ノート:空中浮揚
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話題
[編集]2008年8月16日 (土) 05:51版の削除について
「ただしそのいずれもが科学的に未検証であり、」
未検証であるかどうかはわかりません。筆者が知らない所でされているかも知れません。未検証だという主張が未検証です。何かがなされていないことを証明するのは困難であり、悪魔の証明と呼ばれています。明確にわからないことはそもそも書くべきではないと思います。
「民族学や社会学・心理学などの範疇では、神秘体験が精神的な状態に起因しての常識的ではない精神状態(いわゆるトランス状態)において、超常現象的な体験をしたと主張する(ただし主観においてのみ)ものの一端として「空を飛んだ感覚を得た」者が、後世に残す記録として、その体験を書き綴ったものともみなされている。」
目撃者があるケースがほとんどなので、少し書き換えました。
「『神秘体験』(著:山折哲雄・講談社現代新書)によれば、民俗学の範疇では天然に存在する幻覚剤を摂取してトランス状態からお告げを行うシャーマニズムも記録されており、こういった薬物に依らないでも主観の範疇では知覚や記憶はしばしば都合の良いように解釈されるが、神秘主義観の中ではこういった体験は大切なものだと考えられている。」
根拠や関連性が希薄であるにも関わらず、空中浮揚が薬物による幻覚であるかのように示唆する不当な印象操作だと思います。
「なおオウム真理教では1990年代までは教祖自身の肉体という物理的な物体が浮揚する現象を教祖の空中浮揚と呼んでいたものの、1990年代の信者向けOVA(→オウム真理教のアニメ)では精神だけが自由自在に移動する幽体離脱的な神秘体験の一種へと解釈を改めるなど、内部でもとらえ方の混乱のあった様子も認められる。」
これは、『超越世界』のことでしょうか? ビデオを確認しましたが、単に蓮華座のまま上方に幽体離脱してバイロケーションする姿が描かれているだけで、空中浮揚と幽体離脱の混同や解釈の改めは確認できません。ヨガの世界では、空中浮揚も幽体離脱やバイロケーション(二カ所に同時に現れる)も一般的によく知られた超能力(シッディ)です。
--Klione22 2008年8月16日 (土) 06:04 (UTC)
- 検証されたもの以外は全て未検証です。その意味で「検証されたかどうだか判らない」のも未検証に違いなく、そこには「もしかしたら検証されたかもしれないじゃないか」なんていう視点は存在しえません。故に未検証でしかないでしょう。
- 印象操作かどうかに関しては「そういう側面もある」ということに言及しているのみで、実際問題として出典付きで「そういう側面がある」ことを記述している記述を否定して除去したがるKlione22さんの活動自体が非NPOV的(WP:NPOV)であるといわざるを得ません。薬物に拠らずともトランス状態は発生しうるものであり、そこを「空中浮揚が薬物による幻覚であるかのように」と短絡して印象操作だなどと主張しないでください。
- オウム真理教に関しては、その前身であるヨガ同好会的な団体だった頃よりオカルト雑誌ムーなどに教祖の物理的な空中浮揚を積極的にアピールしていたものの、出家信者などが社会問題視され始めた頃に件の弁護士が否定する見解を自身の実験を交えて発表していますが、それに前後して教団側も教祖が飛んだとか(ヲイ)いうアピールはなりを潜めており、その一方で件のアニメのように浮遊感覚を幽体離脱に結び付けるなどの活動への切り替えたとみなす論調が過去のオウム報道にありましたので、これを記述しました。なお「ビデオを確認した」とのことですが、何か勘違いされていませんか…ビデオは観測点であり、その観測点中で変化があるとは言っていませんし、またそういう視点で論ぜられても困ります。件の記述は「1990年代以前のオウム」を雑誌ムーなどへのアピールを観測点Aとすれば、「OVA内の描写」を観測点Bとしているのであり、この間のオウム内部での内部事情は資料が得られず(敵外視を強めた時代なので外部にオウム内情が知らされることは無かった)、そこのところで「観測点AからBまでの期間中になンかあったんだろか」的なことを述べているのです(オウム報道中に出た推測の範疇で)。
- なおヨガの世界観におけるシッディ云々は物理現象としての空中浮揚とはもはや別の話であり、これを長々と書き綴ることは百貨辞典的ではありません。ヨギが(物理的に)飛ぼうと(精神的に)ぶっ飛ぼうと、本稿で扱っている「物体が空中に浮き上がること」に沿えば多義的な視点を利用するなど正確性に配慮して書くべきであり、本稿の範疇から外れればより適切な項に書くべきだと考えます。
- 少なくとも百科事典は事実(これは真理などとは別の概念だということに注意)を書く点において科学的であることが求められ、未検証の事柄を主張側の視点に偏って述べるのは不適切だと考えます。そのため、ヨギの世界観にのみ基づいた主張を行わないでください。--夜飛(話/歴) 2008年8月16日 (土) 07:22 (UTC)
まず、未検証についてですが、なぜ検証されていないということがわかるのですか?ということを問題にしています。夜飛氏が検証された例を知らないのはわかりましたし、こちらも心霊主義や超心理学の流れを除いて検証された例は知りませんが、どこかに検証が存在している可能性もあるでしょう。夜飛氏が知らないからといってどうして検証されている例がないと言い切れるのか?という点を問題にしています。伝承であるとか目撃談であるということを伝えておけばそれで十分なものを自分が知らないからといって未検証だと言い切ることには同意できません。未検証と書く以上は未検証であることを検証できる必要があるでしょう。ですが、そんなことはできません。未検証と書くことは検証可能性を満たしていません。
次に印象操作ですが、私は、もっと具体的に空中浮揚と薬物の関係が指摘されているものならともかく、そのような神秘主義一般に対する批判をそこで差し挟むのはおかしいと感じました。それを書くなら神秘主義の項目に書いてはどうでしょうか?それと「神秘主義観の中ではこういった体験は大切なものだと考えられている。」とありますが、ここでの「こういった体験」がどういう体験を指しているのかが不明でした。中立的な観点とありますが、取って付けたように出典を明記したからといって中立的になるわけでも客観的になるわけでもありません。解釈、合成、特定の議論を差し挟むタイミングなどによっても中立性や客観性が崩れることに留意してください。先のような記述を独自研究は載せないに沿って行うには何らかのもっと具体的な空中浮揚と薬物やトランスに関する指摘が出典として必要だというのが私の理解です。
オウム真理教についてですが、私も、ビデオの中だけで変化が起こったかどうかだとは受け取っていません。先の文章を読むと、何か昔は空中浮揚とされていたものが幽体離脱に解釈を改められた、という風に解釈できましたが、ビデオには単に普通の幽体離脱的な話があっただけであり、報道からの推測等を加味しても、空中浮揚から解釈を改めたとの記述は妥当な認識だとは思えません。「「観測点AからBまでの期間中になンかあったんだろか」的なことを述べているのです(オウム報道中に出た推測の範疇で)。」ともありますが、先の「なおオウム真理教では1990年代までは教祖自身の肉体という物理的な物体が浮揚する現象を教祖の空中浮揚と呼んでいたものの、1990年代の信者向けOVA(→オウム真理教のアニメ)では精神だけが自由自在に移動する幽体離脱的な神秘体験の一種へと解釈を改めるなど、内部でもとらえ方の混乱のあった様子も認められる。」という記述では、明らかに空中浮揚が幽体離脱になったという解釈の変更の直接的な因果関係が指摘されています。(ちなみに、余談ですが、「1990年代までは」というのは、90年代を含むようにも受け取れるのでやめた方が良いのではないでしょうか?)
それと、もう少し落ち着いてください。私も、本文ではヨギのシッディ云々については書いていませんし、非科学的な迷信やヨガの世界観のみを記述する気もありません。
また、この「非NPOV:唯物主義的な常識観に基づいた」という部分のコメント化の意味がわかりません。神秘主義や交霊などを直接的に認める民俗学や社会学もあるでしょう。
--Klione22 2008年8月16日 (土) 11:47 (UTC)
- すみませんが、検証と観測ないし報告を混同してやしませんか…なんか何処から説明したもんだかも悩ましいところですが、何処を同間違ったら「検証が存在している可能性もあるでしょう」なんて考えに至れるのか不思議でなりません。もしその発言に至る方法があるとすれば、検証と観測ないし報告を混同しているとしか思えないのですが。検証され空中浮揚が方法として確立されているなら、もっと世の中飛んじゃってる人がいるだろうし、またそれは特定の神秘主義形態に依存せず飛んじゃうことも可能でしょうが、実際問題として世の中そこまで飛んじゃってる人はいないというきわめて合理的な理由に基づいての記述に過ぎません。
- 印象操作だとKlione22さんが主張されている部分の関連ですが、前述において神秘主義観に於ける空中浮揚を取り上げ、その絡みで浮揚体験について言及している『神秘体験』(著:山折哲雄・講談社現代新書)において精神体験(物理浮揚ではなくもっと感覚的な現象)として神秘主義観において重視されている旨を述べているのであり、同書においてトランス状態の発展形態として神秘体験としての浮揚体験があると言及していることを述べているに過ぎません。まあこの辺りは前述の未検証であることに絡む部分でもあるんですけどね。なおトランス状態の導入では、薬物(いわゆるマジックマッシュルームとかぺヨーテからヒッピー文化におけるLSDまで)もあれば瞑想や極限状態に身を置くことなど様々あり、主体としてはトランスという通常ならざる精神状態にある上での主観的体験を述べているに過ぎません。そこを薬物の利用だけに短絡してほしくはありません。「こういった体験」は「空中浮揚体験」以外にありえんでしょ、話の流れからして。
- オウムに関しては、同OVA発表の時期においてオウム自身から物理的な空中浮揚に関するアピールが成されていないこともあってマスメディア上で語られた言説で、この部分は同OVA発表以降にオウム自身が物理的な空中浮揚をアピールしていれば話は別ですが、実際問題としてそういうアピールが成されていない(まあそれどころか対外的なアピールもかなり減ってはいた時期なんだけど)ため、件の記述は別段問題ないと考えます。なおそういった解釈の変容に関しては、明確な転換期が特定されたという話もありませんので、1980年代から1990年代に掛けてのいずれかの時点か、またはその期間をかけ緩やかに変化していったかは言及しようがありませんし、記述としても「1990年代(オウム末期も)を含む」という表現で問題ないと思います。
- コメントアウト部に関しては、民俗学や社会学で認めるのは「そういう価値観に基づいた文化や社会の形態がある」ような範疇までですので、件のコメントアウト扱いは誤解だと考えての処置です。民俗学が現象や価値観を調査し研究することはあっても、それを「認める(検証し正しいとする)」ような価値判断を行うことはありません。あくまでも「そういう価値観や思想がある」や「このような記録が残されている」ことを体系付けて収集・整理するだけで、また社会学においても対象を物理現象として観測したり検証したりその可否を問うことはありません。言ってしまえば社会学も民俗学も、存在する・あるいは存在した民族や社会を唯物的に観測する学問であり、その価値観に基づいてこれを事実だと認める(そのように主張する)ことなどありえません(それはオカルト主義者やオーパーツ信奉者の範疇です)。
- シッディ云々は、現状としては(まだ)記述されておりませんが、Klione22さんがヨガの世界観にのみ基づいたかのような(「言われている」とか文末は濁しているが)記述をし、それに相反する方向の記述を否定する姿勢であったために釘を挿したまでです。ガイドラインWikipedia:言葉を濁さないにおいて「~と言われている」と言う表現が注意を要する旨が述べられていますが、Klione22さんが追加された部分ではヨガの価値観に偏っており、ヨガの価値観限定なら、ヨガ(Wikipediaでの記事名はヨーガ)の項に書いたほうがいい場合もあります。少なくとも日本人ヨギ(ヨガ指導者?)の発表したヨガの価値観に基づく(そしてそれは現代社会の価値観とは明らかに違う)記述に傾倒しても、百科事典における空中浮揚そのものの説明に寄与しない方向にいくしかありません。ヨガの価値観に基づく記述は備考程度の程々にしておいたほうがいいと思います。--夜飛(話/歴) 2008年8月16日 (土) 14:09 (UTC)
再々反論です。
未検証の件についてですが、もしこれが「Yatobiが知る限り未検証である」とか「Yatobiの意見では未検証である」という記述ならまだ(少なくとも論理的には)良いのですが、たとえどれだけ夜飛氏が博識で教養に満ちていても、世界中にある論文や文献を調べることは不可能なのですから、単に汎用的な形で「未検証である」と述べるのは、客観的な根拠がない夜飛氏の個人的な独断を記述することになり不適当です。積極的な形で「未検証である」という否定の論述を行う以上は、それなりの根拠を示す必要があります。未検証であるということを妥当な根拠によって示せない限り、個人の独断の域を出ません。(神秘主義やオカルトと断っているのですから、一般的な科学の範疇でないのはある意味自明です。)また、仮に夜飛氏が実世界で物理学者であったり物理学を専攻していたりするのであれば、「私が知る限り未検証です」と述べることもそれなりに価値を持つでしょうが、Wikipediaのユーザーの一人である夜飛氏が「未検証である」と述べたとしも、大した言論にはなりません。Wikipediaの読者は、夜飛氏がどういう人物かわからない、ということに留意してください。
「空中浮揚が事実なら検証され飛ぶ人が数多くいるだろう」ともありますが、これは、推測であり、その原因も、主張者の虚偽にあるのか、現象の希有さにあるのか、科学者の怠慢にあるのか、そもそも空中浮揚が存在しないことにあるのか、わかりません。「人間の中には100メートルを10秒以内で走る者がいる」というのは、検証され確立されたことでしょうが、過去に達成した者は、そう多くありませんし、100メートルを10秒以内で走れる人間を何もない所から探し出そうと思えば大変です。また、「正しかった理論や検証がしばらくの間広まらない」というのは、歴史上を見てもよくあることです。(地動説、アボガドロの分子説など)また、実際に夜飛氏も述べられている通り、ヨガや神秘主義や伝承の中においては「枚挙にいとまがない」ほどの観測や報告があるのであり、それらの報告が明確に科学的に検証され否定されたという実例を述べるならまだしも、それらの報告が科学的に検証された例を自分が知らないから未検証であるとするのは傲慢です。夜飛氏には、なぜ検証が存在しないことがわかるのでしょうか? 自分や自分の教養に自信を持つのは良いことだと思いますが、有限の人間が「検証が存在しない」と言い切ることはできません。また、Wikipediaでは、除去を求める側ではなく記述を加える側に立証責任があるので、除去に当たって反証(検証された例)が提示される必要もありません。
印象操作についてですが、夜飛氏の記述では、第一に「天然の幻覚剤を使うシャーマンがいる」とあり、第二に「人間の記憶は主観によって改変されることがある」とありました。この二つのことについては、私も事実だと思います。ですが、その直後に「しかし、神秘主義では、こういった体験が重要視されている」とあれば、「神秘主義では、天然の幻覚剤や記憶の改変の体験が重要視されている」と解釈されることもあるでしょう。私は、そのようにも受け取れました。「トランスは薬物以外によっても引き起こされる」ともありますが、それなら初めからそれを書くべきでした。そこで具体的に挙げられていたのは、薬物だけです。また、私が挙げていた例は、基本的に目撃者がいる例だったので、文章の繋がりが不適当だとも思いました。幻覚や主観による空中浮揚について述べたいのであれば、別個の流れの中で述べるべきだと思います。
オウムに関しては、空中浮揚のアピールが減ったという事実があるのであれば、それをオウム真理教の項目に書くべきでしょう。空中浮揚と幽体離脱は、明らかに別物であり、ヨガの信奉者であるオウムの人達が混同するとは思えません。空中浮揚が幽体離脱として解釈されるようになった、と記述するのであれば、もう少し強いソースが欲しいです。
コメントアウトについてですが、(民俗学や社会学で認めるのは「そういう価値観に基づいた文化や社会の形態がある」ような範疇まで)という記述には同意しますが、それを認めた上で、物理的な検証という文脈は抜きにした想定として、「実際に人が空中に浮かんだ」とする立場と「実際には人は浮かばずに主観的な幻覚を見た」とする立場があるでしょう。そして、後者の幻覚の立場を主張する際に根拠になっているのは、「全ての現象は既知の物理法則の中やそれに近い形で起こるはずだ」という唯物主義的で実証主義的な科学の思想や、「自分は飛べないし人間は羽がないから飛べないだろう」というような常識観です。ただ「唯物主義的な常識観」という表現がまずければ、「実証主義的な科学観」という表現もありかとは思います。
それと、私も、「言われている」などで言葉を濁さないというWikipediaの方針は理解しています。ですが、私は、「ヨギの中には空中浮揚する者もいると言われている」と述べた直後にヨギ側の主張である『あるヨギの自叙伝』や成瀬雅春氏のことを挙げていますので、ここでの「言われている」は、単なる言葉の濁しではありません。また、夜飛氏が「主張されている」という記述に変更しましたので、私も一歩譲って完了形を省いた「言われる」に変更しました。
また、「ヨガの価値観に基づく記述は備考程度」とありますが、私も、初めは「ヨギから主張されている」というようなことを数行短く書いていた程度で、特段広げるつもりもなかったのですが、夜飛氏が「神秘主義者と空中浮揚」という形で広げて批判したので、こちらとしてもその認識は不健全だろうと思い、もっと広げる必要が出てきました。また、日本語で「空中浮揚」とググれば、成瀬氏のサイトが一番上に出てきますし、英語で「Livetation」とググっても、奇術や超能力のものが多く出てきますので、ヨガの欄を今更削除することには同意できません。また、ヨガの価値観に偏る記述を省いてしまえば、科学の価値観に偏る記述なってしまいます。また、「そしてそれは現代社会の価値観とは明らかに違う」ともありますが、これは、夜飛氏の主観であり、現代のどの程度の人達がヨギの空中浮揚を信じているのかはわかりません。私は、何十トンもある電車を浮かして走らす時代ですから、数十キロの人体の浮揚ぐらいは可能だろうと思う人々も一定の割合でいると思います。
--Klione22 2008年8月17日 (日) 02:59 (UTC)
- なんか…何ていうか…いや本当になんとも言いようが無い徒労感を感じます。
- 未検証に関してですが、まず検証と言う作業を理解してください。論文が出たとか文献になったなんていうのは発表レベルです。現象として観測された時点でも未検証です。検証はその先にあります。まあ発表の前段階でも発表者自身による検証作業もありますが、それは検証と言う段階の一つであり、その時点では未完です。で、検証の結果として決定的に結論が出たケースはきいたことも無ければ、その結果が何かにフィードバックされ利用されているなんていう話も聞きません。人間が精神の力だけで飛んじゃったら、それこそイクチオステガが陸に上がってきちゃうほどのレボリューションっす(漏電中)。で、そのレボリューションが何処で検証され認められたとしても、ニュースになるでしょうに。もっと常識的にものを考えましょうよ。その意味では地動説やらアボガドロの法則とは時代背景が違いすぎます。かの理論が発表されたのは、通信や交通の手段が今よりはるかに不自由な時代の話であり、現代の学術分野における検証作業を同一視しようという発想自体に詭弁を感じます。ことアボガドロの法則に至っては、近代とはいえ発表され半世紀にわたって検証結果が出ずに仮説のままだった訳ですが、例え正しかろうが誤っていようが、いかなる仮説も検証がすんでいなければ未検証に違いないのですけど。ついでに言えば、未検証であることは検証の結果として否定されることとも違いますよ。その辺りの認識はきちんとしてください。未検証であることを否定できるのは、検証されたと言う結果だけですので、Klione22さんは願望交じりの「夜飛が知らない可能性」に一縷の望みを繋がないで、検証結果を示してください。
- 印象操作に至っては、Klione22さんが自身の記事内容の理解のうえで短絡したからと言って、印象操作だなどと主張しないでください。間をすっ飛ばして短絡するのはKlione22さんの自由ですが、その結果の理由を相手に求めるのはおやめください。だいたい…元の文にしたって「こういった薬物に依らないでも」と但し書きまで入れてるにもかかわらず短絡したままロック掛けちゃうKlione22さんの姿勢は、非NPOVを通り越して別のところにある予感です(異次元あたりとか)。
- ヨガに関しては全面的に否定しているわけではありません(っていうか主張レベルではそういう主張があることを認めている)。ヨギの主張は主張レベルで存在していること(その事実の可否は別)を書くことは百貨辞典的ですが、ヨギの主張を認めヨギが空を飛ぶと書くことは明らかに逸脱です。未検証であるため「ヨギは空を飛ぶとヨギは主張する」としか書きようがないと言うのが肝だと言うことを間違えないでください。--夜飛(話/歴) 2008年8月17日 (日) 09:20 (UTC)
再度です。
「まず検証と言う作業を理解してください。・・・」とありますが、夜飛氏も部分的に認めているように、一般には真偽を確かめる作業を検証と呼ぶのであり、検証されて真であると認定された事象は、立証された事象や実証された事象や証明された事象と呼ばれます。そして、本来の意味での検証であれば、夜飛氏が満足できるレベルではないにせよ、心霊主義や超心理学などで一応試みられてはいます。
また、夜飛氏は、立証された例を聞いたことないと述べていますが、他の人々には夜飛氏がどれぐらいの学術的な素養や教養や常識を持っているのかがわかりませんので、匿名の個人の単なる主張や感想に過ぎません。
「決定的に結論が出たケースはきいたことも無ければ、」とありますが、「決定的な結論」などは、思慮深い科学者の立場からすれば、どんな現象に対しても出せるものではありませんし、地動説なども、一夜にして大きな出来事があって受け入れられるようになったのではなく、徐々に徐々に肯定する人が増えていって受け入れられるようになっていったのであり、現在では大部分で受け入れられています。空中浮揚が実際にあって実証されればニュースになって一夜にして広まる、というような考えは、単なる思い込みであり、現実には、トリックだとか怪しいとか気違いだとか批判を浴びることになります。(トリックではない、ということを確実に証明することは難しいのですから、結局、トリックかもしれない、という批判や疑念が許容される限り、満場一致の支持など得られません。)
フィードバックや活用例がないとも言いますが、長い修行や訓練の上で数メートル浮揚できることが一体何の役に立つのですか?科学は真理を追究する、などと美化されることもありますが、実際の社会においては、もっと社会的や経済的に有用とみなされる対象に資金や研究者が集まります。(一体どんな科学者がヨギの空中浮揚のような一般的に怪しいとされる領域に喜んで身を投じるのでしょうか?)
また、「人間が精神の力だけで飛んじゃったら、」ともありますが、ヨガやオカルトでは、「非物質的な精神の力だけで飛ぶ」などとは主張されません。ヨガでは、ヨギが作り出す磁場などのエネルギー、心霊主義では、エクトプラズムのような半物質、が媒介として想定されています。
「未検証であることを否定できるのは、検証されたと言う結果だけですので、」には、基本的に同意しますが、そもそも、「未検証である」とする夜飛氏の主張が個人的な感想に過ぎず、確定されたものではありません。現実の世界は、観念的な数学の世界ではないので、勝手に排中律を適応して「検証が広まっていないものは未検証である」と断定するのは不適当です。現実の世界では、どこかで誰かに検証されているか、世界中の誰にも検証されていないか、わからないままです。ですから、「Yatobiが知る限り未検証」だとか「Yatobiが満足するレベルでは検証されていない」ということにしかなりません。そして、これは、重要なことですが、Wikipediaでは、記述を加える側に立証責任があるのであり、記述の除去を求める側に立証責任があるわけではありません。「未検証である」という記述を積極的に加える以上は、それが客観的な形で示される必要がありますし、それが為されない以上、個人の独断や独自研究として除去されます。
それと、私は、「ヨギが空を飛べる」などとは断定しないように気を付けていますし、実際に一切していません。むしろ「未検証である」という風に断定する態度を問題視しています。上から批判するのはやめてください。(こちらも参考にしてください。Wikipedia:礼儀を忘れない)
--Klione22 2008年8月17日 (日) 13:58 (UTC)
- ああ、もう何が言いたいんだかさっぱり判じかねます。「一体どんな科学者がヨギの空中浮揚のような一般的に怪しいとされる領域に喜んで身を投じるのでしょうか?」で「そんな奴はいない」と言うのが真なら、まさしく未検証じゃないですか…地動説などと時代背景が違うと言うのも無視ですか。いやそれ以前に、地動説も発表以降に長らく不遇の時代があったとはいえ、当時は提唱者であるコペルニクスの属する社会(中世ヨーロッパの一地域)に一大センセーションを巻き起こし、挙句にローマ教皇庁まで巻き込むという当時としては「大ニュース」にもなってますが。いわんや現代では通信交通の発達にも伴って、影響範囲はワールドワイド、伝達速度はそれこそ当時とは類比するまでも無く高速であり、レボリューションとでもいうべき一大発見がなかなか伝わらないわけも無く…っていうか、国際学会クラスにまで伝わらないようなものを「検証された」とみなすほうが無理と言うもの。いずれにしてもKlione22さんの言ってることは、自分自身で自分の足を引っ張ってるようなものでしょう。
- 心霊主義や超心理学などいわゆるサイ科学ないし哲学に起因する現象に独自解釈を当てはめることで論理を構築する分野に認められているというのも、結局は突き詰めれば「そのような主張が存在する」と言う水準に過ぎません。ヨギが磁場を出すと言っても、そりゃヨギで針金をこすると方位磁石になるとかいうのではなく、おそらくはサイ科学で仮定されている「人体から放出される(未知の)エネルギー」のことでしょう?いや本当に、主張や報告レベルのものと、現象として検証された事柄は分けましょうよ…--夜飛(話/歴) 2008年8月17日 (日) 14:32 (UTC)
- まあまあ。こういう分野で科学的な厳密性を求めるのはいかがなものかと。たとえば「キリストが7日目に生き返った」に要出典はつけないですよねえ。そっち方向はそっち方向で見ないとですよ。--Ks 2008年8月17日 (日) 14:48 (UTC)
- まあ小生としても、神秘主義者やオカルティスト、あるいはサイ科学(疑似科学でもいいけど)分野でそのような主張は存在することは否定するところではないし、そういう主張が存在していることや、そういう方面で目撃したと主張する例を紹介するのもアリだとは思うのですが、如何せん主張側の視点に立って「人体空中浮遊は実在する」と断定することは百科事典的ではないと考える次第です。またそれら分野での主張は結局のところ未検証(主張や報告が事実か嘘か幻覚かは「そのいずれにも可能性がありそのどれだとも断定し得ない」と言う意味を内包する)だという但し書きを添えることは、妥当な範疇かつオカルティズム的視点も科学的視点も生かす方向だと思うんですけどねえ(言っちゃえば「答えなんか出てないよ」ってなもんで)。
- その意味では前述のヨギがどの方向で(「物理的に」or「意識が」or「思考が」)飛ぼうと、飛んだとする主張が存在しているところまでは事実として確認可能なわけですから書く事は妥当だけど、飛んだと言うことは実際問題として検証された結果が一向に示されないままでは書きようが無い(検証可能性を満たしていない)と言ったところだと考えます。
- ところでちと脱線しますが、良くないオカルティストの方向性として、持論を補強するために回答しようの無い仮説を引っ張り出すってのがあると思うんですよね。例えば現象Aがあると主張した際に、既存物理学で説明しきれず否定されうるところを、「未知の計測不可能なエネルギーX」を脳内で発明しちゃって「全部このエネルギーのせいだ」としてしまうとか(まあ計測しようが無いんなら既存物理学では現象として扱えませんからね)。加えて既存物理学用語を関係の無い用語で呼んじゃったり(「未知の生体エネルギー」を磁場と呼んでみたり)。で、結局ンところは物理学でもなんでもないのに物理学用語を混ぜ込んだ結果としてあたかも科学的(正確性を期すなら擬似科学)であるかのように自身が錯覚するという「(自分自身にも騙される)騙され易さ」を発揮するんじゃないかと…。こういった疑似科学的視点は疑似科学的視点であることを明記して書く事は百科辞典的だけど、オカルト辞典でもなければ疑似科学的視点にのみ立ってその視点の位置を明記しないことは不適切だとも思います…その意味でフレッド・ゲティングズの『オカルトの事典』(訳・松田幸雄:青土社:ISBN 4-7917-5237-6)はオカルトタームを民俗学的視点を兼ね備えて収集した、実に良くできた「良いオカルティストによるオカルト解説書」だと思いますね。オカルト関連の記述をするなら、同書くらいのクオリティを持ちたいところだと個人的に考えています。--夜飛(話/歴) 2008年8月18日 (月) 11:37 (UTC)
単なる区切り(利便性のため)
[編集]再度です。
「ああ、もう何が言いたいんだかさっぱり判じかねます。」についてですが、基本的に今の私が求めているのは、夜飛氏が「未検証である」という記述を除去することに同意することです。夜飛氏は、何か私が「ヨギは空中浮揚する」と断定しているかのように仄めかしますが、私は、そのような断定は一切していません。(記録が残っているので、証拠があるなら示してください。)逆に、断定して「未検証である」としているのは、夜飛氏の方です。世の中には、(夜飛氏の定義で)「科学的に未検証である」事柄というのは、山ほどあります。例えば、有名人の生年月日などは、「科学的に未検証」でしょうが、では、百科事典として「福田康夫は、1936年7月16日生まれである。ただし、未検証である。」という風に記述しますか?そんなことをすれば、まるで逆説的に生年月日が間違っている可能性が高いかのような印象を与えます。もし年齢詐称や経歴詐称の疑いが強いのであれば、それを別の形で示すべきでしょう。それと同じで、「神秘主義・オカルト」と断っていて別に「ヨギが空を飛ぶ」と断定してもいない所にわざわざ「未検証である」という記述を加えるのは、夜飛氏の主観的な印象操作に近いものがある、と言っています。(意図的や計画的な印象操作ではなく、個人の善意として科学的や中立的であろうとする中で個人の実証主義的な価値観に基づいて結果的に過度に貶めてしまっている、という意味です。)
それと、夜飛氏は、実際に物理学者なのでしょうか? それが事実かどうかが他の人々にはわからないのだから、夜飛氏の言論には意味がない、という点にも答えてください。
(「一体どんな科学者がヨギの空中浮揚のような一般的に怪しいとされる領域に喜んで身を投じるのでしょうか?」で「そんな奴はいない」と言うのが真なら、まさしく未検証じゃないですか…)というのは、つまり、実際に確実に科学的に検証されていたとしても、そういうヨギの空中浮揚に首を突っ込むような人間は、基本的に馬鹿にされたり相手にされなかったりオカルトだと非難されたりするから、正統派とされる科学者には情報が伝わらないし、正統派とされる科学者の間で公的に立証感が発表され共有されることもない、ということです。現代の正統派の科学者は、もっと確実な物理学の分野として空中浮揚を研究します。「現状の既知の物理法則に反してヨギが浮かべるかどうかを検証する」という研究は、主流派とされる科学のテーマとして大した価値がない、ということです。現実にはトリックの可能性を排除できないので難しいですが、仮にヨギが浮かぶことが完全に確実に立証されたとしても、ヨギの空中浮揚の過程が全て定式化されるわけではないので役に立ちませんし、科学的にも利用価値がありません。完璧な立証があれば物理学者に伝わる、というのは、単なる思い込みです。
科学技術や情報技術の進歩は、人間の思い込みとは関係がありません。技術が急速に進歩しても、人間の性質というのは、そう簡単に変化するものではありません。技術が進歩した、ということは、それだけトリックの共有や写真の合成が容易になる、ということでもあります。「大ニュースになるはずだ」ともありますが、心霊主義やヨギの空中浮揚は、実際に大ニュースになっていますし、報告レベルでは世界的に知られています。しかし、検証済みと未検証を分ける一線が曖昧であり、それぞれの人間で立証の定義が異なるのですから、この日からヨギの空中浮揚が立証された、と決定できるような画一的なニュースにはなりえません。
では、逆にお尋ねしますが、もし仮にヨギの空中浮揚が事実だとした場合、一体どうなれば「ヨギが空中浮揚する」ということが完全に確実に検証され立証されるのですか?どうすれば「決定的な結論」が出るのですか?現象の定式化が立証の要件ですか?人間の歩行や記憶も、基本的には定式化されていませんが、人間の歩行や記憶が存在しませんか?それに、もし「ヨギが空中浮揚するかしないか」という命題の検証が試みられるとしたら、前述したように、その研究テーマとしての価値から物理学ではなく超心理学で行われます。そして、仮に超心理学者が証明したと主張しても、「所詮超心理学者だろう」と相手にされません。正統派は、いつの時代も異端派を批判したがるものです。また、正統派が異端派を非難する所には、「異端派は異端なんだから相手にしなくて良い」とするような一種の循環論法が存在しています。
「既存物理学で説明しきれず”否定されうる”ところを、」とありますが、この辺りが実証主義的な思想や信仰に依存しているのです。百科事典は、神秘主義や疑似科学のものではありませんが、実証主義のものでもありません。実証主義は、厳密に立証できないものは「非存在であり、0%である」であると仮定したり、オッカムの原理に従ったりしますが、なぜ即座に非存在を仮定する必然性があるのでしょうか?本当に中立的な立場からすれば、厳密に立証されていないものは、単純に言って「存在の可能性が50%、非存在の可能性が50%」ですし、厳密に立証されないまでも、「存在の可能性が90%」になったり「存在の可能性が15%」になったりします。(「否定される」ではなく、「否定されうる」としていることから、夜飛氏も理解しているようではあります。)また、現時点では、全ての科学(物理学、化学、生物学など)の現象を画一的に説明する統一理論など存在しないのですから、宇宙や人体に未知の現象やエネルギーが存在している、ということは、ある意味で背理的に証明されているようなものです。ですから、既存の物理学に反する現象が既存の物理学に未知のエネルギーの作用を通じて起こるはずだ、とする想定や主張自体に不健全さはありません。もちろん、そのような可能性を想定するのは煩雑だから、一律的に相手にしない、とする実証主義や節約主義の立場も、それはそれでそれなりに合理的ではあります。
- 未検証の除去に同意するのか?
- 匿名の個人である夜飛氏の言論に価値があるのか?
- 完全な検証や決定的な結論とは何なのか?
--Klione22 2008年8月19日 (火) 04:55 (UTC)
- ちょっと行きすぎ傾向になってますね。Klione22様、「匿名の個人である夜飛氏の言論に価値があるのか」。ないです、ハイ。それは私も含めここの全員に当てはまること。だから、出典が求められるんですね。私はよくずぼらしますが、それでもややこしいところは出典確認します。ですから、誰が書いたにせよ、問題のない文章にしようと云うことでしょう。ですから、誰が書いたどの本では飛んだと書いてある、これは確認可能です。ですから、このような記述は有効でしょう。ただ、ややこしいのは、この項の場合、それが物理現象としても理解できるものだから、物理現象としてどう解釈できるかが論じられなければならない、と言う面があることです。記事にもあるように、実際に空中浮遊する物体は存在しますが、それらは重力を相殺する何かの力があり、それがどのような力かはそれぞれの例で解明されています。しかし、人間が空中浮遊する例では、その面の解明が怪しい、夜飛様の主張はここにかかっています。
- つまり、飛んだという話があるかどうか、に関しては現時点で出典があるわけですが、人間がどうやって飛べるのか、に関しては物理学のレベルでは未検証なのは確かです。それが可能なら、その理論を用いて浮く機械ができるはずですよね。ですから、後者の意味で未検証である、と言うところまでは常識的判断かと。それをもはずせ、と言うことになれば、人間の空中浮遊の理論を解説して、普通の物理学者、あるいは理科の先生が文句を言わないような出典がつけられなければなりません。もしそういうのがあれば、それを用いて論じればいいのです。例えば中国武術なんかも気とか言って神秘的に語られることがありますが、武術好きの物理屋さんが分析したりして、ある範囲までは合理的に説明されてますね。そんな感じで。そういうことでいかがです?--Ks 2008年8月19日 (火) 06:04 (UTC)
- なんだかなあ…Klione22さん、ますます何がしたいんだか…というか何を言いたいんだかも意味不明というか論理的ではありません。今まで一々ツッコミせずにいた所ではありますが、まずその「反論」と言う姿勢も、完全に方向性を外していると思います…そもそも小生はKlione22さんに議論を吹っ掛けてるんではなく、自身の行動および記事の内容について、表現レベルでいくらか幅を持って説明しているだけなんですけど。
- で、それを脇にのけておいても、ココでなんで科学的な検証と言う概念を根源的に説明せにゃならんのかと悩ましいところでもあり、加えて小生に全知性を要求されるが如きその姿勢…何が言いたいのやら。ちょっと気の利いた宗教家なら、全知性を兼ね備えた存在は聖典に探せというところですかな(良くない方向に漏電中)。
- まずヨギの空中浮揚に関しては、小生としてはその実在を論じていませんよ。その前段階で未検証だとした上で「そういう主張は存在している」とするのみです。いわんやその原理についても論争するつもりはありません。なぜなら事実に基づく内容を示した百科事典としては、それ以上書きようがないからです。
- 未検証なことを未検証だと書くことを否定して何が書けるというのでしょう?それに長々と書き綴られておりますが、それらの言説は既に全く意味を成さない「Klione22さんの主観的価値観を肯定するための弁論」に過ぎません。有名人の生年月日なら戸籍(ないし公称情報)見れ…と(性質が全く違う事柄を引き合いに出しても詭弁にしかなりません)。検証を立証レベルにまで勝手に進めておられますが、小生の見解として(おそらく科学的手法の一般論として)は、「立証は、提出された理論ないし仮説の通りに実行した場合に、現象が再現でき、そしてそれは論理的に他の理論との整合性をもって成される」と申しておきましょう…もはや上に述べた小生の発言とは全く関係の無い事柄ではありますがね。--夜飛(話/歴) 2008年8月19日 (火) 12:51 (UTC)
- (>Ksさんへ)まとめて下さって感謝します。どうもKlione22さんは目的が(百科事典的な記事をかこうというところとは別の)他所にあるようです。「行きすぎ傾向」なんではなくて、同じ道を歩こうとしているのに、目を離すとKlione22さんは藪漕ぎしに行ったまま帰ってこなくなっちゃう感じ(脱線転覆風味)でしょうか(だいぶ漏電中)。--夜飛(話/歴) 2008年8月19日 (火) 12:51 (UTC)
- 夜飛様、しかし「現世で見られる諸現象はすべて物理的基盤の上に存在するから、その判断がすべてに優先する」という評価基準は、科学的ではありますが、あらゆる判断に対して優先するとは限りません。少なくとも事不思議の世界では。ですから、そういった非科学的判断にも、それなりの存在価値を認めてはいかが?たとえば「キリストの復活」も「太陽が昇る」も、非科学的ですが、それに突っ込んで回ることにさほど価値はありません。むしろそれによって殺されるものもあるのではとも思います。そのあたりは棲み分けで行くべきではないですか?--Ks 2008年8月19日 (火) 17:01 (UTC)
- (>Ksさんへ)まとめて下さって感謝します。どうもKlione22さんは目的が(百科事典的な記事をかこうというところとは別の)他所にあるようです。「行きすぎ傾向」なんではなくて、同じ道を歩こうとしているのに、目を離すとKlione22さんは藪漕ぎしに行ったまま帰ってこなくなっちゃう感じ(脱線転覆風味)でしょうか(だいぶ漏電中)。--夜飛(話/歴) 2008年8月19日 (火) 12:51 (UTC)
再度です。
論点を整理して妥協点を見い出すために箇条書きにしたのですが、何か攻撃的に映ってしまったようであり、申し訳ありませんでした。「匿名の個人である夜飛氏の言論に価値があるのか」というのは、あくまでも夜飛氏が「未検証である」と断定することについてであり、それ以外の点についての夜飛氏の言論を否定しているわけではありません。また、「完全な検証や決定的な結論とは何なのか?」というのも、夜飛氏がどういう意味でヨギの空中浮揚の「検証」という言葉を使っているのかを明確にするために具体例を挙げて欲しくて聞きました。「未検証の除去に同意するのか?」も、反論ばかりでわからなかったので明確な意志の確認がしたくて聞きました。
以下、私の意見です。
言葉一つ取ってみても、「未検証」とするのと「未解明」とするのでは、印象が変わります。「未検証」では、検証や実験すら試みられていないような印象を与えますが、「未解明」では、もっと中立的に解明されていないという印象になります。また、もし「物理学的に定式化されていないこと」を「未検証である」とするのであれば、それは、記述として妥当ではないと思います。「物理学的に定式化されていないこと」が問題なら、「物理学的に定式化されていない」と記述するべきです。先程も述べたように、検証という言葉は、もう少し幅広い意味で使われます。
生年月日の例は、エベレストの登頂の例でも良かったのですが、直後に「ただし、未検証である」と記述するのは、何かそれが虚偽であるかのような偏った印象を与える、ということを示すために挙げました。事実の記述を装った意見の表明になっている、ということが述べたくて挙げました。(このような些細な言葉遣いのガイドラインは、Wikipedia:中立的な観点の「この方針の言い換え」「フェアな観点」辺りにあります。)
物理学的に解明されていない現象というのは、他にも山ほどあるのにも関わらず、その箇所にのみにわざわざ「未検証である」という記述を付け加えるのは、それ自体が意見の表明になりえるし、特定の立場を不当に高めることにもなりえる、というのが主張です。
私は、ヨギの空中浮揚の原理が物理学的に解明されている可能性が高い、と主張しているのではなく、その箇所にそのタイミングでその記述を加えることが妥当ではない、と主張しています。
そして、それを伝えようと、これまでに、「何かがないことは証明できない」や「検証されているが広まっていない可能性もあるのだから、個人の独断や意見に過ぎない」と述べてきたりしたのですが、反論に反論という形で少し論点が明快になっていなかったでしょうか。
私は、単に断定的に「未検証である」と記述するのは、やはり百科事典として不適当であり性急だと考えます。そのような記述は、Wikipediaの方針である検証可能性を満たしていません。これが執筆者が空中浮揚を専門に研究している物理学者だったりすれば、まだ妥当性がありますが、誰が書いているかわからない以上、やはり不適切だと思います。「未検証である」可能性が高いことや常識的にそう考えられることとそれをWikipediaに断定的に記述することは、同じではありません。
私の考えでは、総じて、Wikipediaに「何かがないこと」や「何かが為されていないこと」を記述するのは、不適当だと思います。結局、「何かがない」ことを証明するのは難しいですし、誰が執筆しているかわからないために個人の断定にしかならず、中立性や客観性が担保されません。ですから、私は、「未検証である」と記述するのも、「物理学的に定式化されていない」と記述するのも、あまり良い表現だとは思えません。それよりも「オカルト」や「その個人の主張によると、・・・という」という表現を使った方が自然だと思います。
私が反対しているのは、否定の断定的な記述であり、「その主張によると、ヨギは、物理学的には未解明の磁場的なエネルギーを使って空中浮揚するという」や「物理学者の中には、ヨギの空中浮揚を未検証や疑似科学だと考えている者もいる」程度の記述に反対しているわけではありません。
これ以上議論するのも建設的ではないでしょうから、ひとまず、私なりに編集してみます。
また問題や意見があれば、提案してください。
--Klione22 2008年8月20日 (水) 09:52 (UTC)
- 手を加えさせていただきました。科学の立場からは、こう書かざるを得ないでしょう。ですから、この範囲にはそういう角度からの加筆はご遠慮ください。それで棲み分けとしませんか?--Ks 2008年8月20日 (水) 10:38 (UTC)
- んー…なんだかな。「未検証」(現象が検証されていない)と「未解明」(現象を調べたが、なぜそうなるかが解らない)とでは、前提とする状況の水準がまず違います。その意味では、未検証の代替語として「未確認」ないし「未調査」(現象が発生したことを明確に調べたわけではない)辺りが妥当でしょう。ただそうすると、サイ科学とか心霊主義の関係者による報告がかわいそうな事になっちゃうので、そこは未検証と表記したほうがより穏当かつ実情を示していると考えます。なおKlione22さんの主張される「夜飛の知らない検証例があるかもしれないじゃないか」的な部分ですが、少なくとも小生は検証例を得ていないし、Klione22さんも示すことができないと言う意味で、二重に未検証であることを補強しているわけで、なおも実在を信奉する側やその周辺・関係者の発表を幾ら探したところでやはり検証例が出ない以上は、未検証だと言わざるを得ません。少なくとも記事執筆時点で未検証であることが一定の妥当性の上に確認できているのですから未検証と書き、検証例が出た時点で書き換えれば良い話ではありませんか?(だからといって検証されたとみなすに値しない客観性以前に確実性も無いあやふやな言説や情報を羅列されても困りますがね)
- また生年月日云々をエベレスト登頂云々に言い換えても、やっぱり関係の無い事物を引き合いに出しての詭弁だと思いますよ。そういう視点で話をされている間は、意図してやってるなら「お話にならない」し、気づかずにやってるなら「話にもなんない」状況です。
- たとえば例をこれを示し(かなり漏電中)て「この二人は未知の力で地面すれすれに空中浮遊して滑走しているのだ」とするか、「強烈な放屁によってホバークラフトのように浮上走行しているのだ(音は屁の音だ)」とするか、「ストップモーション・アニメーションによるものだ」とするか、それは個人の勝手だと言うものですが、それをしかるべき手法で調査する過程が無ければ、そのいずれもが仮説に過ぎません。しかし前者二つに比べストップモーションアニメーションは合理的な見地から判断可能であり、仮説はそこで一定の妥当性を発揮します。ところが合理性を抜きにすれば「この二人は巨大な可動式の板の上にいて、板を動かすことで滑り台のように滑り続けているのだ」などあり得ないものも含めあらゆる可能性があり、その可能性を全て論じることは現実的ではないながら、弁論的にはそのいずれを選択しても議論を破綻させることができます(元より関係ないので)。
- しかし破綻させたままでは目的(現状ではWikipediaの記事空中浮揚の編集と内容の調整を行うこと)が果たせませんので、一言…「帰って来い」と。--夜飛(話/歴) 2008年8月20日 (水) 14:46 (UTC)
返答です。
K's氏へ
その程度の変更であれば、特に再変更を求めることもありません。私は、科学の範疇に収まらないものを何でも疑似科学だとレッテル張りすることや自分が怪しいと思うものを過度に小馬鹿にして記述することに反対している次第です。物理学者なりそれに近い方がその記述の方が良いと思うのであれば、私が過度に介入するのも適切ではないでしょう。
私が言いたかったのは、人間の歩行や記憶など、科学的に解明されていない現象というのは、他にも多々あるので、ヨガや心霊主義の空中浮揚のみを要検証だとする所には、客観的で科学的な判断が働いているのではなく、主観的で恣意的な判断が働いている、つまり、「科学的に未検証だ」と述べると何か知的な記述のようにも思えますが、人間の歩行の原理も厳密に言えば科学的に解明されていないのであり、空中浮揚は要検証だが歩行は検証不要だ、とする所には、厳密な科学的な合理性が存在しているのではなく、もっと科学者側の人間的な主観や常識観や偏見が関わっているのではないでしょうか、だから、そういうものに要検証というラベルを貼るのも、科学的な真理や合理性に基づいているのではなく、単に科学者側の一つの立場や意見の主張や表明に過ぎないでしょうか、ということです。要検証と検証不要の境界性など、厳密に定まっているものではなく、時代や個人の価値観によってどうにでもなるものなのではないでしょうか、ということです。
私の意見としては、そのような記述を加えることは未だに不要だとも思うのですが、科学者を自認する側にそのような認識や思考回路が一般的に存在しているのであれば、それを反映した記述が残されるのも、また妥当なのでしょう。
夜飛氏へ
私の理解からすれば、夜飛氏の述べていることが的外れなのですが、また、そうであるがゆえに、夜飛氏の理解からすれば、私の述べていることが的外れなのでしょう。ですが、言い合いになっても仕方がないので、これ以上反論するのはやめておきます。
--Klione22 2008年8月21日 (木) 10:39 (UTC)
- 共通認識に立っていないという以前に、対話の前提になっている「用語の概念に対する理解」という根本的な水準(ないし言葉の壁が存在する)で、ズレてる予感ですよ。まあ相変わらず「反論」などと言う発言をされる位ですから、Klione22さんとの対話が建設的な方向に行くためには、2~3ステップどころか4レベルほど階層を上がらないとダメかも。--夜飛(話/歴) 2008年8月21日 (木) 11:31 (UTC)
- 手を引くとおっしゃってるのですから、余計なことは言わないのが花かと。--Ks 2008年8月21日 (木) 13:09 (UTC)
- ウィ、了解です(思う処は多々在るけど)。--夜飛(話/歴) 2008年8月23日 (土) 14:38 (UTC)
- 手を引くとおっしゃってるのですから、余計なことは言わないのが花かと。--Ks 2008年8月21日 (木) 13:09 (UTC)
「演目」と「現象」
[編集]「奇術」の節の最初の部分で「現象」が「演目」に書き換えられていたのでそこだけ戻しました(差分)。この記事内で言及されているものでいうと、「ダンシング・ケーン」とか「ゾンビ・ボール」とかが「演目」であり、これらがまとめて「浮遊(浮揚)現象」に分類される、という構造になっています(解釈次第で「念動現象」にも分類できますが)。要約欄には「奇術は現象ではない」とかかれていましたが、「観客にとってどんな不思議なことがおこっているように見えるか」ということを奇術用語で「現象」というわけです(例えばカズ・カタヤマ著『図解 マジックテクニック入門』東京堂出版、2003年、4頁を参照)。--貿易風 2010年11月15日 (月) 12:47 (UTC)
- 失礼しました、奇術の用語ですか。補正ありがとうございます。--夜飛(話/歴) 2010年11月15日 (月) 13:01 (UTC)
ホバリングをここにリンクするのやめてくれない?
[編集]こういうオカルトどうでもいい奴がグダグダ言っているところに、ホバリングがリンクしているのが我慢ならないんだけど。0null0(会話) 2016年7月11日 (月) 05:38 (UTC)