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ノート:竹内久美子/過去ログ1

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最初に指摘されていた「中立性」の話しが、具体的根拠は挙げられずに、どこかへ行ってしまっている。また人気作家であることを「多くのファンを得る」と表現する事が、一般的に珍しくないと申しているのであって、作者の特徴云々を言っているのではない。それに「特徴ある人ではない」というのはRoketsburn氏の個人的な私見。「トンデモ」かどうかの事例としてあげた文章中の一節の選択そのものが、恣意的である。そもそもトンデモの概念自体が曖昧で、ここでは、「そんな事を言って批判している人がいる」と紹介すれば充分。ことさら強調する必要はない。以上の署名の無いコメントは、Kogane会話履歴)氏が[2007年4月8日 (日) 12:39(UTC)]に投稿したものです。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月9日 (月) 09:46 (UTC)

保護について

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利用者:Kogane会話 / 投稿記録氏と利用者:Roketsburn会話 / 投稿記録氏の定義をめぐる編集合戦が、両者とも3回以上行われ保護方針の編集合戦に該当しますので保護依頼に提出しました。ただ、不備で却下される可能性があります。一応ノートでの形成を図らねばならないと思い、ここに記述いたしました。それまで、極力定義に関する編集はお控え願います。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月9日 (月) 10:02 (UTC)

冒頭定義に関する意見

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私の意見をお聞きいただけると幸いです。

  • 「様々なトンデモ理論を述べている」という表現に変更した理由
    • 確かに「様々」を具体的に述べる必要性がありますが、事実とはいえ「レイプ」などの説明を使用するのはいかがなものかと考えたためです。もし他のトンデモ理論があるならば、是非それに置き換えていただきたいです。青少年に害を与えるような用語(「レイプ」や「強姦」(本文の過去版より))を使わず置き換えることには賛成いたします。Koganeさんの編集にある「意表を突いた独特の論理を展開している」という表現もありかと思います。
  • 「ユニークな視点」、「個人的な視点」
    • どちらでもよいと思いますが、「独自の視点」という表現でもよいと思われます。
  • Koganeさんの「その軽妙洒脱な筆致とも相俟って話題となり、多くのファンを獲得した。」という表現
    • ファンを具体的に示す必要が無いのであれば、一部を改訂して「その軽妙洒脱な筆致とも相俟って話題となった」や、「その軽妙洒脱な筆致とも相俟って話題となり、多く人の注目を集めた。」などにするのも良いかと思われます。
  • 「世の中を読み解く際の参考となっている模様」、「世の中を読み解く際のキーワードとなっている」。
    • のちにRoketsburnさんが変更された「竹内にとって重要なキーワードとなっている。」という表現が閲覧者にとって分かりやすいと思います。

以上、私の個人的な意見です。こうした方がよいという意見があるかと思われますので、記事良質化に向けてご協力お願いします。くれぐれも討論の際は冷静さを失わないでください。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月9日 (月) 10:31 (UTC)


個人的には、今の本文のままが最良だと思います。
  • 「様々なトンデモ論をのべている」
    • 具体的に示すには事例が多すぎるので「様々なトンデモ理論」で構わないです。
  • 「視点」
    • 「独自の視点」というには、竹内の理論は飛躍しすぎていて科学の的から外れています。「個人的な視点」なら、論理の飛躍や科学的じゃなくても当てはめられる表現だと思われます。
  • ファンのことを示すには、それほど人気も独創性もない人物です。一部で話題になったのは確かかもしないですが、「軽妙洒脱な筆致」が話題になったというより、最大の要因は「トンデモ論」に他ならないと思われます。
よって、今の本文のままが、適切だと判断しています。--Roketsburn 2007年4月10日 (火) 07:21 (UTC)
  • May.Low氏の提案を受け入れます。なお、Roketsburn氏が記述改変の根拠としてあげた諸点について、「トンデモ論」というものを強調されていますが、作家の評価を左右するような社会的認知を得た基準足り得ず、ことさら強調する必要がない。「トンデモ論」と揶揄されていると紹介する程度で充分。
  • 竹内の「理論(?)」が飛躍している云々や、その独創性(何に関しての?)がないとする評価や、ファンを得た要因に、竹内の文章よりも、その「トンデモ論(?)」の方を強調する点など全てが、Roketsburn氏の個人的見解に過ぎない(自身も上の文章で「~と思われる」と言って断定していない事からも明らか)。したがって支持できません。--Kogane 2007年4月10日 (火) 09:42 (UTC)脱字改訂しました--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月10日 (火) 10:08 (UTC)
  • 「非確定的表現に関して」
    • 「~と思われる」という表現に関しましては私も気になっておりました。非確定的な表現は極力避けるべきかと思われます。
  • 「トンデモ論に関して」
    • これにつきましては何らかの改訂を加えるべきかと思います。「様々なトンデモ理論を述べている」は、お二方の意見を半々に取り入れ、「様々な理論を述べている。この発言に関しては、世間からは『トンデモ論』という見方が強い」などという様な文がよろしいかと思われます。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月10日 (火) 10:08 (UTC)
基本的に提案を受け入れます。ただ、社会的に認知されているわけでもなく基準も曖昧な「トンデモ論」というものによる批判と、作家としての社会的評価(世間の評判など)の部分とは、明確に区別しておくべきと考えます。「トンデモ論」については、可能ならば出典を明記の上、「内容について飛躍が多く「トンデモ論」として批判する意見がある」と文の最後に記す程度でよいかと存じます。--Kogane 2007年4月11日 (水) 03:06 (UTC)
ご賛同有難う御座います。Koganeさんが「文末に記す程度でよいかと」と思われる部分に関しましては、<ref>(脚注)か何かで記し、詳しく説明するのが閲覧する人にとって分かりやすいと思います。尚、保護に関しましてはおはぐろとんぼさんによって依頼が受理され保護が開始されています。保護に関する要約にも「2007年4月24日 (火) 09:56 に解除」とありますので、解除までに議論をまとめれば保護解除後すぐに編集が開始できるかと思います。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月11日 (水) 08:12 (UTC)


トンデモ論は、個人的な主張でもなんでもなく、専門分野の人々からもそう判断されています。現に私以外の人も竹内久美子の著書はトンデモ本だと判断しており、書き込まれている。これは竹内久美子が作家としての社会的評価で「トンデモ」とされていることに他なりません。逆にトンデモ論を否定したがっているのは、現状では履歴からしてKogane氏だけです。ですが現在の本文ではもっと具体的に示されており、「どのような層の人達が竹内をトンデモ」と言っているのか、あるいは竹内を支持しているのか」として書かれていて、どちらも社会的評価として判断されていて至極真っ当な文なので、これ以上、余計に書き加えるとかえって中立から離れてしまいます。トンデモが批判かどうか以前に、ウィキペディアにはトンデモの項目が存在し、竹内久美子の著書に当てはまっているのは私以外の人々も認知していて、今の記事が妥当か、またはトンデモ論を具体的に示す必要があるのであれば、先に出した例を挙げれば一目瞭然で、トンデモだと判断できます。Kogane氏にとっては先に挙げたレイプ云々もトンデモではなく正当性があるものなのかもしれませんので、今の記事のまま、「~レトリックという意見も一部ではある」という表現が最適です。
本文の後半を参照にしてまとめてみます。
  • 「一方、竹内の一連の著作をめぐっては、専門の生物学研究者から論理の飛躍、曲解との激しい批判が出ており、いわゆるトンデモ本と見る向きもある。」

※これは全て事実で、どういった層の人たちの意見なのかも具体的に示されているので、変える必要性が無い。

  • 「一般向けのエッセーである竹内の著作は、ポピュラー・サイエンスとしての分かり易さを求めた故のレトリックであるとの意見も一部ではある。」

※これはkogane氏のような人達のことで、どういった層の人達かは具体的に書かれていない。そのため「一般の人達の中の一部」を付け加えてもいいかと。

  • 「しかし竹内の著作は学会でも否定されており、週刊文春「私が、答えます」のコーナーでも様々なトンデモ論理を述べていた。」

※これは具体的に例を挙げたのですが、一目瞭然です。

本文中には「トンデモ」の言葉は二回しか出ておらず、いずれも文章として成立させるために、文中に示す必要があるだけです。--Roketsburn 2007年4月16日 (月) 05:59 (UTC)誤字訂正しました--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月18日 (水) 07:29 (UTC)


私は、純粋科学の分野(主に生物学)の一部の人々からの、竹内批判の存在を否定などしていません。ただ「トンデモ論」などという漫画チックな言葉及びその曖昧な概念が、純粋科学の分野から打ち出された概念で無い以上、純粋科学からの批判と、トンデモ論として出されている批判の双方は区別して記述すべきです。そして曖昧かつ社会的認知も充分ではない「トンでも論」云々の記述をことさら強調する必要は無い。それは、「トンデモ論」の項目でやればよい。そもそも、作家・エッセイストの評価について、Roketsburn氏は「専門分野の人々(具体的にどんな人々かは説明されないが)」とか「学会」などの一部権威の評価を絶対視し、一般の人々(一般読者)を過小評価しているようだがこれはおかしい(批判を書くなとは言ってませんよ)。作家の人気や評判は、学会や専門家がお墨付きを与える物ではなく、あくまで読者一般大衆が主役だ。したがって学会専門分野などの批判は、本文ではなく、たとえば「竹内久美子を巡る各界の評判」などの節を設けて、箇条書き程度で紹介すれば充分だ。--Kogane 2007年4月16日 (月) 08:22 (UTC)


まず、私もMayLowさんの提案を支持します。ここは竹内久美子について紹介するページで、トンデモ論を紹介するページではないのだし、作家の評価が、学会や一部の生物学専門家、あるいはトンデモ論関係者(?)によってのみ決まる事ではないから、その部分の記述を過度にクローズアップする必要は無いというKoganeさんの意見も同意。
そもそも、Roketsburnさんが手を加える(2007年4月8日 04:49(UTC)の版) 前の記事に中立性の問題があったとは思えません。トンデモ論や生物学会からの竹内批判の記述もちゃんと存在していたし、その点では内容的にはバランスが取れていて何処に問題があったのか分りません。Roketsburnさんの加筆以前の状態にリバートしてもいいくらいだと思いますね。--水田 2007年4月18日 (水) 06:54 (UTC)誤字訂正および過去版へのリンクを追加しました--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月18日 (水) 07:26 (UTC)
ご賛同ありがとうございます。基本的に、私はKoganeさんの意見もRoketsburnさんの意見も、どちらも記事充実のためには必要だと考えております。
「トンデモ」という点に焦点が当てられているようなので、私も「トンデモ」に関してコメントします。まず、(個人的な意見ですが)「トンデモ」自体世間的に認知度が低いのではないでしょうか。Roketsburnさんが「トンデモである事は事実」とのような事を仰られていますが、記事を閲覧する人の為には、知名度の高い言葉で説明するのが最適だと思います。
定義文末の表記を、参考例として私が提案します。
一方、竹内の一連の著作をめぐっては、「専門の生物学研究者から論理の飛躍、曲解」との激しい批判が出ており、いわゆるトンデモ本と見る向きもある他、一般向けのエッセーである竹内の著作は、「ポピュラー・サイエンスとしての分かり易さを求めた故のレトリックである」との意見もある。ちなみに、週刊文春「私が、答えます」のコーナーでも様々な論理[1]を述べていた。
  1. ^ この発言に関しても、「トンデモ論」と見る向きがある
  2. この様な感じでよろしいのではないでしょうか(文の内容はともかくとして)。個人的に文が見にくいなと思っていたのですが、2つ問題があったからですね。
    • 「しかし竹内の著作は学会でも否定されており」という言葉が重複していた
    • 「しかし竹内の著作は学会でも否定されており、週刊文春「私が、答えます」のコーナーでも…」と焦点が若干違うような分が続いていたため尚見にくかった
    私一人の意見では通るわけがありませんので、是非ともこれに関してもご意見をいただければ幸いです。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月18日 (水) 08:07 (UTC)
    MayLow提案に異議なし。--Kogane 2007年4月18日 (水) 09:49 (UTC)
    私もMayLow提案は妥当な案だと思います。異議ありません。--水田 2007年4月18日 (水) 10:38 (UTC)

    (インデント戻します)利用者:Roketsburn会話 / 投稿記録さんがここへの最終コメント以来投稿を絶っていることから、恐らくWikiBreak中か、それとも暗黙的にこの提案を了承いただけたのか、保護解除後編集をしようとお考えなのかは存じませんが。とにかく、解除時刻まで時間が無いので、提案を要約いたします。(下の提案要約の節に続きます)

    記事修正議論の要約

    [編集]
    • 「様々なトンデモ理論を述べている」
      • 表現は変更せず、継続
    • 「視点」
      • 「個人的な視点」として説明
    • 「竹内にとって重要なキーワードとなっている。」
      • 表現は変更せず、継続
    • 文末
      • 以下の通り訂正
      • 一方、竹内の一連の著作をめぐっては、「専門の生物学研究者から論理の飛躍、曲解」との激しい批判が出ており、いわゆるトンデモ本と見る向きもある他、一般向けのエッセーである竹内の著作は、「ポピュラー・サイエンスとしての分かり易さを求めた故のレトリックである」との意見もある。ちなみに、週刊文春「私が、答えます」のコーナーでも様々な論理<ref>この発言に関しても、「トンデモ論」と見る向きがある</ref>を述べていた。

    以上、提案を要約し記載しておきます。ちなみに、訂正案を私のサブページに作成しておきましたので、利用者:May.Low/Tool/Draft 竹内久美子の冒頭定義をご参照頂ければ幸いです。JSTで9時だと、私は諸事情で編集に参加できないので(UTC9時なら編集参加可能)、どなたかこの討論要約に基づく編集をお願いいたします。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月23日 (月) 10:25 (UTC)

    おかしいですね、解除時刻は過ぎたのですが、解除されておりません。場合次第で、管理者伝言板に伝言しましょう。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月24日 (火) 22:17 (UTC)
    一応、Wikipedia:保護解除依頼を参考としてもう一度目を通したのですが、「編集合戦が原因の保護は、ノートなどでの合意が成立していない場合には解除されない可能性が高いです。」に該当しており、sysop様が「合意が成立しているように見えない」とお考えの上で解除しないのかもしれません。そこで、もう一度「今までの議論に基づく冒頭定義」にご賛同いただける方、またはご反対の方、或いはコメントをお持ちの方は、以下にお願いいたします。


    • (前半部分は賛成)。文末については説明が足りない気がします。トンデモ論については、意味がわからない人のために、トンデモの項にリンクしてあるので問題ないですよ。

    一方、竹内の一連の著作をめぐっては、専門の生物学研究者から論理の飛躍、曲解との激しい批判が出ており、いわゆるトンデモ本と見る向きもある。」ここは異議なし。

    一般向けのエッセーである竹内の著作は、ポピュラー・サイエンスとしての分かり易さを求めた故のレトリックであるとの意見も一部ではある。」ここは、「一部」を削るのであれば、このように評価がされた例が本当にあるのか疑問が残ります。どのような人がこうした評価をしたのかを示していないので、「出典不明」としかいえせん。

    しかし竹内の著作は学会でも否定されており」この部分を削るのならば、竹内久美子を指示している人物の名を挙げるべきです。数人しかいないので示せます。藤田紘一郎など。

    週刊文春「私が、答えます」のコーナーでも様々なトンデモ論理を述べていた。」ここを「トンデモ論と見る向きもある」という表現に変えるのは、中立性に欠けます。具体例を挙げないのならばなおさらです。 専門家の間では竹内の論理を「トンデモ論」と見る向きのほうが明らかにマジョリティだからです。「見る向きもある」はマイノリティに対しての表現なので、適切ではないと思います。


    一方、竹内の一連の著作をめぐっては、専門の生物学研究者から論理の飛躍、曲解との激しい批判が出ており、いわゆるトンデモ論といわれている。一方で、一般向けのエッセーである竹内の著作は、ポピュラー・サイエンスとしての分かり易さを求めた故のレトリックであるとの意見も一部ではある。竹内の著作は学会でも否定されているが、藤田紘一郎などからは指示を受けている。週刊文春「私が、答えます」のコーナーでも様々なトンデモ論理を述べていた。

    これでいかがですか、May.lowさん。もし「トンデモ論」をできるだけ抜きたいのなら、

    一方、竹内の一連の著作をめぐっては、専門の生物学研究者から論理の飛躍、曲解との激しい批判が出ている。一方で、一般向けのエッセーである竹内の著作は、ポピュラー・サイエンスとしての分かり易さを求めた故のレトリックであるとの意見も一部ではある。竹内の著作は学会でも否定されているが、藤田紘一郎などからは指示を受けている。週刊文春「私が、答えます」のコーナーでも様々なトンデモ論理を述べていた。

    以上の編集でいかがですか。--Roketsburn 2007年5月3日 (木) 00:44 (UTC)


    何度も言っているように、作家・エッセイストの評価に関する特定の学会の声は様々な言論会の中の一部に過ぎません。トンデモ論云々という特殊な分野の声はなおさらです。ここは竹内久美子の紹介のページであり、生物学会やトンデモ論のページではないので、それら特定の分野の声をことさら強調する必要はないのです。むしろそのような特定の声を強調する方が、中立性に欠けるでしょう。まして、元々本ページには、Roketsburn氏による改変前から、生物学者等の竹内批判が存する事はちゃんと紹介されていました。また作家の一般的な評判の簡単な紹介の記述にことさら出典が必要とは思えません。Roketsburnさんは竹内に対する個人的好悪の情から、単にネガティブな内容を強調したがっているようだ。むしろその方がバランスを欠いた記事になる。記事内容の変更は、May.Lowさんの提案の線で充分だ。--Kogane 2007年5月8日 (火) 15:59 (UTC)


    特にその後意見も出ていないようなので、昨年の議論で、賛成票の多かった文案に沿って編集しました。--Kogane 2008年1月14日 (月) 09:05 (UTC)