コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:統一場心理学

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

テンプレート

[編集]
ノートで議論をせずに、テンプレートを削除してしまいました。テンプレートを削除する際は、ノートで議論すべきということを知りませんでした。申し訳ございません。テンプレートを削除した理由について述べます。特筆性、要出典は参考文献を明記したことで解決したと考えました。孤立は、心理学からリンクを張られたので、解消したと考えました。他に疑問等持たれる方がいらっしゃいましたら、ご指摘いただけるとうれしいです。--ishigamin 2011年3月28日 (月) 09:16 (UTC)[返信]

差し戻し

[編集]

Ks様によって、取り消しの操作がなされました。編集内容の要約に「詳しい説明なんていらない。」と書かれていましたが、なぜ詳しい説明いがらないのか、なぜ以前の版に戻すほうがよいのか、分かりませんでした。また、編集合戦を避けるべきということを知らずに、ほとんど同じ内容を再び書き戻してしまいました。現在、編集合戦は避けたいと考えております。ですが、明確な理由がないまま記事を差し戻されたままでいるのは納得できません。当方Wikipediaの初心者なので、何か誤解している点や理解の足りない点があるかもしれません。その場合はご指摘いただけると幸いです。--ishigamin 2011年4月9日 (土) 15:02 (UTC)[返信]

NiKe様によって、差し戻しがなされました。編集内容の要約に「吉家重夫に統合すべきかも」と書かれていました。私は、吉家重夫に統合すべきではないと考えます。なぜなら、統一場心理学の説明する項目が多く、閲覧したい人が多いと考えるからです。統一場心理学は、さまざまなところで解説されています。例えば、既刊『困った心の出口が見える』『心理の要』『ラクしてトクする思春期のなやみ方』『統一場心理学初級教科書』や、Webページ「カウンセリングの森」http://www.moment21.com/shinri/ で解説されています。よって、認知度が高く、特筆性があり、Wikipediaに独立した項目を置くべきであると考えます。また、ノートページで提案等がなくいきなり差し戻しをされているのをみると、とても悲しいです。予告せずに差し戻すのはwikipediaの慣習かもしれません。ですが、まずはノートページで提案をしていただけると幸いです。--ishigamin 2011年4月9日 (土) 15:29 (UTC)[返信]

  • コメント まず吉家重夫に統合(統一場心理学はリダイレクトに)してはどうですか?統一場心理学自体に特筆出来る点が無いかと言われると確かに特筆できるところはあるでしょう。ただし、この統一心理学は吉家先生が提唱されているものであり、既刊においても吉家先生の著作ばかりで、ほかの人物によっての出版物が認められません。これは出典を明記する上で単一な情報源であることを否定できない理由になります。項目の内容を補完できる環境が整えば、統一場心理学を分割して記事にできるでしょう。--アルトクール 2011年4月9日 (土) 16:21 (UTC)[返信]
    • コメント 確かに著作としては吉家重夫氏によるものばかりで、単一な情報源であると思われるかもしれません。ですが、実際の研究は既に多方面の複数の人々によって成されつつあり、統一場心理学としての独立性があります。今まさに発展していることを考慮すれば、これから逆に吉家重夫の項目に統合することは、妥当とは思えません。また、NiKeさんの差し戻しの要約にありました「吉家重夫に統合すべきかも」というのは、差し戻しの理由になりません。この理由により差し戻しを行うのは、やめていただくようお願いいたします。 --ishigamin 2011年4月11日 (月) 12:07 (UTC)[返信]
  • コメント 吉家重夫に統合すべきかどうかは主題とずれているので横に置いておきますが、私もKsさん、Nikeさんが差し戻しをされた理由が分かりません。ノートでの提案なしにいきなり差し戻しをするというのは横暴ではないでしょうか?また、Wikipediaの方針違反でもあります。お二人の差し戻しに関する説明を願います。--翼のない堕天使 2011年4月9日 (土) 21:32 (UTC)[返信]
  • コメントノートだけじゃなくて、相手の会話ページに議論参加のお願いをしたらどうですか?--アルトクール 2011年4月10日 (日) 06:56 (UTC)[返信]
    • 報告 Ksさんについては会話ページで復活されてもかまわないとのコメントをいただきました。--翼のない堕天使 2011年4月10日 (日) 11:33 (UTC)[返信]
      • コメント翼のない堕天使さんのご尽力に感謝いたします。翼のない堕天使さんによりNiKeさんにもNiKeさんの会話ページにて議論参加のお願いをなされているので、私からは何もしないほうがいいかなと思っております。NiKeさんの意見待ちかもしれませんが、差し戻しを取り消しにして、以前の版に戻します。反論などありましたら、差し戻す前にまずはノートページにおいて提案をしてください。--ishigamin 2011年4月11日 (月) 12:07 (UTC)[返信]
          • じゃあ、あれだ。一般的な心理学の教科書で、この分野を取り上げたのを出してくださいな。そうして、心理学の歴史の中で、その流れの中で、どのような位置づけにあるか、それを明らかにして欲しい。学問であれば、それはあるはずですが、現時点ではありません。--Ks 2011年4月11日 (月) 12:46 (UTC)[返信]
            • 統一場心理学は新しい学問であり、現在発展中のため、現時点では一般的な心理学の教科書には書かれていません。学問と呼ばれるものの中で一般的な教科書に書かれているものはごく一部であることは、周知の事実だと思われます。学問というのは、真理を探究するために立てられた理論・仮説全体を指すのではないでしょうか。そういった観点から見たら、統一場心理学は学問であるといえます。更には、統一場心理学を使って、既存の心理学の理論をより簡明に説明することができることからも、学問的な正当性はあると考えています。--ishigamin 2011年4月13日 (水) 11:08 (UTC)[返信]

(インデント戻します)新しい学問であれば、一般的な教科書にないのは仕方がないでしょう。しかし、学問というのは、唐突に出現するものではない以上、それまでの学問の流れの中に、自ずとその位置があるはずです。それが説明されていないといけないですね。その点はどうですか?--Ks 2011年4月13日 (水) 11:22 (UTC)[返信]

Ksさんの御質問に対して適切な回答が得られないようであれば、「統一場心理学」は学問として認め難いものであり、現在の本記事は宣伝に他ならないと結論するしかないと思います。 -- NiKe 2011年4月17日 (日) 01:07 (UTC)[返信]

  • 現在関係者から個人的にコメントをもらっており調整中ですので、しばらくお待ちいただけると幸いです。抜本的にまとめ直す可能性もあります。--ishigamin 2011年4月19日 (火) 10:13 (UTC)[返信]
    • コメント「関係者から個人的にコメント」の点ですが、それが問い合わせているという意味でしたら検証可能性を満たすかを必ず検討してください。ここで言う出典は信頼できる二次情報源による誰にでも検証できるものが求められます。--アルトクール 2011年4月19日 (火) 15:26 (UTC)[返信]

要出典の項目

[編集]
  • コメント翼のない堕天使さんの置いた、要出典と書かれたところについて質問です。要出典というのは、その記述は文献のどこに書かれているか、ということでしょうか。たしか、要出典と書かれた3か所はすべて、『統一場心理学初級教科書』か『実践心理学派精義 第2版理論編』に書かれています。その意味も込めて参考文献に載せたのですが、その具体的なページ数を記載せよ、ということなのでしょうか。--ishigamin 2011年4月11日 (月) 13:34 (UTC)[返信]
    • 参考文献に記載するだけでなく、脚注を用いてどの文献のどのページに書いてあるのかを(特に)記載してほしい場所に要出典を置きました。記事全体が参考文献に記載してあるものを出典としていても「(一般の閲覧者からみて)この部分の出典があやしい」という部分については特に脚注で示してほしいのです(Template:参照方法も参照)。因みに言っておきますが、たとえば「心の中には、毎日眺めても~格段に多く蓄積されていると考えられる」の部分では「吉家重夫さんが考えている」という出典がほしいのではなく、「格段に多く蓄積される」根拠を尋ねています。そこのところを考慮して出典を提示していただければと思います。--翼のない堕天使 2011年4月11日 (月) 14:30 (UTC)[返信]