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ノート:聖マラキ

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リアルタイムの訂正、ありがとうございます。 WR 2005年4月21日 (木) 20:15 (UTC)[返信]


あと、ファティマ第三の秘密は、「1981年のローマ教皇暗未遂」であるという、当のヨハネ・パウロII世と法王庁の見解があって、2000年に公表されたのは事実です。が、「共産国らによる、キリスト者の迫害」が実現していないという解釈もあるのと、この予言は時間軸にそった人々のあり方で、暗示する意味が変化する両面も持ち合わせているという解釈から、「研究対象になっている」と書いたのですけど。文面の真意が伝わらず、まるごとカットされたようで。まあ、ファティマの記事ではないので、あえてそのままにしておきますか。 WR 2005年4月21日 (木) 20:56 (UTC)[返信]


この項目に関心が持たれるのも、次は現ローマ教皇が逝去した時だけでしょう。後は用済み。日本は、カトリック主流ではないですから。著作権の侵害は問題だったかもしれませんが、歴史的人物や物件で議論を保留するまでもないのでは?別に全面削除でも、英版の訳と差し替えでも、該当箇所削除で空虚な内容になっても、私が困るワケではないので。無責任な言い方かもしれませんが、誰かがこの項目を調べようとして、長らく「削除依頼対象」のままになっている方が問題かと。 WR 2005年5月17日 (火) 11:44 (UTC)[返信]

次の教皇選挙の時にしか役に立たないというのは、あくまで信奉者にとってはそうだ、というだけの話でしょう。偽作説では、(近世フランスなどではよくあった)予言にかこつけた政治的パンフレットの変種と位置付けられるわけですし、(その場合これは政治文化史上の一史料ですから)それの歴史的意味は、次の教皇選挙の時期やらカトリック主流云々やらとは無関係です。初版投稿者であろうと、記事の意義を偏狭に決めつける資格などはないと思います。
上記御見解には前々から強い違和感を感じていたのですが、WRさんが活動休止中らしいことからコメントは控えていました。ただ偏った意義づけを放置し続けるのも何でしたので、分割先の記事の方にリストを追加して一区切り付けたのを期に、今更ですがコメントを付けることにしました。
ちなみに、現在の分割先の記事では、WRさんの書いた文章はほとんど残していません。これは、上記の著作権に関する無責任な御発言からして、そのまま残すことには著作権上のリスクを伴うと判断し、段階的に削除や大幅な改変を加えていった結果です(下で指摘したり、本文の過去版のコメントアウト内で書いたように、WRさんの記述には事実誤認や不正確な記述がかなり多く、残しづらかったのも一因です)。WRさんが復帰なさった時のために一応その点断り書きを入れておきます。それと、復帰なさることがあるのなら、ご自身の編集内容に、もう少し責任をもつようにして頂きたいと思います。Sumaru 2006年3月26日 (日) 12:01 (UTC)[返信]


コメントアウトした点の一部について

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  • しかしながら、その中には、権力闘争に破れ、後に教皇としては認められなかった人物(日本天皇における、かつての「南北朝の対立」や「廃帝」に近い。)も含まれており、その点の予言や言及はない。

この文章の意味が分かりません。前半は対立教皇の予言が含まれているとも読めますが、ラストだけ読むと含まれていない、としか読めません。後者であるなら明白に誤りでしょう。また、すでに対立教皇の記事は存在しているので、それについてあえて説明する必要もないと思います。

  • 「1999の年、第7の月…」で始まる、ノストラダムスの有名な予言詩の一般的な解釈(予言)が、はずれたとされて以来、

何でいきなりノストラダムスが出てくるのか今ひとつ分かりませんが(おかげでこの記事に辿り着けましたが)、この書き方だと、まるでマラキの予言は「終末」ネタに困った論者が1999年以降に急に話題にしだしたかのようにも読めますが、そういう意味で書かれているのでしょうか(近未来の破局を言い募る立場の人たちにとってネタが少なくなっているのは事実でしょうけれど)。

実際には、フランス国立図書館のオンライン目録だけに限ってもマラキの予言に関する文献は少なくとも17~19世紀に10冊程度、20世紀に10冊以上出ているのを確認できるので別に1999年以降に限定した書き方をする必然性があるとは思えません。仮に書くのだとすれば、もう少し違った書き方のほうが誤解を招かないだろうと思うのですが。

  • 「太陽の労働」または「労働者の太陽」

"De labore solis" は「太陽の労働(によって/から)」と訳されるべきであって、あえて「労働者の太陽」などという不適切な訳(solis は属格形です)を併記する必要はないと思います。同じように「古い町」も(確かにそういう訳は何度か見たことはありますが)、「町(urbis)」の方が属格形なので不適切な訳でしょう。

長くてすみません  Sumaru 2005年6月28日 (火) 14:13 (UTC)[返信]


分割の提案

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「聖マラキの予言」の分割を提案致します。本文にある通り、現段階では、この予言をマラキ本人が執筆したと見なせる根拠は全く見つかっておりません。にもかかわらず、マラキ本人と「聖マラキの予言」を一括して扱うのは、あたかもマラキ本人に予言との接点があることを前提にしているようで不適切に思えるのです。

中立性の観点からは、マラキ本人の記事には、「いわゆる聖マラキの予言で知られるが、本人との関連を裏付ける史料は見つかっていない。」くらいの言及を置いておくだけで良いと思いますし、現状の記事のように、伝記的事項の後に偽書の可能性もある文書の説明が延々続くスタイルは、マラキ本人の記事としてはアンバランスだと思います(大幅に加筆した当人がこう言うのも何ですが)。

あわせて、分割する場合の記事名の案として、初出時の正式名である「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」とすることも提案しておきます(もちろんリダイレクトは複数必要でしょうけれど)。この予言については(それこそ「偽マラキpseud-Malachie の予言」なども含め)時代によって、また論者によって微妙に異なる様々な呼称が存在しているため、中立性・正確性を重視するなら初出に従うのが最も無難だからです。Sumaru 2006年2月26日 (日) 10:07 (UTC)[返信]