ノート:秩父夜祭
項目「秩父夜祭り」を「秩父夜祭」に移動提案
[編集]公式HPでは「秩父夜祭」と表記されているので特に異議が無いようでしたら移動したいのですがどうでしょうか?--とろろ 2006年12月1日 (金) 09:55 (UTC)
- 提案者ではありませんが、提案から一定期間が経過しても特に反対意見がないため移動致しました。--Sheepech 2007年3月1日 (木) 11:40 (UTC)
祭りの起源
[編集]かつての秩父は交通が未発達で深い山に閉ざされた辺境の地で、土地もやせ満足な収穫が望めない土地であった。 しかしその反面、桑の生育に適した土地で、江戸時代から養蚕生産が盛んに行われていた。 交通網が皆無で行商が難しかった秩父では、生産した絹を江戸に売り込む方法として年に一度、絹市が開かれ、 その市に遠方から来る人々の接待を目的にはじめられたものが今日の祭りの起源だとされる。
単なる観光協会の売り文句ではなく、江戸時代は関所があったことを加味しましょう。
秩父札所は江戸から関所なしでいける西国浄土として成立したのですから江戸への取引はむしろ問題にはならない
ですね。絹の取引では近江商人が往来した(矢尾百貨店などはその名残)のですから、もちろん江戸も含めてですが全国への
売り込みであるとみるのが妥当でしょう。
秩父〜群馬までは米作には適しませんが麦作地帯であり、「満足な収穫が望めない」というのはひどい表現です。
郷土料理として麦作地帯の特徴的な食べ物がのこっている(上州名物ですが焼きまんじゅう、秩父から群馬までの地域である
おっきりこみ)をみれば明らかです。
接待の目的にはじめられたのは2、3日の付祭としての山車の曳行であり、1〜6日祭礼はそれ以前からも行われていると
考えるのが自然でしょう。この記述も含め2、3日の夜祭の大祭式を中心とした観光協会の売り文句レベルの狭義の秩父夜祭
ならば間違っていないともいえる記述でしょうが、秩父神社例大祭としてみる全体の秩父夜祭としてはおかしい記述です。
--220.104.5.2 2009年4月29日 (水) 22:34 (UTC)