ノート:細川千仭
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改名提案
[編集]細川千仞から細川千仭へ改名提案を行います。細川千仭が開いた細川囲碁教室の『細川囲碁教室六十周年記念誌 ざる碁党とともに』(2013年4月)の記載および引用されている過去の記事において千仭の表記が用いられているためです。ご意見がありましたら、よろしくお願いいたします。--Ihosokawa(会話) 2014年6月30日 (月) 11:56 (UTC)
- まず、複数の表記や読みがある場合は両論併記することをご理解ください。次にどちらを主な表記・読み、記事名にするかですが、私的な出版物より公的な出版物による方が、公的に流通して、人口に膾炙しているものと思われますので、日本棋院出版物などのものを優先的に採用するべきと思います。--Sugitaro(会話) 2014年6月30日 (月) 14:03 (UTC)
- 特に新たなご意見もないようなので戻しておきますね。--Sugitaro(会話) 2014年7月8日 (火) 13:24 (UTC)
- 体調を崩し、しばらくこちらのチェックができず、返信ができず申し訳ありませんでした。表記・読みに関してですが、「出版物に記載および引用されている過去の記事」と簡単に書いてしまったこと、参考文献とするには説明が足りなかったと反省しております。本件に関して、改名すべきと思いました理由は、前述しました『細川囲碁教室六十周年記念誌 ざる碁党とともに』(2013年4月)に載せられている日本棋院発行の雑誌記事にて「千仭」という表記が使われていたためです。載せられていた記事は、『細川囲碁教室(1958年日本棋院発行「囲碁クラブ」掲載)』『現代百人一局 細川千仭八段の巻(1963年日本棋院発行「囲碁クラブ」掲載)』『ざる碁談義(1966年日本棋院発行「棋道」掲載)』『60人の豆棋士 細川囲碁教室(1973年「棋道」掲載)』『新格言あらかると 九段細川千仭(前谷信伍 1978年「別冊囲碁クラブ」掲載)』です。ウィキペディアの編集に関しまして未熟ですが、あらためまして改名提案を行いたいのですが、いかがでしょうか?--Ihosokawa(会話) 2014年7月15日 (火) 03:38 (UTC)
- 情報ありがとうございます。挙げられた雑誌記事はというのは、『棋道』『囲碁クラブ』自体を確認されたのでしょうか? 私の手元にある、参考文献の『棋道』1984年版と、『囲碁年鑑』1993年版の「日本棋院物故棋士名鑑」で「仞」表記なので、これが今のところ決定版かなと思っているのですが。(もっともこの両者での読みは「せんじん」なのですが) 私もちょうど家が散らかっていて、思うように文献を取り出せないので、なんで読みを「ちひろ」にしたか確認できません。1ヶ月ほど時間をいただけるとありがたいです。--Sugitaro(会話) 2014年7月15日 (火) 14:19 (UTC)
- 前述の記念誌を作成する際にご家族の方が資料をかなり集めていらっしゃって、原本を確認しております。一部間違った表記が使われていたという話は伺いましたが、それがどの資料なのかについては伺っておりません。読みについては、周囲に「せんじん」で通していたこと、家族も「せんじん」と呼んでいたと伺っています。「ちひろ」という読みについて尋ねてみましたが、ご家族の方は聞いたことがないというお話でした。--Ihosokawa(会話) 2014年7月16日 (水) 05:40 (UTC)
- ありがとうございます。すると『棋道』等においては両方の表記があったというところまでは共通認識になるでしょうか。もしご存命中の『棋道』『囲碁年鑑』があるのでしたら、棋士名鑑(または全棋士星取表)などを確認できるといいかと思いますが、難しいでしょうか。--Sugitaro(会話) 2014年7月16日 (水) 13:04 (UTC)
- 棋士名鑑等、探してみますのでお時間頂けるとありがたいです。私は、「仞」表記があったことをウィキペディアで初めて知ったので、Sugitaroさんからご提示いただいた参考文献を自分でも確認したいと思うのですが、こちらについてもお時間頂けないでしょうか?--Ihosokawa(会話) 2014年7月19日 (土) 09:59 (UTC)
- 正直難しいかと思ったのですが、確認いただけるということでありがたいです。上述の他、年鑑の大手合優勝者なども「仞」、また棋士名鑑の石井邦生九段の項では「仭」ですが、佐藤直男九段欄では「仞」。また講談社「現代囲碁大系」も石井邦生九段の巻を見ると「仞」でした(細川先生の巻は未見です)。白川正芳さんの「碁は断にあり」などは「仭」ですね。人名は出版物での表記揺れが多いので判断に迷いますが(林海峰と林海峯など)。こちらも分かる限り調べてみます。--Sugitaro(会話) 2014年7月20日 (日) 11:38 (UTC)
- 確認ありがとうございます。こちらの現在の確認状況をお伝えします。1984年版および1993年版の囲碁年艦の物故棋士にて「仞」の表記を確認しました。ご存命中の棋士名鑑はまだ確認できておりませんが、『ざる碁』がありました。手元にあるのはコピーですが、原本も確認しております。第1号の初版及び第5版の前書と表紙ですが、こちらでは「仭」表記でした。表紙については直筆だそうです。これは私見なのでここにはふさわしくないかもしれませんが、「仭」と「仞」は異体字というものだそうなので、没後の出版物では「仞」を採用したものもあるのではないかと思いました。--Ihosokawa(会話) 2014年7月21日 (月) 04:00 (UTC)
- 棋士名鑑が気になるのは、『棋道』が日本棋院の機関誌(年鑑はその増刊号)であり、そこの棋士名鑑が日本棋院としての正式名称と考えられないだろうかと思うからです。無理なら仕方ないですが、もし生前のものが見れれば是非お願いしたいです。ちなみに1983年版棋道も「仭」でした。--Sugitaro(会話) 2014年7月22日 (火) 16:08 (UTC)
- 現在までのところで、読み仮名について「せんじん」ということは共通認識でよろしいでしょうか。文字について私としては、棋士として発表した自著の表紙に正式でない名を直筆で入れるということは考えにくいのではないかと思いました。名鑑等につきましては、古い資料ゆえにページが分断してしまっているものもあり、手もちの資料が散ってしまっているため、もう少々お時間をいただきたく思います。今度、細川囲碁教室を訪ねる機会がありますので、そちらでも資料を拝見させていただこうと思っています。--Ihosokawa(会話) 2014年7月30日 (水) 04:20 (UTC)
- 読みについては「せんじん」でいいと思ってます。字体についてはもちろんご本人の直筆は尊重したいのですが、書道の先生の指導や、周囲の人への配慮なども考えられるので、そこは今のところ保留です。あと「仞」の例として「ことばんく」の記事がありました。「講談社 日本人名大辞典」の記述ということで、誰が執筆したものか不明ですが、日本棋院に近い人なのだろうとは思います。調査を頼ってしまって申し訳ないですが、よろしくお願いいたします。--Sugitaro(会話) 2014年7月31日 (木) 14:18 (UTC)
- [PS]調査は、日本棋院に行って聞いてくるという手はあるのですが、すいませんがこれは機会があればということで考えています。--Sugitaro(会話) 2014年7月31日 (木) 14:24 (UTC)
- 細川囲碁教室に伺って、資料を見せていただいてまいりました。あちらも教室運営でご多忙であり、一部の資料のみですが拝見させていただきました。そのなかで、1974年『棋道』の棋士名鑑、退役棋士の項目にて「仭」表記での掲載を確認しました。『ざる碁』でも直筆でない部分にて「仭」表記を確認しました。こちらは日本棋院発行ではありませんが、現役棋士時代に出版された自著であることを考えれば、考慮してもいいのではないかと思いましたので、お知らせいたします。教室を訪ねたことで、せんじん氏の息子さんやお孫さんにもお会いしお話も伺いましたが、個人の証明が難しいネット上の議論にて、これをあげていいものか悩んでおります。ことばんくでの掲載があるとのこと、情報ありがとうございます。引用元の講談社に確認というのは日本棋院への確認以上に手間がいりそうですね。--Ihosokawa(会話) 2014年8月9日 (土) 15:51 (UTC)
- 本当にありがとうございます。年鑑に従って「仭」表記とし、記事名も改名でいいと思います。その上で冒頭節の最後のあたりに「「千仞」表記もある。」といった文を入れておいてはどうかと思います。改名のやり方は、Wikipedia:ページの改名の移動依頼の手順になるかと思います。人名辞典は「現代囲碁大系」と同じ講談社なので、執筆者が同じなのかもしれないかとも思います。親族の方のお話は興味深いので伺えればありがたいです。昭六先生もご存命かと思いますし。--Sugitaro(会話) 2014年8月10日 (日) 09:39 (UTC)
- ありがとうございます。昭六先生は、今も教室で生徒さんの指導をされているようです。お伺いした時も、生徒さんとうっていらしたので、帰りがけにご挨拶させていただきました。改名の手順についても、ご掲示ありがとうございます。不慣れですが、頑張ってみます。以下、簡単にですが息子さんたちからお伺いした話です。「家族はずっと千仭(せんじん)と認識して暮らしてきたので、教室に来られる方で『ちひろ』という名で認識しておられる方々がおり、理由がわからず困惑していました。今回、ウィキペディアに記事があること、読みが『ちひろ』で掲載されていることを知り、びっくりしました。字に関しては、気にしておられる生徒さんはいないが、家族としては、字が違うこと読みが違うことに戸惑ってしまいました。しかし、ここまで千仭に興味関心を持っていただき、さらに記事を書くという大変な作業をしていただけたことは本当にうれしく思います。」とのことでした。教室のほうにお問い合わせいただけるようであれば、今回作成した記念誌をぜひとも送らせていただきたい、ともおっしゃっておられました。--Ihosokawa(会話) 2014年8月13日 (水) 04:51 (UTC)
- 確認ありがとうございます。こちらの現在の確認状況をお伝えします。1984年版および1993年版の囲碁年艦の物故棋士にて「仞」の表記を確認しました。ご存命中の棋士名鑑はまだ確認できておりませんが、『ざる碁』がありました。手元にあるのはコピーですが、原本も確認しております。第1号の初版及び第5版の前書と表紙ですが、こちらでは「仭」表記でした。表紙については直筆だそうです。これは私見なのでここにはふさわしくないかもしれませんが、「仭」と「仞」は異体字というものだそうなので、没後の出版物では「仞」を採用したものもあるのではないかと思いました。--Ihosokawa(会話) 2014年7月21日 (月) 04:00 (UTC)
- ありがとうございます。すると『棋道』等においては両方の表記があったというところまでは共通認識になるでしょうか。もしご存命中の『棋道』『囲碁年鑑』があるのでしたら、棋士名鑑(または全棋士星取表)などを確認できるといいかと思いますが、難しいでしょうか。--Sugitaro(会話) 2014年7月16日 (水) 13:04 (UTC)
- 前述の記念誌を作成する際にご家族の方が資料をかなり集めていらっしゃって、原本を確認しております。一部間違った表記が使われていたという話は伺いましたが、それがどの資料なのかについては伺っておりません。読みについては、周囲に「せんじん」で通していたこと、家族も「せんじん」と呼んでいたと伺っています。「ちひろ」という読みについて尋ねてみましたが、ご家族の方は聞いたことがないというお話でした。--Ihosokawa(会話) 2014年7月16日 (水) 05:40 (UTC)
- 情報ありがとうございます。挙げられた雑誌記事はというのは、『棋道』『囲碁クラブ』自体を確認されたのでしょうか? 私の手元にある、参考文献の『棋道』1984年版と、『囲碁年鑑』1993年版の「日本棋院物故棋士名鑑」で「仞」表記なので、これが今のところ決定版かなと思っているのですが。(もっともこの両者での読みは「せんじん」なのですが) 私もちょうど家が散らかっていて、思うように文献を取り出せないので、なんで読みを「ちひろ」にしたか確認できません。1ヶ月ほど時間をいただけるとありがたいです。--Sugitaro(会話) 2014年7月15日 (火) 14:19 (UTC)
- 体調を崩し、しばらくこちらのチェックができず、返信ができず申し訳ありませんでした。表記・読みに関してですが、「出版物に記載および引用されている過去の記事」と簡単に書いてしまったこと、参考文献とするには説明が足りなかったと反省しております。本件に関して、改名すべきと思いました理由は、前述しました『細川囲碁教室六十周年記念誌 ざる碁党とともに』(2013年4月)に載せられている日本棋院発行の雑誌記事にて「千仭」という表記が使われていたためです。載せられていた記事は、『細川囲碁教室(1958年日本棋院発行「囲碁クラブ」掲載)』『現代百人一局 細川千仭八段の巻(1963年日本棋院発行「囲碁クラブ」掲載)』『ざる碁談義(1966年日本棋院発行「棋道」掲載)』『60人の豆棋士 細川囲碁教室(1973年「棋道」掲載)』『新格言あらかると 九段細川千仭(前谷信伍 1978年「別冊囲碁クラブ」掲載)』です。ウィキペディアの編集に関しまして未熟ですが、あらためまして改名提案を行いたいのですが、いかがでしょうか?--Ihosokawa(会話) 2014年7月15日 (火) 03:38 (UTC)
- 特に新たなご意見もないようなので戻しておきますね。--Sugitaro(会話) 2014年7月8日 (火) 13:24 (UTC)
お話伺わせていただき感謝します。
読みについてですが、「林裕『囲碁風雲録(下)』講談社 1984年」にて「ちひろ」となっていることを確認しました。(表記は本文中は「仭」、索引で「仞」)この読みで認識されている方がいるのも、なにかの文献か、口伝えで残っているためかと思います。よって記事タイトルでは「千仭(せんじん)」でいいと思いますが、
「名前は「千仞」表記、および「ちひろ」の読みもある[1]。」
と記載してはどうかと思います。改名手続きは私も詳しくないですが、何かあればお手伝いさせていただきますので、よろしくお願いいたします。--Sugitaro(会話) 2014年8月16日 (土) 04:06 (UTC)
- 情報ありがとうございます。表記に関する記述の変更追加に関してもまた考えさせていただきます。先日お会いした細川囲碁教室の方がこちらをご覧になったのか連絡があり、『囲碁風雲録』の表記について情報を探してくださるそうです。ご家族だからこそ引き出せる情報もあるかなと思い、お願いしてしまいました。改名手続きについて、依頼の記述の仕方がいまひとつわからず手探り状態ですが、Wikipedia:移動依頼に投稿はさせていただきました。依頼にミス等ございましたら、ご指摘いただけるとうれしいです。--Ihosokawa(会話) 2014年8月19日 (火) 03:03 (UTC)
- 依頼の方は、していただいた通りでいいのだと思います。林裕さんは信頼できるライター・研究者であると(私見では囲碁界で唯一の)思いますし、細川先生とも面識はおありだったろうとは思います。人名の表記揺れはよくあることで、林海峰の他にも木谷實ー木谷実、阪田三吉ー坂田三吉など、その理由は印刷所の活字の都合や、常用漢字表などの戦後の漢字政策など様々あると思いますが、それぞれの立場を尊重したいと思いますし、本名よりも通名を使う方がいい場合(本因坊秀哉ー田村保寿)などいろいろありますので、御斟酌のほどお願いします。--Sugitaro(会話) 2014年8月24日 (日) 05:22 (UTC)
- こんにちは。移動依頼よりまいりました、Kurihaya と申します。熱心な調査とていねいな議論に感謝いたします。私はこの場での議論の経緯と結論にまったく異論はありませんが、この間に改名提案テンプレートが記事本体から除去されていたことが管理者権限の行使にあたりいささか気になりますので、念のため再掲いたしました。恐れ入りますが、もう少しだけお待ち願えますか。--Kurihaya(会話) 2014年9月10日 (水) 04:21 (UTC)
- Kurihayaさま、再掲ありがとうございます。議論を再開させたときに、改名提案を再掲することを失念していました。
- お待たせしました。ご依頼どおり「細川千仞」に移動しました。跡地はリダイレクトです。冒頭表記の修正と改名提案への報告を行っています。--Kurihaya(会話) 2014年9月19日 (金) 09:01 (UTC)
- Kurihayaさま、再掲ありがとうございます。議論を再開させたときに、改名提案を再掲することを失念していました。
- kurihayaさん、移動手続きどうもありがとうございました。(移動先がリダイレクトだったので依頼させていただきました)
- さて、発売されたばかりの『碁ワールド』10月号の「井山裕太物語」で「細川千仭(ちひろ)」という表記になっていました。脱力するしかないですが、もう冒頭文は現状のままでいいと思います。ただ「仞」表記は「囲碁年鑑」「現代囲碁大系」など複数ありますので、補足文は「名前は「千仞」表記、および「ちひろ」の読みもある。」として、個々の文献名は挙げないでいいかと思いますが、いかがでしょうか。--Sugitaro(会話) 2014年9月20日 (土) 10:23 (UTC)
- Kurihayaさま、移動手続きありがとうございました。
- 読みについて文献名を限定させていただいた理由は、編集時点において、「ちひろ」表記を確認できたのがSugitaroさんにご確認いただいた文献のみであったためと、移動手続きが完了しておらず漢字表記には言及せず読みに限定して表記したかったためです。このたび、移動手続きをしていただいたので、文献名を削除し、書き換えさせていただきました。「ちひろ」表記を確認した文献として参考文献への記載はそのまま残しています。--Ihosokawa(会話) 2014年9月22日 (月) 07:35 (UTC)
- 編集ありがとうございます。またIhosokawaさんには改名提案から、お手間のかかる調査までしていただき、感謝にたえません。これからもご意見、情報などありましたらよろしくお願いします。--Sugitaro(会話) 2014年9月27日 (土) 05:48 (UTC)
- Kurihayaさま、移動手続きありがとうございました。