ノート:箱田地衆
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箱田城への統合提案
[編集]実質的には記事の白紙化、単なるリダイレクトとすることの提案です。現在の記事本文をご覧になりますと分かりますが、参考文献とされているものではほとんど「箱田地衆」に触れておらず、なぜ参考文献として提示されたのか理解に苦しむ状態です。参考文献で唯一「箱田地衆」に触れている『日本城郭大系』第4巻(新人物往来社、1979年)ですが、箱田地衆は「箱田城の創建者」として名が挙げられており、その中身は「木曾義仲の郎党今井・高梨・小野沢氏の末裔」ということのようです。一応外部リンクの箱田城、箱田城でも箱田地衆について触れられてはいるものの、いずれも箱田城の築城に関して言及されているだけです。
結局のところ箱田地衆は「箱田城」の文脈で触れられるに過ぎない存在とみられるため、独立記事としての特筆性をみたさず、当ページは箱田城へのリダイレクトとすることを提案します。箱田城のページについては多少追記をして、箱田地衆についてもわずかですが言及しておきました。本ページには移記するほどの内容は含まれていないと思いますので、リダイレクトとして白紙化することを提案します。--こやまひろ(会話) 2024年10月20日 (日) 13:08 (UTC)
- 情報 国立国会図書館デジタルコレクションでは、「箱田地衆」で検索すると3件のヒットがあります。そのうち1件は上掲『日本城郭大系』第4巻(新人物往来社、1979年)で、ほか2つは『探訪日本の城』2 中山道(小学館、1978年)と『関東の城』(小学館、1981年)です。いずれも表中の箱田城の項目で挙げられているだけですので、Wikipediaでも独立項とせずに箱田城の項目で言及すれば充分であることの傍証となると思います。--こやまひろ(会話) 2024年10月22日 (火) 02:38 (UTC)