ノート:芥川龍之介
ここは記事「芥川龍之介」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
生まれた時間について
[編集]生まれた時間は 辰ではない可能性があります。 亥の可能性があります。 壬辰年 壬寅月 壬辰日 辛亥日・・・ http://klklklkl.hp.infoseek.co.jp/mizunoeee-iiiiiiiii.html 彼の天命は 秀にして悪死と記載されています。ピッタリです。--以上の署名のないコメントは、220.97.242.36(会話/Whois)さんが 2003年8月13日 (水) 11:42 (UTC) に投稿したものです。
時刻はともかく、生れ月が辰ではなく寅というのはどこから出てきたのでしょうか。十二支にも書いている通り、3月に配当された十二支は辰です。また、1892年3月1日を旧暦換算すると2月3日で卯月です。(逆に3月1日が旧暦の日附なのかもと思って調べてみましたが、明治25年3月1日(旧暦)を新暦に換算すると3月29日でした。)3月1日という誕生日自体が誤りなのでしょうか。
そういえば、生れ時刻が辰ではないというのは、何かで目にした記憶があります。nnh 07:15 2003年11月6日 (UTC)
生まれた時刻は辰(午前八時ごろ)ではないでしょうか。--以上の署名のないコメントは、221.241.141.151(会話/Whois)さんが 2008年7月13日 (日) 13:48 (UTC) に投稿したものです。
「その他」に「当時は軍が著作物の検閲をするのが通常であった」とありますが本当でしょうか。--以上の署名のないコメントは、61.124.176.168(会話/Whois)さんが 2008年9月13日 (土) 01:43 (UTC) に投稿したものです。
「自著にて天照大神を登場させる際、別名の「大日孁貴」(おおひるめむち)を用いた」とありますが、具体的にはどの著作での事ですか?―ナハトガル--以上の署名のないコメントは、ナハトガル(会話・投稿記録)さんが 2011年8月7日 (日) 17:00 (UTC) に投稿したものです。
生れ月が辰ではなく寅と記述された方は4月の異称である卯月と干支の卯月を混同してるのではないでしょうか? 卯月が4月だから3月は寅月だろうと勘違いしたとすれば納得できます。 いずれにしても3月1日生まれが正しければ寅月生まれというのは明らかに間違ってます。--soleil-lune(会話) 2012年10月31日 (水) 12:13 (UTC)
「文芸家たらんとする諸君に与ふ」について
[編集]「文芸家たらんとする諸君に与ふ」という小文において、数学や体操を勤勉に学ばなければよい文芸家にはなれないと述べている[1]。
とありますが、これは前後がありまして、数学を学ぶことと体操を学ぶことの重要性を述べ国語作文を冷淡にするように述べた後、「予亦然く中学時代を有効に経過せざりしを悲しみつつあるものなり。」とあります。 ようするに芥川自身は数学や体操をあまり勤勉に学ばずにいたということで一種の皮肉だと思われます。(しかも実際寄稿した雑誌の編集者がそのようなことを書いています。)この最後の文を載せずに数学や体操を学べと言うところだけ引用するのは芥川の意図に反する内容になると思いますが どうでしょうか。岩波の芥川全集4巻参照。初めて書き込みます、書き方があまりわかっていないので、その点ご容赦ください。--大生120.74.41.224 2009年3月19日 (木) 11:40 (UTC)
芥川龍之介が塚本文子と結婚したとされる年は大正7年(1918)2月2日ではないのでしょうか。『芥川龍之介必携 特装版』(三好行雄編、1993年6月1日初版、學燈社)を参考にしています。--以上の署名のないコメントは、61.206.220.187(会話/Whois)さんが 2009年12月7日 (月) 13:40 (UTC) に投稿したものです。
芥川龍之介の写真について
[編集]この写真の原典としているWebサイトのURLは Not Foundです。写真自体は著作権が切れているでしょうが、出典元自体が不明で、使用許諾の有無が検証できません--Mariemon 2010年6月1日 (火) 06:17 (UTC)
義父の名前(塚本某)について整合性が取れていません
[編集]現時点では、塚本能五郎と記されています[1]。一方、他の親族関係の記事では塚本善五郎となっています(例:息子の芥川比呂志の記事[2])。とりあえず「記事間で整合性が取れていない。どうやらこの芥川龍之介のみがおかしなことになっている印象がある」ことを指摘しておきます。--Bellis(会話) 2012年3月25日 (日) 04:29 (UTC)
- 報告この記事へ加筆された経緯を確認しました。
- 最初の加筆:2007年2月24日 (土) 08:59(UTC)
- テンプレートへの加筆:2008年11月8日 (土) 07:29(UTC)
- まる5年以上「塚本能五郎」が義父の名前とされていたようです。なお、表記の食い違いはどの文献によるものなのかを調べる心当たりもないので、私はこれ以上関わるつもりはありません。--Bellis(会話) 2012年3月25日 (日) 05:04 (UTC)
『一塊の土』、プロレタリア文壇について
[編集]作品の変遷の晩年に 「一塊の土」など、これまでと比べ現代を描くようになるが、台頭するプロレタリア文壇にブルジョア作家と攻撃されることとなる。この頃から告白的自伝を書き始める(「大道寺信輔の半生」「点鬼簿」など)。 とありますが、「現代を描くようになったためにブルジョア作家と攻撃されることとなる。」という風に受け取れてしまうのですが、「『一塊の土』が農民の生活をリアルに描いたものだったため、ブルジョア作家と攻撃されることとなる。」のではないでしょうか。(注:前後の文脈は考えていません。) また、「ブルジョア作家と攻撃され、それを乗り越えようと告白的自伝を書き始める。」のではないでしょうか。(注:前後の文脈は考えていません。)
「プロレタリア文壇」のリンクを「プロレタリアート」ではなく「プロレタリア文学」にするべきではないでしょうか。 ご意見、お願い致します。--syrupy-syrupy(会話) 2016年1月9日 (土) 12:05 (UTC)
- むしろ『一塊の土』に関して言えば、生活や労働の描写に重みをおかない作品で、現実とは乖離(貯金三千円など)していたのではないでしょうか。この作品そのものよりも、彼の作風を「小ブルヂョア」的だとを批判されたのではないかなぁと思いますが、この節に出典がないので判断しかねます。具体的にプロレタリア文壇の誰に、何によって批判されたのか記されていれば検証できるのですが……。これやこれは参考になるかとも思ったのですが、少し後になってからの話ですね。
- 「プロレタリア文壇」の内部リンクに関しては同意します。これは変更しても良いのではないでしょうか。--Strangemist(会話) 2016年1月13日 (水) 03:29 (UTC)
『誘惑』の項目執筆依頼
[編集]いまだ、『誘惑 (芥川龍之介の小説)』の項目が存在しません。当方完全な専門家というわけではなく、この項目を執筆する能力はありません。どなたか、これを書ける能力のある方がいらっしゃいましたら、なにとぞ執筆をよろしくお願いします。--けつあな確定(会話) 2022年11月16日 (水) 09:12 (UTC)