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ノート:給食/過去ログ1

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言葉の地域差、世代差について

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地域差、世代差などで大きく見解が異なる分野だと思います。

給食当番の項で給食当番がどこから給食を運ぶかについて、センター方式の場合にどこに給食を置いておくか。「パントリー」と言っていたのですが、その後の人生でほとんど聞いたことがなく、もっと妥当な語はないか?Mochi 2004年9月4日 (土) 17:42 (UTC)


給食での遊びの項で「昼放課」とでてきますが、愛知県以外では「昼休み」と呼ぶのが一般的だと思います。Mochi 2004年9月4日 (土) 17:42 (UTC)

私は静岡ですが、給食後は昼休みでしたね。配膳する時にセンター方式の場合は配膳室、給食室あたりが良いのかもしれません。(私の学校は給食室だったような…)。ミルメークは液体状のものでした。給食時にはやかんでお茶が出てましたね。牛乳は、雪印の時は1lの牛乳パックと同じ形ので、明治は直方体、容量は200mlでした。参考までに。たね 2004年9月4日 (土) 18:01 (UTC)

すいません、愛知です。だいぶ地域差や世代差があるみたいですね。記述した当人ではありますが、うまく修正して頂けると幸いです。うちもお茶はやかんで出て、各自アルミ食器に入れて飲んでいました。冬場はやかんをストーブの上に置くということも、よくやりました。私はミルメーク世代ではないのですが、粉状だったと聞いています。実際に今現在お菓子(?)として売っているミルメークも粉状のものでした。あと、瓶牛乳の栓を集めたり(確か蓋に書いてある日付か何かによって価値が違ったような…)、それをメンコにしてよく遊びました。瓶牛乳を洗浄して何度も再利用するというのを知って(当たり前なんですが)、非常に驚いた覚えもあります。Shoppe 2004年9月4日 (土) 18:58 (UTC)

ミルメークについては私が記述しました。私の学校ではミルメークは出たことないのですが、給食ででるという話は聞いたことがあったので書きました(言い訳がましいですが強化記事になる前でしたから。今だったら詳しい方にまかせて知ってることに徹します)。というわけで、液体なのか粉末なのかよく知りません。詳しい方、記述の修正をお願いします。Mochi 2004年9月5日 (日) 02:30 (UTC)

「教育の中での給食」の節について

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この節について、コメントアウトで質問がついていますが、重要だと思うので、ノートに抜き出します。ついでに少し質問追加。

>給食は個食や弁当とは違い、多くの生徒と同じ食事を共にするため、子供へ影響を与える傾向がある。
  • 同じものを食べることがなぜ弁当より影響を与えるのかなど、理由についてもう少し詳しくお願いします。
>給食を通じての子供社会の確立や、子供独自の遊びなどが挙げられる。場合によってはいじめにも繋がることもある。
  • こちらも理由など、もう少し詳しくお願いします。
>また親世代の給食内容を子供に話すことで、歴史や世代ギャップを知るいい機会にもなる。
  • これは食文化の歴史やギャップという意味でしょうか、給食の歴史やギャップという意味でしょうか。また、そこから期待する教育効果としてどのようなものが期待できますか。

自分でも加筆もしくは修正を考えてみたいと思いますが、手が加えられる方がいらっしゃいましたらぜひ加筆お願いします。--Num 2005年1月23日 (日) 14:44 (UTC)


ええと、大半僕が記述したものかな?(すいません、あまり覚えてないです。(^^;))

もともとは、理由などを書くつもりで記述したわけではなく、子供独自の遊びのリスト化など、導入部として記述しました。その為、簡単かつ大雑把な表現になっているかと思います。私は、教育者ではありませんので、あまり詳しく書くと教育論(?)・社会論(?)的なものになってしまい、それぞれの考え方の違いで衝突してしまうかな(そうでなくても給食は、世代・地域差が顕著に出てますので…)、と思ったのも、表現を抑えた理由です。

ただ、多くの皆さん大体上で共通しているのではないかと思うのですが、例えば一人で給食を食べるのと、大勢で食べるのとでは、活気が全然違います。人数も多ければ多いほど話もでき、ワイワイガヤガヤとなります。給食を食べるグループが毎回同じ・都度違う(学校によって異なると思いますが)ことによっても、友達ができるできないなど、子供たちへの影響は変わってきます。弁当(家から持ってくる食事)とは違う影響は、例えば弁当であれば全員が違うものを食べる。その為、家庭状況による優劣(?)が出やすく、量の差(食の太さ・細さ)、中身の差(好き嫌いにも影響)、また友達と中身を交換したりすることもします。給食であれば、全員に同じ量・同じ内容が盛られるので、一体感が生まれます。残すこともできますが、食の細い人は基本的には「食べなければ」という義務感みたいなものを感じると思います(弁当を残して帰るのと全然違う)。で、同じものを食べるわけですから、好き嫌い・食べる量(おかわり)・スピードが重要な要素になってきて、これによって子供内の優劣(強さ・弱さ)や役割も生まれます。例えば食べるのが遅いヤツはイジメの対象だとか、普段イジメの対象だったヤツが、みんなが食べられないものを食べて一転ヒーローになるだとか(僕のときは、昆布巻きがヤバ給食でした)、その逆もあったり。余ったパンを食べるのはコイツだとか、牛乳飲むのはコイツだとか。あるいは余ったアイスクリームを取り合って喧嘩になったりだとか。また給食は、配膳から片付けまで全て子供たちだけでやるので、そこからも様々なことを学びます。僕のときは食事中に先生がいましたが、授業の時とは一転してほとんど存在感のないような状態でした(たまーに口出しだけしたり)。みんなで考えて動いたり、牛乳こぼしたり(そこで初めて牛乳雑巾が臭いことを知る(笑))、悲惨な時はスープ系の鍋を倒してしまったり、といったトラブルも体験できます。

つらつらと書いてみましたが、うまくまとめられる方、どうぞよろしくお願いします。Shoppe 2005年1月24日 (月) 03:30 (UTC)

学校給食費の問題について

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この項目については、先般マスコミによって報道された事柄を、ほぼそのまま踏襲する内容であると思われますが、いわゆる「給食費が払えるのに払わない親が増えている」という報道には疑念を禁じ得ません。と申しますのも、そういう親が「増えた」というのは比較対象とする過去のデータがあってはじめて言えることであり、現時点ではその事実を裏付ける証拠というものがありません。また「払えるのに払えない」というのも教員の主観であって、事実を確認した上での回答ではないのです。従ってこの件に関してはマスコミが報道する内容と実態が一致していない可能性があり、十分に事実を検証する必要があると思います。ただし、そのような報道があること自体は事実ですので、あくまで「報道されている事柄」として記事にすることについては異論はありません。以上、ご検討のほど宜しくお願い申し上げます。Biora 2007年1月31日 (水) 04:07 (UTC)

加筆した身としてお答えしますと、ウィキペディアにおいては検証可能性が満たせるかが重要となっております。ただし、検証可能性ってのは、教師やマスコミの言ってることが正しいかどうか、ではなく、誰にでも確認できる情報源を示せるかどうか、ということなので、そこはご了承下さいませ。--Etoa 2007年2月8日 (木) 14:12 (UTC)


分割提案

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日本の学校給食の情報が大半を占めてアンバランスな状態になっています。学校給食を分割しませんか。--miya会話2012年4月9日 (月) 16:33 (UTC)

  • 原則賛成です。ただ現状、セクション分けの都合からか、各国の学校給食に言及した箇所と同じ階層に日本の学校給食における「提供の形態」「法的根拠」「歴史」「関連資格」「主な献立」「食器」「学校給食に関連した社会現象」「教育の中での給食」「給食の行事」「放送」「学校給食の問題点」「資源としての再利用」「イベント」「商品化」が並んでしまっており、些か見通しが悪い状態なのが何とも…様々な利用者が自身の関心事を大きく取り沙汰してしまった結果として、追記に告ぐ追記でひどくまとまり悪い状態です。まあ「日本の○○」化というのもひとつの手ですが、日本の学校給食に関する諸々の現象や社会問題などだけを切り欠いても本稿の内容が些かバランス悪くなる上に、「日本の学校給食」の項では更に雑多諸々な細部のディティールへの言及が凝らされる(結果として記事としてひどく冗長で可読性を損なう)懸念もあり、難しいところです。
    全体のバランスに配慮する意味で、「給食の項から学校給食の項を分割(概要部くらいは相互に部分重複させる形で)」した上で、「学校給食の項から日本の学校給食の項を分割(特に上で列挙した見出しのセクションを専門に扱う内容へ)」という二段階分割みたいなことも考えたのですが、如何でしょうか。--夜飛/ 2012年4月10日 (火) 11:30 (UTC)

学校給食を分割に異論ありません。先ずは「日本の学校給食」の分割試行致します。 --未知との遭遇会話2014年2月28日 (金) 06:26 (UTC)