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ノート:義認

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メイエンドルフによる正教会の義認論

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鈴木浩によるものとして、「東方教会には義認がなく、西方教会には神成(神化)がないとされる」との記述が加えられましたが、鈴木浩氏は本当にそのような事を書いているのでしょうか?メイエンドルフの該当書籍には索引項目に「義認」の項が用意されています。私がまとめた251頁の解説を引っ張り出すのは容易な筈です。特に30頁から36頁には義認の二文字は現れません。

カリストス・ウェアによれば、義認(成義)を聖化(成聖)とを、特に意義あるものとして区別して考えない、というのが正教会の基本的姿勢です。

しかしそれにしても、もし鈴木氏がそのようなことを書いていたのだとすれば、なぜ西方教会の学者さんは基本的な誤りを犯されるのか、不思議で仕方ありません。--Kinno Angel 2011年2月8日 (火) 00:13 (UTC)[返信]

要出典範囲につき・西方教会の神人協力説

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比較対照表にある、ローマカトリックの欄の「神人協力説」に要出典範囲を付与しました。私の調べた範囲では、プロテスタントの信仰義認論側からローマカトリックの教説を「神人協力説」として批判しているケースはかなり散見されますが、ローマカトリック側が自らの教説を「神人協力説」としているケースは見当たりませんでした。私の限られた知識・文献のみでは、ということなので、もしかしたらあるのかもしれませんが、「ローマカトリック自身が神人協力説を主張している」ことを、ローマカトリック自身による出典によって裏打ちされるよう希望します。--Kinno Angel 2011年2月14日 (月) 01:48 (UTC)[返信]

加筆、出典補填確認しました。私もまだまだ勉強が必要のようです。イザヤさん、ありがとうございます。--Kinno Angel 2011年2月14日 (月) 05:32 (UTC)[返信]