です。--Hortensia 2008年9月30日 (火) 16:29 (UTC)

  • ノートと直接関係ない議論は置いときまして……、あいびす氏が書籍を列挙いただいた努力に敬意を表します。そのなかにある「別冊歴史読本新選組組長列伝」のP166、和田晃氏が「芹澤家の歴史」について論じています。また、日野市立新選組のふるさと歴史館叢書第二輯「第二回特別展 新選組 京都の日々」で酒井右二氏著「芹澤鴨と天狗党佐原騒動」の参考文献として「芹澤家の歴史」、および「新選組水戸派-新選組を創った男」を使用しております(119p)。ほかの書籍で私の手持ちですと、歴史群像シリーズ72「新選組隊士伝」(学研)のなかにあるあさくらゆう氏の「芹澤鴨とその一族」(P107)に「芹澤家の歴史」の引用が確認されます。あとは所蔵が、特に新人物往来社刊行の書籍をあまり持ち得ないため、雑誌ですと、「歴史と旅」(秋田書店)s55年11月号掲載、「芹沢一派の平間重助」(鈴木康夫氏著)の133Pに引用が見られます。また気づけば掲載の方向で進んでいきたいと思います。--ふんにゃらにゃ 2008年9月30日 (火) 18:04 (UTC)
いくつか気になる点があるのでコメントします。内容に踏み込める様な資料を持ち合わせていないので、一般論のみ、かつ、ウィキペディアにとって重要と思われる点のみ。
  • Wikipedia:信頼できる情報源は草案であって拘束力はなく、したがってそれをルールと解釈するのは問題があります。もちろん、拘束力がないから無視してよいという意味ではありません。
  • Wikipedia:信頼できる情報源で自費出版という語がどの様につかわれているか、今一度ご確認ください。「自己公表された情報源…には…自費出版業者から…出版された本が含まれ」る、ということと、「自費出版物は、二次情報源として使用でき」ない、ということだけです。これを「wikipediaでは自費出版物も(例外を除いて)引用元として認めない」と表現するのは例外という語があるにせよ乱暴でしょう。また、問題になっているのは参考文献としての位置づけであって引用ではありません。
  • 事実としては、自費出版を中心とする出版社以外による書籍でも事実上自費出版的な編集しかなされていない場合もありますし、逆に市場を見込めないが故に内容によらず自費出版の形をとっている場合もありますから、一律で論ずるべきではありません。
  • 一次史料はできごととの同時性で定義されていますが、一次資料はできごとに関するいわば当事者性で定義されていますから、一般論としては、一次史料だが二次資料、あるいは二次史料だが一次資料、ということはあるでしょう。
  • なお、この手の議論 (なのか?) では、二人称は避けていただくほうが混同はないかと思います。
コメント依頼してまで議論する位なら、その時間を個別検証にかけて頂く方が記事執筆上はよろしいかと思います。検証されるまでは当該箇所は除去が妥当でしょう、挙げられている資料がなにについてあかしているのか明確ではありませんから。--Jms 2008年9月30日 (火) 19:36 (UTC)


ふんにゃらにゃ氏の挙げられた著作の中の内、酒井右二氏は日本史専攻の研究家ですので一定の評価をすべきという点は考慮に値すると考えます。但し、鈴木康夫氏は研究家ではなく学術的に問題があると考えます。また私が列挙した「別冊歴史読本新選組組長列伝」に引用の事実がないとしながらも記載があった点は私の見落としですのでお詫び致しますが、改めて当該項目を確認したところ、当該対象の著作の誤りを糺しています。しかも訂正箇所が芹沢鴨の出生に関する重要な部分であり、縁者であれば間違えようもない事実です。このように本書の内容に疑問がある、と定義付けする事が出来るかと思いますが。

Jms氏の個別検証に時間を要するという点は確かにそのとおりですが、自費出版について抵触するという事実(独自研究も含む。)もあり、当該は削除すべきというのが妥当との認識です。その辺についても一切の反証が為されていない為、合わせて検証すべき事と考えています。検証をする間、当該対象を除去するのは当然の事であり、それについては賛同致します。--あいびす 2008年9月30日 (火) 20:47 (UTC)

  • 太字で記述した部分については、出生にまつわる論の対象となった点での評価があり、芹澤貞幹の子という論証は現在においても覆ってはおりません。また、玉造史叢29号における海老澤幸雄著「芹澤城主、芹澤家足跡」でも参考文献の掲示を追記します。
  • Jms氏が提唱した除去の件は、すでに当該参考文献が本文のどの部分を参照にしたかを明示しておりますのでご確認いただけたら幸いです。なお、除去することは、このコメント依頼において、なんのコメント依頼かという意味を失いかねないものと考えますので賛同できませんし、発生要因が「無から有」の議論ではなく、「有から無」への議論だということを承知置きいただけたら幸いです。これが削除依頼でしたら話しは別でしたが、今回はケースが違うものと考えます。逆に当該参考文献にノートの議論があることを明示(上部にも議論の明示がありますが、より具体的に)するほうが、より参加者を募る方法かとも考えます。--ふんにゃらにゃ 2008年10月1日 (水) 05:22 (UTC)
スタイルとしてはチンドン屋#脚注首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス#出典の様な粒度を期待しています。それくらいの粒度なら、拾える事実もあろうかと考えています。が、検証すべき資料が手元にありませんので、あくまでウィキペディア読者としての期待です。--Jms 2008年10月1日 (水) 05:43 (UTC)
  • さっそくJms氏の提唱された事例をヒントに本文の参考文献の記載形式を変更いたしました。このように実例を挙げていただき感謝いたします。なお、下部に議論があることを記載させていただきました。--ふんにゃらにゃ 2008年10月1日 (水) 06:10 (UTC)


記述に誤りがある点は事実であり、それ故に一次史料・一次資料として疑義があると申しています。であれば「芹沢家の歴史」を検証した著書を参考文献として紹介すれば事が済む問題ではないかと 思います。「自費出版(独自研究)に抵触している点」についてはここまで異論を述べておりませんが、この点はお認めになられているとのご認識で宜しいのでしょうか?

Jms氏が提唱した除去の件は、検証される間は除去すべきが妥当との見解であり、参照を掲載したら問題ないと結論付ける事は性急すぎます。Jms氏は太字の後に挙げられている資料の明確でない点を指摘しておりますが、ふんにゃらにゃ氏はその点のみを見ております。ご自身でコメントを広く求め、指針として提唱された見解が自身の望む形と異なるからと言って、編集を一方的に実施する姿勢・言動が批判の対象になるのです。これでは呆庵氏と何ら変わりません。少なくても検証している期間は結審が為されていないのですから、誤った事実が本文に掲載される事は望ましくないです。除去がイコール結論ではありません。少なくても反証があればそれについて応じておりますが、異論について都合のよい部分のみを選択して発言されたり、または無言を貫くために事態の悪化が生じている点をご理解頂きたい。私も出来得る限り建設的な論議を提供すべく努力しておりますが、ふんにゃらにゃ氏ご自身が自身の価値観に固執すると建設的な意見は望ません。今後事態の改善が見られない場合は、管理人に申請した上で強権を発動(保護・ブロック等)して頂く事も検討せねばなりません。ここで私が編集を元に戻せば編集合戦となり、三度保護対象となる可能性もあります。出来得るならご自身の手で除去した上で論議に応じて頂きたいです。

  • 「芹沢家の歴史」に拘泥せず、学術的・客観的に評価されている研究家によって対象書籍が検証された著書を参考文献とすべきではないか?
  • Wikipediaの指針にもある自費出版(独自研究)に抵触している点についての異論は?

どうぞ建設的な意見をお聞かせください。そして次に控えております「新選組水戸派読本」を議論したく考えております。--あいびす 2008年10月1日 (水) 10:09 (UTC)


「芹沢家の歴史」の中身に踏み込んだ議論が進んでおりますが、(まるで教条主義者のようですが…)wikipedeaのルールについて述べさせて頂きます。

Jms様のご指摘どおり、確かにWikipedia:信頼できる情報源は草案ですね。しっかりと確認しておりませんでした。ですがWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料のような公式方針においても、自費出版や自主公表物が情報源として相応しくないことが明記されています。そのため自費出版物は引用元としては不適切だとの意見です。また引用元として不適切な文献を参考文献として載せることも同様に不適切であろうとの意見です。

「芹沢家の歴史」についても少し。当該文献は「一次資料の直接複製の様な場合」、ではない、のですから内容の精査事態がwikipediaの執筆方針として好ましくないと考えております。当該文献内に重要な資料の複写等があったとしても、記事に必要なその資料のみを参考として記載すれば良いのではないでしょうか。もしくはあいびす様が上述されているように、信頼できる資料を載せるべきだと考えます。逆に言えばそのような情報がないのでしたら、どんな真実であろうともwikipediaに載せるのは時期尚早であり、信頼できる資料が世の中に出るのを待たなければなりません。

最後になりましたが、Jms様には丁寧な説明ありがとうございました。--Hortensia 2008年10月1日 (水) 14:45 (UTC)

どうも肝腎なところが通じていない気がします。
Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源を参照させているので後者を材料に述べます。「自費出版物…は、原則として適切な情報源としては認められません」という表現を独り歩きさせているのではないでしょうか。その次の節ではどういう場合に自主公表物が情報源たり得るか、ということが述べられています。この二つをセットで考えないと、おかしなことになります。自主公表された情報源 X が「かくかくはしかじかである」と述べているとき、その「かくかくはしかじかである」ということがら自体は (X がたとえば官報をまとめたものである様な場合を除いて) ウィキペディアで記載すべきではありませんが、「X はかくかくはしかじかであるとしている」ということを述べるのは (それが確認できる事実であるので) 問題ありません。そうした違いがあるにもかかわらず、「自費出版物は引用元としては不適切だ」とするのは、あまりに乱暴です。自費出版物も、他の書物同様、内容の吟味をして資料として利用すべきですし、その意味で、自費出版であることをもって資料からは排除すべきではありません。もちろん、こうした利用をするためには「参考文献」という漠然とした参照ではなく、より細かな出典の指定が必要です。その意味でチンドン屋を記事例として挙げています。
この資料精査の過程はかなりの労力を必要としますし、またそれ自身独自研究となりかねない要素がありますから、確立した手法に基づいて慎重に行なう必要がありますが、しかし、そうした手間暇をかければ、自費出版資料であっても利用できる部分のあるものもあります。そうした点を無視して「自費出版物は引用元としては不適切だ」とするのは問題でしょう。
『芹沢家の歴史』がどういう文献なのかを検証する資料を持ち合わせておりませんので、内容についてはコメントできません。--Jms 2008年10月1日 (水) 17:01 (UTC)


「芹沢家の歴史」が自費出版である事、当該対象の縁者による出版であるため内容の信憑性に疑問がある等両面から検討し、wikipediaの規律では認められないという点を指摘し、疑問を提示しておりますが説明もないまま片づけられている気がします。

縁者が書いたものはすべて不適合と申し上げているわけではありません。自伝や家伝など本人、親類縁者にしか伝わってない彼らにとっての真実もありますし、それは尊重すべき事と考えます。しかし他の著名な研究家らによって修正・訂正が為されている点、多くの芹沢鴨研究に参考文献として取り上げられていない点など客観的な事実より不確定要素のある文献を参照とする事実に疑問を感じます。

改めて資料精査を実施するにしても、自費出版という性質上、本書の入手が極めて困難である点は変わりはなく、それであれば本書を研究対象として資料精査した著作を参考文献として参照するのが結論の落ち着きとごろではないかと考えます。誤解のないように申し上げますが、資料精査を否定しているわけではありません。実施する事は以前にも述べました通り賛同致しますし、その間の対応についてもJms氏と同様の見解です。--あいびす 2008年10月1日 (水) 20:57 (UTC)

  • Jms氏の言ではないですが、なにか誤解される文言がありますね。そもそも今回のコメント依頼は多くの意見を求め、指針を提示し、解決の方向を見出そうとしているわけです。ちなみにあいびす氏の申した「多くの芹沢鴨研究に参考文献として取り上げられていない点」ということに疑念を抱き(これは悪い意味ではないです)、そのため、こちらからも発見ごとに提示できたらと考えています。当該案件はJms氏も申してますが性急に行う必要はなく、多くの意見を漠然と求めるものです。ですから、これから反対派の意見もあるでしょうし、逆に賛成派の意見もあるかも知れません。修正は気づくたびに行い、少しずつ、確実な発展へ進むことを期待しています。--ふんにゃらにゃ 2008年10月1日 (水) 21:56 (UTC)
  • コメントを都合よく解釈されている気がしますが、まあそういうものなのでしょう。
  • 規律、という語には抵抗を覚えます。
  • 資料の入手が容易かどうか、というのは採否の基準としては必ずしも適切ではありません。『芹沢家の歴史』は所蔵図書館が少なくとも二箇所あり、参照が極めて困難とまではいえないでしょう。
  • しかし、「他の著名な研究家らによって修正・訂正が為されている点」があるなら、それをもって参照可能ですから、そうした『芹沢家の歴史』に対する二次資料を介して参照すれば足りる可能性は高いと思われます。その意味で『芹沢家の歴史』を「研究対象として資料精査した著作を参考文献として参照するのが結論」というのは妥当だと思います、その表現のしかたには工夫の余地はありますが。少なくとも現状の漠然とした参照は記事の書き方として適切ではありません。『芹沢家の歴史』のどの記述が参照されているのか現行の記事からはわかりませんから、自費出版かどうか、信頼性がどうかとは関係なく、そもそも『芹沢家の歴史』を資料として挙げる意味がありません。--Jms 2008年10月2日 (木) 00:54 (UTC)

「『自費出版物...原則として認められません』を独り歩き...」についての弁明です。Jms様も仰っておりますが、次の節で例外についての記述があり、この例外に合致しない自主公表物はやはり不適切ではないでしょうか。また「Xはかくかくしかじか」がwikipediaに載せる価値のある内容であれば、自主公表物以外の信頼できる情報源にも載っているはずであり、そちらを引用元とすべきです。「X はかくかくしかじかであるとしている」との記述が、自主公表物以外にはないのであれば、例えそれが真実であってもwikipediaに載せるべきでないとも考えております。

Jms様のご意見も理解しているつもりです。Jms様のご意見の大意は「確立した手法で慎重に資料精査されたものであれば、自費出版物であっても利用できる。従って本件では『芹澤家の歴史』の内容に言及しなければ可否の判断は出来ない」で合っているでしょうか?であればやはりJms様とはwikipediaの方針の解釈が異なるのだと感じました。「自費出版物が自主公表物であるかどうか判断する」ことも含め、この「~資料精査」こそがいわゆる査読と呼ばれるものではないでしょうか。wikipedeaでは(学術的な分野であれば特に)執筆者が査読を行うべきでないと認識しています。学術的分野において執筆者は、信頼できる情報(査読された公表物や権威有る研究者の公表物)を引用元として記事をまとめるべきであり、それ以外は独自研究になってしまうと考えております。このような解釈を元に「自費出版物は引用元としては不適切だ」との意見でした。

しかし非学術的な分野であれば資料精査した上で引用元とすることも(例えばチンドン屋のような大衆文化で他に適当な資料がない等の理由であれば)必要かもしれません。この点では一律に「自費出版は(例外を除き)不適」とする私の意見は誤りかもしれません。しかし本記事は歴史上の人物に関する学術的分野の記事であり、対象に関する多くの一次資料や、出版物、論文があります。あえて地方の図書館でのみしか閲覧できないような自費出版物である『芹沢家の歴史』を、独自研究の恐れのある資料精査を行ってまで引用元や参考文献とするのはやはり不適切であるとの意見です。

以上より私も「『芹沢家の歴史』を『研究対象として資料精査した著作を参考文献として参照するのが結論』」との意見に賛成致します。また「現状の漠然とした参照の記事では、そもそも資料として挙げる意味がない」との意見にも同意です。念のために申しますが、仮に参照箇所が明示されたとしても『芹沢家の歴史』を引用元として認める訳ではありません。--Hortensia 2008年10月2日 (木) 14:34 (UTC)

「例外に合致しない自主公表物はやはり不適切」と判断できるなら、その自主公表物の内容を見ていることになりますね。だとしたら参考文献として挙げたい側に対して検証を求める必要はありません、検証した結果例外に合致しないと判断できているわけですから。しかしそうした内容に基づく判断がなされたなら、排除する理由は「自費出版だから」ではなく、内容が条件を満たさないから、という理由になるでしょう。「X はかくかくしかじかであるとしている」をどこまで排除すべきかの判断は、いわゆるサブカルチャーな分野の記事が存在することを考慮すると、一律に行なうことには慎重であるべきだと考えています。この点については御理解いただけていると考えます。もちろん、たとえば歴史分野なら歴史分野なりの判断基準はあって当然と思いますが、その制限に言及せずに一般論として「自費出版だからダメ」と述べられていることを問題視しています。なお、「地方の図書館でのみしか閲覧できない」というのは、大学図書館で所蔵しているところがありますので、事実ではないと思います。
査読に相当する行為がどこまで許されるのか、その線引きは難しいところです。実際問題としては、矛盾する資料がある場合に、なにも判断せずに「A という意見も B という意見も C という意見もある」と書くべき場合もあれば、合理的範囲で矛盾の検討を行なう方がよりよい記事になる場合もあります。このどちらの類型になるかは、記事内容と資料内容の双方に依存します。後者の極端な場合としては、記事名を考えていただくと良いかと思います。記事名に端的に表れる様に、記事を執筆する際に、決断しなければならない場合もあるというのはまた事実です。
『芹沢家の歴史』については、この議論に費されている時間が、その内容の精査に使われることを期待します。それがなされるまでは、参考資料として挙げることはないでしょう。まぁ、どうしてもというなら、「芹沢鴨を取り上げている書籍一覧」といった節を作ることは可能かもしれませんが、それは「参考文献」とは明らかに異なるでしょう、取り上げてさえいれば、たとえば新選組タイムスリップものでも構わないわけですから。なおこれは対象の例示であって、『芹沢家の歴史』がその手の小説と同じ位置づけだと言っているわけではありません。現状で記事に含めるとした、そういうやりかたしかなかろう、ということです。 大衆文化が非学術的というのはとてもひっかかりますが、それはまた別の話--Jms 2008年10月2日 (木) 14:57 (UTC)
私の言うところの例外とは「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」ですので、内容とは関係ないと思っております。本件では上述の例外に合致しないことは著者が親族である点から明白ですので「例外に合致しない自費出版だから」との理由を以前に述べております。自費出版について確かに一般論的に述べていた部分もあり、その点でご不興を買ったことは申し訳なく思います。またJms様の仰るとおり、サブカルチャー分野等を配慮すれば慎重に論じる必要があることも理解いたしました。しかし本件のような史学分野においては、やはり自費出版物は不適であり「『芹沢家の歴史』は内容を精査するまでも無い」との意見であることをご理解頂きたいです。またご指摘の所蔵図書館については、誤った発言であったようで申し訳ございません。
「査読に相当する行為が...」の段落につきましては、真に仰るとおりかと。また大衆文化が非学術的とは確かにトンデモな発言ですね(分類としては民俗学や社会学になるのでしょうか?)、訂正いたします、申し訳ありませんでした。--Hortensia 2008年10月2日 (木) 15:40 (UTC)
なるほど、そちらの例外でしたか。わたくしは「その次の節」すなわちWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイトの第一文を念頭に、それを「X はかくかくしかじかであるとしている」、さらには内容が自主公表物著者独自の主張でない場合 (たとえばいついつの官報にこうある、といった事実記載を集めた「ナントカ資料集」の類) に援用して考えていました。前者はまだしも、後者について『芹沢家の歴史』に該当する部分があるかどうかはわたくしは存じません、あくまでも一般論です。芹沢鴨クラスの歴史上の人物なら研究者の手になる文献が相応にあるでしょうから、『芹沢家の歴史』によらねばならない部分はあったとしても極めて限定されているのではないかと想像します。--Jms 2008年10月2日 (木) 16:03 (UTC)


一点のみ釈明致します。 私の文面が肩肘張った論調に受け取られた点は敢えてその様な形式を用いさせて頂きました。理由としてまして、ふんにゃらにゃ氏と呆庵氏の論議を見た際に「揚げ足を取る」ような論議が延々と続きました。その結果、理性より感情によって論議をする事態となり、深刻の度合いを深める結果となりました。故に理性によって正すという一点に集中し、敢えて難い文面によって記述した次第です。お気に障っている箇所(規律云々や表現の仕方の点など)についてはお詫び致します。結論が出た時にもう少し語気を改めた文面に修正したく考えております。

自費出版であるが故に公共の機関(図書館等)への所有が少なく、また地方の方が借りる上で困難である点(つまりふんにゃらにゃ氏が主張する「読んでないのに何を言う」的な文言に対しての反証。すなわち論議が一人相撲になってしまう点。)を申し上げたかったのですが、Hortensia氏・Jms氏の論議を拝見し、現段階で自費出版に関する私の意見は特にございません。また私が発議させて頂きました「研究対象として資料精査した著作を参考文献として参照するのが結論」について、Hortensia氏・Jms氏ご両人が一定の評価をして頂きました点は嬉しく思いますし、是非ともふんにゃらにゃ氏にもご賛同頂き、結論を導き出したく思います。

またふんにゃらにゃ氏には何度も申し上げている事ですが、結論が導き出されていない現在進行形の状態であれば参照として取り上げる事は控えるべきであり、それを「都合の悪い論議には目を閉ざし、一方的にご自身の意見のみを押しつける行為は解釈を曲解して自己主張のみを押し通す荒らし」と断じられても仕方のない事と思われます。呆庵氏はそれらの警告に耳を傾けず、自己主張した結果、最悪の結果を招きました。今であればまだやり直す事も十分可能です。その点、何度も御指摘させて頂き、説諭の努力をしておるつもりですが、御理解頂けないものでしょうか?--あいびす 2008年10月2日 (木) 16:27 (UTC)

  • 荒らし扱いしたことを断固抗議いたします。
  • 誤解している面を補正しますが、あいびす氏が2008年9月30日 (火) 15:40に出された提示を評価しています。都合よくと申しますが、そもそも「無より有」の議論ではなく、「有から無」として発生し、これをきっかけとしてコメントを求めることにより良い方に導けることを期待しています。私としては結論の前に指針が必要と考えており、指針が出たのち、記述方法を改め、秀逸な記事になることを願っています。なお、当該記事を消滅させてしまえば、なんの議論かがわからなくなるという恐れを持っています。ただ、指針が出た時点で「無用」との見解なれば、いったん参考文献としてはずすことはやぶさかではありません。--ふんにゃらにゃ 2008年10月2日 (木) 21:40 (UTC)


その指針はノートで提案したらよい(例・~をしたらどうか?など)わけで、結論が導き出されていない現在進行形の段階で本文に反映させる必要はないと申しております。また当該記事を削除したとしてもトップページに論議の有無が記載されており、何ら心配には及ばないと考えます。そのためのノートではないでしょうか?

また毎回コメントを求めているのですが私が発議しました「研究対象として資料精査した著作を参考文献として参照するのが結論」(ふんにゃらにゃ氏流で申せば指針)について意見・反証がなければこれを結論として宜しいでしょうか?

少なくとも今までのご自身の言動(推論で他者を貶める)・姿勢(自身の結論ありき)・態度(反証に応じず)が荒らしに受け取られかねない現状を喚起・注意したまでで、それを受けてどう感じたかはご本人で考えて頂ければよいだけでその点で論争する意思はありません。--あいびす 2008年10月2日 (木) 23:26 (UTC)

  • 最後の人物評はそのままあいびす氏に返上します。ただ、もしこれ以上にくだらない議論をする(こんなものは言わば糞味噌なけなし合い)のなら各人のノートに移しましょう。ただ、私は継続しないので、そちらが行わなければやる気もありません。
  • また、勝手に結論を求めないでくださいと何度も言ってます。指針も出てない状況で勝手に結論が出たと妄想しないでください。いままでの議論を無視しています。まだ共通の指針はでておりません。ファシズムな記述は厳に慎むべきです。--ふんにゃらにゃ 2008年10月2日 (木) 23:53 (UTC)
私の言う「例外」は「次の節」ではなく「次の文」ですね。Jms様の論点が2点(例外と、情報源Xがかくかく)かと誤解して回答しておりました。ただ結果的にはある程度噛み合ってお互い納得出来たのでは、と手前味噌ながら思っております。
ふんにゃらにゃ様の仰る「共通の指針」が何を指しているのか掴みかねますが、wikipedia上で執筆する限り「Wikipedia:基本方針とガイドライン」及びこれに付帯する方針やガイドラインが指針となります。ただこの公式方針を画一的に適用するのではなく、個々の記事においてある程度柔軟に解釈する必要もあることは、Jms様との議論を通じて私も理解しております。しかし本記事においては、公式方針から逸脱する必要は全く無いと考えております。仮にwikipediaの公式方針以外を指針として扱いたいのであれば、(認められることはほぼ無いでしょうが)どのような指針で記事を執筆をしたいのかご説明下さい。
本ノート内での「指針(wikipediaの公式方針)」に基づいた議論を通じて、本記事では「研究対象として資料精査した著作を参考文献として参照する」という、ふんにゃらにゃ様以外の3者が納得できる結論の案が出ております。この案にふんにゃらにゃ様が納得できないのであれば、納得出来ない理由を、根拠を添えてご説明下さい。またその際には、対案ないしは修正案を示されるべきでしょう。このような説明も無く、ただただ結論を急ぐな、では議論になりません。
また「当該記事を消滅させてしまえば、...」この意味がよく分かりませんが、「『芹澤家の歴史』を削除してしまえば、...」との意味でしょうか?もしそうならば削除しても何の問題もありません。例えば参考文献に「現代にタイムスリップした芹沢鴨」のようなSF小説が載っていたならば、これを削除することに何の問題もありませんよね。(「芹澤家の歴史」がこのようなトンデモ本だと言っている訳ではありません。Jms様と同様に単なる例示です。念のために。)それに記事の履歴や本ノートでの議論も残る訳ですから、そんな恐れは全くないでしょう。私もふんにゃらにゃ様と同様に秀逸な記事となることを願っており、そのために「不適切な文献を削除するべきだ」との立場で意見している訳です。--Hortensia 2008年10月3日 (金) 13:22 (UTC)
Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源という、議論の余地のない方針を、『芹澤家の歴史』への言及を除去しないで済む様精一杯保存寄りに解釈し、ある意味で曲解寸前のことまで行って、得られる結論が「芹沢鴨について言及のある書籍」として新選組タイムスリップ小説と同列に扱う位しか手がない、ということなのですが、それを「まだ共通の指針はでておりません」と認識なさっているとしたら、Wikipedia:検証可能性について十分には御理解いただけてないのではないかと危惧します。--Jms 2008年10月3日 (金) 23:44 (UTC)


ご理解頂けたようで助かりました。 それとふんにゃらにゃ氏を除く三人が賛同している案について賛同・不賛同も表明されていません。ご賛同頂けるなら、参照文献の選択に移りたいと考えています。逆に不賛同であればコメントアウトを貫くことなく、不賛同の理由と根拠をご明示下さい。それもなく一方的に「結論を出すな」は何の意味もありません。--あいびす 2008年10月4日 (土) 15:31 (UTC)

  • 3人?が賛同してる案という意味がわかりません。Jms氏の述べたことを理解、賛同し、「自費出版物」である「芹澤家の歴史」の掲載を削除いたしました。ここはあくまでも「自費出版物に対するコメント」ですので。--ふんにゃらにゃ 2008年10月4日 (土) 22:11 (UTC)


「自費出版物に対するコメント」については理解しております。私が申し上げているのは自費出版として削除した「芹沢家の歴史」に替わる今後の参照文献についてです。3名が支持しているというのは「研究対象として資料精査した著作を参考文献として参照する」という点です。これに対しての意見はおありでしょうか?何度かお伺いしましたが「結論を急ぐな・指針が定まってない」と言われるだけで具体的な反証・アンチテーゼはお示しになられていません。--あいびす 2008年10月7日 (火) 12:53 (UTC)

Jms氏が述べた

  • 「研究対象として資料精査した著作を参考文献として参照するのが結論」というのは妥当だと思います、その表現のしかたには工夫の余地はありますが。少なくとも現状の漠然とした参照は記事の書き方として適切ではありません」

と、ここまでの部分を入れた内容でしたら合意できます。ともあれ、別にこれはあいびす氏に対する悪意ではないのですが、言葉の取りようによってはいびつになる可能性があります。ともあれ、下の節で展開する、あいびす氏とJms氏の議論のように個人的感情がおよばない高尚的な議論で進むことを期待しています。--ふんにゃらにゃ 2008年10月8日 (水) 22:04 (UTC)

ふんにゃらにゃ氏が示された範囲での内容で私は構いません。参照とすべき論文について以前に提示させて頂きましたが、掲載方法含めてご意見があれば皆様お申し出ください。--あいびす 2008年10月9日 (木) 14:14 (UTC)


どうでもいいことですが、なにやら私の名がたびたび出てくるので一言だけ。投稿記録を確認していただければわかることですが、私にはWikipediaの管理者から投稿ブロックの措置を受けた経歴はありません。あいびすさんのおっしゃる「最悪の結果」というのが具体的に何を指すのか、私にはよくわかりません。もしかしてふんにゃらにゃさんの経歴と私の経歴をを取り違えておられませんか。いきなり見も知らぬ縁もゆかりもない人物のソックパペット扱いされてたいへん迷惑されているのはわかりますが、どうか冷静に。

ちなみに、あさくらゆう著『新選組読本』シリーズは、玉造町観光協会(単なる中小企業の互助会)のかかえた不良在庫を著者のあさくらさんご自身がYahoo!オークションを通じて個人的に実費で頒布していた事実がありますから、自費出版というよりは同人誌なのかもしれません。なお、行政が関与しているから情報源として信頼できる、というのは、Wikipedia的には通用しない議論だと考えます。神武天皇陵が国有財産であることは、神武天皇が実在の人物であることを証明するものではありませんし、偽書「東日流外三郡誌」を無批判に市町村史に掲載・引用して赤っ恥をかいた市町村はいくらもあります。--呆庵入道 2009年7月10日 (金) 22:53 (UTC)

玉造町観光協会発行物について

  • たぶん、次に議論されるであろう「新選組水戸派読本」ですが、節が長くなりましたので、いったん区切って議論を行うことが参加者の利便性としてよいと思いました。上記標題につきましては不要論、存続論ともにこちらにお願いいたします。なお、新規参加者につきましては過去の議論も併せて読んでいただければ幸いです。--ふんにゃらにゃ 2008年10月4日 (土) 00:43 (UTC)


「新選組水戸派読本」(玉造町観光協会発行)についての争点を要約しますと

  • 観光協会より出版されている書籍の信頼性
観光協会から発行されている冊子に査読能力があるのかどうかという点が最大の争点になっていると考えております。個人的には発行先の有無だけで削除するという事は反対であり、査読能力について検証可能な根拠が示されれば問題ないとの認識です。異論・反証があればご提示ください。


  • 独自研究
独自研究という観点からすれば本書は明らかにwikipediaの指針に反しています。「芹沢家の歴史」と同様に対象書籍が刊行された以後の書籍(客観性・中立性を維持する為に著者であるあらくらゆう氏が寄稿した際に参照した論文は除く)を確認しましたが、対象書籍を参考文献としている書籍を確認する事が出来ませんでした。前回と同様にすべての文献を精読したわけではありません。参照とされている書籍があればご提示下さい。
ただし参考とされていない・若しくは少ない理由ですが、内容を拝見した限りでは未発表の論文が散見しています。故に参照とされている書籍がない…という解釈も当然ながら成り立つかと考えられます。しかしそれであったとしてもwikipediaの独自研究と認定している項目に
*新しい未発表の理論や解決法を加筆する
*他の概念や理論、論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する。
などがあり、本書はこれらに抵触、以上の観点からも本書が好ましくないと判断されます。
  • 客観性・中立性における問題点
独自研究に付随しての事ですが、ふんにゃらにゃ氏は本書を読んで「客観性に問題なし」と主張されていますが、何を根拠にそれを主張されたのか?むしろ主観的に判断されたのではないでしょうか?その点の説明もなくコメントアウトが続いているのが現状です。
ふんにゃらにゃ氏は当初より本書を強く推しておりますが、本書が排除されたとしてもその内容を否定する事には繋がりません。wikipediaは独自研究の対象を列記した後に続いてこう記載されております。以下に引用致しますのでご一読ください。
なお、ウィキペディアから排除されたからといって、それが「品質の劣る」ものであるとは必ずしも限りません。ピューリッツァー賞クラスのジャーナリズムやノーベル賞ものの研究でさえも、それがウィキペディアで最初に発表されることになるのであれば、掲載を拒否せざるを得ないのです。もしあなたがウィキペディアという知の集大成に加えるべきだと考える情報をお持ちでしたら、まずそれを査読制度のある雑誌か評判の良い報道メディアで発表し、その後中立的な観点の流儀にのっとり、あなたの業績を証拠として示すのが最良の道です。

個人的には本書の論文には一定の評価をしておりますが、精査が為されていない独自研究色の根強い現段階においては否決されるべき書籍というのが総論です。皆様はいかがお考えでしょうか?--あいびす 2008年10月4日 (土) 15:31 (UTC)

  • 一部争点と一方の主張が混在いたしますが、あいびす氏の論点提示に感謝いたします。あいびす氏のように賛否を問い、Jms氏が前回、見本として推奨いただいたレベルに近づける方向で、議論、そして可否を決めましょう。正直言って私は前回の議論によるJms氏の解説で非常に勉強となりました。

「新規参加者につきましては過去の議論も併せて読んで」というのは、コメント依頼を想定してのことだと推測しますが、仮にそうであるなら、依頼するに足るまとめを提示すべきでしょう。そのまとめとして論拠も結構ですが、まず、対象文献を出典とした場合としない場合で、どこの記述がどう異なるのか、ということを示すべきだと思います。その過程で、おそらくコメント依頼せずとも済む様な結論が得られるものと期待しています。除去するかしないかの根拠を議論するよりは、その文献の有無が記事になにをもたらすかを明確にすることの方が、百科事典を編纂するという目的にはより適切なはずです。--Jms 2008年10月6日 (月) 04:38 (UTC)

  • Jms氏のコメント、アドバイスに感謝いたします。
  • まずは芹沢鴨がいままで扱われた歴史にあります。映画等で悪行三昧に書かれており、事実よりフィクションが先走りしている点が挙げられます。
  • 特に新選組関連については研究と称した書物が多く出され、なかにも秀逸な記事もあると思います。
  • 私が「新選組水戸派読本」を挙げたのは記事もありますが、その書籍に挿入されている写真を評価しています。芹沢鴨に特記すれば、9月に暗殺された件についてです。現在は18日と16日の説が存在します。私とすれば現行16日説を支持してますが、読本のなかに唯一、「川瀬家文書」が掲載されており、写真から原文も読めるような対処になっています。当時の文書で16日と記された貴重な文書と言えるでしょう。現物も茨城県立歴史館で確認できる環境にあります。
  • また、下村家文書等、参考になる資料が掲載されていることはwikipediaにとって有用だと思います。
  • ちなみにこの書籍は日野市立新選組のふるさと歴史館叢書第二輯「第二回特別展 新選組 京都の日々」で酒井右二氏著「芹澤鴨と天狗党佐原騒動」の参考文献として使用されております(119p)。
  • ちなみにあいびす氏の回答には未だ足りないとは思いますので、参考文献の調査等は継続的に行いたいと思います。--ふんにゃらにゃ 2008年10月6日 (月) 21:42 (UTC)


芹沢鴨暗殺日時について「新選組水戸派読本」は9月16日説のみを取り上げており、18日説については何一つ言及も検証もされておりません。少なくても現在は両説あり、結論に至ってない状態が続いています。それを著者のあさくらゆう氏は一方のみの見解を取り上げており、これは「他の概念や理論、論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する」というwikipedia上の独自研究に該当すると考えられます。著者が自身の見識を信じた上で発表するのは当然のことでしょうが、wikipedia上では好ましくありません。「芹沢家の歴史」の参照云々で紹介した諸文献には「川瀬家文書」を始めとした多くの史料を交えて両説検証されており、そちらをもって参照しても構わないはずです。

「川瀬家文書」などを重要視するならばふんにゃらにゃ氏が紹介した「第二回特別展 新選組 京都の日々」他、他文献で検証されているため、こちらを参照として取り上げれば問題ないと考えます。特に酒井右二氏は教諭としても著名な方ですからこちらを参照とするのであれば反対する理由はありません。

未見・新発見の史料を多く紹介していても、本書(史料にあらず、あくまで読本それ自体)を支持する書籍は見当たりません。これは「新しい未発表の理論や解決法を加筆する」に該当します。たしかに酒井右二氏は「新選組水戸派読本」を参照していますが、本書を含めた他史料を検証した上で「この様な説もある」と注訳を入れています。「新選組水戸派読本」の研究それ自体を否定は致しませんが、一方の史実のみを事実と断定するような記述をし、未見の多い史料が目立つ点は独自研究の領域に留まる産物であり、これを補う文献があるならそれらを参照とすれば事足りる。これは「芹沢家の歴史」と同じ見解になりますがどうでしょうか?

独自研究ではないと主張するのであればメディア報道や著名な研究家の支持など実績がなければ無理であろうと考えるのは当然ではないでしょうか?誤解なきように申し上げておきますが、著者のあさくらゆう氏の研究それ自体を否定しているわけではありません。たとえば著者は「慶応四年新撰組近藤勇始末」なども出版されていますが、こちらは独自研究という側面があるものの著名な研究家から称賛されている事実がありますし、多角的に調査をし、引用されている資料の多さなどからも完成度としては「新選組水戸派読本」よりも上であり否定すべき材料がありません。これはあくまで一例ですが、少なくとも本書を参考文献とするのはwikipedia上は適さないと思います。改めてご検討願いたい。--あいびす 2008年10月7日 (火) 12:53 (UTC)

Jms様のご意見一々ご尤もなのですが、まずはあいびす様のまとめられた内容について明確にならない限り議論が進まないと私は思っております。「新選組水戸派読本」内の主張が他の文献と同一であれば、もっと信頼できる情報源に置き換えるべきで、信頼性等が定かでない文献を掲載する必要性はないと考えます。少なくとも最新のコメントでふんにゃらにゃ様が主張されている内容は、あいびす様が述べているように置き換え可能ではないでしょうか。逆に「新選組水戸派読本」のみで言及されている内容が記事に反映されているのであれば、(あいびす様の述べている疑念が晴れない限り)独自研究の恐れがあるためwikipediaとして問題でしょう。個人的な意見ですが本名で執筆されていない時点で研究者とは一線を画しており、このような史学記事の引用元にはあまり適さないのでないかと。

なおふんにゃらにゃ様に置かれましてはwikipediaの以下の公式方針を御一読頂き、その上で慎重な議論をして頂きたくお願い致します。Wikipedia:自分自身の記事をつくらないWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありません。--Hortensia 2008年10月7日 (火) 15:31 (UTC)


私の返答は何もふんにゃらにゃ氏に対してのみではありません。Hortensia氏にも同様に投げかけています。観光協会の発行についてはどうお考えでしょうか?査読能力に関して問題がありとのご意見がありました。私も一時はHortensia氏の意見に賛同致しましたが、どうもいま一つ納得しえぬ部分があります。例えば寺院が発行している文献(寺院の歴史や史料など)などはどう扱うべきでしょうか?彼らにとっての真実がイコール歴史の通史とは限りませんし、これらも精査されていなければ参考文献として取り上げられぬとなるとどうかとも考えます。故に観光協会であれ寺院であれ発行先で参考文献の有無を仕切るのはいかがなものかと思われます。--あいびす 2008年10月8日 (水) 11:09 (UTC)

もしわたくしなら、本文では中旬として 16 日説も 18 日説もとらず、脚注で出典を明示しつつ 16 日説と 18 日説がある旨のみ書きます。また、18 日 (20 日) という部分は「二日後」と表現します。二説あるのは事実であり、その出典さえ示せば、その先の判断は読者にゆだねてよいでしょう。--Jms 2008年10月8日 (水) 11:18 (UTC)


Jms氏のご指摘はごもっとですし、本文についてはその様な明記が為されていれば閲覧者は混乱せずに済むでしょう。但し、だからと言って本書を参照文献とするのは別問題かと考えています。先にも書きましたが、本書に限って申せば18日説について何ら言及せず、16日説のみを取り上げています。「検証した結果、16日説である」などの一句があれば理解することが出来ますが、検証された形跡が本文より読み取る事が出来ぬ(=16日説と断定している)以上は「他の概念や理論、論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する」に触れる部位ではないかとの認識です。少なくとも他の諸文献は両説を比較検証し、どちらか一方の説を主張されております。参考文献としてはそういう検証の事実が確認できるものこそ有益と考えています。100歩譲って検証したと認め、独自研究ではないとの結論に達したとしても、未発表の研究論文が本書で発表されている点について精査の事実が確認できておりません。その点について検証した事実があるのならばご提示頂きたいです。

Hortensia氏は本書が本名ではない執筆について疑問を提示されていますが、wikipedia上では本名でなければ適さないというルールはありません。個人的にどう思うかは別ですが、少なくとも本名である・なしは研究それ自体には関係ないですし、それだけで否定されるべきではないはずです。--あいびす 2008年10月8日 (水) 12:43 (UTC)

両説を比較検討している文献が存在するなら、その文献がいずれの説をとるにせよ、他の説の出典もまたその文献に含まれる筈で、その他説の出典文献を出典として用いればよいのであって、『新選組水戸派読本』がその点について何ら追加情報をもたらさないならば、『新選組水戸派読本』をとりあげるのは適当ではないでしょう。しかし、『新選組水戸派読本』が掲載する「川瀬家文書」の写真から当該情報が読み取れるならば、情報源への参照は「川瀬家文書」(『新選組水戸派読本』所収) といった表現を含む形にできるでしょう。『新選組水戸派読本』の主張と、『新選組水戸派読本』に掲載されている情報とは区別できると考えます。なお、『新選組水戸派読本』に掲載されている「川瀬家文書」の写真の真贋 (写真になんらかの改竄があるなど) については、ないものと仮定しています。そこまで疑うとキリがありません。--Jms 2008年10月8日 (水) 14:30 (UTC)
あいびす様がこの節の頭でまとめられた「観光協会から発行されている冊子に査読能力があるのかどうか」が、各発行元の観光協会で明確にならない限り、観光協会の発行物は適さないとの意見です。学芸員が常駐しているような観光協会もあれば、言い方は悪いですが役場のおじさんが片手間でやっているような観光協会もあります。また以前にも述べましたが、観光協会という性質上どうてしもPR的な要素が強くなる傾向も否めません。
寺院が発行している文献については、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイトに準じ、発行元の寺院が寺院自身について述べており、「その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、第三者によって公表された信頼できる情報源と矛盾していない限り」引用可能だとの意見です。これを拡大解釈して、観光協会が自身の観光資源について述べる場合、さらには当該地方出身人物の歴史事実について述べる場合も、引用可能との主張は出来るでしょう。しかし私は、前者はともかく後者は認められないのではないかとの意見です。さらに言えば寺院が「過去に(現代ではないとの意味です)」編纂したような文献は、一次史料ないしは一次資料との位置付けになるでしょう。であれば専門家の手による二次情報源を介してでなければ、wikipediaの編集者がその文献を使用することは不適切と考えます。本名云々は至極個人的な意見ですので無視して頂いて結構です。
Jms様の「そこまで疑うとキリがない」はご尤もかと。そのためwikipediaではWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」等にあるように、信頼できる出版元にその責務を負わせています。ここで上と繋がるのですが、「観光協会が信頼できる出版元なのか」という議論が発生するのだと思っております。--Hortensia 2008年10月8日 (水) 16:47 (UTC)
どうもかみ合いませんね。「観光協会が自身の観光資源について述べる場合」というのと、「観光協会が出版した (?) 書籍等に含まれる写真等」というのは違う扱いをすべきなのではありませんか、という事なのですが…。後者は、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料にある二つの「なお」以下に該当し得るのではないでしょうか。--Jms 2008年10月8日 (水) 17:11 (UTC)
Jms様の「違う扱いをすべき」に関しては特に異論はございません(「なお」以下の部分に関しては、(こちらは草案ですが…)Wikipedia:信頼できる情報源#情報源と相反する部分があるため、解釈は分かれるとも思っています。)。前述の上部2段落はあいびす様へのご回答のつもりでした。そのうえで下段落はJms様の本来の文意とは少し離れますが、「(改竄は)ないものと仮定しています。そこまで疑うとキリがない」への意見でした。大意は「信頼できる出版物の中に含まれる写真」と「そうでない出版物の中に含まれる写真」を同等に扱えるのか、となります。--Hortensia 2008年10月8日 (水) 18:16 (UTC)
  • Jms氏のお話、参考になります。私は確かに16日説を用いた文献のみを提示しておりますが、2008年3月20日 (木) 16:59の私が書いた投稿のように、18日説も別段あることに違和感を持っておりません。
  • 正直言って、16日説を最初に述べたのは新選組書籍を多く著している菊地明氏で、『新選組始末記』(子母沢寛)で述べている暗殺の日(18日)には雨が降っておらず、降雨は16日で、かつ、最初に建立された墓石に「18日卒」と書いてあったからだとしておりました。しかし、これだけでは直接的な文書があるわけではないので、18日説の方が有力と思いました。しかし、『新選組水戸派読本』では「川瀬家文書」を提示してあり、補強されています。この意味で推奨いたしました。
  • また、『新選組水戸派読本』の刊行は2004年ですので、現在4年しか経過しておりません。新選組研究は日進月歩とはいえ、4年の間に芹沢鴨の論文はいくつ出ているでしょう?そういった意味でも参考書籍が少ないのは当然の結論と思われます。
  • また、観光協会というのは行政に関連した団体(補助金等)ですので、掲載許可等を必ず取る必要があり、捏造等は不可能です。茨城県立歴史館に「川瀬家文書」、『新選組水戸派読本』が蔵されていることから明らかです。また、いい加減なものを出せば観光協会、そして行政に問題が発生するわけで、本など、勝手に出せるものではありません。
  • 18日説を採用しているあいびす氏においては18日説を採用する文献を提示、掲載する方向でいただければ幸いです。いままでの論議を見ている限り、あいびす氏が提示するであろう書籍には説得力があり、信憑性もありそうですので(変な意味ではなく、良い意味で)。そしてその論議があることも、より読者に有意義なものと考えます。--ふんにゃらにゃ 2008年10月8日 (水) 21:21 (UTC)

行き過ぎた原理主義 (信頼できる出版物以外はとことん疑う…学問的姿勢としては正しいが、その姿勢自体独自研究や POV につながるかもしれない) と、あくまで特定の説を主張しようとする執筆姿勢 (両論併記により記述対象に対して距離をとることができない) の対立に思えます。どちらが良い悪いではなく、それぞれの立場がウィキペディアとして歓迎されるものかどうか、よくよく検討していただくのが適当かと思いますが、これ以上コメントしても益はなさそうです。--Jms 2008年10月8日 (水) 22:10 (UTC)


観光協会発行であっても著者は観光協会の職員ではないのです。観光協会編集であれば性質上、問題があるとは思われますが、行政が関与しているのであれば概ね信用しても宜しいかとは考えてられます。もし本協会に疑問が生じる事由が発生したらその際に論点とすれば宜しいかと考えますがどうでしょうか?

また誤解をしないで頂きたいのは私個人の、一読者の意見から申し上げれば芹沢鴨暗殺は16日説であろうと考えています。その辺の論証について本文の両説(16・18日説)を提示して識者に判断を委ねる方式を取るのが良いか、徹底的に論議してどちらか一方の説に結審させるかはまた別に論議を提示すればよいのです。 私が問題としているのは当該『新選組水戸派読本』が結論が導き出されていない暗殺日時について「18日説について何も検証せずに16日説と断定している」という点です。Jms氏も指摘されているように「何ら追加情報をもたらさないならば、『新選組水戸派読本』をとりあげるのは適当ではないでしょう」という事を申し上げたいのです。要するに本書が史料の都合の良い箇所のみを提示した独自研究に該当しているのではないかという疑念です。

本書は「川瀬家文書」を以って16日説と断定されていますが、この文書についての説明が殆ど為されておらず、どういう身分・立場・思想の人物が書き残しているか確認する事ができず「単に史料を掲載している」と受け取れます。この史料の精査はしっかりされているのか確認されたのでしょうか?単に16日説に拘るのであれば元会津藩士の北原雅長の「七年史」などは16日説を取り上げております。このような出典が明示・精査された研究論文で補強すれば問題ないはずです。 また発刊して4年しか経過していなくても、それらを参照とした研究論文がないのであれば未発見の研究、すなわち独自研究に該当するのではないでしょうか?

以上の点から本書はwikipedia上の指針からは逸脱した書物であるのではないでしょうか?重ねて申し上げますが、本書の研究内容を否定しているわけではありません。あくまでwikipediaの枠組みに照らし合わせれば不適格との認識です。ふんにゃらにゃ氏が本書を推す理由も分からなくもないですが、本書が史学的に評価されているならともかく、そういう事情がない以上は参照とするのは問題があるとの認識です。--あいびす 2008年10月9日 (木) 14:14 (UTC)

  • 正直申しまして、あいびす氏と私の見解にはまず、同じ土俵ではないというか、限りなく近いのですが、噛合っていないという点にあります。標題もあえて漠然としたものにしているのもその意味で、誤解を生んだことをお詫びします。
  • あいびす氏が提案しているのは参考文献にふさわしくない、という意見が大勢を占めているものと思います。しかし、私はJms氏が推奨している記事のように出典という意味での掲示を考えているのです。
  • その際、どこに書くかと申しますと、本文の下記の節に暗殺日についてというような項目を新たに設置し、「16日暗殺説と18日暗殺説について、16日説には○○といった史料があり、18日説には○○といった史料がある。ただ、明確な史料(法会記録や過去帖)がない現状、明確な日付については今後の課題である」というような記述をするのが読者にやさしいのではないか?と思っております。『新選組水戸派読本』はこの節のなかでの出典掲示する考えでおります。これなら、見るべきものは掲載されている写真1点のみです。
  • ちなみに掲載している「川瀬家文書」は水戸の維新史について多大な貢献をもたらした川瀬教文家から出ているもので、川瀬教文はあいびす氏もご存知のとおり、「波山始末」等、多くの記録を著した人物で、実際に維新史上の人物とも交流があり、当事者でもあります。その基礎史料のひとつとして遺されている文書という意味で信憑性はあるものと思います。
  • つまり、このような考えでおりますが、いかがでしょうか?もちろん「すべて拒絶!」というのなら、たぶん議論は平行線になりそうで怖いです。--ふんにゃらにゃ 2008年10月9日 (木) 22:09 (UTC)


ふんにゃらにゃ氏が説明された手法(即ち、暗殺日の考察について新設し、『新選組水戸派読本』は「川瀬家文書」についてのみ出典掲載)という手段であれば、未発見の記述・論文を発表するわけでもなければ、16日説に限定した記述を考察するわけでもない。これを独自研究と呼ぶことには無理があるでしょう。この手法を取られるならば支持を致します。 後はHortensia氏が主張される「観光協会発行の真偽」について一定の方向が定まれば問題はクリアーとなると思います。--あいびす 2008年10月10日 (金) 09:34 (UTC)

  • 一定のご理解を得ましてありがとうございます。もし、このまま結論が出ましたら、新設する項目について、議論が出来ればと考えています。その際、史料等の紹介、明示等、本文にはどのような形での文章が好ましいかアドバイスをいただけたら幸いです。まずはノートで好ましいフォームを作成後、本文に掲載するのがベストと考えます。--ふんにゃらにゃ 2008年10月10日 (金) 10:05 (UTC)
発言に時間が空き申し訳ありません。ふんにゃらにゃ様が提案しているような記法であれば概ね問題ないかと思います。所蔵元に出向かなければ見れない史料の写真が、(流通ルートが限られているとはいえ)閲覧できる書籍を載せるメリットは確かにあるでしょう。同様の写真が他の書籍にも載っているならばやはりそちらの方が相応しいとも思いますが、さすがに写真の改竄の恐れを問題にするつもりまではありません。ただあいびす様の仰るとおり『新選組水戸派読本』を、16日説の論拠として引用元とする、もしくは参考文献に挙げることにはやはり反対です。その際には「観光協会発行の真偽」をクリアにして頂く必要があると考えます。
論拠として「『川瀬家文書』を元に研究した出版物」を挙げ、『川瀬家文書』の所蔵元として注釈等で『新選組水戸派読本』を挙げる、との記載方法が良いと私は思います。遠まわしなようですが、現状で『新選組水戸派読本』を掲載するには(ふんにゃらにゃ様も「見るべきものは掲載されている写真1点のみ」と仰っておりますし)この方法が最適だと考えます。
最後にJms様へ、確かに原理主義なり教条主義なりに過ぎた面はあったとは思いますし、その姿勢がwikipedia上の全てで通用するものでないことも理解はしています。しかし本件のような執筆対象においては、「≒」であろうとの意見は変わりません。--Hortensia 2008年10月14日 (火) 13:54 (UTC)
  • 私の私見ですが、どうも理解できません。Jms氏の説明があったとおりにするのがベストだと思います。この提案を受けて提示した条件で2者の合意が成立しています。Hortensia氏にはどうしても当該図書を貶めたいなにかがありそうですね。で、Jms氏へのご意見ですが、これは一応、コメントの閲覧程度のお誘いはしてみましょう。--ふんにゃらにゃ 2008年10月15日 (水) 02:07 (UTC)

私が『新選組水戸派読本』を参考文献として否定的だったのは、本書が「16日説にのみ限定した独自研究をしている」という点です。しかしふんにゃらにゃ氏は研究を紹介するというわけではなく『16日に暗殺されたとされる史料(川瀬家文書)を紹介』するという狭義的な範囲という観点からのアプローチを提案しています。別に16日説として先に挙げた「七年史」がありますが、これもHortensia氏の提案される紹介方法を取るべきなのでしょうか?私は反対です。

「観光協会発行の真偽」については先に書きましたので意見はありません。私は問題なしとの認識であり、それに対しての対応方法も提案させてはもらいましたが、御両人からご意見がありません。是非ともどうお考えかお聞きしたいです。

また本ノートとは直接関係ありませんがHortensia氏はふんにゃらにゃ氏が多方面で参考文献として紹介している『新選組水戸派読本』を削除されているように見受けられますが、削除するだけで本文の編集までは積極的に行ってないご様子が見受けられます。削除するな、なんて事は申し上げるつもりはありませんが、本書の内容を網羅した本文を形成している手前、参考文献から削除すると本文との矛盾が発生します。削除するなら本文の編集もお願いしたいものです。独自研究の部位についてはふんにゃらにゃ氏が一番ご理解されていると思われますので出来れば編集をお願いしたいものですが。あいびす 2008年10月15日 (水) 13:03 (UTC)

何か誤解をされているかと思いますが、私も相手に伝わらない文章を書いたことの反省をしております。以下に冗長になりますが再度意見を述べます。
私はJms様の「しかし、『新選組水戸派読本』が掲載する「川瀬家文書」の写真から当該情報が読み取れるならば、情報源への参照は「川瀬家文書」(『新選組水戸派読本』所収) といった表現を含む形にできるでしょう。『新選組水戸派読本』の主張と、『新選組水戸派読本』に掲載されている情報とは区別できると考えます。」に反対してはおりません。逆に現状で『新選組水戸派読本』を掲載するならば、この方法しかないとも思っております。この方法でのみ『新選組水戸派読本』を掲載するならば(本書を出典にしたり、参考文献に載せたりせず、「見るべきものは掲載されている写真1点のみ」とするならば)、「独自研究」や「情報源の信頼性」についての議論も不要だろうと思っております。以下は蛇足ですが、もし同じ写真が別の信頼できる情報源にも載っているならば、そちらの方が適切ではあるでしょう。
私の意見で異なるのは、16日説の出典としては『川瀬家文書』でなく「『川瀬家文書』を元に研究した出版物」の方が良いだろう、との点です。そこで『川瀬家文書』への「注釈」なり「脚注」(「出典」では意味が違ってくるかと)で、「『新選組水戸派読本』に写真が掲載されている」との(少なからず迂遠な)記述方法が良いのでは、と述べたつもりです。
またあいびす様の「単に16日説に拘るのであれば元会津藩士の北原雅長の「七年史」などは16日説を取り上げております。このような出典が明示・精査された研究論文で補強すれば問題ないはずです。」に関しても反対しておりません。100年近く前のほぼ同時代の書籍をそのまま引用元に出来るかの疑念は多少ありますが、少なくとも『七年史』は著名な歴史書として出版されており『川瀬家文書』や『新選組水戸派読本』とは異なる位置付けだと思っております。残念ながら『七年史』において『川瀬家文書』について述べているのか存じませんが、もし16日説への言及箇所で『川瀬家文書』を参照しているのであれば、『七年史』を引用元としその論拠として『川瀬家文書』を挙げ、さらに『川瀬家文書』への補足として『新選組水戸派読本』を挙げることが出来るでしょう。そうでなければさらに迂遠な記載になりますが、16日説の補足として『川瀬家文書』を挙げることになるかと。この場合にはそもそも『川瀬家文書』を載せる必要があるのか、載せてもいいのか、という問題が出て来るかもしれませんが。。
「観光協会より出版されている書籍の信頼性」については何度も述べておりますが、学術関連の記事で主張を引用するには不適切だと考えています。しかし「査読能力について検証可能な根拠が示されれば問題ない」というあいびす様の認識には同意です。他記事からの文献削除は、以前本記事より削除したのと同時期になります。現行の記事ではどの部分が本書からの引用か不明ですので、自分の知識の範囲で編集できる記事の修正に止まっております。--Hortensia 2008年10月16日 (木) 15:37 (UTC)


行政の発行物に問題はないとするふんにゃらにゃ氏とそれを立証すべき根拠を示すべきとするHortensia氏では依然平行線のままですから結論を導き出すのは早いと思います。ふんにゃらにゃ氏の言葉を借りれば「指針が出てないのに性急すぎる」ではないでしょうか? 私は中立(行政の発行物に問題はない。問題があればその際に対応すべき)ですが、事前に査読能力に対して立証可能な根拠を提示できれば尚善しとの見解ですが、これは解決の手法として提示したまでで私個人としては意見はありません。

以前、ふんにゃらにゃ氏は対象となっている観光協会について「玉造町観光協会内部には多くの郷土史家も存在しており、その集大成が「玉造」という郷土史として刊行されています。」と主張されていますが、この辺に解決の糸口はありませんか?例えばこの郷土史家とはどういう立場の方がどんな論文を発表なさったのか?文脈から推察すると「玉造」という郷土誌は同協会から出版されていると読み取れなくもないが、これを以って立証可能なのかどうか?などご提示されてはどうでしょうか?--あいびす 2008年10月19日 (日) 02:12 (UTC)

平行線ではないですよ。さすがに同じ意見を三度述べるのは辛いのでコピペさせてもらいます。「ふんにゃらにゃ様が提案しているような記法であれば概ね問題ないかと思います。」「この方法でのみ『新選組水戸派読本』を掲載するならば(本書を出典にしたり、参考文献に載せたりせず、「見るべきものは掲載されている写真1点のみ」とするならば)、「独自研究」や「情報源の信頼性」についての議論も不要だろうと思っております。
何が過剰なのかは分かりませんが、あいびす様も上述している「暗殺日の考察について新設し、『新選組水戸派読本』は「川瀬家文書」についてのみ出典掲載」との方向でまとめて良いのではと思います。ただ『川瀬家文書』の扱いに関しては慎重にお願いします。現状のように、『川瀬家文書』を16日説の直接の出典とすることは望ましくないと考えています。場合によっては『川瀬家文書』の掲載自体が不要かもしれません。(別の箇所の『分部家文書』も同様です。近代史ではありますが、研究者による史料批判が行われるべきかと。)--Hortensia 2008年10月20日 (月) 14:18 (UTC)


ふんにゃらにゃ氏はあくまで「『新選組水戸派読本』に掲載されている写真一点のみを紹介」と言及している以上はそこに独自研究の入る余地はありませんから問題ない認識です。仮にふんにゃらにゃ氏をはじめとした方が本書の研究内容を参考に本項を含めた項目などを編集した場合はそれらは独自研究に該当しますので編集を加えねばならぬと思います。現段階でHortensia氏は参考文献のみ削除しておりますが、今後は内容についても編集していかねばならぬでしょう。その点、ふんにゃらにゃ氏にはご理解を頂きたく思います。(本書を名実共に参考文献として取り上げるには実績が必要です。)

あとはHortensia氏が観光協会発行物に対して納得し得ないのであれば論議が必要かもしれぬ、と判断して上記の発言をしたのですが、Hortensia氏がその点を納得しておられるのであれば結審でよいかと思います。

他にもうやむやになっている指摘「ふんにゃらにゃ氏が本書を客観的に見て問題なしと判断」についてはふんにゃらにゃ氏ご自身が一番理解している事だと思いますのでこの項目に限り黙止しておきましょう。とりあえず結審で宜しいかと考えます。--あいびす 2008年10月26日 (日) 12:49 (UTC)


暗殺日についての考察

  • とりあえず、仮題として節に入れようと思います。ただ、振り返りますと16日暗殺説についてはいくつか採り挙げられておりますが、18日説ですと、有力な史料はなにを挙げればよいでしょう?それらを加えないと不公平になります。私の知る有力証拠は壬生寺に存在する墓碑だけです。どうかご意見をいただきたくお願い申し上げます。--ふんにゃらにゃ 2008年10月24日 (金) 12:55 (UTC)
提示できるだけの情報が無いため意見を控えていましたが、発言が無いようなので。資料が無いようであれば、「墓碑の日付や子母澤寛の著作より18日が通説とされて…」のような文にするしかないかもしれません。
今までの議論でのやっとの妥協点でもあるため強く反対はしませんが、本文中に暗殺日についての節を作るのは不要だろうと個人的に思っております。暗殺日が諸説あることは事実ですが、それ(暗殺日が16日なのか18日なのか)が芹沢鴨の業績を語るのに重要な情報とは思えません。16日と18日の2説が有り未だ定まっていないことのみを簡潔に記載できるような、例えば以前Jms様が述べていたような方法「本文では中旬として 16 日説も 18 日説もとらず、脚注で出典を明示しつつ 16 日説と 18 日説がある旨のみ書きます。」もご検討下さい。--Hortensia 2008年11月2日 (日) 13:38 (UTC)
    • 暗殺日についての考察
      • 芹沢鴨の暗殺日については壬生寺に建立された墓碑に倣い18日が通説となっていた。しかし、近年、「幕末維新京都町人日記・高木存中日記」(清文堂出版)に記載された天候と「新選組遺聞」(子母沢寛)所収の「八木為三郎老人壬生ばなし」にある当日が雨との記述に矛盾が生じたことから、最近は当日の模様が一致する明治期に発行された「七年史」の述べる16日説を採る研究家も登場した。また近年「川瀬家文書」(茨城県立歴史館蔵、「新選組水戸派読本」所収)により16日の説の補強がされている。ただし、現時点において確定論はなされておらず、現在も議論の対象となっている。両日の典拠は以下の通りである。
      • 16日説
        • 七年史(北原雅長:啓成社ほか)
        • 新選組水戸派読本(あさくらゆう:玉造町観光協会) 
      • 18日説
        • 壬生寺建立の墓碑
        • 新撰組顛末記(永倉新八:新人物往来社版)
        • 新選組遺聞(子母沢寛:中央公論社)

—以上の署名の無いコメントは、ふんにゃらにゃ会話履歴)さんが 2008年11月2日 (日) 14:42 (UTC) に投稿したものです(Hortensiaによる附記)。


逆行はしていませんよ。単純に記事の構成についての提案です。現在の記事には「生涯・人物・作品・参考文献・関連項目・外部リンク」の節があります。これらと「暗殺日が諸説あること」とは同レベルではないでしょう(芹沢鴨を語るのに暗殺日が16日か18日かがそれほど重要ですか?)、との話です。脚注にしろとは言いません、現状の「生涯-暗殺」内を編集し、上記を付け加えるような形ではダメですか?

もう一点、上記の文が修正案だと仮定して話を進めます。16日説の根拠に『新選組水戸派読本』を提示するのには反対です。その点は前節でも述べておりますし、あいびす様も同様の意見かと存じます。ふんにゃらにゃ様にもご同意頂いたと理解していたのですが…。『新選組水戸派読本』を提示したいのであれば、「独自研究」や「情報源の信頼性」についての議論を再度行う必要があると認識しています。--Hortensia 2008年11月3日 (月) 13:14 (UTC)


『新選組水戸派読本』までもが参考文献と受け取られかねない書き方は厳に慎むべきです。16日説のみの考察しかしていない独自研究に該当する著作をふんにゃらにゃ氏から当該史料の「出典・掲示」のみであればという提案に対して一定の理解を示したのですから

  • 16日説
    • 七年史(北原雅長:啓成社ほか)
    • 川瀬家文書(『新選組水戸派読本』-あさくらゆう著-に写真掲載)

これで十分ですし、補足が必要であるならば『川瀬家文書』に関する事でしょう。暗殺日云々の考察・検証・掲示方法はWikipedia上に違反しないレベルであればどのような書き方でも口を挟むつもりはありません。御両人及び第三者の介入を以って御納得されるまで論議すれば宜しいかと思います。--あいびす 2008年11月3日 (月) 13:27 (UTC)

  • Hortensia氏は上記に署名がありますのでよくご覧ください。同時に書き込んでいる内容ですので必ずしも末尾にはしていないだけということをご理解ください。
  • そうですね。あいびす氏が提示した部分に差し替えましょう。

と、いうことで結審した後、当該参考文献を削除ののち、節挿入に移る方向に進めたいと思います。--ふんにゃらにゃ 2008年11月3日 (月) 13:59 (UTC)

あくまで節にするとの編集に強く反対はしませんが、前節での合意に固持せずにwikipediaとしての記事の質を考えてご検討下さい。他の節と同列に扱うべき内容ですか?
また記述案の内容についてですが、前段の天候に矛盾が生じるとのくだりは独自研究にあたるのではないかと危惧しております。ちなみに16日説を採る研究家とはどなたでしょうか?その方の著作なりも載せたらよいでしょうが、あさくらゆう氏のみでしたらその部分も不要でしょう。
あと細かい重箱の隅をつつくようなことですが、「確定論はなされておらず」はおかしな言い回しです。「暗殺日は確定されておらず」でしょうか。さらに細かいことですが署名は文末にして下さい。どこまでが誰の発言なのかが分かり辛くなってしまいます。ノートでのマナーです。--Hortensia 2008年11月3日 (月) 15:10 (UTC)
  • あいびす氏のような具体例を明示せずにただ、「コイツは嫌い!」的な発言は偏見に満ちています。10月2日 (木) 14:57でJMS氏も言ってますが、読んでいるのに読んでいない振りするのは謹んでください。それをしないで文句だけでは解決策にはなりません。ちなみに文末に署名はしています。その下段に見本例を掲示しており、Hortensia氏はそれを認識しながら文句を言っています。悪人のような物言いは厳に謹んでいただきたい。ともあれ、てにをは的な本文に多大なる影響を思さないのを承知の上での文句なら、このまま結審いたします。--ふんにゃらにゃ 2008年11月3日 (月) 16:29 (UTC)

早く茶番は辞めていただこう。ふんにゃらにゃさんもこれでケリがついたらご退場願おう。ともあれ、Hortensiaさんは菊地明主宰の碧血碑のメンバーだろう(NIFTY時代のクルガンが確定しているので)。16日説を出してるのは菊地明のほうが有名なのはあなたが知らないわけがない。その文献も提示せずにゴネまわすのはうんざりだ。今度、わざとゴネるなら考えがある。これはふんにゃらにゃさんにも警告しておく。お互い実名を知りながら、ノートを長引かすのはwikipediaの恥と知れ!--221.243.86.106 2008年11月4日 (火) 12:08 (UTC)

221.243.86.106氏は何を意図して発言しているか理解に苦しみますが、誤解と偏見に満ち溢れた批判は決して許される行為ではありません。それに失礼ですが、貴方は各所の掲示板で問題を引き起こしているように見受けられます。何でしたらご自身でIPホストを検索してご覧ください。とにかく本趣旨とは異なる内容は今後削除するか、各個人のノートで主張なさなってください。--あいびす 2008年11月4日 (火) 13:35 (UTC)

まずは署名について。ふんにゃらにゃ様のコメントの後に私がコメントをすると、修正案を私が記述したかのように読めてしまいます。そのためunsignedのテンプレートを付記しました。文体や流れからある程度は判断できますし、履歴を見れば誰がコメントしたのか分かりますが、それでは第三者に対してあまりに不親切です。そのためwikipediaでコメントをする際には、必ず自分の記述の最後尾に署名をして下さい。

次に修正案への指摘が偏見とのご意見について。「Jms 2008年10月2日 (木) 14:57 (UTC)」のコメントが何故出てきたのか分かりませんが、ふんにゃらにゃ様が例示した修正案では「~16日説を採る研究家も登場した。」との後に16日説の典拠として『新選組水戸派読本』が提示されているため、この研究家があさくらゆう氏であると読めてしまいます。あいびす様の案に差し替えるのでしたらその部分が不要、もしくはその研究家の著作を載せるべきでしょう。ふんにゃらにゃ様の案を基に私なりの記述案を例示します。

  • 芹沢鴨の暗殺日については墓碑に倣い18日が通説となっていた。しかし明治期に発行された「七年史」や「川瀬家文書」等16日を暗殺日とする史料もあり、現時点においても暗殺日は確定していない。両日の典拠は以下の通りである。
    • 16日説
      • 七年史(北原雅長:啓成社ほか)
      • 川瀬家文書(川瀬教文:茨城県立歴史館所蔵、『新選組水戸派読本』-あさくらゆう著- ○○pに写真掲載)
    • 18日説
      • 壬生寺建立の墓碑
      • 新撰組顛末記(永倉新八:新人物往来社版)
      • 新選組遺聞(子母沢寛:中央公論社)

三つ目として記事の構成について。現状の記事の構成はこうなっています。

  1. 生涯
    1. 出自
    2. 天狗党
    3. 壬生浪士組筆頭局長
    4. 暗殺
  2. 人物
  3. 作品
  4. 参考文献
  5. 関連項目
  6. 外部リンク
ここの一番上のレベルに「暗殺日についての考察」という節を挿入するのは少し違うのではないかとの意見です。具体案としては、上に示した文を、
  • 「生涯-暗殺」内の次の文「18日説は『新選組始末記』『新選組遺聞』が採るものであるが、18日夜には降雨がなく、降雨があったのは16日であるとして、16日説を推す意見もあり、いまだ定説はない。」と差し替える。
  • 「生涯-暗殺-暗殺日についての補足」のようなサブサブセクションを挿入する。
  • 「脚注」に記し「生涯-暗殺」内の暗殺日にリンクを張る。(Jms様の案)
  • 「暗殺日についての考察」との仮題ではなく、例えば「未確定の情報」、「その他」のような節名とする(現状の暗殺日のみの記載では同レベルの節にする必要はないと思っています)。

等が考えられると思います。私は上2つのどちらかが良いと考えておりますが如何でしょうか?

最後に221.243.86.106様へ。私は菊地明氏も碧血碑という団体もNIFTY時代のクルガン(?)とやらも存じあげません。以前にもコメントがありましたが、どなたかと勘違いされておられるのではないでしょうか?少なくとも私は降雨の矛盾から暗殺日が16日であるとしている研究家や書籍を、残念ながら存じません。--Hortensia 2008年11月4日 (火) 15:24 (UTC)

  • 具体的例示ありがとうございます。一応これで3者の例示が出ました。
  • なお、私の意見は節を分ける~大分類される「生涯」の細目、「暗殺」の下に入れたいと思います。個人的な意見としては、内容はHortensia氏の意見を入れ、前段で提示した文面での挿入を考えています。これなら3者の納得できる折衷案になると思います。
  • なお、心情は察しますがご自身の関係のことは相手、ないしご自身のノートに導く方途をお採りいただけますようお願い申し上げます。あくまでも本ノートの内容とは関係ない意見は入れないよう願います。--ふんにゃらにゃ 2008年11月4日 (火) 17:24 (UTC)


あいびす様も特に異論はないようなので、それで本文の修正をお願い致します。申し訳ないのですが、私には何ページ目に写真が掲載されているか確認できないため。。

また今回の議論からは少し離れますが、上では現状の構成を基に提案しましたが、構成を多少変更することも考慮すると以下のような変更も考えられるでしょう。

  • 「人物」節を例えば「逸話」のように改名し、その中の一項として追記する。
  • (上の一番下の提案と同じですが)トップレベルの新しい節を作り、現状の記事内の「(内山を暗殺した者については異説もある)」 「子母澤寛の“新選組三部作”~史料的な正確さには」 「本庄かがり火事件~創作の可能性が」のような項目もそちらに移動する。

ただこれらは今ここで決めなければめならないようなものでもなく、今後記事を育てていく過程で修正すればよいことでもあります。この記事に関わったのも何かの縁ですし、本議論も収束したことですので、他の箇所も含めて時間のある時にでも修正していきましょう。その上で今後の執筆においては史書を直接の引用元とするのは避け、現状記事内の引用元も出来る限り置き換えていきましょう。史料からの直接の引用(一次情報への参照)も場合によっては重要ですが、基本的にwikipediaでは信頼できる二次情報から引用するということを心に留めて下さい。言うまでもないことでしょうが、歴史関係では史料批判が非常に重要です。--Hortensia 2008年11月6日 (木) 14:28 (UTC)

  • とりあえず、一定期間を置きましたが、異論がなかったようですので、本文に挿入いたしました。なお、「参考文献」は「典拠した文献」と書き改めました。
追記部分以外をしっかり確認していなかったのですが、参考文献に『新選組読本~隊士外伝』がまだ残っていたため削除させて頂きました。前節、ノート:芹沢鴨#玉造町観光協会発行物についてでの議論において、「参考文献」からは削除することになったと認識しています。--Hortensia 2008年11月18日 (火) 13:07 (UTC)


ノート:芹沢鴨#玉造町観光協会発行物についてですが、私は限定付きで問題ないと認識しておりますが、どの辺でHortensia氏の主張されている内容が読み取れるのでしょうか。これはふんにゃらにゃ氏の主張のが筋が通っています。

ただ『新選組読本~隊士外伝』を参考文献から削除する点は同意見です。理由は文節の各所に「?」など疑問符が挿入されており、著者本人すら判断に迷っている著作を参考文献としての認めるわけにはいきません。確かに掲載されている写真については一定の価値・評価を認めますが、それでは『内容の精度に関わらず、写真の掲載があれば参考文献となり得る』という暴論まで成立しかねません。これは『読本』とは異なる性質の問題です。--あいびす 2008年11月19日 (水) 11:49 (UTC)

反対です。ふんにゃにゃさん、JMSさん、Hortensiaさん、あいびすさんがノート:芹沢鴨#玉造町観光協会発行物についてを話し合われて、長期間をかけて話されて、ようやく解決しています。それを発言メンバーみずからが「それはなしよ!」では本末転倒です。他のメンバーから指摘があったときに考えるべきことです。ですのでふんにゃらにゃさんの意見に賛同したというより、wikipediaの倫理としてそのまま残すべきでしょう。ただし、他のメンバー、たとえば多数の記事を扱っているウィキペギアンが指摘して議題に挙がるのにはやぶさかではありません。そうしたらまた、皆様で議論すればいいことです。--小甲公裕 2008年11月25日 (火) 15:49 (UTC)

登場するフィクション作品について

履歴を見ると、以下の部分が雑多な記事として削除されていました。

  • その他作品
  • 映画
  • 新選組(1969年、主演:三船敏郎)芹沢役:三国連太郎
  • 炎のごとく(1981年、主演:菅原文太)芹沢役:川合伸旺
  • TVドラマ
  • 燃えよ剣(1970年、主演:栗塚旭)芹沢役:名和宏
  • 新選組始末記(1977年、主演:平幹二朗)芹沢役:高松英郎
  • 壬生の恋歌(1983年、主演:三田村邦彦)芹沢役:財津一郎
  • 漫画
  • 壬生の狼 新撰組初代局長芹沢鴨(2010年) 沢本英二郎(iPhone用電子書籍)
  • ゲーム
  • 薄桜鬼~黎明録~(2010年):中田譲冶(IDEA FACTORY/DESIGN FACTORY)
  • 演劇
  • TEAM NACS第10回公演 『LOOSER~失い続けてしまうアルバム』(2004年)芹沢役:安田顕

しかし、私には現在残されている記事のほうが雑多に思います。他の人物の記事では、作品名、役者や声優、簡単な説明のみで、その作品でどう描かれたというようなことはいちいち書いてありません。そのため、消された部分が雑多な記事だとは思いません。 そこで、この消された部分を復活させ、現在の記事の余計な説明を削除したいと思っています。皆様のご意見をお聞かせいただければ幸いです。 --そご猫 2011年1月12日 (水) 20:49 (UTC)そご猫

  • 一週間以上経ちましたが、意見が得られないようなので、他の人物の記事を参考に余計だと思う記事をを削除し、上記の部分を復活させました。このことに関して意見がある場合はノートでお願いいたします。--そご猫 2011年1月21日 (金) 23:42 (UTC)そご猫


終わった話だと思いますが履歴としてわかりやすくすることを目的に指摘をしておきます。

その後、フィクション作品のリストは、利用者:彩華1226会話 / 投稿記録 / 記録さんによって、そご猫さんの編集を含め全てを除去されました[2]。--Bellis会話2013年3月3日 (日) 04:50 (UTC)