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ノート:神戸芸術工科大学の人物一覧

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疑問

[編集]
  • 「関係者」には、教授・講師を多く書いていますが、Wikipediaは学校紹介の場ではありません。「出身者」の方は特に問題の無いように思われますが、この程度の量ならば、神戸芸術工科大学と統合してもよいのではないでしょうか?--Senoopy 2007年6月24日 (日) 06:46 (UTC)[返信]
  • 「関係者」に教授・講師の記述が多いと感じられたと思いますが、百科事典の観点(項目ごとに整理・記述すること)から見て問題ないと思います。Wikipediaは学校紹介の場ではありませんが、本文記事は学校紹介のためのページではありません。本文記事が「人物一覧」である以上、項目の記述法から見ても「出身者」を残し「関係者」のみを削除・改変する理由にはならないと思います。
  • 本文記事の統合提案についてですが、Wikipedia:記事の分割と統合統合すべき場合の「1つの記事中で一緒に解説すべきにも関わらず、個別に記事が作成された場合」の条件に近いように感じます。しかし、この本文記事が分割される前の分割提案について分割すべき場合の「記事中で特定の説明だけの分量が多く、明らかにバランスを失している場合 」の条件にあてはまるため分割記事となる運びになりました。--MauMau 2007年7月5日 (木) 09:36 (UTC)[返信]
  • ここで教授の名前を書くことに何か特別な意味があるのでしょうか?「百科事典の観点(項目ごとに整理・記述すること)から見て問題ないと思います。」と仰いますが、よく意味が分からないので、もう少し丁寧に説明していただけますか?そして、現状であれば確かに一つの記事とて成り立っているように見えますが、「関係者」(≒教授一覧)が不要、という結論に至ったとき、「出身者」が残るわけですが、かなり記事の量が減るので、それからならば統合しても良いのではないでしょうか。--Senoopy 2007年7月7日 (土) 00:20 (UTC)[返信]
  • 「人物一覧」なので出身者のみではなく「関係者」である教職員も含まれても良いのではないかと思います。記事本文では教授のみならず助手と講師も含まれていますが、数で教授の氏名が目立っているので教授一覧に見えることには理解しています。記事を改めて見直していますと、「関係者」ではなく「教職員」という項目名が妥当なような気がしてきました。
  • 百科事典の観点については言葉足らずで申し訳ありません。百科事典である以上、その事柄に関して項目が細かくある、またそれに関して関連一覧の説明もあるという体裁になります。どうしても細かくなります。見方によってそれが紹介のように見受けるのはわかります。しかし、本文記事はあくまでも「人物一覧」を扱っているのであり、項目に沿って氏名とその関連が記述されていることはおかしくないと思います。そのため、氏名をかくことに特別な意味があるわけではありません。
  • Senoopyさんが記事そのものに関して疑問をお持ちになって一部の項目は良しとしましたが、私にはその判断の妥当性がわかりません。教職員の氏名が学校紹介になるのであれば、出身者は学校紹介にならないという判断基準がわかりません。
    • 「学校紹介」である基準が著名者がいるのかいないのかというものであるのならば、本文記事では「出身者」のほうが比重が大きくなると思います。
    • 「学校紹介」である基準が教職者の記述の量が多いというものであるのならば、それは項目の構成の問題だと思います。関係者(教職者)の量がここまで多くなってしまったのは、学校の公式サイトで確認できるものを記載していったためです。出身者は著書のプロフィールやWebサイトで公表しているのみでしか確認できないため、どうしても量が少なくなります。この場合、本文記事が紹介文であることが問題ではなく本文記事の項目の構成が問題ではないでしょうか。
      • 分割する前の記事からそのまま持ってきたため、このような体裁に続けて記述しています。分割記事にそのまま記述していったために、Wikipediaに「人物一覧」用の作成ガイドラインがあるのかどうか確認していません。
  • 「出身者」のみが残る形になった場合、統合提案に異論はありません。今のこの量だと統合先の記事がアンバランスにはならないと思います。--MauMau 2007年7月7日 (土) 10:30 (UTC)[返信]

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  • 少し私の説明不足でしたね。「教職員の名前を書くこと」とは、「教職員全員の名前を書くこと(若しくは書こうとすること)」です。「教職員の名前を一切書くな」となると、最終的には「学長の名前すら書くな」となるかもしれません。そうなると、さすがに辞典としては不適切だと思います。ですが、現状では「助手」や「実習助手」など、「神戸芸術工科大で教えていれば誰でも書いていい」となっており、それこそが私に「ただの学校紹介になっている」と思わせる要因であり、記事を肥大化させ、読みづらくしているだけではないでしょうか。私は芸術の分野には詳しくないのですが、恐らく教授陣の中には、「日本○○協会」等で重要な地位についている人もいると思います。そういった人は書いてあってもかまわないでしょうが、現状のように「教職員なら誰でも書いてしまおう」という姿勢に大きな疑問があります。--Senoopy 2007年7月8日 (日) 23:27 (UTC)[返信]
  • 私事でご返答が遅くなりました。大変申し訳ありません。上記の文によって、助手や実習助手の記述が含まれてそれが「学校紹介」問題とするのならば、その部分の削除をもって「学校紹介」問題ではなくなると私は理解しました。しかし助手などを抜きにしての教員のみの記述が良しとする妥当性がわかりませんし、職員という括りの中で削除されるのも意味として不適切なような気がします。
    • 「記事を肥大化」が問題ならば、助手や元職員などを削除するなりしての対策は必要になってくるのはわかります。肥大化を防ぐには記述される情報の選別が必要になります。
    • 「読みづらくしている」が問題ならば、それを工夫として読みやすく分かりやすくしようとしているのが「項目」のリンクではないかと思います。
  • 「大学で教えていれば誰でも書いてもいい」「教職員なら誰でも書いてしまおうとする姿勢が疑問」が理由としていますが、その解釈の意味がわかりません。職員の項目がある以上、教員しか記述されることはありませんし現段階で確認できるだけの教員が記述されているのはおかしいことではないと思います。Senoopyさんの言う学校紹介の「紹介」の意味が「宣伝」「広報」的なことを指しているのかどうかさえ、今までの説明では解釈のしようがありません。「重要な地位についている人ならば書いてもよい」とする提案も、これも「広報」的な意味合いを感じますがいかがなものでしょうか。--MauMau 2007年10月26日 (金) 13:06 (UTC)[返信]