ノート:神童/削除
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議論の結果、存続 に決定しました。
ノートを見ると、「個人の研究」「独自の研究」だと断定しているようなので、削除を依頼します。「ケースE:研究結果の発表」です。本文はすべてわたしが書いたものですが、「神童」をどう把握するかで違った記事になるのですが(英語版とは、まったく違う把握をしています)、把握の違いが個人の研究なら、削除が望ましいです。なお、個人の研究だと主張している、Qazzx、61.115.201.81、Gaø、Aphaia の四氏については、ここにおいて「存続」を入れないようお願いします(削除して白紙になった後、自分で記事を立ててください)。--Maris stella 2005年9月2日 (金) 12:53 (UTC)/ Maris stella 2005年9月2日 (金) 15:45 (UTC)[返信]
- (コメント)何人も他人の投票を拘束する権利を持ち合わせていません。また、IPユーザは投票する権利がそもそもありません。Tietew 2005年9月2日 (金) 12:56 (UTC)[返信]
- (コメント)「存続」の票をもし入れようと思う人がいましたら、それは何を意味するか考えてください。これは 削除ガイドラインに従った削除依頼 です。「ケースE:研究結果の発表」に相応すると指摘されているので、また現に「独自の研究」のテンプレートも貼られています。初版から纏まった文書で投稿されている以上、「個人の研究結果の発表」だというなら、初版が本来削除相応であったということです。四人の人に「存続」を入れないようにと述べているのは、それは「論理的矛盾」「ルール無視」になるからです。あるいは、四人の方に限らず、どなたでも、「存続」の票を入れようという方は、削除のガイドラインとの矛盾をどう解決するのか述べてください。……Aphaia 氏がかつて、或る削除依頼の審議において、これは本来「存続」なのだが、誰々が身勝手なので、責任を取ってもらうため「削除」にする等と言って、削除に変えたというような、感情や衝動に基づく審議はやめて戴きたいと言うことです。--Maris stella 2005年9月2日 (金) 15:45 (UTC)/Maris stella 2005年9月2日 (金) 20:38 (UTC)[返信]
- (存続)白紙化で十分。管理者は消しゴムじゃありません。--Aphaia 2005年9月2日 (金) 16:41 (UTC)[返信]
- (コメント)Maris stellaさんの独自の研究ということではアパイアーなどもありますが、あちらは削除依頼にはださないのですか?首尾一貫していないように思います。--Aphaia 2005年9月2日 (金) 16:41 (UTC)[返信]
- (コメント)やはり出てくるでしょう。臆面のないルール無視の人が(つまり、Aphaia 氏)。なお、これは削除ガイドラインに従った削除依頼です。「ケースE:研究結果の発表」に相応すると指摘されているので、また現に「独自の研究」のテンプレートも貼られている訳で、では「初版」がすでに独自の研究であるので、これを削除とすると、GFDLの契約からして、後続する版もすべて履歴不継承で削除とならざるを得ないということです。GFDLを理解していないとか言うわけではなく、また、「管理者を消しゴムとして使う」というような卑俗な発想ではなく(いかにも、Aphaia さんらしい発想ですが)、「独自の研究」だと断定した人々は、その結果が、初版削除につながり、文書全体の削除にも当然繋がるという基本的なことを考えていなかったというだけでしょう。なお、アパイアーのどこに「独自の研究」があるのですか? 言いがかりを付けるのは止めてください。大体、「コメント依頼」の手順も踏まず、勝手にコメント依頼に出して、ノート・ページには、コメント依頼の趣旨も書いていないではありませんか? こういうのを、公然とした恣意的・利己的ルール無視というのです。--Maris stella 2005年9月2日 (金) 20:38 (UTC)[返信]
- (コメント)公然とした恣意的・利己的ルール無視というのは、そっくりおかえしします。いったんリリースしたもののGFDLライセンスの取り消しや著作者であることを理由にした削除の申し入れをサイトの方針としてWikiepdiaは認めていません。これはJimbo Walesからわれわれに命令として与えられたものです。その方針に不服があるなら直接彼と交渉してください。なおこれは今後Maris stellaさんが「神童」に書いたものを以後別の場所でGDFLではリリースしないことをさまたげるものではありません。--Aphaia 2005年9月3日 (土) 02:50 (UTC)[返信]
- (コメント)削除の件以外はどうぞよそなりメールで。また、独自の研究とは自分のオリジナルで記事を定義して作成された記事だと思いますが、記事自体一般に認知されているものでしたら独自部分を修正することによって対処すればよく、削除する必要はないと思います。たね 2005年9月3日 (土) 13:04 (UTC)[返信]
- (存続)「神童」は特殊な造語ではなく、また記述されている定義も独自の解釈による定義ではなく妥当な定義だと思います。したがって「ケースE」には該当しないと思われます。問題になっている一部の表現については編集で対応可能でしょう。なおTemplate:独自の研究は削除依頼に提出しておきました。--Ligar 2005年9月8日 (木) 04:04 (UTC)[返信]
- (コメント)造語といえば、例えば「真性神童」などはなかなかやはりちょっと、いやどちらかといえば珍しい部類にあるいは属するかもしれない組合せのようにそこはかとなく感じられました。「神童には、真性神童と疑似神童または暫定的神童の区別がある。」ここで「ある。」と言い切っておられるので分類基準にも自信がおありなのだとは思います。が、やはり真性浅学非才読者である私の目には、何かしら専門用語と非専門用語の境界を踏み迷うところのあることを否めないものがあります。Mulukhiyya 2005年9月8日 (木) 06:22 (UTC)[返信]
- (存続)ノートで私が挙げた気になる点に対する返答もないまま、本人が削除依頼にかけてしまったことを遺憾に思います。これはこの記事に対する執筆放棄ということでしょうか。そもそも記事は初版の執筆者だけの物ではないのでこの記事を削除する必然性はありませんが(編集対応でOK)、放棄するならば問題点について解決してからにして頂きたかったと残念でなりません。Qazzx 2005年9月8日 (木) 15:50 (UTC)[返信]
- (コメント)Qazzxさんに一言述べますが、「削除のガイドライン」をよく読んでください。そして食言人の Aphaia氏の言葉は無視されることです。この削除依頼は、「わたしが初稿の投稿者であり、文書の主要著作者である」ので、自分の文書をどうしようと自由なので削除依頼に出しているのではないのです。GFDLの契約にわたしは従っており、Wikipediaの削除ガイドラインに沿って、「個人の研究発表」だと名指しされた投稿について削除依頼を出しています。Ligar 氏のように、ガイドラインに抵触しないので「存続」というのは、或る意味で、わたしには、個人の研究発表ではないという承認でもあるので良いことでもあるのです。しかし、あなたや、Aphaia 氏の「存続」は何を根拠に存続と言っているのか、不透明で、削除ガイドラインを理解していない、または無視していておかしいように思えるのです。……もう一つ、GFDLでは、第三者の編集は自由なので、わたしはあなたがどういう風に定義を書き換えるか、全体を書き換えるか、白紙化するか、どうするのかと思っていましたが、結局、編集も可能なら、白紙化も可能なときに何もせず、削除依頼に出すと、途端に「編集で白紙化、編集で対応」とか言い出すのは、おかしいとも言明します。(「神童」については、「ノート」が残ることは間違いないので、そこでまだ話をする機会もあるでしょう。簡単に他人に対し「放棄」とか書くのは非礼だとは考えられないのかという疑問が起こります)。Maris stella 2005年9月9日 (金) 09:09 (UTC)[返信]
- (終了)存続。削除意見無しのため。KMT 2005年9月9日 (金) 23:02 (UTC)[返信]
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議論の結果、削除 に決定しました。
以前の依頼: Wikipedia:削除依頼/神童
必要のない分割。神童を神童 (文化)に移動後孤立させるなど、削除依頼での合意を無視した利己的な行動。Tietew 2005年9月10日 (土) 11:43 (UTC)[返信]
- (削除)削除後元に戻すべき。Tietew 2005年9月10日 (土) 11:43 (UTC)[返信]
- (存続)まず、削除のガイドラインの何に依拠しているのでしょうか? 「削除依頼での合意」とは何でしょうか? 記事を存続させ、編集するということであったはずです。記事は存続しており、ただ、「神童 (文化)」のノートに二つの項目を造った理由を記しているように、異なる概念とも言えるので、記事を移動し、「神童」の記事としては、英語版の記事の定義文を訳して、編集したということです。「削除のガイドライン」の何に該当するのか、示してください(削除依頼を行った当人は、「削除」や「存続」の投票はできないはずです。訂正線で修正します)。なお、記事の孤立化というのは、「神童」のトップに案内リンクを造るか、曖昧回避ページを造れば、孤立化は防げるはずです。Maris stella 2005年9月10日 (土) 12:04 (UTC)[返信]
- (削除)必要のない分割。模倣犯(削除依頼で存続が決まった記事を移動し、同じことについて別の記述をするような輩)が増えるのを防ぐため。異なる概念ではないということに関して、少しノートに記述してあります。削除の方針のケースCに該当ということになるのでしょうか。(同記事をリダイレクト化してリダイレクトの削除依頼に出してもいいですが。)Qazzx 2005年9月12日 (月) 12:07 (UTC)[返信]
- (コメント)神童、神童 (文化)両記事は同じ事象を異なる側面からとらえたものと読みました。統合が望ましいと思います。記事の移動については、トラブルの原因となりやすく、参加者の合意形成をはかることを最優先に願います。--みっち 2005年9月13日 (火) 00:49 (UTC)[返信]
- (コメント)文化現象としての神童について、定義文及び補足説明を書き加えました。どこが神童と異なるか、明らかであると思います。神童を、「卓越した才能を持つ児童」とする定義では、児童心理学や発達心理学などの問題になりますが(或いは、「児童学」のようなものがあれば、その分野での扱い)、しかし、「神童の文化史」は、子供のありようを捉えただけの概念ではないので、このような定義の神童では、排斥されざる内容もまた記述可能になります)。文化現象としての神童の定義文、補足説明を読んだ上で判断願います。Maris stella 2005年9月14日 (水) 14:05 (UTC)[返信]
- (削除)記事の内容(二段階の条件を満たす、など)が適切かどうか判断できないのですが、加筆された定義を読んでも、別記事にする意義を見いだせませんでした。中立的な観点は、ウィキペディアにおける最も重要なポリシーですから、神童は二種類ある、という観点の紹介はよいとしても、その観点を正しいものとして記事を分けることには賛成できません。--みっち 2005年9月15日 (木) 07:04 (UTC)[返信]
- (削除)Qazzxさんに同意。--Aphaia 2005年9月16日 (金) 22:35 (UTC)[返信]
- (対処)削除し、「神童 (文化)」を「神童」に移動しました。―غاز(Ghaz) 2005年9月19日 (月) 21:15 (UTC)[返信]