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ノート:美濃衆

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北高木家12代の名について

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北高木家12代目の貞●につき、要検証とされています。 この点につき、「養老郡志」122頁に記載があり、やはり「武」偏に「攵」の文字でした。 なお、「養老郡志」はpdfで公開されており、 http://www.tagizou.com/main/elibrary/ から確認できます。 「要検証」を外すことを提案します。--Ienao会話2018年6月13日 (水) 07:48 (UTC)[返信]

関連カテゴリの改名提案

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Category:高木氏は旗本美濃衆丹南藩主家のカテゴリとして用いられていますが、高木氏では他にも系統があって一意でありませんので、Category:三河高木氏へ改名することを提案します。また、美濃衆については下位にCategory:美濃衆高木家を作ってそこに収めます。なお、以上は美濃衆の高木家が大名家と同祖で三河高木氏から分かれたという前提によりますが、2家が名字は同じでもルーツが異なるといった場合には、Category:高木氏を直接Category:美濃衆高木家へ改名することにします。--エンタシス会話2021年11月19日 (金) 09:07 (UTC)[返信]

改名に 賛成 。なおカテゴリ分けについてですが、一応、デジタルアーカイブの寛永諸家系図伝の清和源氏頼親流の巻を見たのですが、三河高木は3ページから「大和守頼親七世の孫判官代源信光はじめて高木と号して」から始まってるのに対して、美濃高木は61ページに突然一切の系統の説明なく初代貞政が美濃駒野に発生した書き方になっていてなんでやねんという感じです。一応、西高木家の先祖書では「頼親五世の孫信光」が高木を氏として、その後伊勢→美濃と移った、とあるらしく、三河高木とは微妙に互換性がない感じです。この辺の系図は言ったもん勝ち以上の意味は何もないにせよ、「どちらも頼親流清和源氏だが相互の直接の繋がりは家系図には書いてない」程度に割り切るしかなさそうです。--シダー近藤会話2021年11月22日 (月) 01:52 (UTC)[返信]

Category:三河高木氏へ改名する案を実施しました。--エンタシス会話2021年11月26日 (金) 09:39 (UTC)[返信]