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ノート:級数

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差し戻しの提案

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本記事における「2010年8月14日 (土) 07:11」の編集(差分)と発散級数で同一時刻に行われた編集(差分)を差し戻す提案をノート:発散級数にて行っています。議論の場所が分散するといけないので、これについてなにか意見がありましたらノート:発散級数へお願いします。--貿易風 2010年8月15日 (日) 05:08 (UTC)[返信]

ノート:発散級数での議論に基づき「2010年8月3日 (火) 13:23」の版に戻しました(差分)。--貿易風 2010年8月24日 (火) 03:24 (UTC)[返信]

項目名を元に戻す提案

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級数から級数 (数学)への移動が行われ(差分、事前の合意は無いようです)、跡地の級数が曖昧さ回避の記事に書き換えられた(差分)ようですが、級数の記事を平等な曖昧さ回避にする必要性は薄く、この編集のようにotherusesを使った記事冒頭での曖昧さ回避で十分かと思います。ということで、級数 (数学)級数へ戻し、さらに級数の冒頭に前述のotherusesを置くことを提案します。1週間経過して反対意見が無ければ、Wikipedia:移動依頼へ提出しようと思います。--貿易風 2010年8月26日 (木) 12:03 (UTC)(脱字修正)--貿易風 2010年8月29日 (日) 04:54 (UTC)[返信]

事前合意なしの移動は手続き的には問題があると思いますが、級数とは - 印刷用語 Weblio辞書等を見ると、文字の大きさの意味での「級数」も相当程度一般的であるように思えます。ご提案の移動に反対するわけではありませんが、移動を行う前に、数学用語の級数が「級数」という項目の代表的なトピックであることをしっかりと検証しておく必要があるのではないかと思います。--Arterialmaterial 2010年8月26日 (木) 12:40 (UTC)(一部修正 --Arterialmaterial 2010年8月26日 (木) 12:48 (UTC)[返信]
なお、手続きに問題がある移動を是正しようとしているのですから、移動を依頼する前にWikipedia:ページの改名に沿った手続きを行うなど、十全な手続きを踏んでおいた方がよいのではないかと思います。 --Arterialmaterial 2010年8月26日 (木) 12:48 (UTC)[返信]
文字の大きさの意味での「級数」という用語も一般的なものだとは思いますが、現時点では写真植字機の記事内で説明されているに過ぎず単独項目として(「級数 (○○)」というような形で)説明されているわけではないので、別途曖昧さ回避のページを用意する必要はないとぼくは感じました。今回の移動は事前の合意を得ていない上、要約欄での「曖昧さ回避が剥がされるため」という記述も理由になっていないので、まずは元の状態に戻したほうがいいかと思います。
移動の手続きについては、Wikipedia:ページの改名に沿った手続き(テンプレの設置・Wikipedia:改名提案への提出・1週間の合意形成期間の設定)はちゃんとやっているつもりなのですが、どこかまずかったでしょうか?--貿易風 2010年8月27日 (金) 13:00 (UTC)[返信]
そうすると、「級数 (数学)」がいったん「級数」に戻され、例えば「級数 (フォント)」という記事が作成された場合には、「級数」を適切な手続きの上で再び「級数 (数学)」に移動して、「級数 (数学)」と「級数 (フォント)」とを平等な曖昧さ回避にしてもかまわないということでしょうか。貴殿の主張は形式的な面に主眼が置かれ、「級数 (数学)」がWikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避の種類と方法で言うところの「代表的なトピック」である旨の実質的な理由を欠いているように思います。なお、2010年8月26日 (木) 12:48 (UTC) の追記部分は、読み返してみると、当方もどのような趣旨で記載したものか分かりかねるので、ご放念ください。 --Arterialmaterial 2010年8月28日 (土) 07:59 (UTC)[返信]
一方が項目として存在していない現状で「代表的なトピック」を持ち出すのは議論のための議論でしかありません。級数 (数学)級数へ戻すのが妥当でしょう。なお、辞典類の収録状況を網羅的に調べてはいませんが、『広辞苑』三版の「級数」の項には数学における級数しかありませんでした。(ある一定の世代以上による?) 一般的な文章での用例、学習指導要領への登場などを考慮すれば、仮に文字の大きさの意味での級数が独立した項目として作成されたとしても、数学の意味の級数は十分代表的なトピックに値すると思います。--Jms 2010年8月28日 (土) 20:08 (UTC)[返信]
現状のままだと曖昧さ回避である級数にいくつものWikipediaからの内部リンクが存在することになってしまいますし、かといって平等な曖昧さ回避にすべきという合意があるわけでもない現状においてそれらの内部リンクを級数から級数 (数学)へ置換するのも適切とはいえません。やはり、積極的に級数 (数学)のままにすべきだという人が出てこない限りは「事前合意がなくかつ適切でない理由による移動であり、リンク元の修正も行われていない」ということで元の状態に戻し、もし「級数 (数学)にすべき適切な理由がいえる人」が登場したらあらためて検討するということにしたほうがいいのではないでしょうか。
「曖昧さ回避記事へのリンクがいくつも存在している」というマイナスの状況が発生してしまっていることを考えれば、必ずしも「実質的な理由」を検討しなければいけないわけではなく形式的・手続き的に差し戻す必然性はあるかと思います(そもそも「実質的な理由」の提示なしに移動されたせいでそのようなマイナス状況が発生してしまったわけなので)。--貿易風 2010年8月29日 (日) 04:54 (UTC)[返信]

(インデント戻し)提案から1週間経ちました。Arterialmaterialさんのご意見も「ご提案の移動に反対するわけではありません」との前提の上だったので、反対意見なしとして当初の予定通りWikipedia:移動依頼に提出して良いでしょうか。Arterialmaterialさんから了解が得られるか、あと3日経過しても反応がなければ提出を実行しようと思います。--貿易風 2010年9月2日 (木) 12:54 (UTC)[返信]

誤解を招く表現があったかもしれませんが、私は移動に反対ではありませんが、賛成することもできません。賛成できないと言うことは、すなわち、異論があり、合意が形成されていない状態であるとお考えください。申しわけありませんが、平日は多忙のため時間が取れませんので、詳細なコメントは週末にさせていただきます。 --Arterialmaterial 2010年9月2日 (木) 15:18 (UTC)[返信]
異論があるとのことなので、とりあえずWikipedia:移動依頼への提出は見合わせます。--貿易風 2010年9月3日 (金) 03:13 (UTC)[返信]
お待たせして申し訳ありません。
まず、「級数」から「級数 (数学)」への移動が、適切な手続きを経ていないことは大きな問題だと思います。しかし、不適切な手続きによる移動の差し戻しは、Wikipedia:ページの改名冒頭で挙げられているページの改名を行う3つの場合のいずれにも該当しません。また、手続きの是正だけを理由として「級数」に戻すことは、数学の級数が代表的なトピックか否かという本質的な問題の解決にもなりません。移動は、代表的なトピックについての検討も含め、どのような曖昧さ回避の仕方が適切かを検討した後で行うべきであると考えます。
次に、どのような曖昧さ回避が適切かという点ですが、私は、数学の級数は代表的なトピックではないので、数学の級数と文字の級数とを平等な曖昧さ回避にすべきだと主張しているわけではありません。数学の級数が代表的なトピックであるという点について充分な検討がなされていないので、移動はこの点についてが検証した後に行うべきであるという立場です。
この数学の級数が代表的なトピックであるという点については、Jmsさんに3点の理由を挙げていただいているので、それについて検討したいと思います。
  • 広辞苑での記載については、白駒も指摘していらっしゃいますが、私の手許にある第5版でも両者の用法が記載されています。また、ネット上で参照できる大辞泉[1]、大辞林[2]でも同様です。
  • 「(ある一定の世代以上による?) 一般的な文章での用例」については、失礼ながら、どのような点について言及されているのか分かりかねます。一般的な文章での用例と言えば、増加の態様を表す「幾何級数的に」「算術級数的に」といった表現が思い浮かびますが、いずれにせよ、用例があるだけではなく、その用例がどの程度一般的かを示す必要があるのではないかと思います。
  • 学習指導要領については、初等・中等教育で扱われる学問分野に属する語どうしの間では、学習指導要領への掲載の有無が代表的なトピックであるか否かの判断の参考になるかもしれません。しかし、そもそも出版・印刷は初等・中等教育で扱われない分野であり、そのような分野の用語が学習指導要領に掲載されないのは当然です。そのような分野の語についてまで、学習指導要領での掲載の有無を代表的なトピックであるか否かの判断の材料とすることが果たして適切であるのかという点については、疑問を抱かざるを得ません。
なお、Jmsさんは「一方が項目として存在していない現状で「代表的なトピック」を持ち出すのは議論のための議論でしかありません。」とおっしゃっていますが、未作成の記事を考慮した上で、記事名や曖昧さ回避の仕方を決めることは、一般に行われていることではないかと思います。例えば、ノート:永井隆雄 (コンサルタント)#改名提案では、コンサルタントの永井隆雄氏の記事がカッコなしの「永井隆雄」とされていたものを、記事が未作成であった同名のジャズピアニストがいることを踏まえて、「永井隆雄 (コンサルタント)」に改名しています。
また、貿易風さんは、「曖昧さ回避記事へのリンクがいくつも存在している」点を問題にされていますが、リンクの数は60程度ですので、その全てを修正する作業はさほど大変なものではないと思います。この程度の数であれば、必要ならば、当方で暫定的に「級数 (数学)」へのリンクに修正し、その後に仮に「級数 (数学)」を「級数」へ移動することが合意された場合には改めて「級数」へのリンクに再修正してもかまいません。 --Arterialmaterial 2010年9月5日 (日) 12:54 (UTC)[返信]
曖昧さ回避の対象となる項目が存在しない以上、曖昧さ回避は必要ありませんし、内容からいっても、経緯からしても、Otheruses で機能的には十分なケースでしょう。文字サイズについての記事が単独の記事となった際にあらためて検討すればよいことです。そろそろ議論のための議論になっていませんか。
の、で。以下は蛇足です。一般的な文章での用例というのは、「幾何級数的に」という表現を普通に使う事を念頭に書きました。どの程度一般的であるかを示す必要がない位一般的です。学習指導要領については、仰る事には説得力がまったくありません。もしその様な主張が通るなら、代表的なトピックなどあり得ないでしょう。なお手元の広辞苑は三版でした。--Jms 2010年9月5日 (日) 14:30 (UTC)[返信]
当方は、すでにノート:永井隆雄 (コンサルタント)#改名提案の例を挙げて、「未作成の記事を考慮した上で、記事名や曖昧さ回避の仕方を決めることは、一般に行われていることではないか」と指摘しています。この点については、どのようにお考えでしょうか。 --Arterialmaterial 2010年9月12日 (日) 13:49 (UTC)[返信]
一例の存在をもって一般に行なわれているするのは論理飛躍であり、考慮に値しないと判断しています。一般論としては、曖昧さ回避ページは例外的な存在であって、曖昧さ回避すべき記事ができてから作成すれば十分です。議論のための議論をなさっていると判断します。--Jms 2010年9月12日 (日) 14:02 (UTC)[返信]
例がひとつで足りないのならば、他にもノート:冬物語ノート:死の接吻 (1995年の映画)といった例がありますし、必要ならばさらに例を提示します。なお、この論点を持ち出したのはJmsさんであり、私はそれに対して具体的に例を挙げて反論しているだけです。そして、本件についてはそもそも、なぜ数学の級数が代表的なトピックといえるのかを論じたほうが実りがあると考えますので、この論点について「議論のための議論」を続けたくないという点にはまったく同感です。Jmsさんがもしこの論点についてまだ議論が必要とお考えでしたら、Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避で確認された方が迅速かつ確実に結論が得られるのではないでしょうか。 --Arterialmaterial 2010年9月14日 (火) 13:43 (UTC)[返信]
(インデント戻し)下のほうで議論していましたが上へ誘導されたので以後こちらに書きます。
まず1点目。これはぼくが下で「2010年9月8日 (水) 02:16」に書いたこととほとんど同じ内容になりますが、ノート:冬物語の場合、移動が行われていたときには赤リンクだったにせよ「冬物語」というタイトルのテレビドラマがあることはすでにわかっており、かつ
  • テレビドラマの冬物語についてWikipedia上で説明をするなら、(他の記事のどこかに加筆するのではなく)その単独項目をつくるのが適当であるということはほぼ明らか
  • また、テレビドラマの冬物語の記事が立項された場合は、その項目名を冬物語 (○○)という形にするのが適切であることは明らか
という前提条件があり、だからこそ平等な曖昧さ回避を検討する余地があったと考えられます(そして実際そのケースについては平等な曖昧さ回避が妥当だとぼくも思います)。一方、今回の級数のケースでは、同様のことが成立しません(「2010年9月8日 (水) 02:16」のぼくの発言を再度参照してください)。曖昧さ回避の方法を決定する上で重要な前提条件(将来的な項目名の競合を想定する必要があるかどうか)が異なる以上、今回の議論での参考にはなりません。なお、ノート:死の接吻 (1995年の映画)のケースについても上記と同様であり、事例が1つでたりないなら2つ3つ、というような数の問題ではありません。下でも書きましたが、ぼくは「未作成の記事を考慮した上で、記事名や曖昧さ回避の仕方を決めること」自体を否定しているのではないのです。
今回の議論での参考事例として「冬物語」(あるいは「死の接吻 」「永井隆雄」)での議論を使いたいのであれば、条件を揃えるために、(これもやはり下ですでに述べたことですが)
  • 印刷用語の『級数』は単独記事化されるのが適切であること
  • その場合の記事名は級数 (○○)とするのが妥当であること
の2つが成立することを確認する必要があります。もっとも、仮にこの2つが成立したとしても、
  • テレビドラマの冬物語はその時点で赤リンクだっただけでなくWikipediaの他項目にも(曖昧さ回避で水先案内する必要がある程度に)有益な情報はなかったが、今回のケース(級数)ではすでに他項目(具体的には写真植字機)に案内すべき情報が存在する
というような相違点は残りますので、その事情から考えてやはり(将来的に項目名の競合の発生する可能性があったとしても)印刷用語としての級数の単独項目が実際にできるまでの間はotherusesで対応するのが妥当だと思います。つけ加えて言えば、さらに「もしもの話」として印刷用語の級数の単独項目が級数 (○○)という形で実際に立項されたとしても、下で白駒さんが述べている観点(単語の分解可能性)からやはりotherusesでの対応が妥当でしょう(…が、現時点ではそれについて話し合う以前の問題だといいたいのです)。
2点目。Arterialmaterialさんは「なぜ数学の級数が代表的なトピックといえるのかを論じたほうが実りがある」とお考えのようですが、項目名を級数に戻しましょうと述べている3人(ぼくとJmsさんと白駒さん)は根拠としてるものは微妙に異なりますが、3人とも「代表的なトピックうんぬんを検討することなくotherusesの使用による曖昧さ回避が妥当という結論が得られる」という形での主張を行っているのだということをご確認ください。いくらArterialmaterialさんにとってはそれが実りのあると感じられる論点だとしても、項目名を元に戻しましょうという合意を形成する上で現時点で考慮する必要の無い論点についての合意がないからという理由で合意形成を阻まれても困ります。要するに「その話はいましなくてもいいですよね、必要になったらそのときにすればいいじゃないですか」ということなんですけど。--貿易風 2010年9月15日 (水) 12:56 (UTC)[返信]
既に述べたとおり、私は、
  • 文字の「級数」の単独記事化を阻害する要因はない。
  • 代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避を採用する場合には、代表的なトピックであることを証明する必要がある。
と考えています。また、論点が数学の「級数」が代表的なトピックと言えるかといった個別の事項についてのものであればこのノートでの議論になじみますが、単独記事化するか否かの基準や代表的なトピックであるか否かの証明責任の分配といった点になるのであれば、個別の記事のノートよりも関連する方針やガイドラインのノートで議論した方が適切ではないかと考えます。 --Arterialmaterial 2010年9月22日 (水) 07:40 (UTC)[返信]
「代表的なトピックであることを証明する」ことを求めるなら、「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避を採用する場合」に該当する蓋然性の証明も必要でしょう。再度問います。「平等な曖昧さ回避にすべきだと主張しているわけではありません」と仰っている以上、議論のための議論をなさっているのではありませんか。--Jms 2010年9月22日 (水) 08:09 (UTC)[返信]
ぼくは印刷用語としての級数を単独項目化するべきではないと主張しているわけではないので、Arterialmaterialさんが、あるいはほかのだれかが印刷用語の級数の単独記事を書きたいならそれを止める気はありません。しかし、改名を提案している現時点において印刷用語の級数についての項目は日本語版Wikipediaには存在しませんし、将来立項される可能性を想定するにしてもその項目名が既存の項目名(「級数」)と競合するかどうか、つまりWikipedia:曖昧さ回避の冒頭にある内容が異なるトピック(主題)なのに適切な記事名が同じになってしまう状態になるかどうかはわかりません。下でも述べましたが、「代表的なトピックであるか否かの証明責任がどちらにあるか」を問題にする以前に、そもそも「代表的なトピックであるか否かを問題にしなければならない状態にまだなっていない」ということなんです。
また、これも下で述べたことの反復になりますが、一般論としては、記事名の競合が全く起こっていない(そして将来的におこる見込みがあるわけでもない)にもかかわらず、各記事とは別に水先案内用のページを用意して誘導する必要性が生ずるケースもあることはあります(花結びとか)。しかし、今回の件でそのようなことをする必要性はないでしょう。もしなんらかの理由によりそのような誘導方式をとるべきだと主張されるのであれば(その主張が正しいかどうかはそのあと話し合うとして)議論の進め方としてそういった立場もあるかもしれません。しかし、Arterialmaterialさんは別途ページを設ける誘導方式を採用すべきだと主張しているわけではないのですから、だれからも反対されていないこの改名提案の合意形成を阻む必要性はありません。
Wikipediaでの議論というのは、「よりよい記事を読者に提供する」という目的を達成するための手段であり、議論自体が目的ではありません。その目的を達成するための理想的な記事の状態について利用者間で意見の相違があるなら、議論を行って解決する必要がありますが、今回のケースでは「こうすればいいだろう」という記事の状態について意見の対立はないので、これ以上する必要のない議論を強要するのは控えていただけませんか。これもやはり下で書いたことですが、現状では「項目名を級数に戻すべきという人は3人いるが級数 (数学)のままにすべきという人は1人もいない」のですから、だれからも賛同を得ていない状態のままにしておくのではなく積極的に賛成している人のいる状態にいったん戻した上で、もし「級数 (数学)にすべき」という人がでてきたらあらためて議論すればいい話です(反対者がいない以上、そのようにしてもだれも損をしません)。--貿易風 2010年9月23日 (木) 04:36 (UTC)(誤記修正)--貿易風 2010年10月12日 (火) 12:57 (UTC)[返信]
すでに説明したとおり、記事が未作成の事項を参酌して曖昧さ回避の方法を決定した例は複数あります。これについて貿易風さんは 2010年9月8日 (水) 02:16 (UTC) のコメントなどで、「明らか」、「明らかではない」といった表現を用いて、本件との差異を説明しようとされていますが、なぜ明らか(または、明らかでない)と言えるのかという理由については説明されていません。このため、「明らか」であることや「明らかではない」ことは、貿易風さんの主観的な判断にとどまっていて、一般性のある客観的な判断に至っていないのではないかと思います。また、私は、この明らかか明らかでないかという論点は結局のところ、代表的なトピックであるといえるか否かという論点に帰着するか、少なくとも、密接に関連するのではないかと思います。
私も、「代表的なトピックであるか否かを問題にしなければならない状態」か否かについて議論を続けたくはありません。既に述べたとおり、数学の級数が代表的なトピックであることが説明できればそれで充分だと思いますし、そもそも、代表的なトピックを中心とした曖昧さ回避にすべきほどの項目であれば、その観点から他の項目との差異を具体的に説明することは容易なのではないかと思います。それにもかかわらず、なぜ、数学の級数が代表的なトピックであるか否かについての議論を頑なに拒んで、「議論のための議論」と呼ばれるものを続けられるのか、不思議でなりません。 --Arterialmaterial 2010年9月30日 (木) 08:27 (UTC)[返信]
「議論のための議論」と呼ばれるのは、それが端的に不要な議論だからです。「平等な曖昧さ回避にすべきだと主張しているわけではありません」ということからも、議論のための議論でしかありません。そうでないならば、その議論が必要不可欠であることを可能性によらず蓋然性によって示してください。なお、お求めの点についてはすでに十分示されていると思います。--Jms 2010年9月30日 (木) 10:49 (UTC)[返信]
議論の全体を把握しているわけではありませんが、少し別の観点から、Arterialmaterialさんに伺いたいことがあります。(もちろん他の参加者の方々からのコメントも歓迎です。)
Arterialmaterialさんは、「代表的なトピックであるか否か」を判断すること拘っていらっしゃいますが、実際問題として、数学における数列の和としての「級数」という語が、「代表的なトピックである」または「代表的なトピックではない」と結論するために、どのような要件をお考えなのでしょうか。
例えば、すでに複数の辞典に、数学における「級数」と写植に関する「級(数)」とが併記されていることが指摘されているようです。これは、「数学における級数という語は、代表的なトピックではない」と結論する根拠たりえますか。逆に、例えばgoogleで、「級数 ポイント」で検索すると約 46,900 件 、「級数 数学」で検索すると約 107,000 件 となっています。ちなみに「級数」で検索すると約 455,000 件 、「q数」だと約 47,500,000 件 です。もちろんgoogle検索で個々の用例までわかるわけではないということは百も承知の上であえて申し上げますが、上のような検索結果は、「級数」という語については数学における用法で用いる方が代表的で、写植におけるそれは「q数」と表記する方が代表的だと結論する根拠たりえますか。
Arterialmaterialさんは、「数学の級数が代表的なトピックであることが説明できればそれで充分だ」や「代表的なトピックを中心とした曖昧さ回避にすべきほどの項目であれば、その観点から他の項目との差異を具体的に説明することは容易なのではないか」と仰っておられますが、「代表的か否か」ということに端的に白黒つけることはあまり現実的ではないような感じがしています。(こうしたことは「関数/函数」論争にも通じるものがあるように感じます。)もし、他の項目で、ある用法が代表的で、それ以外の用法は代表的なものではないというような判断がなされた例があればお教えいただけると幸いです。
さしあたって、「(将来的に項目名の競合の発生する可能性があったとしても)印刷用語としての級数の単独項目が実際にできるまでの間はotherusesで対応するのが妥当だ」という貿易風さんの判断で問題ないのではないかと私個人は考えます。--Henon 2010年9月30日 (木) 23:42 (UTC)[返信]
何度も同じことを述べている気がしますが、Arterialmaterialさんが例を挙げている「未作成の記事を考慮して、その時点で項目名の競合が発生していないにもかかわらず平等な曖昧さ回避を採用した例」というのはいずれも「将来的には曖昧さ回避の要件である内容が異なるトピック(主題)なのに適切な記事名が同じになってしまうという条件が満たされる蓋然性の高い状況」の話であって、今回の件とは異なります。ぼくがこれまでの発言で「(級数の記事について)明らかでない」と述べた部分については理由はすでに説明していますし、仮に「(例えば冬物語について)明らかである」と述べた部分の正当性について嫌疑があったとしても、それは「冬物語の記事で平等な曖昧さ回避を使用しないほうがいい」ことの根拠になりえるだけで、「級数の記事で平等な曖昧さ回避を使用する余地がある」ことの根拠にはなりません。それでも念のため冬物語のケースで「明らか」と判断した根拠を説明しておくと、
  • テレビドラマの冬物語についてWikipedia上で説明をするなら、(他の記事のどこかに加筆するのではなく)その単独項目をつくるのが適当であるということはほぼ明らか
の部分の根拠は、「(議論当時未作成であった)テレビドラマの冬物語」は「(議論当時作成済みであった)漫画の冬物語」を「テレビドラマ化したもの(メディアミックス)」ではなく、全く別の作品だからです(もし漫画のドラマ版であるなら、漫画の記事に加筆するという方法もあります)。そして、
  • テレビドラマの冬物語の記事が立項された場合は、その項目名を冬物語 (○○)という形にするのが適切であることは明らか
の部分については、そのテレビドラマのタイトルが「冬物語」である以上まさに「明らか」であり、強いて根拠を示すならWikipedia:記事名の付け方の「正式な名称を使うこと」という規定を挙げることになります。
なお、これらの「明らか/明らかでない」の論点は、「将来的に記事名の競合が発生する蓋然性があるかどうか」つまり「平等な曖昧さ回避の採用を検討する必要があるかどうか」を判断するための論点ですので、Arterialmaterialさんがおっしゃっているように「代表的なトピックであるといえるか否かという論点に帰着する」ということはありません。「明らか/明らかでない」の論点について「将来的に記事名の重複が発生する蓋然性がある」という認識が共有できていない段階では、「代表的なトピックかどうかを検討するというステージに議論が移行しない」のです。繰りかえしますが、現時点では代表的なトピックうんぬんの議論の必要性が示されていません。必要の無い議論を何度やれといわれても、「なんでいまそんな話しなきゃいけないんですか?」としかいいようがありません。Arterialmaterialさんは
数学の級数が代表的なトピックであることが説明できればそれで充分だと思います
と述べられていますが、「数学の級数が代表的なトピックであることが説明されていないこと」を根拠として改名に反対するのであれば、「それで充分」ではなく「それが必要」であるということを説明しなければならないんです(必要条件と十分条件)。--貿易風 2010年10月2日 (土) 02:57 (UTC)(脱字修正)--貿易風 2010年10月12日 (火) 12:57 (UTC)[返信]

(インデント戻し)上記発言から1週間以上たちましたが反応がありません。この発言からさらに1週間経過してもArterialmaterialさんからコメントがないようであれば反論する意志はないと考え改名の合意が成立してとみなします(Wikipedia:移動依頼に提出します)。異議がある場合はこの下にお願いします。--貿易風 2010年10月11日 (月) 11:30 (UTC)[返信]

1週間経ちましたが反論はありませんでしたので、項目名を級数 (数学)から級数に戻す合意が成立したとみなし、Wikipedia:移動依頼に提出しました。--貿易風 2010年10月19日 (火) 09:52 (UTC)[返信]
Arterialmaterialさんの「2010年9月5日 (日) 12:54」の発言に対してのレス)
Arterialmaterialさんが「平等な曖昧さ回避にすべきだと主張しているわけではありません」との意見をお持ちであれば、ここには「(数学の)級数をメイン記事とすべきと思う人は3人いるが、ほかの方法で曖昧さ回避すべきと思う人は1人もいない」わけですから、数学の級数をメイン記事とした構成をとりあえず採用し、それ以外の方法を採用すべきと主張する人がでてきた段階であらためて議論をすることにすれば、議論に費やすリソースを節約できるのですが…。Arterialmaterialさんの主張は議論すること自体が目的化しているような気がするのですが、そもそも利用者間で曖昧さ回避の方法について意見の対立が起こっていないにもかかわらず合意形成を阻んでまで「本質的な問題の解決」を迫る必要があるとは思えないです。解決しなければいけない状態になってからでいいんじゃないでしょうか。
次に、ぼくは「未作成の記事を考慮したうえで曖昧さ回避の方法を検討する」ことすべてを否定するつもりはないです。が、永井隆雄の記事の場合は、改名した時点では立項されていなかったにせよジャズピアニストの永井隆雄さんが存在することが確認されており、さらに
  • ジャズピアニストの永井隆雄についてWikipedia上で説明をするなら、(他の記事のどこかに加筆するのではなく)その単独項目をつくるのが適当であるということはほぼ明らか
  • また、ジャズピアニストの永井隆雄の記事が立項された場合は、その項目名を永井隆雄 (○○)という形にするのが適切であることは明らか
というような前提があったからこそ平等な曖昧さ回避にすることが適切だったのだと思います(つまり将来的に記事名の競合が発生する可能性が極めて高いということ)。今回のケースでは、
  • そもそも印刷用語としての「級数」を単独項目化する必要があるかどうかは必ずしも明らかではない(現状のように写真植字機の記事の一部での説明にとどめるのが適切なのかもしれない)
  • 仮に単独項目化するにしてもその項目名を級数 (○○)とすることが適当かどうかは明らかではない(実際、級 (○○)級数制のほうがいいという意見もでている)
というような状況ですから、前提条件が異なります。もし今回のケースで平等な曖昧さ回避が妥当だと主張する場合は、
  • 印刷用語の『級数』は単独記事化されるのが適切であること
  • その場合の記事名は級数 (○○)とするのが妥当であること
の2つを説明する必要があると思いますし、その説明がされない限りは(そもそも項目名同士が競合することを想定する必要性が示されていないことになるので)「代表的なトピック」うんぬんを検討する必要はなく、(項目名が競合しない場合の標準的方法である)数学の級数をメインとした曖昧さ回避に戻すのが妥当ではないでしょうか。--貿易風 2010年9月8日 (水) 02:16 (UTC)(修正)--貿易風 2010年9月8日 (水) 02:33 (UTC)(補足追加)--貿易風 2010年9月16日 (木) 12:39 (UTC)[返信]
そもそも、文字の級数の記事を作成する場合には、分割によるほかに、ゼロから作成する方法もあります。そして、Wikipediaでは、基本的に独立した記事をゼロから作成する場合に、事前にその記事を作成してよいか否かについてどこかで事前に合意を得ると言う手続きは求められていないと認識しています。一方、もちろん、白駒さんがおっしゃるように「写真植字機」などに文字の級数についての記述があるので、ここから分割することも考えられるし、その場合には、分割を提案し合意を得ることが必要です。その際には、私であればおそらく、文字の大きさの単位については「ポイント」のような独立した記事があることや、「写真植字機」における文字の級数に関する記載を元に加筆をすれば、質・量ともに独立した記事として十分な内容になることなどを理由として挙げるでしょう。
記事名については、代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避を採用しようとする際には、「代表的なトピック」であることを示す必要があるのか、それとも、「代表的なトピック」ではないことが示されなければ、代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避を採用してよいのかという問題を提起されているように思います。私は、「代表的なトピック」であることを示す必要があると考えていたのですが、白駒さんがこのような点にまで疑問を持たれているようであれば、ここよりもWikipedia‐ノート:曖昧さ回避で確認または議論をされた方がよろしいのではないかと思います。 --Arterialmaterial 2010年9月12日 (日) 13:49 (UTC)[返信]

(インデント戻し)新たに記事を作成するときに原則として事前合意が必要でないことはわかっています。そうではなくて、そもそもその概念(今回の場合は印刷用語としての級・級数)の単独項目が今後作成される見込みがあるのかどうかが不明であり、また仮に作成されたとしてその項目名が既存の項目名(=級数)と競合するかどうかも不明な現時点においては、項目名が競合した場合のことはまだ考えなくてもいい、という話です。分割なのか新規立項なのか、という話は関係ありません。「代表的なトピックであるorでない」ということを示す立証責任かどちらにあるかという問題以前に、そもそも項目名の競合が発生する可能性が明らかではないのだから「『代表的なトピックかどうか』について検討しなければならないかどうか」がまだわからないということです。項目名が競合しないにもかかわらず括弧を使った項目名を採用するケースも存在しないわけではないので、Arterialmaterialさんが「このケースにおいては項目名は競合しないが括弧つきの記事名(級数 (数学))を採用すべきだ」と主張されるならそれはそれでひとつの立場としてありえると思いますし、あるいは「これこれこういう理由により今後記事名が競合する可能性が高いから現時点でも括弧つきの記事名にするべきだ」と主張されるならそれもひとつの立場としてあるかもしれません。しかし、級数 (数学)という記事名を採用すべきと考えているわけでもないにもかかわらず、そもそも検討する必要性があるかどうかもわからない「代表的なトピックかどうか」という点について肯定的な合意がないからといって「合意を得ていない曖昧さ回避の方法の状態」から「通常採用されている標準的な曖昧さ回避の方法でありかつこれまで暗に合意を得ていたと考えられる状態」へ戻す提案の合意形成を阻むのであれば、それは議論すること自体を目的化してしまっていませんか(Jmsさん流にいえば「議論のための議論」をしていませんか)。白駒さんがどうお考えかはわからないですが、ぼくはWikipedia‐ノート:曖昧さ回避に議論を移す必要があるとは思いません。--貿易風 2010年9月14日 (火) 13:39 (UTC)[返信]

その点であればまさにJmsさんとの間で議論している点だと思いますので、以後はそちらの議論にご参加ください。 --Arterialmaterial 2010年9月14日 (火) 13:45 (UTC)[返信]
Jmsさんが主張していることとぼくが主張していることは、結論は同じですし共通点もあるものの別々の反論の仕方をしているので「まさにJmsさんとの間で議論している点」とまとめられてしまうとこれまで書いたことをちゃんと読んでもらえたのかなと思ってしまいますが、別々の場所で議論を進めるとやりにくいのは事実なのでこれ以降は上のほうに書くことにしますね。--貿易風 2010年9月15日 (水) 12:56 (UTC)[返信]

「級数 (数学)」を「級数」に戻し、otheruses で対応することに賛成します。数学の「級数」が分解できないひとつの単語であるのに対し、写植の「級数」は「級の数」という意味であり、「代表的なトピック」云々を精査するまでもなく、記事「級数」は数学用語が占めるべきと考えます。すなわち、記事ポイントに対して別記事「ポイント数」が不要であるのと同様に、記事「級数 (フォント)」を立てるくらいならば、「級 (フォント)」を立てるべきでしょう。もしくは、Q数制級数制という記事名であれば、曖昧さ回避の括弧も不要になってよいのではないかと思います。参考までに、広辞苑の最新第六版では「級数」の項に写植のことも乗っており、「級」の項にも説明があります。なお、級数のリンク元について調べたところ、ほとんど数学についての話でしたが、デザイン用語だけは写植の話でしたので、リンクを訂正しておきました。--白駒 2010年9月2日 (木) 19:52 (UTC)[返信]

白駒さんが指摘されているとおり、文字の級数の記事名としては、他の記事名も考えられますが、その中では、辞書などに掲載されている「級数」または「級」が最も妥当ではないかと考えます。ただし、同じ分野の用語でも、「級数」が頻繁に利用されているのに対して「ポイント数」はほとんど使用されていないようなので(たとえば、DTPエキスパート用語辞典などでも示されているように、「ポイント」と「級数」を対で用いるのが一般的なようです)、「ポイント」についての記事の記事名が「ポイント数」ではなく「ポイント」だからといって、同様に「級数」ではなく「級」とするべきという類推は、やや乱暴なように思います。「級」という記事名とする可能性を全面的に否定するものではありませんが、「級数」よりも「級」が適当と結論付けるためには、「級」が「級数」と同等またはそれ以上に用いられることを示す必要があるのではないでしょうか。 --Arterialmaterial 2010年9月5日 (日) 12:54 (UTC)[返信]

報告 Wikipedia:移動依頼での依頼に基づき、級数 (数学)から級数へ移動しました。--Penn Station 2010年11月16日 (火) 11:33 (UTC)[返信]

収斂 vs. 収束

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本項目ではconvergeの和訳として「収斂」と「収束」が混在しているようですが、使い分けに明確な意図があるのでしょうか? ないならどちらかに統一してしまってよろしいですか?--Wetch会話2012年12月6日 (木) 02:43 (UTC)[返信]

表記を「収束」に統一しました。「収斂」を採用すると記事内のダランベールの収束判定法が赤リンクになるために「収束」をとったのですが、機械的に全置換しましたのでどこか意味的におかしな部分が出たかもしれません。チェックいただけると幸いです。--Wetch会話2012年12月29日 (土) 13:35 (UTC)[返信]

上記編集が取り消されましたが、やはり意図のある使い分けだったのでしょうか?ご説明をいただきたく思います。--Wetch会話2013年1月2日 (水) 04:52 (UTC)[返信]
Wetchさんの編集を支持します。同じ概念に対し2種類の表記が混在していると混乱を招きます(もし収束と収斂にニュアンスの違いがあるなら私の不勉強です、すみません)。だいぶ時間が経っているのにSuper-real danceさんからの返事は無いので全部「収束」にしてしまって良いと思います。--おまぁ~会話2013年4月15日 (月) 19:46 (UTC)[返信]
ご賛同ありがとうございます。ここで私がこんなことを言うのもなんですが、表記の統一をあわてて行うのはやめておいたほうが良さそうです。と言うのも、調べたところこの件については過去に議論があったようです(ノート:発散級数/過去ログ1)。私の編集が取り消されたのは、プロジェクト:数学/函数と関数#現行方針に「統一する必要はない」とあるのを転用したものと思われます(要約欄に説明がなかったので推測です。Super-real danceさんにはきちんとした説明を求めます)。変更する場合はたとえばプロジェクト‐ノート:数学などで広く議論をしてからのほうが良いでしょう。--Wetch会話2013年4月16日 (火) 07:12 (UTC)[返信]