コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:芋煮会

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

見出しについて

[編集]

「日本一の芋煮会フェスティバルだよん」という見出しがありますが、これはWikipediaとしてふさわしくない表記では?--219.167.39.81 2005年9月25日 (日) 14:50 (UTC)[返信]

芋煮会の開催時期について

[編集]

芋煮会についてお聞きします。記事を読むと行事としての開始の時期は掴めるのですが、終息する時期が分かりません。特定日ということは無いと思いますが、おおまかでいいのでその時期を教えていただけると助かります。--ととりん 2006年10月8日 (日) 10:00 (UTC)[返信]

仙台では学校が2期制なので、新学期が始まって落ち着く10月中旬~11月中旬がシーズンだと思います。勿論、その前後でもやっているグループは存在しますが、年によって秋休みの時期もズレますし、寒かったり暖かかったりするので、シーズンも微妙にズレます。仙台の芋煮会の中心地である広瀬川河川敷では、川に飛び込む学生が散見されるので、飛び込みたい学生たちは川に飛び込んでも大丈夫な10月にやっています。なお、三陸海岸ではサンマ、宮城県沿岸部でははらこ飯シーズンと重なるため、「芋煮会」と称さなくとも屋外で大勢でご飯を食べるようなことが多い時期です。 もね~るmoner 2006年10月11日 (水) 16:51 (UTC)[返信]
大変参考になりました。メインページの「季節の話題」で芋煮会をいつ外すか悩んでいたのですが、その頃にしたいと思います。それでは。--ととりん 2006年10月12日 (木) 15:43 (UTC)[返信]

学校行事としての芋煮会

[編集]

1960年代末頃、山形県の一部の小学校などではすでに全校行事として芋煮会が河原で行われていました。たぶんもっと早いところもたくさんあったと思います。記録を見つけるのは大変だと思いますが、起源の推測も根拠のある推測ということであれば資料などをご教示いただければと思います。さらに途中経過には疑問を感じます。

一例としては http://www.town.nakayama.yamagata.jp/nakayama_machi/shoukai/zukan2.htm http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/jiman/ji_ji_06101901.htm http://www.maruuo.co.jp/nihonichi_imonikai.htm http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi?panel=detail&d01=95957474216599 など起源をまったく異なったものとしているサイトもあります。これが正しいかどうか判断する材料は私にはありませんが。

「芋煮」には複数の山形県起源説がありますが、いずれもその「起源」から連綿と続いてきたという説明・証拠がなく、飽くまで「野外で鍋を囲んだ」という歴史的事実の域を出ません。そのような事実なら、会津にも近世の「きのこ山芋煮」という歴史的事実があります。また、山形起源説は、日本一の芋煮会フェスティバルの正統性を理論武装するのに使われ、いつのまにか「芋煮」まで「山形から他地域に伝播した」と信じる者まで出てきました。現段階で「山形から他地域に伝播」した証拠はなく、そうだとしても「芋煮」が他地域でなぜ「鍋っ子」や「芋の子」などと呼ばれているかの説明もないため、「山形から他地域に伝播」との記載は削除しました。
芋煮や芋煮会の歴史については学術的な調査・研究があまりないため、俗説が闊歩する傾向があり、また、フェスティバルにあわせて歴史の掘り起こしをした山形が、(会津の芋煮の歴史も無視して)広域的な調査なしに「起源」を語っているので、この記事ではそれらの「起源」を記載するのをやめ、「江戸時代に農村部で少人数で行われていた収穫祭的な野外鍋パーティ」との記載に留めています。
いつ頃から都市部で「芋煮会」が行われていたか、については、NHK仙台放送局の東北地方全自治体アンケート調査では、明治時代の松方デフレ期(1880年代)から始まったという自治体と、戦後の高度経済成長期(1950年代半ばから1970年代初頭)から始まったという自治体の2群に分かれたそうです。松方デフレ期から連綿と芋煮会が続いてきたのかどうかは不明なので、現代的な「芋煮会」は高度経済成長期からとの記載になっています。「1960年代末頃、山形県の一部の小学校などではすでに全校行事として芋煮会が河原で行われていました。」とのことですが、それが山形起源説には直接繋がりません。
いずれにせよ、山形起源説は町おこし的な調査の域を出ず、広域的視野に立った学術的なレベルではないため、会津起源説とともにこの記事で取り立てて記載するのはやめています。
なお、この記事では、NHK「なっトク!古今東北」の「秋深し“いも煮学”探究」の放送を出典としている部分が多くあります。もね~るmoner 2007年2月10日 (土) 22:11 (UTC)[返信]

いや別に私は山形起源が正しいとか山形起源派だというわけではありません。単純に一体験を延べただけです。また、歴史については具体的な文献などの資料とかも皆無な以上まったく根拠がないことがわかったのでとくに「都市化」の部分など一切削除するべきだと思いますがいかがお考えでしょうか。


うーん、都市化については「感覚的」に文面に同意できるが。文献資料などに思い当たらないので、当面はCOすることには同意する。<仙台人--Los688 2007年11月17日 (土) 15:40 (UTC)[返信]

「都市化」の項はNHK「なっトク!古今東北」の東北全市町村アンケートの結果を参考に私が書きました。アンケートによると、明治期に、山形県のみならず東北各地の都市部で散見されていたようです。ただ、都市部で盛んになったのは高度経済成長期以降とする自治体が多かったので、そのように書きました。他の文献は知りません。
「起源」の方に書かれた「明治20年代に山形で芋煮会をしている写真が存在する」というのは、松方デフレ後の「都市化」に合致しており興味深いですが、山形(村山地方)の芋煮レシピが他地域に全く伝播していないことから、山形を起源とする根拠にはならないと思います。なので、該当部分をCOします。もね~るmoner 2007年11月17日 (土) 16:35 (UTC)[返信]

写真の件は共有地域の共存の考えから歴史的慣例行事としての文献等と一緒に出されるまでは私もCOを支持します。 但し、もね~るmonerさんの様に山形の方を引きおろす様な書き込みは一般人が閲覧する上では必要と感じられませんのでその場合は適正に修正or COさせて頂きます。 Tenmams 2007年11月19日 (月) 22:26 (UTC)[返信]

手直ししました。編集お願い致します。私事ですが、うちは「山形風芋煮」派です。もね~るmoner 2007年11月24日 (土) 23:00 (UTC)[返信]

里芋の早期使用に関してはどの県でも県内産のみというのは生産者などに限られると思いますので一般的に県外や輸入物を使うという認識でよいのでは? 都市部で芋煮会が活発に(春の花見の様に)行われていると言う事が現状に無いのでNHKのアンケートはどうしても 仙台のみの現象と類推させてしまいますのでその他に簡略して載せてみます。 ある意味で現在の芋煮会は学業に組み込まれたものを経験した人達によって行われていると思います。Tenmams 2007年11月30日 (金) 5:23 (UTC)

「都市化」の項は、昭和の話であって現状ではありません。そのため、「都市部で芋煮会が活発に(春の花見の様に)行われていると言う事が現状に無い」との理由は論理破綻してますよ。
それと、「東北地方全市町村アンケート」の結果が仙台のみの現象を類推させる、とのことですが、Tenmamsさんは「都市部=仙台」と思い込んでいらっしゃるのではないでしょうか? 私は、「市部」「郡部」に関わらず、市街地が形成されている所として「都市部」という言葉を使っています。そのため、山形市や米沢市などの山形県内の市街地も当然「都市部」に含まれます。
芋煮会は学業に組み込まれたものを経験した人達によって行われている」とのことですが、それは、「学校行事の1つとして芋煮会が始まり、一般化して発展した」ということでしょうか? 芋煮会を学校行事で経験した年代が現在の芋煮会の中心的メンバーであるとは思いますが、芋煮会が学校行事として取り込まれた経緯は、やはり都市化と関係あると思います。
私は、芋煮会は以下のような経緯があったと思います。
  1. 都市化による農村から市街地への人の移動により、農村の営農集団単位型収穫祭が市街地に持ち込まれる。→
  2. 当時の住居は木造であり、当時の東北地方の市街地と言えば木造住宅密集地だった。その木造住宅密集地で、酔っ払いながら集団で火気を使用すると火事の原因となるため、市街地の水辺(河原)で芋煮会が行われるようになる。→
  3. 高度経済成長の終焉で、まだ利幅の大きい地方に東京資本が流入 →
  4. 東北の市街地の歓楽街に東京資本が飲食店ビルを建設したが、大きなマーケットである芋煮会を飲食店が取り込もうとする動きは無かった。そのため、東京への流出が減り、東北地方の都市部の人口増が起きたこの時期に、河原の芋煮会はピークとなる →
  5. 多様化の過程で、旅館やアウトドア施設が「芋煮会」をビジネスとして取り込み始める。ドーナツ化現象により、郊外に居住する芋煮会参加者の動線が延長したこと、市街地の河原はモータリゼーションに対応しなかったため駐車場不足に陥り、郊外居住者が駐車場完備あるいは送迎付きの旅館やアウトドア施設を芋煮会場に選ぶようになったことなどにより、河原での芋煮会は競争力を失って減少傾向となる。→
  6. 河原での芋煮会が下火になったこと、政府のふるさと創生事業(昭和63年~平成元年)に触発されて町おこしが活発化したこと、芋煮会が大きなマーケットであったことなどから、平成元年に相次いで「官民共催の芋煮会イベント」が開始される。 →
  7. 日本一の芋煮フェスに触発されて、山形でのみ芋煮の歴史の掘り起こしが始まる。その際、村山地方以外の芋煮の歴史を鑑みない歴史が作られ、山形が芋煮の発祥とする曲解が広まる。
  8. 「芋煮」自体の商品化が始まる(山形風芋煮のカップラーメン発売。仙台風芋煮をホテルのレストランのコース料理の一品に含めるなど)。
この内、確からしい部分のみをピックアップして本文に記載してきました。私には主に東北各地の血が流れており、山形県村山地方や庄内地方もルーツに入ります。そのため、山形に与したい気持ちもある一方で、Wikipediaが百科事典であることから、山形の一方的な主張で書かれた出典を用いると、中立性が崩れてしまって問題だと思っています。--もね~るmoner 2007年11月29日 (木) 21:48 (UTC) --(一部修正)もね~るmoner 2007年11月30日 (金) 01:24 (UTC)[返信]

川原、沼や湖の岸辺でやる意味は火気の意味だけではなく岸の粘土層の土手や大きめの石などで 即席の竈が造れるからです。後でコンクリートブロックなどに置き換わりましたが。 芋煮会に「都市化」の様な文が必要ですか?芋煮会にピークとか村から街へとかそういう現実に当てはまらない 長ったらしい文が。現在の芋煮会に拘るなら尚更、学業に導入された経緯の方が重要です。 「山形の一方的な主張で書かれた出典を用いると、中立性が崩れてしまって」<崩れません。 何故なら芋煮会は山形と言う認識が既にあります。山形が他の県の芋煮会は偽物だと主張していますか? もね~るmonerさんがかってに興奮しているのがこのノートの記述でも良く判ります。Tenmams 2007年11月30日 (金) 22:19 (UTC)[返信]

ネット投票では組織票が見られたので<あの程度で組織票とするなら都心周辺の料理がもっと上位に取り上げられてもおかしくない筈。少なくてもノミネートされていないものを裏事情で挙げられてもどうかと思います。こういう風になると思って順位などは書かなかったのに。Tenmams 2007年12月22日 (土) 15:02 (UTC)[返信]

  1. 「山形の一方的な主張で書かれた出典を用いると、中立性が崩れてしまって」<崩れません。何故なら芋煮会は山形と言う認識が既にあります。山形が他の県の芋煮会は偽物だと主張していますか?(Tenmams)
    日本一の芋煮フェスティバルの開催で山形は確かに芋煮会文化を維持・発展させてますが、それを以ってこの記事の初期の版では芋煮や芋煮会について「山形が本場」「山形発祥」のように書き込まれていて、「他県に伝播した」とまで書かれてました。山形では芋煮の歴史の掘り起こしをして理論武装してますが、芋煮が広く他県でも行われていることの説明になっておらず、中立性が見られません。
  2. ネット投票では組織票が見られたので<あの程度で組織票とするなら都心周辺の料理がもっと上位に取り上げられてもおかしくない筈。(Tenmams)
    私が組織票と言ったのは、「やまがたアグリネット」のこのページを指して言ったのではありません。中間結果の順位と最終結果との間の乖離が大きいこと、投票総数が投票人数の6倍(1人あたり平均6票)では組織票を投じることが出来ること、最終結果の上位品目が特定の県(鹿児島3品、愛媛2品など)で占められていることなど、組織票があった疑いが濃厚で、順位に意味を持たせることが出来ないということです。しかし、ノミネートされた品目は、少なくともその土地で郷土料理として認知されているものなので、そこについては意味を持たせることが出来ます。
    なお、組織票がなければ人口が多いところの品目が上位になり易いので、三大都市圏の品目が上位を占めるはずです。そうじゃないから組織票の可能性を疑っているのです。
  3. 少なくてもノミネートされていないものを裏事情で挙げられてもどうかと思います。(Tenmams)
    ノミネート品目はここで見ることが出来ます。その中から芋煮関連の品目を拾うと、
    岩手 いもの子汁、芋煮
    宮城 いも煮、仙台いも煮、味噌いも煮
    秋田 きりたんぽ鍋、だまこ鍋
    山形 いも煮
    福島 いも煮
    群馬 豚汁
    埼玉 芋煮
    となります。「ノミネートされていない」とか「裏事情」って何ですか?
  1. こういう風になると思って順位などは書かなかったのに。(Tenmams)
    Tenmamsさんの気持ちを汲んで、インターネットの得票順位は書かないことにします。--もね~るmoner 2007年12月28日 (金) 23:00 (UTC)[返信]

一般の人が見る辞書に書く様な事では無い事をお書きになりたいのであればご自身のホームページで書かれてはいかがですか?ノミネート以外のご推薦を挙げたり、組織票や「山形の芋煮が~」の様な見る人に必要な事ですか?あなたが書き込みを始めた時点では発祥を書く人は居ないのに過敏に反応して争論を起こしています。「山形発祥」、「他県に伝播した」と書く訳は昭和40年代中期にNHK等のテレビで秋に取り上げる際にそれまで芋煮会として採りあげられていなかった宮城県の芋煮会が取り上げられる様になり一部の山形の人々は宮城県がマネをし始めたと思いそれがやがて福島県のも採りあげられる事情をテレビを通してみているからでしょう。ついでなので郷土料理百選1位から3位のものはそれぞれに簡潔に書きました。ずんだの方は消します。Tenmams 2007年12月30日 (日) 1:21 (UTC)

概要の後段部分について

[編集]

「なお、芋煮会用サトイモの需要期には県内産のみでは供給が足りないため、県外産や輸入物も用いられるが、イベントなどでは地産地消を進める動きもある。」とありますが、どの県を指しているのか分かりません。 暗に山形県を指しているとすれば、東北地方の行事として扱われていませんし、そうでなければ記事の主旨が分かりません。 地域によってはジャガイモもあるので、山形県の一部に偏った記述と思われます。

項目削除

[編集]

きりたんぽ鍋など、明らかに芋煮会と異なるものを削除させて頂きました。 岩手の芋の子や、秋田の鍋っ子を芋煮と分類するのは流石にだめでしょ。全面的な改定を望みます。

「起源」の問題のある記述について

[編集]

みなさま、編集作業お疲れ様です。歴史節の中に「起源」という部分がありましたが、問題があると思われ、とりあえず除去しておきました。この部分、サトイモの日本への伝来とサトイモの特性をそれなりの文量で解説して、最後に「民俗学者の野本寛一は、芋煮会はこのようなサトイモの収穫祭が発展したものではないかと述べている[1]。」と締めていました。ここを見て私は「起源」の記述全てが、野本氏に基づくものと思い、納得してしまいました。しかし、添えられている出典を見てみたところ、書かれていることが全く違っていました。出典で書かれているのは次の通りです(以下、当該記事より引用)。

  • そもそも「いも煮」のルーツは何か?各地に様々ないわれがある。山形・中山町では、江戸時代、最上川の船頭達が積み荷の棒タラと地元のサトイモで鍋をしたのが始まりとされる。福島・会津では、松茸等が採れた「きのこ山」で鍋をしたのが起源といわれる。これに対し、民俗学者で近畿大学教授の野本寛一さんは、「いも煮会」はサトイモの収穫祭が発展したものではないかと考えている。
  • サトイモは東北になくてはならない食物だった。江戸時代の農業書「会津農書」には、「イモは主食」とあり、度々襲うコメの不作に備え、栽培を奨励している。東南アジア原産で、寒さに弱いサトイモを越冬させるため、先人達はもみ殻で保温するなど工夫を重ねてきた。奥会津の金山町・玉梨地区では、大切なサトイモを残してくれた先祖への感謝を込め、必ず彼岸の中日に掘った初物を煮物にして仏壇に供える。

記事の履歴を見ますと、もともと無出典でサトイモの特性などが書かれていたところ、2007年12月28日に「野本寛一はこのように述べている」と付け加えられ、さらにその後、無出典で加筆が行われたようです。しかし、この書き方は無出典の記述なのに野本氏を出典として偽装するものです。悪質な行為であり、このままでは信頼性も担保できないことから、いったんここの記述を取り払った方がよいと考えました。生活文化関連、特に地方の郷土料理に関する研究はないか非常に限られており、ウィキペディアで芋煮の起源について詳細な記述をするのは難しいかもしれませんが、かといって出典を偽ってまで記述する行為をしてはダメでしょう。--静山会話) 2024年10月14日 (月) 08:54 (UTC)/引用を明確化--静山会話2024年10月14日 (月) 11:50 (UTC)[返信]