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ノート:科学哲学

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2011年8月16日 (火) 00:58時点の版以降付加されている「概説」の項は、引用元は明示されているものの、引用元に対する分量、文体が著作権上許容なレベルであるのか疑問に感じるのですが、いかがでしょうか --219.103.231.92 2011年8月18日 (木) 16:28 (UTC)[返信]

  • そもそもこれは、転載元の文章を改変してしまっているので「引用」ではないです。ただの翻案です。引用に当たらない限り、いくら出典元を示していても無許諾で他人の著作物を使用することはできません。--かんぴ 2011年8月18日 (木) 16:48 (UTC)[返信]


219.103.231.92さんが言いたいのは、特定の出典にフォーカスした時に、その出典の文のうち利用されている文の分量、使用率が高すぎる、といいたいわけね。特定の出典にフォーカスした時の分量が減ればよいわけだ。かんぴさんは、へたに改変するよりも、ストレートに引用形式にしたほうが著作権上OKと見なされる、と示唆しているわけだ。

たしかに分量的な問題はあるように思える。

かんぴさんが言っている、翻案、というのは、そこまで言うほど問題かどうかは微妙。問題なし、とするのが普通の判断。中立的な言い回しを足すのはウィキペディアのルール上規程されていて、むしろ必要な作業。この程度を言い回しの変化を「翻案」などとして咎めだてすると、連鎖でウィキペディア上の他の無数の記事を消去しなければならないハメに陥る可能性がある。おそらく数万ページでは済まない。むしろ、そちらに注意したほうがよい)。(ところで、Wikipedia上における<翻案>の概念を説明しているページはどこにある?)

いずれにせよ、旧来の記事は内容的に見ていささか問題があるので、修正作業を行うべき。まどろっこしいので、こちらで著作権に配慮しつつ行う。管理者は 8月16日 00:58~ 8月16日01:05の版を 特定版の中抜き消去作業で対応すればよい。

--60.39.122.162 2011年8月19日 (金) 03:02 (UTC)[返信]

文献

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出典として用いている証拠があるものだけ、参考文献としてリスト表示する。

形式上、出典として用いている証拠が無いものは関連文献として下方にリストする。こちらはFurther readingとも表示すると位置づけがはっきりする。--60.39.122.162 2011年8月19日 (金) 03:46 (UTC)[返信]

関連人物リスト

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おおむね年代順になっているのはよい。より厳密に生年順(生まれた年の順)にしておくと、同時代の人々も、どちらが先輩(大御所)でどちらが後輩(新人)として論争したのか、リストを見るだけでもおおよそ検討がついて、示唆するところがあり、知識として役立つ。過去の哲学的な論争の詳細を多数分析してみると、そういう<大御所 - 新人>や<先輩-後輩>の位置関係・地位の関係は、明らかに哲学的な議論の内容にまで影響している。それなりに重要な情報。

その点、カール・ポパーがウィトゲンシュタインの前に配置してあるのは変だ。カール・ポパーはウィトゲンシュタインの後。ポパーはウィーン学団に入ることにあこがれた時があったが、生まれたタイミングが遅かったこともあって、お呼びがかからなかった、でも同学団から大きな影響を受けたり乗り越えようとした、という経緯がある。

(表示するかどうかは微妙だが)各哲学者に生年情報を埋め込んでおいて、できるだけ生年に沿って正しく整列するとよい。


日本人の科学哲学研究者を「あいうえお順」に表示しているのはまったくナンセンス。ばかばかしいので止めるべき。「あいうえお順」とか「abc順」は、年代情報が脱落し、ただの無意味配列に近くなる。日本人も生年情報を基準にして並べると、その先輩-後輩関係や、時代ごとの論点の傾向の情報の提供にもなる。修正する。--60.39.122.162 2011年8月19日 (金) 04:09 (UTC) --[返信]