ノート:舎利弗
舎利弗の画像について
[編集]京橋氏によって私ののノートページ(利用者‐会話:Ryo_625#画像の差し替えについて)に以下のコメントが寄せられました。
ここで、舎利弗の画像について議論をしたいと思います。 私Ryo 625は「画像を差し替えたのは、日本や中国において羅漢像は一般的に美的とは言い難い容姿で描かれるからです。」とお答えしました。 京氏はどこの、だれの像か分からないというのを問題点として挙げていますが、そもそも剃髪していることからBuddhaや釈迦その人ではないことは明白です。仏弟子であることも明白です。また、仏弟子の像作例に決まった様式はなく、「絶対に舎利弗ではない」という問題点もありません。私は以前にも申し上げた「日本や中国において羅漢像は一般的に美的とは言い難い容姿で描かれる」という点からも、今回の氏の貼り付けられた画像は当該記事の対象について悪印象を与えるものだと考えます。--Ryo 625(会話) 2023年11月6日 (月) 17:26 (UTC)
- 「美的とは言い難い容姿」という点に拘っておられますが、少なくとも私からすれば、どちらが「美的とは言い難い容姿」かでいえば私が提示したものがそれに該当するかと考えます。またあなたの主張は検証可能性を非常に軽んじているものでwikipediaで許容されるものではありません。--京橋(会話) 2023年11月6日 (月) 17:34 (UTC)
- 返信 今回の画像が、特に同時代のポートレートがまったくない過去の人物の画像について、Wikipediaのガイドラインのどの点に反するか、詳しくご教授お願いいたします。ご指摘いただければ従います。--Ryo 625(会話) 2023年11月6日 (月) 18:18 (UTC)
- その画像が舎利弗であるという根拠が存在しないものを舎利弗と言い張るのはWP:VやWP:NORに反しています。ちなみに同じ像の画像が目連としてもアップロードされています。この像が舎利弗と証明できるものがなければ議論にすらなりませんよ。--京橋(会話) 2023年11月6日 (月) 18:25 (UTC)
- 返信 了解しました。当該画像はとりあえず出自の明らかなものに差し替えました。次に大乗仏教圏の羅漢像は「大乗経典の舎利弗」に記載するのが筋だと思うのですが、これについてはどうでしょうか?--Ryo 625(会話) 2023年11月6日 (月) 18:31 (UTC)
- 出自の明らかなものと仰いますが、ホノルル美術館のコレクションをいくら探してもその像は出てきませんでしたよ。「大乗経典の舎利弗」に記載するのが筋というのは仰っている意味がわかりません。「舎利弗」と「大乗経典の舎利弗」が別物であると主張したいなら、まずその根拠となる文献を提示してください。--京橋(会話) 2023年11月6日 (月) 19:50 (UTC)
- 返信 正確には原典には所有はHonolulu Academy of Artsとあり、美術館で展示されるのは展覧会がある時だけですね。撮影者は投稿者自身ですし。オンライン・コレクションやHighlightsに記載されてないから所蔵されていないということではないでしょう。HPには所蔵品すべてのカタログはないようです。まず、舎利弗は上座部で信仰されている僧侶であって大乗仏教圏ではそうではありませんね。『般若心経』でいえば信仰されているのは舎利弗ではなく観音菩薩です。一応、大乗文化圏の作像なのでそちらに置くのではダメですか。--Ryo 625(会話) 2023年11月6日 (月) 20:17 (UTC)
- 所蔵されているかどうかではなく、検証可能性を問題にしているわけです。出所も作者もはっきりしている作品を差し置いてまでして使用する根拠が不足しています。神仏ではなく僧侶として扱っている記事に対して信仰の有無を重要視する意味がわかりません。「大乗経典の舎利弗」節が独自研究的な色合いが強いことに加え、上座部仏教における信仰について記事中で一切言及がないではありませんか。繰り返しになりますが、このノートでの議論にしても、記事を加筆するにしても、まずは適切な出典を示してください。--京橋(会話) 2023年11月7日 (火) 06:15 (UTC)
- 返信 ガイドラインを読んだ限りでは画像の検証可能性が問題になるのは、たとえば「生前のヒトラーとチャールズ・チャップリンは密かに親交があった。」等の記述があり、その証拠として「ヒトラーとチャップリンが握手している画像」が貼り付けられる場合のように読めますが。画像自体が独自研究というようには見えませんでした。オリジナルの画像が推奨されていた点からも、ここらへんには明確なガイドラインが未だ確立されていないように見えます。--Ryo 625(会話) 2023年11月7日 (火) 12:34 (UTC)
- コメント依頼から来ました。この祖師像を舎利子(舎利弗)だという根拠もないのに舎利弗の像だとしてウィキペディアに載せてはいけないでしょう。Ryo 625さんがこの像になんらかの良さを見出しておられるのかとも思いますが、ちょっと私には分かりませんでした。
- それから、この像、最近のものに見えます。著作権などは問題ないのでしょうか。
- そもそもRyo 625さんに伺いたいのですが、
- 「舎利弗は上座部で信仰されている僧侶であって大乗仏教圏ではそうではありませんね。」というのは誰の説なんでしょうか。本があるのならそれを出していただきたいです。いささか信じがたいです。羅漢信仰というのが大乗仏教でございまして、舎利弗も羅漢の一人ですから当然古くから信仰されておりますし、例えば興福寺の釈迦十大弟子像(国宝)などもございます。特に禅宗では羅漢信仰がかなり根強いようで、梅原猛氏に『羅漢』(講談社現代新書)というそのものズバリの専著もございます。梅原氏によると江戸時代に禅僧や武士の間でかなり羅漢信仰があり、藤堂高虎が作らせた十六羅漢像が南禅寺にあるそうです。舎利弗も信仰対象だと思うのですが。
- >『般若心経』でいえば信仰されているのは舎利弗ではなく観音菩薩です。
- これも独自研究ではないかと…松原泰道氏(『般若心経入門』)・宮坂宥洪氏(『真釈般若心経』)は舎利弗は修行者の象徴だといっておられるので、勿論観音信仰は根強いとは思うのですが、舎利弗が信仰されていないとも思えないです。舎利弗をけなしているのは『法華経』提婆達多品くらいではないでしょうか。--常陸のクマさん(会話) 2023年11月7日 (火) 14:37 (UTC)
- 返信 常陸のクマさんさん、根拠もないと仰いますが一応、所蔵者は示されていますし、そこは信用するしかないでしょう。最近のものといいますが、19世紀のもので、だいたいこの年代のビルマの像はこんな感じです。現代のものはもっとチープで真っ白い色だったりします。羅漢信仰は禅宗だけの特殊なもので、一般的ではないと思います。むしろ愛染明王や勝軍地蔵の方がはるかに信仰を集めたのではないでしょうか。--Ryo 625(会話) 2023年11月7日 (火) 18:33 (UTC)
- Ryo 625さん、まずはご返事ありがとうございます。
- >根拠もないと仰いますが一応、所蔵者は示されていますし、そこは信用するしかないでしょう。
- それはいささか危険ではないかと存じます。既に京橋さんも言われている通り目連の像という記載もあるようです。
- 「そこは信用するしかないでしょう。」は無責任すぎるのではありませんか。また、ウィキペディアに画像を載せた方が誤っていないと断言できるものでしょうか。
- >最近のものといいますが、19世紀のもので、だいたいこの年代のビルマの像はこんな感じです。現代のものはもっとチープで真っ白い色だったりします。
- Ryo 625さんは基本的に根拠レスでお話されているようですが、その情報のソースを頂けませんと判断のしようがございません。
- >羅漢信仰は禅宗だけの特殊なもので、一般的ではないと思います。
- そういっている方がいるのでしょうか。それも考えにくいお話です。羅漢信仰は禅宗で強いですが、他の宗派で信仰していないわけではありません。むしろ寺によっては相当な信仰があります。
- 例えば長野善光寺(無宗派ですが管理は天台宗と浄土宗)の賓頭盧尊者像は先日盗難されて大騒動になりましたが、あれは羅漢です。撫で仏信仰がなければあれ程騒ぎになりませんよ。川越喜多院の五百羅漢像も有名ですがあそこも天台宗です。浄土宗増上寺の狩野一信筆の羅漢画像はどうでしょうか。
- また舎利弗については日蓮の大曼荼羅で「南無舎利弗尊者」という記載がございます。ことほどさように禅宗以外でも信仰対象なのは明らかです。日蓮の講義録『念仏無間地獄抄』では「舎利弗尊者、阿弥陀経を打捨て法華経に帰伏して華光如来と成り畢んぬ。(中略)阿弥陀経の長老舎利弗は千二百の羅漢の中に智慧第一の上首の大声聞・閻浮提第一の大智者なり肩を並ぶる人なし」とあり、日蓮が舎利弗を尊敬して信仰していたことは明確に物証がございます。--常陸のクマさん(会話) 2023年11月8日 (水) 12:54 (UTC)
- それからもう一点「日本や中国において羅漢像は一般的に美的とは言い難い容姿で描かれる」というのはどういう根拠があって言われているのでしょうか。コトバンクで引ける精選日国・大辞泉・百科事典マイペディア・ブリタニカ・世界大百科事典のいずれにも「羅漢像は美的とは言い難い容姿で描かれる」という記載はございません。"羅漢像 醜悪"で限定してgoogle検索しても「一致はありません。」と返されるばかりです。
- 逆に美男の羅漢像は幾つかございます。
- 私が前に述べた梅原猛氏の羅漢研究を見る限り、「泉涌寺の楊貴妃観音像のそばにある羅漢はかなりの美男」と書かれており、[1]https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/409004
- 東京国立博物館の阿難立像もきれいな顔立ちをしています。釈迦如来像の脇侍として迦葉尊者像・阿難尊者像は色々作例はありますが、阿難尊者像は醜い顔というのは少なくとも私は見たことがないです。
- ご貴殿が依拠されている「文献」のご提示をお願いします。--常陸のクマさん(会話) 2023年11月8日 (水) 13:59 (UTC)
- 返信 常陸のクマさん
- >既に京橋さんも言われている通り目連の像という記載もあるようです。
- まず話の前提が共有されていないようです。その画像がすでに差し替えましたので現在話している画像の話ではありません。
- >ウィキペディアに画像を載せた方が誤っていないと断言できるものでしょうか。
- 画像自体が本文の記述の出典になっているのでない限り、そこまで疑うガイドラインは確立されていないのではないかと既に申し上げました。既存の発言をご再読下さい。
- >他の宗派で信仰していないわけではありません。
- という特殊事例を数々列挙されても、件の京橋さんの上げた画像は禅宗の羅漢像であり、一般例とはなりません。
- >東京国立博物館の阿難立像もきれいな顔立ちをしています
- こういう話をここでするのは水掛け論にしかならないでしょうし、そもそも本項の主題は阿難ではなく舎利弗です。--Ryo 625(会話) 2023年11月8日 (水) 15:58 (UTC)
- >まず話の前提が共有されていないようです。その画像がすでに差し替えましたので現在話している画像の話ではありません。
- それは理解しました。誤解についてはお詫びします。
- ただ、私はあくまでも「ご貴殿が依拠されている「文献」のご提示をお願いします。」とお願いしております。これは私が意固地であるとかそういうわけではなく、WP:CITEという出典明記の方針があるからです。貴方の言われる
- 羅漢信仰は禅宗だけの特殊なもので、一般的ではない
- 日本や中国において羅漢像は一般的に美的とは言い難い容姿で描かれる
- ということは何を出典に言われているのでしょうか。それをお示しくださいとお話しております。
- いつまでも出典の提示を拒まれているのはどういうわけでしょうか。
- 私としては羅漢信仰が法相宗(南都六宗)、天台宗、日蓮宗、禅宗(臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)、真言宗、浄土宗で行われていた事例を調べてお話しております。日本仏教の伝統的宗派は十三宗あり、そのうち八宗で羅漢信仰があったとすれば、これを「特殊なもの」と一言で切って捨てるのであれば、根拠をいただかないとお話が進みません。
- 誠実なご対応をお願い致します。--常陸のクマさん(会話) 2023年11月11日 (土) 03:25 (UTC)
- 返信 「日本や中国において羅漢像は一般的に美的とは言い難い容姿で描かれる」というのは私の主観であり、件の羅漢像を使用しない動機の一つです。美醜は主観的なものであり、梅原氏などの所感を持ち出されてもそれは客観的な根拠とはなりえません。羅漢信仰についてですが、八宗で羅漢信仰が諸菩薩への信仰を上回りかつ「通例で」あったとすれば、たしかに問題となるかもしれませんが、禅宗のように「通例で」ないのなら「非通例」なものと見なさなければなりません。”八宗で羅漢信仰が「通例で」あった”という根拠を頂きたく存じます(何例見られるではなくて)。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 04:24 (UTC)
- >「日本や中国において羅漢像は一般的に美的とは言い難い容姿で描かれる」というのは私の主観であり、件の羅漢像を使用しない動機の一つです。
- 主観でしたか。そうでしたか…「ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません」WP:NOT#ORにもございますが、「ある話題について今までに誰も行っていない研究を行ったなら、その成果は査読つき雑誌やその他の印刷媒体、評価の高いオンラインサイトなどの他の場で発表してください。そうやってあなたの成果が世に受け入れられた知識となれば、ウィキペディアはその成果について掲載することになるでしょう。」ということになっておりますので、
- 「日本や中国において羅漢像は一般的に美的とは言い難い容姿で描かれる」ということをしかるべきところに発表されてからこちらにも書かれるようお願い致します。
- >美醜は主観的なものであり、梅原氏などの所感を持ち出されてもそれは客観的な根拠とはなりえません。
- それは詭弁というものではありませんか。少なくとも権威者の成果を「所感」とおとしめ、自分の特段検証されていない主観がそれに勝る、というご意見ということでよろしかったでしょうか。
- >八宗で羅漢信仰が諸菩薩への信仰を上回りかつ「通例で」あったとすれば、たしかに問題となるかもしれませんが
- 話をなにかすげ替えておられませんか?私はそのような話は一切しておりません。貴方の方で論戦に勝つために「羅漢信仰が諸菩薩への信仰を上回りかつ「通例で」あった」という貴方にとって都合の良いお話を持ち出されているとしか言えないと思います。貴方が私に反論できるとすれば、これで三回目になりますが、下記のことをお願いするしか無いのですよ。
- 「ご貴殿が依拠されている「文献」のご提示をお願いします。つまり、諸宗において羅漢信仰がなかったという文献を出せばよいのです。」--常陸のクマさん(会話) 2023年11月11日 (土) 06:40 (UTC)
- 返信 諸宗において羅漢信仰がなかったという悪魔の照明はできません。再度繰り返しますが「諸宗において羅漢信仰が一般的であった」という根拠はないのですね?--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 16:26 (UTC)
- 静観しておりましたが、議論になっていないので画像を戻しました。Ryo 625氏が検証可能な資料に基づいた適切な説明があればこれに拘るわけではありませんが。--京橋(会話) 2023年11月11日 (土) 13:03 (UTC)
- 返信 議論に参加することなしに、京橋さんが編集を行われたので戻しました。どうぞ議論にご参加ください。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 16:20 (UTC)
- 人にどうこう言う前にまず論点ずらしをやめて出典を提示してください。これ以上話が通じないなら別の手段を取らざるを得ません。--京橋(会話) 2023年11月11日 (土) 16:27 (UTC)
- 返信 京橋さんが問題にしたい論点とはなんですか?論点がズれていったのは私の本意ではありません。ご自身は議論に参加することなしに編集を強行するのは如何なものかと思います。。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 16:29 (UTC)
- あなたの主観も独自研究もWikipediaでは排除すべきものです。そうでないことを示せていないから差し戻したわけですが理解できますか?--京橋(会話) 2023年11月11日 (土) 16:32 (UTC)
- 返信 私の主観については訂正しますが、独自研究とは具体的にどのことか明示してください。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 16:35 (UTC)
- これ何度目ですか?文献を提示してください。そうでなければあなたの主張はすべて独自研究です。--京橋(会話) 2023年11月11日 (土) 16:39 (UTC)
- 返信 とりあえず京橋さんは今までの議論を読み直して、もう少し論点を整理してください。議論で私の主張も変化しています。美醜については無意味であることは認めました。「あなたの主張はすべて独自研究です」では議論になりません。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 16:43 (UTC)
- 都合の悪いことから逃げてひたすら論点をずらしているようにしか見えません。結局主張に「主観」と「独自研究」意外の根拠はないということで理解しました。--京橋(会話) 2023年11月11日 (土) 16:48 (UTC)
- 返信 「理解」される前に論点を整理してください。何度も言いますが、過去の議論にもちゃんと目を通してください。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 16:50 (UTC)
- 都合の悪いことから逃げてひたすら論点をずらしているようにしか見えません。結局主張に「主観」と「独自研究」意外の根拠はないということで理解しました。--京橋(会話) 2023年11月11日 (土) 16:48 (UTC)
- 返信 とりあえず京橋さんは今までの議論を読み直して、もう少し論点を整理してください。議論で私の主張も変化しています。美醜については無意味であることは認めました。「あなたの主張はすべて独自研究です」では議論になりません。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 16:43 (UTC)
- これ何度目ですか?文献を提示してください。そうでなければあなたの主張はすべて独自研究です。--京橋(会話) 2023年11月11日 (土) 16:39 (UTC)
- 返信 私の主観については訂正しますが、独自研究とは具体的にどのことか明示してください。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 16:35 (UTC)
- あなたの主観も独自研究もWikipediaでは排除すべきものです。そうでないことを示せていないから差し戻したわけですが理解できますか?--京橋(会話) 2023年11月11日 (土) 16:32 (UTC)
- 返信 京橋さんが問題にしたい論点とはなんですか?論点がズれていったのは私の本意ではありません。ご自身は議論に参加することなしに編集を強行するのは如何なものかと思います。。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 16:29 (UTC)
- 人にどうこう言う前にまず論点ずらしをやめて出典を提示してください。これ以上話が通じないなら別の手段を取らざるを得ません。--京橋(会話) 2023年11月11日 (土) 16:27 (UTC)
- 返信 議論に参加することなしに、京橋さんが編集を行われたので戻しました。どうぞ議論にご参加ください。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 16:20 (UTC)
- 返信 「日本や中国において羅漢像は一般的に美的とは言い難い容姿で描かれる」というのは私の主観であり、件の羅漢像を使用しない動機の一つです。美醜は主観的なものであり、梅原氏などの所感を持ち出されてもそれは客観的な根拠とはなりえません。羅漢信仰についてですが、八宗で羅漢信仰が諸菩薩への信仰を上回りかつ「通例で」あったとすれば、たしかに問題となるかもしれませんが、禅宗のように「通例で」ないのなら「非通例」なものと見なさなければなりません。”八宗で羅漢信仰が「通例で」あった”という根拠を頂きたく存じます(何例見られるではなくて)。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 04:24 (UTC)
- 返信 常陸のクマさんさん、根拠もないと仰いますが一応、所蔵者は示されていますし、そこは信用するしかないでしょう。最近のものといいますが、19世紀のもので、だいたいこの年代のビルマの像はこんな感じです。現代のものはもっとチープで真っ白い色だったりします。羅漢信仰は禅宗だけの特殊なもので、一般的ではないと思います。むしろ愛染明王や勝軍地蔵の方がはるかに信仰を集めたのではないでしょうか。--Ryo 625(会話) 2023年11月7日 (火) 18:33 (UTC)
- 返信 ガイドラインを読んだ限りでは画像の検証可能性が問題になるのは、たとえば「生前のヒトラーとチャールズ・チャップリンは密かに親交があった。」等の記述があり、その証拠として「ヒトラーとチャップリンが握手している画像」が貼り付けられる場合のように読めますが。画像自体が独自研究というようには見えませんでした。オリジナルの画像が推奨されていた点からも、ここらへんには明確なガイドラインが未だ確立されていないように見えます。--Ryo 625(会話) 2023年11月7日 (火) 12:34 (UTC)
- 所蔵されているかどうかではなく、検証可能性を問題にしているわけです。出所も作者もはっきりしている作品を差し置いてまでして使用する根拠が不足しています。神仏ではなく僧侶として扱っている記事に対して信仰の有無を重要視する意味がわかりません。「大乗経典の舎利弗」節が独自研究的な色合いが強いことに加え、上座部仏教における信仰について記事中で一切言及がないではありませんか。繰り返しになりますが、このノートでの議論にしても、記事を加筆するにしても、まずは適切な出典を示してください。--京橋(会話) 2023年11月7日 (火) 06:15 (UTC)
- 返信 正確には原典には所有はHonolulu Academy of Artsとあり、美術館で展示されるのは展覧会がある時だけですね。撮影者は投稿者自身ですし。オンライン・コレクションやHighlightsに記載されてないから所蔵されていないということではないでしょう。HPには所蔵品すべてのカタログはないようです。まず、舎利弗は上座部で信仰されている僧侶であって大乗仏教圏ではそうではありませんね。『般若心経』でいえば信仰されているのは舎利弗ではなく観音菩薩です。一応、大乗文化圏の作像なのでそちらに置くのではダメですか。--Ryo 625(会話) 2023年11月6日 (月) 20:17 (UTC)
- 出自の明らかなものと仰いますが、ホノルル美術館のコレクションをいくら探してもその像は出てきませんでしたよ。「大乗経典の舎利弗」に記載するのが筋というのは仰っている意味がわかりません。「舎利弗」と「大乗経典の舎利弗」が別物であると主張したいなら、まずその根拠となる文献を提示してください。--京橋(会話) 2023年11月6日 (月) 19:50 (UTC)
- 返信 了解しました。当該画像はとりあえず出自の明らかなものに差し替えました。次に大乗仏教圏の羅漢像は「大乗経典の舎利弗」に記載するのが筋だと思うのですが、これについてはどうでしょうか?--Ryo 625(会話) 2023年11月6日 (月) 18:31 (UTC)
- その画像が舎利弗であるという根拠が存在しないものを舎利弗と言い張るのはWP:VやWP:NORに反しています。ちなみに同じ像の画像が目連としてもアップロードされています。この像が舎利弗と証明できるものがなければ議論にすらなりませんよ。--京橋(会話) 2023年11月6日 (月) 18:25 (UTC)
- 返信 今回の画像が、特に同時代のポートレートがまったくない過去の人物の画像について、Wikipediaのガイドラインのどの点に反するか、詳しくご教授お願いいたします。ご指摘いただければ従います。--Ryo 625(会話) 2023年11月6日 (月) 18:18 (UTC)
(インデント戻す) 議論の経緯を一応まとめます。
・(1) 私、Ryo 625が差し替えた画像Aが、京橋氏によって、「低質」「本当に舎利弗なのか非常に疑わしい」という問題が提起されました。
- この点に関しては氏によって該当する画像がどこの物か不明であること、同じ画像が目連としても使用されているというご指摘を頂きました。それらの点から私は氏のご指摘を受け止め、画像を別のものに差し替えました。
- (2) 私が画像を差し替えた理由に「日本や中国において羅漢像は一般的に美的とは言い難い容姿で描かれるから」という論点をあげました。
- この点に関しても常陸のクマさん氏の対話により、取り下げました。
- (3) 次に私が代替として再度あげたHonolulu Academy of Arts所蔵の舎利弗像について議論が持ち上がりました。
- 私はこれについていくつかの論点を挙げました。
- (a)オンライン・コレクションやHighlightsに記載されてないから所蔵されていないということではないこと。
- (b)Honolulu Academy of ArtsのHPには所蔵品すべてのカタログはないこと。
- (c)画像の検証可能性というガイドラインは確立されていないのではないか、ということ。
ガイドラインを読んだ限りでは画像の検証可能性が問題になるのは、たとえば「生前のヒトラーとチャールズ・チャップリンは密かに親交があった。」等の記述があり、その証拠として「ヒトラーとチャップリンが握手している画像」が貼り付けられる場合のように読めますが。画像自体が独自研究というようには見えませんでした。オリジナルの画像が推奨されていた点からも、ここらへんには明確なガイドラインが未だ確立されていないように見えます。
— User:Ryo 625
- (4) 羅漢信仰は禅宗においてだけ一般的なもので、他宗においては、一般的ではないのではないか、ということ。
- この点については、私Ryo 625は「個々の事例を挙げられただけでは八宗で羅漢信仰が一般的であった根拠とならない」のではないかと疑問をお伝えしました。常陸のクマさん氏からは
とのコメントを頂いております。また常陸のクマさん氏は諸宗において羅漢信仰がなかったという文献を出せばよい
— User:常陸のクマさん
とも仰られており、議論が平行線気味になっております。八宗で羅漢信仰があったとすれば、これを「特殊なもの」と一言で切って捨てるのであれば、根拠をいただかないとお話が進みません。
— User:常陸のクマさん
現状としては、このような点が問題となっていると思います。ご指摘、ご叱正があれば書き込んで下さるようお願いいたします。--Ryo 625(会話) 2023年11月11日 (土) 18:00 (UTC)
報告利用者:Ryo 625(会話 / 投稿記録 / 記録)氏への投稿ブロック依頼を提出しました。--京橋(会話) 2023年11月13日 (月) 11:18 (UTC)
- 賛成 京橋氏の上げられた画像が現状で最も信頼性と出典を兼ね備えており、私の編集はガイドラインの不理解によるものであることを認めます。それゆえ、舎利弗の画像については、京橋氏が上げられたもので私も同意し、ここに合意を形成します。ならびに京橋氏の画像を氏の断りなく差し替えたことをお詫びします。お手数をお掛けしました。--Ryo 625(会話) 2023年11月17日 (金) 01:23 (UTC)