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ノート:粟屋憲太郎

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思想性について

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はっきり言うとアカ。--以上の署名のないコメントは、221.191.222.171会話/Whois)さんが 2007年3月29日 (木) 08:41‎ (UTC) に投稿したものです。[返信]

2021年4月20日 (火) 10:00‎ 列島 編集の出所です。

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「大日本帝国は親の仇」と言い放った歴史学者

大井健輔のブログ『日本語教師放浪記―...
https://ameblo.jp/ooikennsuke/entry-12581528199.html

この人の著書に次があります。
『津田左右吉、大日本帝国との対決』(勉誠出版 2015) --列島会話2021年8月9日 (月) 11:13 (UTC)[返信]

原文は次です

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私怨を学問に持ち込む歴史学者について書きたい。

日本の大学教授の多くは、ゼミをあたかもプライベートな空間だと勘違いしている人が多い。しかしそこはあくまでも公的な講義の場である。

教授を中心にその場を囲んでいるので、フレンドリーな空間ができ、学生もあまり教授に対してたてつくようなことが少ない。しかし私は平然と議論をしたので嫌われたものだった。

新聞奨学生をしながら大学に通っていたので多少他の学生とは真剣さが違っていたように思う。あまり変な授業なら金を返せと言いたくなるような授業をしている学者も少なからずいた。

日本ではその場で議論をすると言うことは関係性が壊れてもいいという前提の時だけだとの指摘は、確か『日本教の社会学』(山本七平・小室直樹)か中根千枝の『タテ社会の人間関係』のなかにあった。ということは本当の学問が育ちにくい。特に文系においてはということである。

幼少の頃から歴史が好きで学んできたが、立教大学で日本近現代史を専攻したことで歴史家に失望するようになった。

現代史の指導教授故粟屋憲太郎(1944-2019)氏は戦後一大勢力を築いた歴史学研究会というマルクス主義系史学の学会に所属していた。

教授と出会ったのは2002年の事である。教授は戦争中に一兵士であった父親を戦地で失ったらしい。よく福沢諭吉の真似をしては

「大日本帝国は〈親の仇〉である」

と公言していた。

「日清・日露戦争も侵略戦争である。全てはアジア・太平洋戦争と繋がっているのだ」

こう断じる教授は、明らかに私怨で学問をしていた。このような情念に基づいて、学問における公平性がいかに担保されるのか不思議であったが、教授の口からその重要性が説かれたことは一度もなかったように思う。

怨恨で研究しているのは明白なのに、「東京裁判を冷めた目で研究しろ」というのである。冷めたというのは覚醒したという意味ではなく、冷酷なという意味なら理解できなくはないが。

歴史家E・Hカーは「歴史家は裁判官ではない」と警告している。特に「過去の個人」を裁くことの危うさを指摘していたが、これは検察官気取りの教授とは対照的であった。

私は思想史を選択した。思想史であれば不毛な政治論争に巻き込まれることが少ないと判断したためである。かといって私が政治史を研究しないで済むということはなかった。というのは、教授は近現代政治史研究では国際的権威として知られており、課題として東京裁判の検察側の英文資料を学生らに翻訳させていたからである。教授は東京裁判の検察以上の峻厳さで日本の政治家・軍人・官僚らを裁いていた。

言うまでもなく、東京裁判は議論の多い歴史的事件である。勝者が敗者を裁くという不公平さをいかに評価することができるのか。

法的根拠も怪しく、弁護側の管轄権動議にすら裁判長らは答えられなかったのは周知の事実だ。研究対象として東京裁判から歴史的意義を発見することが困難なことは多くの学生も気づいていた。しかしそれを教授に対して表に出すのは困難な雰囲気があった。

研究室は日本を裁く必然からか陰鬱な雰囲気であった。ある日、そのような空気に耐えかねた様子の女子学生の一人が鋭い質問を教授にした。

「非人道的な原爆を投下したアメリカが日本の戦争犯罪を裁くということは、非戦闘員を理由なく殺戮した自分たちの行為を正当化するためでしかないのではないか。」

教授は数分言葉が出ず、しばらく黙っていた。そして重い沈黙の後、不本意そうに

「その見解もありうるね」

と述べた。その応えに満足がいかなかった様子の彼女は、二度と研究室に現れることはなかった。教授は戦前日本のファシズムを批判しながら異論を許さぬ空気を好み、ファッショ的であった。

他の学生は

「どうして東京裁判の検事席に国際法違反のソビエト連邦の代表が座っているのか理解に苦しむ」

と述べ、教授を困惑させた。これら学生の当然とも言える疑問の数々は親の仇を撃った東京裁判の正当性を根底から覆すもので、教授にしたら始末に負えないものであったろう。そして私がした質問で教授を困らせたのは

「あの戦争を侵略戦争と批判するのであれば、その逆の自衛戦争とは何か教えてください。そうしていただかないと侵略の意味が理解できません」

だった。

「侵略戦争が悪い」という言い方は、戦争自体を容認しているようにもとれる。侵略が悪いならば、「自衛戦争なら良い」のか。であるならば教授は戦争容認派ではないかと質問をしつつ皮肉を言ったのである。

これは侵略戦争論者の致命的論理破綻なのである。じつは彼らは戦争そのものの容認派なのである。その自家撞着にも気が付かないとすれば愚劣というほかない。

とうとう教授から明解な答えは得られなかった。そして昨年亡くなられた。それを知ったのは昨日のことだった。

「お前(右派の)を大学院後期博士課程試験に落とすために、南京大虐殺について論じろという問題を出したんだ」

とまで憎まれた私が言うことでもないかもしれないが、御冥福をお祈りしたい。

--列島会話2021年8月9日 (月) 11:40 (UTC)[返信]

死去にともない「存命人物」を除去

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死去されているので、存命を除去 --列島会話2021年8月9日 (月) 11:41 (UTC)[返信]