ノート:竹田の子守唄
この「竹田の子守唄」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2022年8月29日 | 良質な記事の選考 | 不通過 |
収録したミュージシャン
[編集]『竹田の子守唄』を演奏、歌唱したミュージシャンのうち、出典が見つけられなかったものをここに記載します。出典があれば本文のコメントアウト状態から復帰してください。ここに挙げるのは主にレコード、カセット、CDのような媒体を発売した場合です。放送番組でのみ、ライブでのみ披露した場合は雑多な情報になるため書いません。ライブでの披露でも、その記録媒体をリリースしているときは可です。
- あべ静江 - 『突然の愛』に収録。
- 友納真緒 - 『LIBRA』にインストゥルメンタルとして収録。
- 研ナオコ - 阿木耀子作詞、宇崎竜童作曲の『弥生』で曲中に引用。
--主水(会話) 2022年9月25日 (日) 10:54 (UTC)
改訂報告
[編集]出典を追加して改訂しました。「中華圏における替え歌」以降は触っていませんが、それまでの部分は節構成も含めて全面的にリライトしました。改訂の目的は、良質選考において「出典の補強と再構成、文章の全面的な見直しが必要」とコメントしたとおりです。同じ文献を使っていても、どこをどう採り上げるかの判断はけっこう違っていると思います。端折った部分もありますが、読みやすさ、わかりやすさを重視しました。なお、挙げられている文献は一通り目を通していますが、森達也の『放送禁止歌』については光文社の文庫版を読むことができず、修正前の単行本を使ったため、文庫版と齟齬があるかもしれません。--みっち(会話) 2023年4月7日 (金) 13:55 (UTC)
- 昨年、この記事をGA選考に出した主水です。あのときのわたしがしたやりとりについて、自分はそう経たないうちに振り返って、機会があれば伝えることがあると考えていました。身を屈め、頭を低くしなければなりません。そちら様のコメントの意図することは早々に把握していたのですが、私事になりますけども、選考期間中にわたしの家族に注視しなければならない者が出たことによりすぐ対応できませんでした。そういったことがわたしの心理やコメント内容に影響してしまったのかもしれません。その家族のことは既に一定の区切りはついており、近く関係した予定があるのは今年の夏など限られております。そして、わたしが集めものだけではない文献による加筆を感謝します。
この度の加筆について、わたしから意見を寄せます。
- 伝承者の女性とその息子の名前を出されていますが、この親子は一般人といえる方々なので実名にしてよろしいのでしょうか。母親は既に故人ですが「久世の大根めし……」と続く歌詞が広まることを望まない発言をしており、JASRACに名前を登録しようとして断られたこともあり(その部分は現在の版には書かれていない)、わたしは名前を書いていませんでした。
- 去年のGA選考では題名の竹田の読み方は「たけだ」なのではないかとコメントされていました。すぐに対応できないまま、そちら様が選考の場を離れる結果となってしまいましたが、わたしが後で加筆した読み仮名についての言及が現在の版にはありません。あのときのやりとりからして大切な記述と捉えられていたと思いますが、今回の加筆で無くなっているのはなぜでしょうか。--主水(会話) 2023年4月7日 (金) 19:46 (UTC)
- もともと興味のある題材だったので、自分でやることにしたのですが、主水さんにはあらかじめお伝えしていませんでしたから、驚かれたかと思います。編集を受け入れてくださって感謝します。お尋ねいただいた件とまだ気になっている点を合わせて述べます。
- 実名については、藤田や武島、川部らの文献で明記されていること、「老女」などの表現がかえって回りくどく、なにかに憚っているようであることから、出しました。もし支障があるなら、削除されても文句は言いません。
- 竹田の読みについてですが、この記事項目にとっては竹田がどこなのかが問題であって、読みについては無関係といっていいことから触れませんでした。私が良質選考でお尋ねしたのは、記事にどういう関係があるのかという意味も含んでいましたが、それをあからさまにはしていませんでした。
- ついでにこの場をお借りして申し上げれば、良質選考で具体的にコメントしたものの中で、フーツ・エミールの解散理由についてはいまも気になっています。これについては、このグループのレパートリーが英語の歌詞ばかりで、それに後藤が嫌気が差したというような記載だった思いますが、ネットの検索でわかったのは、フーツ・エミールはピーター・ポール&マリー(PPM)のコピーバンドだということです。後藤はそのリーダーでしたから、自ら好きで立ち上げたバンドなのに、英語の歌詞が不満で投げ出すというのがわかりません。そのうえ、「竹田の子守唄」が歌いたいなら二人でも十分なはずなのに、わざわざ「赤い鳥」を結成して、そのファーストアルバムはタイトルを含めて英語の歌詞がほとんどなわけで、ますます疑問です。しかしこの点については他に資料も見つからず解明できていません。中途半端な理解で藤田の書いたままを記載することはためらわれるため、このことも省いています。
- あと、放送自粛の実態についてはまだ書けることがあるのじゃないかと思っています。「NHKみんなのうた」のペドロ&カプリシャス版の再放送がなかったという指摘は「経緯」の中に持ってきたいと思いましたが、残念ながら出典がわからないため、そのままにしています。--みっち(会話) 2023年4月8日 (土) 04:10 (UTC)
- 伝承者とその息子の名前を出さないとまどろっこしさはあるとしてもウィキペディアと他での個人名の扱い方が違うことからここは時機をみて録音された元唄を歌唱した人物の名前とともに書き換えたいと思います。
- 竹田の読みについて、読み方が「たけだ」(濁音清音程度の違い)である以上の意味がなければ書く必要はなく、他の読み方や意味がないことを確認していたという話でしたか。それとも竹田の場所をあの箇所に書いておいて欲しいという話かと。竹田の場所は導入部で「題名にある京都市伏見区竹田地区」、唄が知られるようになったきっかけまでの節で「被差別部落の一つの京都市伏見区竹田地区にある部落解放同盟の合唱団「はだしの子」メンバーの1人の母親から、1964年12月に赴き、舞台音楽のために教えてもらった民謡を編曲して使うことにした。尾上が採集したのがたまたま竹田地区であったため『竹田の子守唄』とされた」と、場所は先に明記済だったことから地名が別の場所と取り違えられた文章で読み方を除いて再び言及するなら重複しているため、その考えには至りませんでした。
- フーツエミールの詳しい話は選考でもコメントしましたがこの記事にはあまり重要ではなく赤い鳥の記事に書くべきことだと思います。解散理由などについて気になるのであれば唄についてではなくグループについての文献を調べられた方がその辺もわかるかもしれません。
- 「みんなのうた」での放送はそれ自体は出典があっても逆に再放送なしの出典はあるのかなんともいえませんね。ないことの証明は難しいとはよくいわれることです。NHKから唄そのものは放送禁止にはされなかったことが『名曲に隠された真実』には言及がありましたけども(これも現在の版には書かれていません)。
- そういえば「後藤ら赤い鳥、フォーク歌手たちは唄が京都のものであるとも言っていたが、周りがそう言ってるから程度で、よく確認したわけではなかった。」の記述も現在の版にはありませんが、もしかして『名曲に隠された真実』に見当たらないことが理由でしょうか。実はこの文、同書4刷発行後に読者の方から赤い鳥のメンバーたちは唄が京都のものだとメジャーデビュー前から知っていたはずだと指摘があり、追記されたものです。わたしが所有しているのは6刷なのでそのときか直前の5刷での追記だと思われます。版ごとの違いを明記していなかったのはわたしの編集漏れですが、疑問を抱かれた方がいてもこれは書くほどではないことでしょうか?--主水(会話) 2023年4月18日 (火) 18:20 (UTC)--主水(会話) 2023年4月19日 (水) 02:02 (UTC)
- たまにしかログインしないため、レスポンスいただいたことに気がつくのが遅れました。
- ウィキペディアと他で個人名の扱い方が違うとはどういうことでしょうか。私が使った資料では、森(2000)が匿名ですが、藤田(2003)、川部(2010)、武島(2013)は実名記載であり、表記の扱いにおいていちばん古い資料に従う必要性が見いだせません。ウィキペディア独自の決めがあるならお示しください。
- 「竹田の子守唄」を歌うためにグループを解散したというなら、この項目にとって特筆すべき出来事だということは良質選考ですでに述べました。「赤い鳥」よりもむしろこちらで書くべきことです。問題は、英語の歌詞うんぬんについて前後の辻褄が合わず、一応調べたが真偽不明だということです。
- 「みんなのうた」の再放送については、「ないことの証明」は必要ありません。長い間再放送されなかったことを指摘しているのがだれなのか、出典付きで示せればいいだけです。
- 文意がよく汲み取れず「周りがそう言っているから程度」などというあやふやな情報を書き加えることにこだわる理由がわかりません。とくにだれかに教えてもらわずとも、関西フォークで歌われていたなら元は京都かもしれない、伏見には竹田という地区があるくらいのことは、ある程度地域の情報を知っていればだれでも考えるでしょう。しかしそれは歌の出どころを知っていたことにはなりません。それ以上の確証があるなら、後藤たちがあらためて調べる必然性がありません。少なくとも藤田の文脈はそういうことです。記事は本の情報やその読者の指摘すべてを書くところではありません。些細なことを書き加えて、あえてごちゃごちゃさせる必要はないのではありませんか? すでに良質選考において、文意が読み取りにくいという指摘があったし、私も同様の意見であることを再確認しておきたいと思います。
- いずれにせよ、今後新たな有力情報が出てくれば別ですが、私はこれ以上この記事に関わる予定はありません。後はお任せしますので、もし再度良質選考に出されるおつもりなら、ご自分のお考えだけでなくこれまで出された指摘をよく受け止められた上で、再び同様の指摘を受けないように編集してください。--みっち(会話) 2023年5月2日 (火) 10:56 (UTC)
- たまにしかログインしないため、レスポンスいただいたことに気がつくのが遅れました。
- もともと興味のある題材だったので、自分でやることにしたのですが、主水さんにはあらかじめお伝えしていませんでしたから、驚かれたかと思います。編集を受け入れてくださって感謝します。お尋ねいただいた件とまだ気になっている点を合わせて述べます。
「ないことの証明」とは長期間、再放送されなかったことを出典付きで示せるかどうかの意味でした。何年に本放送があった、何年に再放送があったということはわかっても「みんなのうたの竹田の子守唄は長らく再放送されなかった」とまさに明記しているものがあるのかです。あの番組は放送楽曲が多数あるため個別に再放送の事情を誰か書いてくれているのだろうかと思います。
わたしはグループの解散結成に触れることはいいのですが、フーツエミールのことなら赤い鳥の文献の方も当たるべきだと思います。しかし現状なされているとはいえません。この記事を加筆して下さったこと自体は身を屈め、頭を低くしなければなりません。そして、竹田の子守唄の文献は当たることはできてもグループの文献についてはどうだったかわからず、フーツエミール解散、赤い鳥結成の詳しい事情は重要だとされている今だと、訴求力に課題があると思います。
わたしは「周りが言っているから~」の文章がなくなっているのは、書籍の版ごとの違いに気付いた上でのことなのかを最優先に尋ねていました。それを特にお答えになって欲しかったわけです。書籍の情報の全てを書く必要性を求めているわけではなく、本当に中身全てを書いていては著作権侵害になってしまいそれが実際には行われていないのは自明の理です。--主水(会話) 2023年5月15日 (月) 11:53 (UTC)