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ノート:老子

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前の版の末尾に
『仏教にも影響を与え、「無」の思想は道教に一つの源流をおくものである。』
とあったのですが、ちょっとそのまま納得できなかったものですから、自分の加筆分にうまく組み込めなかったこともあって思い切ってカットしてしまいました。
実際のところ、どうなのでしょうか。もちろん中国仏教と道教が相互に思想的影響を与えあっていたのは当然のことだとは思いますが…。
Safkan 22:01 2003年8月24日 (UTC)
老子の実在性を疑うのが主流になっていると言うのは聞いた事がありません。色々不明な点はあっても老子自体はそれなりに信用されていると思います。
仏教と老荘の関係は、老荘の「無為自然」が先にあったから仏教の「虚しい」が中国人に理解され易かった・・・と言う所でしょう。
その後道教の影響で仏教も神仏崇拝の傾向が強くなった感がありますが。:らりた

何を不能知なのか

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ぼんやり見ていたら、以下の文の理解に躓きました:

様々な動物は捕らえる方法がある。しかし竜だけは風雲に乗じて天に昇るの知ることができない。

私は漢文はまったくアレのナニなのですが(なんちゃって)、とりあえずどんなもんだろうと検索してみると、いくつかのサイトで「至於竜、吾不能知。其乗風雲而上天也。」というふうに点が入っているのに気づきました。これは「様々な動物は捕らえる方法がある。しかし竜については(方法が)わからない。やつらは風雲に乗じて天に昇っていってしまう。」ということでしょうか。であれば一応合点がいくのですが。。いかがでしょうか。Mulukhiyya 2005年8月30日 (火) 11:09 (UTC)[返信]

「至於竜、吾不能知。」の前段に「獣は網を使えば捕まえられる、鳥は~、魚は~」という記述がありますので、その解釈で問題ないはずです。記述を修正しておきました。Kamakura 2005年8月30日 (火) 11:34 (UTC)[返信]
よかった、ありがとうございます。Mulukhiyya 2005年8月30日 (火) 11:41 (UTC)[返信]

老子を道教の中に位置付ける書き方の修正

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老子は春秋戦国時代の諸子百家の一人です 彼の思想は後に道家と呼ばれる集団によって崇敬され実践されました

で、ここで重要なのは、道教の成立はそれよりも遥か後の事であるという点です。また原始道教の中には、老荘思想との関連性を見出しづらく、道教が老荘思想の思想を内包したのは、道教自らが、老子を道教の思想と認定してからです。 つまり老荘思想によって道教が生まれたというよりは、自然発生、もしくは人為的に生まれた老子とは強い関係のない道教が、箔付けのために老子を引っ張ってきて始祖の座に置いたと考えるのが自然です。 その場合、老子の項目を道教的観点から捉えたり、また道教の中に老子を位置付けるのではなく、老子や道家の説明の中に補足として、老子が道教に受容されていく様を説明するべきです。 いくらか待って反論が無ければ、「老子(道家)が道教に先立つ」という観点からこのページを再編しようと思っております。 利用者名の基準厳しすぎるわボケ会話2015年12月5日 (土) 12:35 (UTC)[返信]

「『老子道徳経』から推測される老子」項の転記提案

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当該項目はほぼ『老子道徳経』の成立過程について論じており、老子よりも老子道徳経で扱うべき内容に見受けられます。文学的考証から推測される老子の人物像についての記述のみをある程度残したうえで、それらも含めた項目全体を老子道徳経のページへ転記することを提案します。--Louveteau sfm会話2018年4月14日 (土) 12:54 (UTC)[返信]

老子道徳経の項目の作成

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「老子道徳経」の項目を作成し、「老子道徳経から推測される老子」の項目をそこに入れたいと思います。また、その下に「老子道徳経における道について」という項目を追記したいと思います。老子の直接的な資料は、老子道徳経しかないためです。

3 老子道徳経

3・1『老子道徳経』から推測される老子

3・1・1議論

3・1・2馬王堆・郭店の発掘書

3・2 老子道徳経における道について

老子なる人物が生きたであろう時代と『老子道徳経』が作られた時代には開きがあり、この書は、その系譜に当たる弟子が後年に纏めたものという説や、老子は3人いたという説がある。(「道」の内容についても、哲学的な句から、処世術まで混在している。そのため、老子なる人物が生きたであろう時代よりも古くから伝わっていた諺や名言が含まれているとする見解がある。出典『世界の名著4 老子 荘子』中央公論社1978年P14 小川環樹)。 

1-1-1、根元的実在としての道 1-1-2、普遍的法則としての道 1-1-3,道徳的な規範としての道 1-1-4,政治思想・処世術としての道--Tokinokawa会話2022年7月31日 (日) 15:25 (UTC)[返信]