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ノート:空 (仏教)

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「プラス・マイナス・ゼロ」という「無」の常住する場が「空」であると考えられます。--58.90.20.165 2006年12月5日 (火) 14:07 (UTC)[返信]

ソシュールの記号論との関係について

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「空」の語源が「zUnya(シューニャ)」、ソシュールの「記号」はフランス語で「Signe(シーニュ)」と、なんとなく発音が似ているんですが、関係があるんでしょうか?--219.106.251.12007年7月31日 (火) 05:52 (UTC)[返信]


上記の無署名の方とは別人です。 事後報告になってしまって申し訳ありませんが、 もっとも、それが仏教のような実践体系、信仰体系にまで高められたわけもなく、やはり空の哲学の極みは仏教にある。 の一文を削らせて頂きました。ソシュールとの比較については私は何の知識もないのですが、紹介しておきながら仏教の空観の優越を結論するのはwikipediaのルールに抵触するでしょうし。--218.221.138.40 2008年7月5日 (土) 16:22 (UTC)[返信]


サンスクリットの「zUnya」とフランス語の「signe」は語源的に無関係です。--Ryo 625 2010年11月1日 (月) 20:44 (UTC)[返信]

たしかに日本語発音では似た感じになりますが、現地語では結構違った感じなのではないでしょうか? siは忠実にかけばsiだし、nyもgnも日本語ではニャ行表記になりますけど、 サンスクリット語のnyは歯鼻音+硬口蓋接近音ですが、フランス語のgnは硬口蓋鼻音で、 これは調音点的に考えて日本語の「スャとヒャ」との関係とほぼ同じ(実際はやや遠い)で、実際は大きく異なる音だということがわかります。 さらにgneは巡れば「グネ」となるので、ほとんど関係ないかと。 --126.114.39.98 2011年1月6日 (木) 04:21 (UTC)[返信]


麓さん、責任を持って直して下さい。

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『中論』は、勝義諦(真諦)と世俗諦(俗諦)いう2種の真理があるとする二諦説を述べる。前者は直接認識された非相対的な世界であり、後者は言語によって概念的に認識された相対的な世界である。言葉では表現できない釈迦の「さとり」は真諦であり、言葉で表現された釈迦の言葉を集めた経典などは俗諦であるとされる。

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『中論』は、勝義諦(真諦)と世俗諦(俗諦)いう2種の真理があるとする二諦説を述べる。前者は言語によって概念的に認識された相対的な世界であり、後者は直接認識された非相対的な世界である。言葉では表現できない釈迦の「さとり」は真諦であり、言葉で表現された釈迦の言葉を集めた経典などは俗諦であるとされる。

「言語によって認識された」 ≠ 「言葉では表現できない」

--2001:268:C06D:C8E5:4F5:2076:B32C:B07 2016年2月27日 (土) 04:54 (UTC)[返信]

訂正 --2001:268:C06D:C8E5:4F5:2076:B32C:B07 2016年2月27日 (土) 04:59 (UTC)[返信]

編集の理由説明

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この編集をしました。編集理由が編集要約欄に書ききれないので、ここへ書いておきます。

  • 記事全体に対する要出典の指摘は2015年8月になされており(冒頭の要出典テンプレート)、それから2年以上経っても無出典の箇所は大半を削除しました(特に、単なる引用や事実の摘示でなく解説的な文意のもの)。
  • 一次資料たる仏典名を挙げて、その仏典における「空」の扱いなどを二次資料を用いずに解説した箇所は独自研究にあたるので削除しました。
  • 正確性テンプレート添付箇所も4年ほど放置されていたので削除しました。

この編集で削除された部分を復元なさりたい場合は、出典をお付けくださるようお願いします。--Leonidjp会話2017年11月3日 (金) 07:19 (UTC)[返信]