ノート:聖餐論
内容について
[編集]以前、日本ハリストス正教会の司祭に聖体のサブスタンスについて質問をしたところ、「パンとブドウ酒の形を持ったままで聖体・尊血に聖変化する。」と解説を受けました。また、聖公会の司祭に同様の質問をしたところ、「カトリックの神学では聖変化によって実体変化(trans substantiation)するとの説をとるが、聖公会の神学ではパンとブドウ酒の形態のままで聖体・聖血に変化する(consubstantiation)と考える。この点に関しては、むしろ正教会の神学に近い。」との回答を受けました。これらから考えると、カトリックと東方教会において『聖餐(聖体秘跡)論の捉え方はほぼ同じである』とは言えないのではないかという疑問が生じます。
ただ、残念なことに私は東方教会における聖体論について解説した文献にあたった機会がまだ無いので、このことについての公式な見解を得られずにおります。東方教会の神学に詳しい方やハリスチャニン(正教会信者)からご教示を賜れれば幸いです。
文中に、「改革派は象徴説」という趣旨の記述がしてあったが、多少違う。現在のほぼ全ての『カルヴァン派教会』は霊的臨在説というスタンスを取っているため象徴説とは異なる。そもそも前者はカルヴァンがルターの共在説や、カトリック教会の化体説に反論し、パンとぶどう酒の呪術的な、偶像的なものでなく、キリストがその存在を分与する『道具』と解釈している。しかし、ツヴィングリの後者のほうは、単なる象徴としている。 その点が違うのだ。また「聖公会の聖餐解釈」も単一には解釈できない。 聖公会は、カトリックと一線を引く為に何かの教会文献で「聖変化」を否定している。しかし、カトリックとほぼ同じ解釈をしている教会もある。 それと同時に「共在説」や「象徴説」に近い解釈の教会もある。このような違いは、聖公会の内部構造の相違にある。「高教会・広教会・低教会」という神学・典礼解釈の異なる教会があるからだ。
聖公会の聖変化を否定している文章としては39箇条があるとおもうのですが、「何かの教会文献」というのは何ですか? 信徒や聖職によっては「化体説」として聖餐を受けている人も実際の教会を見ている限りいるのでご存知の方がいたら教えていただきたい。
記事の方向性について
[編集]本項を読んで感じたのですが、210.233.25.67さんの加筆によって東方正教会とカトリック教会の聖餐論の比較が記事のほとんどをしめるようになっています。このような記事の場合、わざわざ「AとBの相違」という書き方をするよりシンプルに「Aにおける聖餐論」、「Bにおける聖餐論」・・という構成にして書いていったほうがわかりやすくなるように思えますが、いかがでしょうか?Gakuinryou 2006年2月5日 (日) 15:22 (UTC)