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ノート:篠原涼子

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「元」歌手の表記について

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頻繁に書き換えられていますが、歌手を引退したというまともなソースがありません。 かつて、コメントで、ソースとして指示されたものをこちらにあげておきます。--つる 2007年5月3日 (木) 02:15 (UTC)[返信]

2007年4月26日 (木) 16:44の版 60.36.97.77
デイリースポーツの芸能欄。ただし、発行日時は不明で、60.36.97.77に尋ねても返事なし。

2007年5月2日 (水) 14:07の版 125.100.73.66
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110117111
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q144697474
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310884858
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q122745077
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q132570233

本項目を保護依頼に出しました。よろしくお願いします。--Pppc88 2007年5月11日 (金) 07:55 (UTC)[返信]

この5つのYahoo!知恵袋の回答を出典としているようですけど、篠原の現状での活動状況を見て意見しているだけとも見受けられるし、何よりその回答にしたって私達が「篠原は元歌手」であると確認できるものではないですのでこれは出典とは言えないと思います。デイリースポーツについてですが、60.36.97.77氏がデイリースポーツ元歌手って書いてあったと言っているだけでは信用できません。書いてあったということを確認するためにつるさんが要約欄で発行日を尋ねているのに、まともな返答もないようでは60.36.97.77氏の言っていることがデタラメと捉えていいと思います。

そもそも「とんねるずのみなさんのおかげでしたに出演した際、木梨憲武に「篠原さんの本業は何ですか?」と聞かれると、「本業は歌手です」と答えている。」っていうテレビ番組を出典とした記述が書き込まれている中で、「元歌手」と付ける意図が見えないというのが正直な意見です。

それとこれは私の意見ですが、篠原はダブルミリオンを記録したりと歌手としての実績を残しているということもあるので、現在の活動状況がどうであれ、わざわざ「元」という定義を付ける必要は無いんじゃないかと思います。--B.R 2007年5月11日 (金) 18:38 (UTC)[返信]

半保護されている間、根拠ある出典が示される様子はありません。7月31日頃に保護解除されますが、保護解除までに出典が示されることがなければ、「元歌手という定義は載せない」ということで方針を固めようと考えます。--B.R 2007年7月25日 (水) 12:59 (UTC)[返信]

Sister of Tomoe?

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Is she related to 篠原ともえ? --70.179.175.240 2007年9月14日 (金) 06:48 (UTC)[返信]

この記事または節には、複数の問題があります。

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見出しのタグを貼り付けた者です。まず第一に、私は篠原涼子さんをある程度好意的に思っている者のひとりです。決してこれまでの記事に文句を付けているわけではありません。より良い記事に育てば良いと考えております。

略歴については、中立的でない表現が散見されます。目についたところは範囲指定の「[要出典]」を貼り付けました。○○○という雑誌の記事に検証可能な出典があるなどということが脚注などで明示されない場合は、より中立的な表現に置換する必要があると思います。例えば、

2004年に初主演したドラマ『光とともに…〜自閉症児を抱えて〜』(日本テレビ)では自閉症児の母親役を演じた。その後は演技派女優として、『anego』(2005年 日本テレビ)や『アンフェア』(2006年 関西テレビ)などに主演。2005年ドラマ『ウーマンズ・ビート ドラマスペシャル〜溺れる人〜』の演技が評価され、第31回放送文化基金賞番組部門個別分野出演者賞を受賞。

など、過度な修飾を外して百科事典的な事実を述べるだけでも最後の受賞歴で、「演技力に定評があるんだな」ということが読者には分かります。

人物については、正直かなり手を加える必要があるかと思います。その理由としては、

  • 多くの部分がテレビの視聴報告になっており、また会話内容をそのまま記述している部分も多く、百科事典の文章としてまとまりに欠ける。
  • 一部前項と重複するが、「天然ボケ」と「下ネタ好き」に関する記述は細部にまで執拗に記述されており、人物を語る一連の流れを妨げている。
  • 日本語の書き言葉としても、読点で区切られた長大な文章が見られ、真意が正確に伝わりにくい。

上記の(私の思う)改善点は折をみて変更していくつもりですが、万一の編集合戦を未然に防ぐため、本ノートを記述しました。どうぞ、議論は本ノートでお願い致します。--Koichi 2010年2月16日 (火) 13:55 (UTC)[返信]

人物、特に「天然ボケ」と「下ネタ好き」においてですが、どの人物記事でもキャラクターを説明するためにはいくつかのエピソードを併記することも必要だと考えます。もちろんエピソードや特徴等を逐一載せるのは過度であってはならないと考えます。ですが文章の推敲には否定しないのですが、現段階ではまだその逐一載せているというような執拗の範囲に当たらないと判断します。そしてどういう風にしようとしているのかが判断できないいま、文章の大幅な削除が目的であるならどういった文にしたいのかがわからない限りは削除には反対の意を示します。--B.R 2010年2月16日 (火) 17:15 (UTC)[返信]
早々にご意見を賜り、ありがとうございます。まず、「執拗の範囲に当たらないと判断」する旨、了解しました。ただ、ご存知の通りこの「判断」基準には個人差があり、現在のところWikipediaにその確固たるガイドラインは見当たりません(参考:Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 芸能人#人物像の書き込みについて)。「執拗な」という私の曖昧な表現は相応しくなかったと思います。この反省をふまえて事実を捉えるとすれば、現状の記事では「人物」の半分を超える記述が、バラエティ番組での発言集になっています。仰るとおり「エピソードを併記」することは人物を解説する上で有効な場合もあります(過去に私も書いています)。ただ、それが過剰(少なくとも半分を超える状態)になっては本来描くべき人物像がぼやけてしまいます。例えば、「ザテレビジョンドラマアカデミー賞の助演女優賞を2度、主演女優賞を4度受賞」という功績は人物を語る上で重要な記述だと思います。しかし現状は、その上部と下部にある、はるかに長大なエピソードの記述にはさまれており、多くの読者が見逃すかもしれません。「人物」という見出しを百科事典の中に掲げているわけですから、篠原涼子の歌手、女優、タレントとしての業績に関連した像を中心に記述すべきであると考えます。まったくもってそれ以外を書くべきでないという意味ではありません。また、現状のままでも、篠原涼子をよく知っている人にとっては別段構わないかもしれません(私も構いません)。しかし、篠原涼子をほとんど、あるいはまったく知らない人(極論すれば100年後の人)にとっては、「人物」を読んでいるのに、どんな人物なのか(だったのか)が分からないかもしれません。これでは百科事典とは呼べません。この部分がその他の文書(例えば雑誌や掲示板など)との大きな違いだと思います。繰り返しになりますが、これは文句をつけているのではありません。多くの人が加筆したため、一時的にバランスを失っているだけかもしれません。時系列にこだわるあまりに、重要な記述が埋もれているだけかもしれません。いっそ節(見出し)の組み方や名前を見直したら、すっきりするのかもしれません。
良くも悪くもWikipediaは読者の誰もが執筆できるオンライン百科事典です。各節へのバランスのとれた記事の配分など、長期的に見れば、記事は将来の執筆者により育てられると考えております。決して私がベストの記事に仕上げると申しているのではありません。
なお、具体的にどのような変更を行うか(または行わないか)は、まだぼんやりとしか考えておりません。現在の記事内容(特にバラエティ番組での発言)の削除を避けるということであれば、「人物」では軽く触れる程度にして、新たに「エピソード」の節を設け、そちらへ移すという方法があります(あまり推奨されませんが、よく見かけますね)。その場合でも、可能であれば現状の会話形式での記述は避け、情報量は変えずとも百科事典としてまとまりのある記述に改編できればいいのですが、私の文章構成能力では難しいかもしれません。もしくは「人物」という見出しを「エピソード」に改名して、受賞歴など一部の記述を「略歴」に組み込むという案もあります(拘束力はないものの、Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人に「人物」という節はありませんし)。
いずれにせよ、ご意見を頂ける方がおられる以上、極力ある程度の合意形成をしてから執筆を行いたいと考えております。また、他の方からもご意見が頂けるかもしれませんので、少なくとも暫くは執筆しないつもりです。議論の流れによっては、私以外の方が執筆することになる可能性もあるでしょう。当然のことですが、この議論中も執筆は自由です。それを止める権利はありません。長文お許しください。--Koichi 2010年2月17日 (水) 13:03 (UTC)[返信]
見出しを作成した者です。一方的かつ突然で申し訳ありませんが、ここで議論した内容を本文に反映することは、ひとまずやめておきます。理由は私的な問題です。私の思いに変わりはありません。このあと、本文のタグも削除します。以上、ありがとうございました。--Koichi 2010年2月22日 (月) 06:07 (UTC)[返信]

記事の編集について提案します。

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Black-Riverさん、メッセージを受け取ったのに放置して申し訳なかったです。あまり時間が無くて失礼しました。また本ノートで一旦切り上げておきながら、予告なしの削除、お詫びします。さて、久々に履歴を見たら(おそらく)複数名の方が同様の削除をされたようですね。それに対してBlack-Riverさんが元に戻されている状況。これはあくまで提案ですが、もし次にどなたかが同様の削除をされたら、すぐに戻さず暫く様子をみられたら如何でしょう。例えば他にどれぐらいの方が元に戻すのか。Wikipediaは多数決ではありませんが、現状の記事において、おそらく私と同じく百科事典として視聴報告的な描写が過多であり、記事の品質(中立性)に疑問を抱かれている方がいるのでしょう。時間と労力を要するノートでの議論に至る人は少数派だと思いますし、それらの削除行為が多くの人が秀逸な記事に近づけようとする試みであれば、その声を無視しない方がいいと思います。Black-Riverさんの今後の編集スタイルにも活かせるのではないでしょうか。--Koichi 2010年5月2日 (日) 12:32 (UTC)[返信]

復帰されているIPはWikipedia:コメント依頼/ISPぷららの兵庫在住のIP20100415で問題提起している私の編集を闇雲に差し戻すIPの類のものであるため、大方向こうには記事の品質云々について考えてのことではないと判断します。ノートで私のように反対意見のある中で、またIPの編集が私への付きまといによるものであることの中で、「百科事典として~疑問を抱かれて~」としても説得力に欠けますので、人物節の記述の増減は(かくいう私も時間を掛けるのは嫌いなんですが)ノートでの議論を経てからの変更にするべきだと考えます。
そして現在のような削減はノートでの意見を無視した中で行われているのは頂けないので、再び話し合う機会を設けて議論をする意思がない限りは反対します。--B.R 2010年5月2日 (日) 13:38 (UTC)[返信]
差し戻しIPの件、了解しました。色々あるのですね。
率直に申し上げますと、私は現在の特に「キャラクター」の後半に書かれている内容が見るに耐えないのです。週刊誌やスポーツ紙、掲示板ならいいのですが、ネットとは言え一応は百科事典ですので、削除が難しいようであればせめて視聴したままを書くのではなく、百科事典の本旨たる「解説」(=他の節と同等の品質、書き言葉)にすべきだと考えております。また、エピソードからの独自研究(下ネタ好きであるとの断定)も不適かと思います。例を挙げますと、
「また下ネタ好きである。……困惑している様子だった。」
 ↓
「バラエティ番組内で、女性器が敏感であることについて共演者に同意を求める場面が放送されることもあった。」
これならば事実でしょうし(私は知りませんが)、下ネタ好きであるか否かは読者が判断できるでしょう。また特筆性のあまり高くない事柄ですので、同様のエピソードは一つか二つあれば十分かと思います。Wikipediaの信頼性に大きく疑問を持つ方(馬鹿にしている方)が沢山おられますが、主に芸能人の記事に起因しているようですので、情報の整理や文調の統一をするとともに出典のない断定は避けるべきだと考えております。
あと、少し申し上げにくいことですが、Black-Riverさんは守り(拒否)の姿勢が強い方のようにお見受けします。他者寛容の精神を持って、全ては無理でも少しは取り入れてみてくださいね。時間の都合であまり議論できません。申し訳ないです。--Koichi 2010年5月3日 (月) 05:08 (UTC)[返信]
私はこれでもエピソードを取り入れつつも一つの事に関して説明している一文書として反映されている状態として機能していると考えています。ただ現段階では私も一案は思い浮かんでいない状況ですが、エピソードを幾数か付記していてもあなたが考えるような推敲の仕方ってできるんじゃないですかね。けどエピソードを一つ二つと制限を設ける必要はないと考えますが、少しぐらい減らすというのも一考していいかもしれません。ですが一つの事項を説明するためのエピソードを全部削るということには、(文章の内容次第ですが)反対を述べます。
拒否の姿勢が強いとのことですが、大幅な事項削減に反対しているだけであり、推敲を否定してません。またあなたのノートで言ったかと思いますがこれでも一応は対話に応じるつもりではありますし、全体的に反映しようとする文章が見えていたら私自身もその文に関する賛否は述べるつもりではあります。そして上記で他者を寛容しておいてそれを無視した行動をされては反対意見を強固にせざるを得ないかと考えますが。--B.R 2010年5月10日 (月) 18:47 (UTC)[返信]