ノート:第三次ホムスの戦い
改名提案
[編集]معركة وادي الخزندار は、脚注で出典に挙げられている IE2 (Amitai, R., “Wādī ’l-K̲h̲aznadār”, in: Encyclopaedia of Islam, Second Edition, Edited by: P. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs. Consulted online on 08 April 2019 <http://dx.doi.org/10.1163/1573-3912_islam_SIM_7805>)によると、"Wādī ’l-K̲h̲aznadār" とラテン文字転写されています。正則アラビア語風にカタカナに転写すると「マウラカ・ワーディル・ハズナダール」みたいな感じに読みます。ワーディーは谷を意味しますので、「ハズナダール谷の戦い」あたりが適当かなと思いますが、いかがでしょうか。--ねをなふみそね(会話) 2019年4月9日 (火) 10:03 (UTC)
- 反対 この記事の立項者です。この記事名を選んだのは、日本版Wiki内でこの戦いの記事がリンクされていた唯一の記事としてチョバンがあり、仮リンク名で使われていた「ワジ・アックァザンダルの戦い」を記事名として使用しました。いささか短絡的な記事名選択だったと反省しておりますが、従って記事名の根拠は薄いです。何かしら適当なアラビア語表記の読みカナがあれば、それが宜しいかと思っていました。
- ねをなふみそね様の提案ですと、アラビア語元表記→ラテン語表記→カタカナへと変換されたということでしょうか?私見ですが、アラビア語表記をそのまま読んだものをカナ表記すべきではないかと感じました。iphoneの翻訳機能でアラビア語表記をそのまま発音させると、「マルク・ウェーディル・アルケンダール」と聞こえました。ワディが川や沢を意味することは仰る通りなので、「アルケンダール谷の戦い」あたりが適当かと思います。ですが、発音のカタカナ表記ではどう聞こえるか様々なご意見があろうかと思い、正解が無いばかりか統一見解に至るのは難しい気がします。:Wikipedia:記事名の付け方によれば、認知度が高い、見つけやすい、曖昧でない、簡潔、首尾一貫している、等が命名時のポイントとなっていますが、この戦い自体の日本での認知度はほぼ無く、地名についても全く一般的ではない状況です。ご提案の「ハズナダール谷の戦い」であれ、私の提案した「アルケンダール谷の戦い」であれ、現行記事名であれ、適切な記事名である根拠が薄いかと思います。--Ultzsahari(会話) 2019年4月10日 (水) 07:08 (UTC)
- 提案 そこで提案なのですが、この戦いの別名でもある、「第三次ホムスの戦い」に改名する案はどうでしょうか?「ホムス」の地名については認知度も高くカナ表記した場合の表記ブレも無いこと、この戦いとは別に (未だ立項はされていませんが) 第一次、第二次のホムスの戦いも存在していること、現代のシリア内戦においてもホムス包囲戦があるため同様名の戦いとして曖昧さ回避のページを作ることで整理がしやすいこと、等を鑑みると、記事名として最も適切だと思います。ご意見お願いします。--Ultzsahari(会話) 2019年4月10日 (水) 07:08 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。「ワーディル・ハズナダール」というのは、アラビア文字やラテン文字で表記されたアラビア語を、カタカナ文字で表記しているだけです。『現代アラビア語入門』や『基礎ペルシア語』などにはカナ表記法が書いてあります。こういうものに基づいて機械的にカタカナにしているだけなので、基本的に誰がやっても同じになります。「第三次ホムスの戦い」は少なくともカナ表記の問題はないので、問題ないと思います。--ねをなふみそね(会話) 2019年4月11日 (木) 07:29 (UTC)
- コメント 情報提供です。
- 佐口透氏が翻訳したドーソンの「モンゴル帝国史」平凡社〈東洋文庫〉には、《ワディー・アル・ハズナダール》で出ているようです。
- 15世紀のアイニーという学者の著作、‘Iqd al-Jūman fī Ta'rikh Ahl al-Zamán には、وادي الخازندار という記載(iv,17)があるようです(わかりにくいですが、アリフが一つ多い)。
- 上を参照した中町信孝「イル・ハン国からマムルーク朝に流入した亡命軍事集団 : 渡来の背景と渡来後の経歴を中心に」(『史学雑誌』109巻4号、2000年)の p23(513) には「ワディ・アル=ハーズィンダールの戦い」とあります。
- 同じく中町2000 は「第二次ヒムスの戦い」としています(p23(513))。ホムスは本来ヒムス(Ḥimṣ)と読むのでこの表記を選択したのだろうと思われます。ウィキペディアだったら少々砕けて「ホムスの戦い」でもいいだろうと、私は思います。
- ちなみに、khaznat はアラビア語で「宝」を意味し、 -dār はペルシア語とかで「持つ人」を意味し、 ハズナダールで会計担当の官吏を意味するようです。検索するとモンゴル侵入期以後の西アジアの歴史の概説書や専門書がたくさん見つかります。
- 利用者:Ultzsahariさんが、خزندار を「ハズナダール」と読むことの正当性を疑っていらっしゃるのかな、と思いましたので、書きました。あと、「第三次ホムスの戦い」に改名することについては合意が取れていると認識していますが、改名後のリダイレクトについてはどうですか?私は即時削除を提案します。--ねをなふみそね(会話) 2019年4月19日 (金) 11:37 (UTC)
- ご丁寧なご説明ありがとうございます。ハズナダールの読みに対して正当性を疑っているというようなことは無く、単に知識が無いのでお尋ねしたに過ぎません。過分なご説明を頂き、調べるお手間も取らせてしまったのであれば申し訳ありません。私自身は全くアラビア語に関して知識を有していませんので、ハズナダールという読みが一般的であること、その上で、ハズナダールにもホムスにも別の読み方もあること、等は理解できました。ありがとうございます。「第三次ホムスの戦い」に改名後に現ページ名のリダイレクトは不要と感じますので、即時削除に賛同します。--Ultzsahari(会話) 2019年4月24日 (水) 07:53 (UTC)
- 追記です。4月11日に「ホムスの戦い (曖昧さ回避)」、4月12日に「第一次ホムスの戦い」のページも作成しております。--Ultzsahari(会話) 2019年4月24日 (水) 08:02 (UTC)
第三次ホムスの戦いという名称について
[編集]Third Battle of Homs を google books で検索すると3件しかヒットしませんでした。しかも、最古のものが2016年に出た書籍でした。修士論文なら、もう少し古いものがあり、脚注145番によるとReuven Amitaiさんの“Whither the Ilkhanid Army? Ghazan's First Campaign into Syria (1299-1300).” In Warfare in Inner Asian History (500-1800), ed. Nicola di Cosmo. Leiden: Brill, 2002.の259頁にあるとのことなので、同氏の作品をいくつか読んでいる最中です。あくまでも参考までになのですが、Google Books Ngram ViewerでBattle of HomsとBattle of Himsを比較してみました (Third を入力しての比較ができないようです)。また、日本語文献では今一つマイナーなようでして、第三次シリア遠征とかダマスカス入城とかについては書かれていても、戦いの名称について触れているものは余りありませんでした。とりあえず、見つけることができた日本語文献を挙げておきます:
- ドーソン、佐口透訳注『モンゴル帝国史 5〈東洋文庫 298〉』1987年1月30日 初版第4刷発行、ISBN 4-582-80298-2、393~395頁 には、ヒムス市の戦い (393頁)という小見出しがついている箇所がありまして、「現在は《ワディー・アル・ハズナダール》と呼ばれる《ムジュマー・アル・ムルージ》という地点で戦闘隊形をとった。」、「原注 一 《ムジュマー・アル・ムルージ》とはアラブ語で《牧場の集合点》を意味し、《ワディー・アル・ハズナダール》とは《宝物管理人の谷》の意である。」と書かれています。
- 蒲生禮一「ガーザーンカン ―汗」『世界歴史事典 第2巻』平凡社、1992年4月1日 新装復刊第3刷発行、ISBN 4-582-10302-2、301~302頁 には、「ガーザーン汗の短い統治期間中に發生した大事件のうちに二度の對エジプト戦争がある。そのうち第一回は一二九九-一三〇〇年のことで、モンゴル軍はヒムス Hims (Emessa)の近くのマジマ・ウル・ムルージ Majma’a al Murujでエジプト勢に勝った 。その翌年 (1300-1301)冬、イル汗國軍はまたもシリアに侵入したが天候に禍いされて引揚げ、一三〇三年一月末ふたたびエジプト勢を攻撃したが、同年三月ダマスクスに近いマルジュッ・スッファル Marj al-Suffar に惨敗を喫した。」とあります。--Takabeg(会話) 2019年5月26日 (日) 15:10 (UTC)