ノート:自然選択説
適応とか共進化とか様々な概念を俯瞰的に眺めるのは本当はここじゃなくて進化のところが適当なんでしょうなぁ。とふと思いました。--Mo-rin 2007年9月18日 (火) 15:43 (UTC)
- そのあたりの記事は、元々が内容も多くて、なかなか手がつけにくい状態にあります。強引に手を入れたこともありますが。また違った視点から気がついたところがあるなら、どんどん手を入れていただければいいかと思います。期待してます。--Ks 2008年1月31日 (木) 09:50 (UTC)
軍拡競「そう」の表記について
[編集]軍拡競「争」を軍拡競「走」に書き換えたのですが差し戻され、現在は「争」を主として併記するかたちになっています。この漢字表記について確認しておきたいと思います。 私が認識している限り、少なくとも進化学・生態学では「走」が多く、「争」は使われることがあるとしてもまれです。たとえば最近出版された種生物学会編集「共進化の生態学」では「走」が使われています。この理由として、岩波生物学辞典第4版には、「軍拡競走(arms race,競争 competitionと区別するため競走と表わすことが多い)」と書かれています。 以上のことから、「走」のみか、「走」を主として併記するのが妥当だと思いますが、いかがでしょうか。--Trca 2008年10月25日 (土) 08:37 (UTC)
- すみません、差し戻した者です。拙速だったと反省しております。弁明しておきますと、生物学辞典では例えば捕食者と被食者のように同じ生態的地位を占め得ない(≒競争関係にない)生物間の共進化に対してのみ、軍拡競走の訳語を充てるよう記述してると思います(ツバキとゾウムシもこれに該当すると思います)。本項目や赤の女王仮説には競争に該当する内容も含まれるため、一律に競走へ変更するのは不適切であろうと考え、一旦差し戻させていただきました。確かに「走」に変えた方が適切な箇所もありそうなので、内容を精査する必要があろうかと思います。私は上記のように理解していますが、間違っていましたらすいません。- NEON 2008年10月27日 (月) 02:30 (UTC)
- 「軍拡競争」をキーワードとして岩波生物学辞典第4版のCD-ROM版を全文検索しても、何もヒットしません。「軍拡競走」では「共進化」と「ドーキンス」の項がヒットします。ドーキンスの項には彼が「軍拡競走」についての研究を行ったことが紹介されていて、特に表記についての記述はありません。共進化の項には上に引用した説明がありますが、「競争関係にない場合のみ走の字/競争関係にある場合には争の字」というような記述はありません。おっしゃっているのは具体的にどの項のどの文章でしょうか?また、1つの文章の中で、そのような条件で走と争を使い分けている実例はどこかにありますか?もう1つ付け加えると、競争関係にある生物間に起こるものであっても、competitionとarms raceは全く別の現象です。たとえばある草食動物種の数が増えたことで他の草食動物種が飢えれば、それはcompetitionです。もしその結果として2種両方で採食能力の連動的な進化が起これば、そのときはじめてarms raceが起こったことになります。arms raceはあるタイプの進化のプロセスのことですが、competitionは進化の原因になることはあっても、進化のプロセスそのものではありません。もっとも、調べてみると確かに「軍拡競争」と書かれた文章もそれなりにあるので、走を主として併記するのが最良ではないでしょうか?--Trca 2008年10月27日 (月) 06:23 (UTC)
- 走と争の使い分けはどこかに明示されていたわけではなく、生物学辞典の文面やその他の使用例から判断したものでしたが、競争関係にある場合にも "arms race" が起き得る点はおおよそ理解しました。本記事についてはもう一点疑問があるのですが、「進化的軍拡競走」という熟語はある(信頼できる使用例がある)のでしょうか。- NEON 2008年10月27日 (月) 08:42 (UTC)
- すぐに見つけられた範囲では、長谷川眞理子「進化とはなんだろうか」に「進化的軍拡競争」という記述があります。また、英語の論文で"evolutionary arms race"と書かれたものは多数あります。とはいえ、ふつうは単に「軍拡競走」とだけ言うことが多いですし、この記事内の節としては「軍拡競走」でかまわないと思います。ただ記事名をそうしてしまうともとの意味とややこしくなるので、もし新記事を作るとしたら、軍拡競走 (生物学)などにして曖昧さ回避をすべきですね。--Trca 2008年10月28日 (火) 04:07 (UTC)
- 走と争の使い分けはどこかに明示されていたわけではなく、生物学辞典の文面やその他の使用例から判断したものでしたが、競争関係にある場合にも "arms race" が起き得る点はおおよそ理解しました。本記事についてはもう一点疑問があるのですが、「進化的軍拡競走」という熟語はある(信頼できる使用例がある)のでしょうか。- NEON 2008年10月27日 (月) 08:42 (UTC)
- 「軍拡競争」をキーワードとして岩波生物学辞典第4版のCD-ROM版を全文検索しても、何もヒットしません。「軍拡競走」では「共進化」と「ドーキンス」の項がヒットします。ドーキンスの項には彼が「軍拡競走」についての研究を行ったことが紹介されていて、特に表記についての記述はありません。共進化の項には上に引用した説明がありますが、「競争関係にない場合のみ走の字/競争関係にある場合には争の字」というような記述はありません。おっしゃっているのは具体的にどの項のどの文章でしょうか?また、1つの文章の中で、そのような条件で走と争を使い分けている実例はどこかにありますか?もう1つ付け加えると、競争関係にある生物間に起こるものであっても、competitionとarms raceは全く別の現象です。たとえばある草食動物種の数が増えたことで他の草食動物種が飢えれば、それはcompetitionです。もしその結果として2種両方で採食能力の連動的な進化が起これば、そのときはじめてarms raceが起こったことになります。arms raceはあるタイプの進化のプロセスのことですが、competitionは進化の原因になることはあっても、進化のプロセスそのものではありません。もっとも、調べてみると確かに「軍拡競争」と書かれた文章もそれなりにあるので、走を主として併記するのが最良ではないでしょうか?--Trca 2008年10月27日 (月) 06:23 (UTC)
自然選択が直接働くのは生物の個体に対してである。しかし実際に選択されるのは生物の性質を決める遺伝子である。その結果が一般的に見られるのは種(あるいは群)においてである。自然選択は同じ種内でもっとも強く働くと考えられる。それは同種の他の個体が、限られた資源(食料、配偶者)を直接に奪い合う第一の競争相手だからである。
上記「限られた資源(食料、配偶者)を直接に奪い合う第一の競争相手だからである」ここに配偶者と書いてあるがこれはオスの立場のことであり、動物全般についてでの生存競争ではない。生存競争における適者生存とは「食)を奪い合うことにしか当てはまらないと考えるが。進化の原動力は捕食されるか捕食するかが引き金になっていると言えるのではないか。--123.230.41.200 2009年5月11日 (月) 07:40 (UTC)
自然選択の「選択」が原語の「selection」に従うという解釈(そして本文中の表記)についての疑義
[編集]私は40代後半ですが、これまで自然淘汰という訳に親しんできました。数年前、selectionを選択とすべき、との論調をweb上で見かけた覚えがありますが、選択という単なる選択を含む広い意味をも持つ訳より、弱者が残らない選択という強い意味をなす(と私が感じる)淘汰のほうが、粋な感じなするとか、日本人の情緒的表現が反映された感じがするといった個人的嗜好もあり、私は(淘汰を)気に入っています。本文中では、「原語に従って自然選択で統一」とありますが、MacBookに付属の英和辞書によると、selectionの意味には厳選の意味もあり、種の保存という文字通り命がけであることを考えれば、選択が原語に従っていると言えるか否かについて、根拠があいまいではないか、とも思います。つまり「自然選抜」「自然厳選」など、より厳しい生存競争を背景とした訳も考えられるのがselectionであり、単なる二者択一でも使用される「選択」では原語に従っていると、必ずしも言えないのではないかと思われるのです。そうした考えもあり、日本語でどのように表現されるのが適切か、という理由付けを抜きに、「本項では自然選択で統一する」というのは、世間はどうか知らないが、説明上ウィキペディアではこうする、と一刀両断されているようにも聞こえ、ウィキペディアとして望ましい姿であるのだろうか、という疑問も感じております。この言葉は非常に大きな意味を持つ言葉であるが故に、他の方のご意見等も拝聴できればとの思いからノートに記させて頂きました。何卒宜しくお願い致します。--210.229.215.162 2010年12月13日 (月) 01:36 (UTC)Takahashi
- 一つの記事である以上、一つの言葉に統一するのは当然と思います。別の語があるのは併記で行くことになるのは当たり前です。ただ、selectionだから、選択、と言うのが正しいか、それは確かに別の問題ですね。そういう意味では、選択か淘汰か、を判断するための根拠が「英単語の直訳だから」では、まずいかも知れませんね。他の方のご意見を聞きたいと思います。--Ks 2010年12月13日 (月) 13:55 (UTC)
「自然選択説」から「自然淘汰説」へ改名提案
[編集]記事冒頭にも既にある通り、日本語では「自然淘汰」の方が一般的で、広辞苑や百科事典マイペディアなどもこの語を用いています。記事名の付け方の「認知度が高い」という基準に従って改名することを提案します。--Kinos0634(会話) 2021年1月29日 (金) 04:22 (UTC)
- コメント web検索やJ-STAGE,Google scholar等の論文検索サイトでの検索、いずれも「自然選択説」「自然選択」の方がヒット数も多く広く使われているように思われるのですが、「自然淘汰」の方が明らかに一般的に使われているという点について他にも根拠はありませんでしょうか?記事名の付け方の「認知度が高い」には「信頼できる情報源による」ことが条件とされており、論文検索サイトでの結果は無視できないように思います。(以下は個人的な感想ですが、私自身も「自然淘汰」の方が広く使われているという認識でしたので、自然選択の方がヒット数が多いことには驚きました) --紅い目の女の子(会話 / 投稿記録) 2021年1月29日 (金) 05:04 (UTC)
- 返信 私が調べてみたところ、以下のようになりました。
- ※Google や Google Scholar 検索では、語句を引用符(
"
)で囲むと完全一致検索になります。- Google Scholar 検索(完全一致) …… 自然淘汰・3710件 自然選択・2520件 自然淘汰説・163件 自然選択説・334件
- J-STAGE …… 自然淘汰・2340件 自然選択・1288件 自然淘汰説・97件 自然選択説・163件
- J-GLOBAL(文献) …… 自然淘汰・3107件 自然選択・1276件 自然淘汰説・6件 自然選択説・14件
- このように、「自然淘汰説」と「自然選択説」では後者の方が多いようですが、一般的には「自然淘汰」が最も多く認知度が高いと言えると思います。--Kinos0634(会話) 2021年1月30日 (土) 00:03 (UTC)
- 返信 意図の伝わりにくい書き方で恐縮です。なおかつ検索件数についてもまとめてくださりありがとうございます。私の主張するところは、あくまでも本項は「自然選択説(もしくは自然淘汰説)」であって、説を外した表現について議論しても仕方ないのではないかという点です。自然淘汰という単語自体はもとの進化論自体から若干外れた文脈でも使われる単語だと認識しています。それと説の名称を表す固有名詞はまた別物ではないかと思うのですが。件数の差を見ても、必ず変えなければならないという程の用例の差であるとは思えないです(検索結果が自然淘汰<自然選択、自然淘汰説>自然選択説なら異論もないんですが)。何にせよ他の方のご意見も伺いたいところですね。 --紅い目の女の子(会話 / 投稿記録) 2021年1月30日 (土) 15:45 (UTC)
- コメント 自然選択と自然淘汰の使用頻度は現在のところ拮抗していると思いますが、2020年時点の教育現場では自然選択説の方が多く使われており、今後こちらの認知度がより高まっていくものと考えます。私の手元にある高校生物教科書・参考書・問題集での使用状況は次の通りです。
- 教科書 (検定年、isbn)
- ⚫︎第一学習社(2017年、978-4-8040-0930-8) ⚫︎東京書籍(2011年、978-4-487-15631-3) …「自然選択説」
- 参考書 (出版社、出版年)
- ⚫︎『チャート式 新生物Ⅰ・Ⅱ』(数研出版、1983年初版・2000年第8版) ⚫︎『スクエア 最新図解生物』(第一学習社、2013年初版・2018年改訂6版) …「自然選択説」
- ⚫︎『シグマベスト 理解しやすい生物』(文英社、2012年) …「自然選択説」・「自然選択(自然淘汰)」
- 問題集 (出版社、出版年)
- ⚫︎『生物基礎問題精講』(旺文社、2013年初版・2018年重版) ⚫︎『大森徹の最強講義問題集150問生物Ⅰ・Ⅱ』(文英堂、2010年初版・2012年第二版) ⚫︎『共通テスト実戦問題 パックⅤ』(2020年、駿台)…「自然選択説」
- 以上のように、私の手持ちの資料で「自然淘汰」を使用しているのはシグマベスト一冊だけであり、教育現場では「自然選択説」が広く使われているものと思われます。このような現象の背景には、「淘汰」という単語が生物教育で進化の概念に誤解を生みかねないと忌避され始めていることがあると思います。論文「平成 21 年高等学校学習指導要領に対応した 生物分野の教科書に見られる用語の研究」のp19では「「自然淘汰」と「自然選択」の場合,前者には悪い形質や劣った形質が排除されていくという ニュアンスが含まれてしまうため,後者を使用すべきであると考える.」との見解が示されています。(参考 『「優れた者が生き残り,劣った者が淘汰される」という「優勝劣敗」 などの誤概念〜』) これが教育現場にも共有されている観念であれば、今後「自然選択説」のみが教えられていくようになるでしょう。ちなみに現在高校生の私は「自然選択説」と習いました。むしろ「自然淘汰説」は聴き慣れないので、自然淘汰のヒット数が多いことは意外でした。今後学生が大人になるに従って「自然淘汰説」は使われにくくなり、より「自然選択説」がメジャーになると考えますので、記事名はそのままの方がよいと思います。--Sasuyan(会話) 2021年2月2日 (火) 14:45 (UTC)修正--Sasuyan(会話) 2021年2月2日 (火) 23:06 (UTC)
- 実際の教科書などを用いた検証をいただきありがとうございます。遺伝の文脈での「優性、劣性」が「顕性、潜性」と置き換えられているのと同様、より誤解のない単語が教育現場で採用されるべきだという提言もなされているということなんですね。一点だけ補足しますと、あくまで教育現場で教えられていることと実際の研究の現場で使われる(=Wikipediaでいうところの信頼できる情報源)用語が異なることはままあります。生物学ではありませんが似たような事例としてはプロジェクト:数学/函数と関数があります。現在教育現場で自然選択説が採用されている=今後自然選択説を使うことが主流になる、は必ずしも成り立ちません。但し今回の事例では、現在の各種文献の出現頻度が既に自然選択説が優勢であろうことを踏まえると、「教育現場(=一般的な認知)でも研究者(=信頼できる情報源に登場する用語)の間でも自然選択説が用いられる」と捉えてよさそうです。私も2本ほど本件に関連しそうな研究を見つけましたので共有しておきます。(2012年の資料「C・ダーウィンの自然観 : 『種の起源』における「闘争 (Struggle)」と分岐の原理から」では、Sasuyanさんご提示の論文と同様の主張が2.1節の最後にあります。また、2015年の資料「Japanese translations of natural selection andthe remnants of social Darwinism」では、戦後の常用漢字表の関係で自然選択説が導入されたこと、「淘汰」でもダーウィンの主張を表せるのではないかとの主張がなされています。いずれも紀要論文で信頼度はさほど高くないことに注意。) --紅い目の女の子(会話 / 投稿記録) 2021年2月3日 (水) 01:17 (UTC)
- 私の意見をまとめ、その上で様々に考察していただきありがとうございます。論文も興味深かったですし、プロジェクト:数学/函数と関数の考え方も参考になります。 …それととてつもない議論が過去あったのだな、ということもわかりました。正直PJ:数学の議論が長すぎて何がなんだかさっぱり… その上で私の意見を整理・修正すると、「信頼できる資料では自然選択説は自然淘汰説に比べ若干多く登場する程度で、一般的に自然淘汰説の方が認知度があるというのは変わってきているのではないか」になります。それと「自然淘汰説」と「自然淘汰」の用法の違いについては、紅い目の女の子さん提示の「Japanese translations of natural selection andthe remnants of social Darwinism」が参考になるのでしょうが、私からはノーコメントにさせてください--Sasuyan(会話) 2021年2月5日 (金) 12:58 (UTC)
- 実際の教科書などを用いた検証をいただきありがとうございます。遺伝の文脈での「優性、劣性」が「顕性、潜性」と置き換えられているのと同様、より誤解のない単語が教育現場で採用されるべきだという提言もなされているということなんですね。一点だけ補足しますと、あくまで教育現場で教えられていることと実際の研究の現場で使われる(=Wikipediaでいうところの信頼できる情報源)用語が異なることはままあります。生物学ではありませんが似たような事例としてはプロジェクト:数学/函数と関数があります。現在教育現場で自然選択説が採用されている=今後自然選択説を使うことが主流になる、は必ずしも成り立ちません。但し今回の事例では、現在の各種文献の出現頻度が既に自然選択説が優勢であろうことを踏まえると、「教育現場(=一般的な認知)でも研究者(=信頼できる情報源に登場する用語)の間でも自然選択説が用いられる」と捉えてよさそうです。私も2本ほど本件に関連しそうな研究を見つけましたので共有しておきます。(2012年の資料「C・ダーウィンの自然観 : 『種の起源』における「闘争 (Struggle)」と分岐の原理から」では、Sasuyanさんご提示の論文と同様の主張が2.1節の最後にあります。また、2015年の資料「Japanese translations of natural selection andthe remnants of social Darwinism」では、戦後の常用漢字表の関係で自然選択説が導入されたこと、「淘汰」でもダーウィンの主張を表せるのではないかとの主張がなされています。いずれも紀要論文で信頼度はさほど高くないことに注意。) --紅い目の女の子(会話 / 投稿記録) 2021年2月3日 (水) 01:17 (UTC)
- コメント 自然選択と自然淘汰の使用頻度は現在のところ拮抗していると思いますが、2020年時点の教育現場では自然選択説の方が多く使われており、今後こちらの認知度がより高まっていくものと考えます。私の手元にある高校生物教科書・参考書・問題集での使用状況は次の通りです。
「自然選択の例」の中の、「オオシモフリエダシャク」の項目の、批判について。
[編集]かつては批判があって生物学者の見解も一致していなかったけれども、現在では自然選択の実例として生物学者の間では見解が一致していますのでその点修正しました。 かつての批判の具体的内容については冗長なため削除しましたが、一応代表的な文献を(かつて批判者だった者によるものを一つ含む)付けておきました。--Calicoliz(会話) 2021年8月7日 (土) 14:08 (UTC)
「自然選択の例」の中の、「オオシモフリエダシャク」の項目の、「また、黒い個体と白い個体ははじめからいて、その個体数が変化したにすぎないとも批判される。」について。
[編集]遺伝する性質(黒いまたは白い)の集団に占める頻度が、世代を通じて増減するのはまさに自然選択の定義どおりのことが起こっているわけで、自然選択の実例であることは間違いがなく、冗長となるので削除しました。 なお、この批判に出典がありませんので復活させる場合には出典(進化学者・生物学者・遺伝学者によるもの)を追加してください。--Calicoliz(会話) 2021年8月7日 (土) 14:11 (UTC)
「自然選択の例」の中の、「オオシモフリエダシャク」の項目の、「確かにこの例は進化を実証する説得力のある例とは言えない。」について。
[編集]自然選択の定義通りのことが起こっており、自然選択の実例であることは間違いなく、冗長となるので削除しました。 なお、「進化を実証する説得力のある例であると言えない」は主観的な評価であり、復活させるのであれば出典(生物学者によるもの)を追加してください。--Calicoliz(会話) 2021年8月7日 (土) 14:12 (UTC)