ノート:福岡孝弟
表示
福岡孝弟の表記が通例
[編集]- アジア歴史資料センターを検索すると、明治の初期には「福岡孝悌」と「福岡孝弟」の両方を本人も署名に使っています。明治10年以降になると、本人署名は「福岡孝弟」だけになっています。通常の人名辞典などでは「福岡孝弟」で項目を建てています。ウィキペディアで何故に「福岡孝悌」としたのか、事情をご説明いただけると幸いです。--rshiba 2009年9月17日 (木) 15:31 (UTC)
- 福岡孝弟の玄孫ですが、孝悌は間違いです。正しくは孝弟です。八徳というのがありまして、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の最後か孝悌となるためそこからの誤認と推察しています。
福岡孝茂の孫?
[編集]- 福岡藤次孝弟が福岡宮内孝茂と記載されているが、福岡宮内孝茂は1827年(文政10年)生まれ、1906年(明治39年)歿で、福岡藤次孝弟は1835年(天保6年)生まれ、1919年(大正8年)歿で、ほぼ同時代の人であるが、本当に孫ですか?
- 別資料によると福岡藤次孝弟は「土佐藩士福岡孝順の次男で、後に福岡宗家の土佐藩家老福岡孝令の養子となる」とあります。
- 別の世代の「福岡宮内」という人物との齟齬か?「養孫」の関係か?単なる記載ミスですか?--Andrewsbar 2010年2月21日 (日) 04:34 (UTC)
- 福岡孝弟の玄孫です。福岡孝茂は孝令の息子の孝察を養子にとっているためこの勘違いがあるのではないでしょうか?そして孝令は弟孝順の次男である孝弟を
養子に向かえて福岡孝令の家を継いでます。
- 「宮内」は官職ではないでしょうか?土佐本家初代の干孝(ゆきたか)は丹波となって居ます。五代目に宮内を名乗っている人がいます。
- 家の系図によると福岡宮内孝茂は1820年生まれ、1906年没となっています。
改名提案
[編集]- 下記の子孫の方ではありませんが、「福岡孝弟」の墓碑、戸籍謄本ではいずれも「福岡孝弟」となっております。数年前から気になっておりましたが、最近他項目にある「福岡孝弟」の表記も「福岡孝悌」と書き直されてしまうケースが増え、更にwikiからの転載サイトにも反映されてしまうので、「福岡孝悌」が正しいかのような表記が氾濫してゆゆしき事態となっております。さらにやっかいな事に、「福岡孝弟」の項目からリダイレクトが組まれているので、そちらの措置も含めて厄介な事態となりつつあります。どなたか、wikiに詳しき方、ご対処をお願いします。--211.125.206.43 2012年10月12日 (金) 15:14 (UTC)
- 賛成 --rshiba(会話) 2012年10月13日 (土) 00:47 (UTC)
- 賛成 『朝日日本歴史人物事典』、『世界大百科事典』、『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、『大辞林』([1])、『大辞泉』([2])、『日本大百科全書』([3])、『日本国語大辞典』、『国史大辞典』([4])のいずれも「孝弟」表記となっており、改名するのがふさわしいと思います。ところで、IPユーザーの方は改名(移動)作業ができないので、アカウントを作成するか、アカウントユーザーに作業を依頼する必要がありますが、どうなさいますか?--立花左近(会話) 2012年10月13日 (土) 01:17 (UTC)
- 1週間経過し、反対意見が出ませんでしたので、合意成立です。--rshiba(会話) 2012年10月21日 (日) 00:33 (UTC)
- 改名に伴う移動作業を終了しました。--rshiba(会話) 2012年11月5日 (月) 16:15 (UTC)
- 1週間経過し、反対意見が出ませんでしたので、合意成立です。--rshiba(会話) 2012年10月21日 (日) 00:33 (UTC)