ノート:神奈川県/過去ログ1
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隣接県
海底トンネルでつながっているというのは屁理屈だ、という意見に大いにうなずきながらも、それまで海底でしかつながっていなかったから隣接ではなかったのが、道路でつながったと言ってはいけないのでしょうか?トンネルを通過して行くと、中間地点に県境の標識は有るのでは?
これは、公海下を通過する青函トンネル内に領土を認めるとされたのと絡みませんか?
- 削除した本人です。
- 統計などをとったわけではありませんが、普通は隣接というと、陸地が直接接している場合を指すと思います。確かに神奈川県と千葉県は道路で「結ばれて」いますが、これは「直接接して」いないので隣接とは違うと思います。同様に考えたからこそ神奈川県・千葉県はお互いに隣接県としては認識していないのではないでしょうか。もし道路で結ばれた都道府県を隣接しているというならば、青森県と北海道、福岡県と山口県、岡山県と香川県なども隣接しているということになってしまいますし。いかがでしょうか?Tsk 14:41 2003年12月31日 (UTC)
上記の通り、異議申し立てではありません。でも、県境の標識の前後は「どこ」なんだろう、地表で埋め立てで道路をつないだら?、道路の幅だけではダメなら埋め立て地の幅の基準は?、現実例はありませんが砂嘴でつながっていた所が浸食されたら隣接でなくなるのか?、今にも海に消えて無くなりそうなのをコンクリートで補強して無理矢理残している沖ノ鳥島(だっけ?)って?、と人工的な国土の改変について疑問に思ったのです。 屁理屈ついでに、県境というのはたいていが川で区切られて、間をつなぐのは橋だったりします。どんなに幅広い川をはさんでいても隣接県ですが、河口から先の湾(海)だと隣接ではないと云うことのようですが、その辺の定義が知りたいと思いました。
これも、実例が有るのかどうか知らない想定例ですが、一つの山を囲んで4県が有る時それぞれの県境は山頂をめざし、頂上で十字に交叉する如く接しているとします。もちろんそれぞれ隣り合わせの県は隣接県ですが、頂上でのみ接する向かい側の県とは隣接しているのでしょうか(交点ではなく、1mでも幅を持っていれば接しているのでは?) 山頂に限らず、変則的な市町村合併などで、そういう境界線も出てくるように思いますが、そういう定義が何処かで為されているのか、知的好奇心として知りたいのです。
改めて云いますが、道幅程度では接している事にならないんでしょうか?橋だったらトンネルだったら?
- 県の機関である警察は、アクアラインについても管轄区域を調整してあるはずですが、両県が「隣接県ではない」という認識だということなので、隣接県ではないのでしょう。何だか不思議です。
- 隣接自治体の判断基準として統一的なものがあれば、百科事典として収録する価値のある知識だと思うのですが、入れるとしたらどこでしょうね。日本の都道府県あたりでしょうか。Njt 2004年10月22日 (金) 12:57 (UTC)
「隣接」とは、「隣り合わせになっていること(「goo 辞書」より)」です。たとえば、道を挟んで互いに向かい合っている家を「お隣」と呼ぶでしょうか?普通は呼びませんよね。地図では、必ずしも正しい領域を指しているのではありません。あくまで便宜上の表記です。 河川や湾は、(たしか)地方自治団体の管轄ではないはず。つまり、橋の上(今回の事例で言えばアクアラインの中)は、道路を管轄する道路公団の領域となるのではないでしょうか?そう考えれば、両県は接していないといえますよね。
考え方は人それぞれかもしれませんが、上記のリンク先で隣接する県として挙げられていない以上、ここでは千葉県を隣接県として扱わないのが妥当な判断です。もしこれ以上隣接県としての掲載を望むのであれば、県の公式サイト以上に信頼できる情報源を挙げて下さい。--こまくさ 2007年8月9日 (木) 16:58 (UTC)
こまくさの判断は妥当だと思います。ただ、アクアラインの存在も否定できないという方もいらっしゃいますので、以下の愛媛県・香川県・山口県・大分県・北海道・青森県事例を参考に、こちらの方で、直接の近接県と区別して表示を行いました。この問題について皆様ご意見をお願いします。--河雲地蔵 2008年5月8日 (木) 20:01 (UTC)
参考ですが川崎市の項では特に注意書き等なく隣接都市として木更津市が挙げられています。 --ここを削除し署名をして下さい (上記署名無し)
千葉県のテンプレートにも「神奈川県(海を挟んで隣接)」と記述されていますが、陸地で繋がっている県が無いとか、また島も最寄県ならともかく、これは無理があります。削除を提案。反論ありましたらどうぞ。--113.197.145.159 2010年1月6日 (水) 01:58 (UTC)
隣接県(千葉県)について
前回議論が2010年1月で終わり記事上でも現在削除されております。長いブランクがあるため小節にて、異論します。
平成21年2月に行われた神奈川県防災会議において、神奈川県安全防災局の石崎氏によれば平成20年8月に改訂された「緊急消防援助隊の迅速出動に関する実施要綱」について「神奈川県で震度6強以上の地震が発生した場合、隣接する静岡県、山梨県、東京都、千葉県の緊急消防援助隊が発生と同時に出動する体制が全国的にできあがりました。それを取り入れる。」と述べたように、少なくとも神奈川県側は、千葉県を隣接する県として認識している可能性があります。 より多くの情報を必要であると考えます(削除理由が感覚的なものであることには、強く反対します。ですが記載するには、もっと情報が必要だと考えています)。--秋月 智絵沙(Chiether) 2011年4月23日 (土) 10:43 (UTC)
語源
>この地方(県域)には、朝鮮系の住民が流域に多く住んでいた「韓川」(からかわ)という名の川があった。この川の名前が変化して、神奈川となった。
こんな話は聞いたことがありません。根拠を示してもらえませんか。Trek011 2004年7月3日 (土) 08:31 (UTC)
お答えです。根拠は九州にある韓国岳が韓国ゆかりとの地名であるというのと同じ根拠です。
ぐぐればいいことですが http://homepage3.nifty.com/kawanisi-kyo/sakusaku/8_1.htm 見たところ、「だから神奈川は・・・」というような誹謗サイトではないと思うので、純粋に地誌的な解説として信頼に足ると思われます。少なくとも私は興味を持ちました。 そもそも、歴史をたどれば日本は渡来人を受け入れて同化してきたので、そういうなりたちが有っても別に不思議ではありません。
削除されているようですが一応。上記ページの記述自体が、 http://www.infogogo.com/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C.html からの引用であると明記されており、すでに前掲のページには韓川関係の記述はありません。また、2004年7月29日 (木) 12:22 の版が[3]からの一部コピーです。Ciro 2004年7月29日 (木) 07:07 (UTC)
神奈川区HPの歴史年表には、なぜか1266年以前の事が記されていない。
神奈川県HPの歴史サイトには、758年に新羅郡が置かれた歴史的事実が記されていない。
神奈川区の歴史には、「神奈河」「狩野川」「かの川」「かな川」が古文書にあると記されている。
ほか、「神名川」「上無川」「寒川」など、「かの」「かな」の呼び名が幾つもあるということは、これらが本来の名の音写であるってことを意味している。そうまでして忌避する必要がある文字は歴史的に観て「韓」以外に考えられず、「神奈川」の語源が「韓川」であるということは、思想信条先入観を持たずとも、容易にたどり着く合理的な結論である。朝鮮関連の史実を隠蔽しようとする神奈川県や横浜市の姿勢に嫌なものを感じた。Hister 2005年4月22日 (金) 12:53 (UTC)
神奈川の由来は、 (1)神奈川本宿の西の町と仲の町の間を横切る小川があり、水源が定かで無いので「上無川(かみなしがわ)」 と言った(江戸名所図絵)のを略して「かながわ」と言うようになった。 (2)日本武尊が東征の折り、上無川から船にお乗りになるとき、その宝剣が水面に映り金色に輝いたので、 「金川(かながわ)」と名付けた、 (3)源頼朝が金川の風光を賞し、「神が大いに示す川」として「神奈川」となった。 (4)神奈川宿を構成する本宿と青木(あおき)町の間を流れる滝の川をもと「カナ川」または「カヌ川」と言い、 これが「神奈川」となったとする説などがあります(神奈川区誌)。
根拠を整理します。
- 語源は「韓川」
- 根拠は http://homepage3.nifty.com/kawanisi-kyo/sakusaku/8_1.htm に存在する。
- 項番1の情報ソースは http://www.infogogo.com/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C.html である。
- しかし、項番2はWikipediaの内容を情報ソースとしたものであるため、この議論における情報ソースとしては不適格である。
という事で間違いないでしょうか? 間違いない場合、残念ですが『「神奈川」の語源は「韓川」である』というHisterさんの主張は、根拠のないものである、と言わざるを得ないと思います。 根拠がない以上、記述を修正する必要が出てきてしまいますので、一度修正を行っておきます。 もしも別の根拠がおありでしたら、そちらを提示の上、ノートでの議論継続を提案します。Yaky 2005年6月27日 (月) 07:10 (UTC)
「カヌ川」とか「金川」、「神奈河」「狩野川」「かの川」「かな川」「神名川」「上無川」「寒川」など、「かの」「かな」の呼び名が幾つもある。ということは、これらが本来の名の音写であるってことを意味している。そうまでして忌避する必要がある文字は歴史的に観て「韓」以外に考えられず、「神奈川」の語源が「韓川」であるということは、思想信条先入観を持たずとも、容易にたどり着く合理的な結論である。ーーーに対する反論なり回答をしてもらいですね。Hister 2005年6月28日 (火) 08:06 (UTC)
- 申し訳ありませんが、私にはHisterさんの仰る事が「合理的な結論」とは思えませんでした。そういった想像に至る経緯は理解できますが、その事が『「神奈川」の語源が「韓川」である』という事の確固たる根拠となる、とは思えません。何故ならば、その想像はあくまでHisterさんが思い描いた主観的なものであり、他者を説得できる材料たりえないと思われるためです。
- この件で編集合戦が起きてしまったという経緯がある以上、『「神奈川」の語源が「韓川」である』という説について、ある程度の「他者を納得させるだけの材料・根拠」というものが必要になる、と思われます。そのため、Histerさんには是非とも「根拠となる客観的なもの」を示して頂けると、後々に同じような問題が発生せず、Wikipediaにとっても有益であると思いますが、いかがでしょうか?--Yaky 2005年6月28日 (火) 08:27 (UTC)
Yakyって人は、勝手に結論を出して本文を変更して、Histerさんが投稿に対する反論を求めると、逆に根拠を示せという。かなり卑怯な人だね。最近このためにアカウントを作ったみたいだし。マナーが悪いよ。本文の語源はYakyが変更する以前に戻しますから、そこから議論を始めてください。202.32.82.209 2005年6月29日 (水) 06:20 (UTC)
- なるほど、確かに結論を出すには時期尚早であったようです。申し訳ありません。
- しかしながら、「最近このためにアカウントを作った」訳ではありませんので、その部分については誤解なきようお願いします(今までの流れで、大いに興味は持ちましたが)。また、「Histerさんが投稿に対する反論を求めると、逆に根拠を示せという。」のくだりですが、お答えした上で根拠の提示をお願いしたのですが、求められた反論になっていなかったでしょうか。もしそうであれば、どういった内容であれば反論足りえるかご教授下さい。--Yaky 2005年6月29日 (水) 08:12 (UTC)
- (追記)私のノートにて、由来問題について、インターネット上を巡りながら、情報収集・検証をしてみようと思います。「こんなサイトがあるぞ」「こんな情報があるぞ」等、ありましたらご面倒ですが教えていただけると幸いです。--Yaky 2005年6月29日 (水) 09:05 (UTC)
まず(1)「韓川」を「忌避する必要」というのが不明です。いったい誰が、如何なる理由で、忌避する必要があるというのか? 仮に何らかの忌避する理由が誰かにあるとしても、(2)「韓川」以外の語源が生まれた理由が全てそれであるというのは無理があります。しかも(3)そのような陰謀説を裏付ける一次資料は一切無い。「ウィキペディアは何でないか」にある「独自の調査結果」ですらないわけで、「合理的な結論」もへったくれも無いでしょう。むしろ(4)Hister氏が「韓川」説を強弁し他説を全て「韓川」説を忌避するための捏造であるかのように言う「必要性」のほうが不自然であるように思われます。Hermeneus (talk) 2005年7月1日 (金) 00:09 (UTC)
All or Nothingを繰り返すと編集合戦になります。確実な部分だけを史実として残せばよいのです。Yhame 2005年7月3日 (日) 14:53 (UTC)
All or Nothingと言うことならば、こんなハッキリしない由来など載せなければよいのではないでしょうか。 それでも語源の欄に「韓川」説を載せたいというのであれば、韓川以外の説も載せるべきです。全て確実に立証できない以上、全て平等に掲載すべきです。
私は朝鮮関連の「韓川」説が絶対正しいなどと勝手に決めつけ、さらに証拠のないその説をあたかも神奈川県や横浜市のウェブサイト上で隠蔽したとこれまた勝手に決めつけたHister氏に「~~の起源は韓国」と他の国の文化を自国の物にしたり、歴史上の偉人を「~~は朝鮮の人」という歴史学者と共通したものを感じます。--RX4u5 2005年7月5日 (火) 10:54 (UTC)
人のふりみて我がふり直せ。両論併記に賛成。Yhame 2005年7月5日 (火) 13:48 (UTC)
客観的根拠のない個人的な主張や見解を掲載しないのは、ウィキペディアのお約束。両論併記など必要ないでしょう。「韓川」説は削除が妥当。218.227.228.80 2005年7月6日 (水) 04:08 (UTC)
- IPユーザーに応答するのも馬鹿馬鹿しい気がしなくもないんだけど、フェアに行こうぜ。Yhame 2005年7月6日 (水) 14:18 (UTC)
(個人的には弱いと思うのですが)上記根拠以外にも、確かにそういう説の存在自体はあるようです(利用者‐会話:Yaky参照)。そろそろ、意見をまとめるためにも採決を取ってみるのもよろしいのではないでしょうか? あとYhameさん、IPユーザの方も利用者のひとりですから、あまりそういう言い方はよろしくないかと。--Yaky 2005年7月6日 (水) 15:33 (UTC)
韓川説は、何らかの信頼のおける資料の出典を示すことが出来ないのなら記載は難しいでしょう。現にこれを快く思わない人が存在する以上、この記述を巡り編集合戦になるのは目に見えています。その場合、資料の裏付けを何も提示することができなければ結局削除することになってしまう。Wikipediaにおける全ての記述において一次資料の出典を明記しろと要求するのは酷であるとは思いますが、少なくともこうした編集合戦の火種になるような記述に関しては必須でしょう。Hermeneus (talk) 2005年7月6日 (水) 16:31 (UTC)
差し替え版作成のお願い
「名前の由来」のところが外部サイト[4]「県名の由来」のコピーに基づいています。ですので、その内容を継承している以後のすべての版を、特定版の削除により削除することが必要です。 削除対象は、2004年7月29日 (木) 12:22 以降、現時点(2004年9月10日 (金) 12:38 (UTC))までのすべての版となります。 その後、たびたび編集がなされているようですので、みなさま同意の上、差し替え版の作成をお願いします。関連する議論はWikipedia:特定の版の削除にあります。--名無し 2004年9月10日 (金) 12:38 (UTC)
- 著作権法
- >第13条(権利の目的とならない著作物)
- >次の各号のいずれかに該当する著作物は、この章の規定による権利の目的となることができない。
- >一 憲法その他の法令
- >二 国又は地方公共団体の機関が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの
- の、「二」にあたるとすれば、削除する必要はありませんが.....っ 2004年9月10日 (金) 15:10 (UTC)
通常ホームページはそのどちらにも当たりません。日本政府あるいは地方自治体が作成している物で告示や訓令に当たる物は残念ながらほとんど見たことがないのと、上記サイトに関しては[5]で著作権を主張されてますので、削除以外手がないと思われます。
特定の版の削除の際にGFDL上問題とならない作成方法を一つ実際にやってみます。sysopが必要ですが、大した手間でもなく利便性とその後のことを考えるとベストと思われる方法の一つです。これは今回のケースのように途中の版からあとが全てダメ、と言った場合に使える方法です。
- 特定の版の削除待ちの履歴を持ったページを移動し、元のページに残ったリダイレクトを削除します。
- 今回は神奈川県をノート:神奈川県/Tempへ移動し、神奈川県にのこったリダイレクトを削除します。
- 次に問題となる前の版のソースを神奈川県にコピーします。今回の場合は2004年7月28日 (水) 12:47の版までは問題がないので、その版のソースを神奈川県へコピーし、急遽作成した{{特定の版削除分割|}}を貼った上で保存します。このテンプレートの引数を "ノート:神奈川県/Temp" とし、元の履歴がどこにあるのかを明示します。具体的には{{特定の版削除分割|ノート:神奈川県/Temp}}を加えた状態の物を神奈川県に投稿します。GFDL的にはこれが非常に大切なので、忘れたら再度削除してやり直し、と言うのが望ましいでしょう。
- 後の編集はテンプレートを貼ったまま神奈川県で続け、特定の版が削除できるようになった時点でノート:神奈川県/Tempの問題のある版を全て削除し、神奈川県とノート:神奈川県/Tempの履歴統合を行います。
手順は以上です。この、神奈川県のソースをコピーした時点で履歴が途切れるため、その場でGFDL違反となる考えもありますが後に復帰できることが分かっており、かつそこへのリンクを明記することで、移動に耐性のある再作成ができるかと思います。
とりあえずテストケースとして上記手順で移動しておきます。--Suisui 2004年9月17日 (金) 03:32 (UTC)
歴史について
- 現在の横浜市にあたる地域(武蔵国久良岐郡・橘樹郡・都筑郡)に、新羅郡が置かれ(758年以降)、新羅(朝鮮系)渡来人の入植が行われる。
とありますが、「新羅郡」は「新座郡」の前身であり、「入間郡」を分けて置かれたと考えられています。したがって、現在の東京都区部北西部から埼玉県(東京都西東京市、練馬区大泉から埼玉県朝霞市、和光市、新座市、志木市の周辺)にあったと考えられ、神奈川県の歴史とは関係が薄いと思われます。少なくとも「(武蔵国久良岐郡・橘樹郡・都筑郡)に、新羅郡が置かれ」という記述は誤っていると思われますので、全文削除します。MIsogi 2005年5月5日 (木) 19:34 (UTC)
- 716年、現在の高座郡寒川町、綾瀬市、海老名市、相模原市、座間市、茅ヶ崎市、藤沢市、大和市にあたる相模国高倉郡に高麗郡がおかれ、甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野などの高句麗(朝鮮)系渡来人の入植が行われた。
716年に駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野から高句麗人を移住させ武蔵につくった高麗郡と勘違いしているものとおもわれます。 どこが出所かGoogleで調べたところ、2chで流布されているデマのようです。--220.217.102.100 2005年6月12日 (日) 07:31 (UTC)
- デマではないですね。大磯の高来神社(高麗神社)の歴史に関するページに同じ内容のことが載ってます。Yhame 2005年6月12日 (日) 22:57 (UTC)
Googleとヤフーで大磯の高来神社に関するページを探したのですが上位に出てくるサイトは私の説明と同様に続日本紀をもとにしたサイトしか見つからなかったので、URLを教えてください。また、元となる史料についてもお教えください。 、 --221.119.187.34 2005年6月13日 (月) 11:21 (UTC) 716年の移住地が相模の高座郡ではなく武蔵の高麗郡であるという話からは外れますが、高来神社=高麗神社説は金達寿という朝鮮人の小説家の手による本からの引用を元にしたものが流布しているようで、神社はこの縁起を否定しているようです。
--221.119.187.34 2005年6月13日 (月) 11:48 (UTC)
- 以前見た論文形式のHPだったんですが検索するのは困難でした。あなたがデマと決め付けるから「一方でこういう論もあるよ」と言ったまでです。しかしそもそも私にソースを求めるのは筋違いですね。あなたが提起したのですから、あなたがソースとなるURLとその元となる史料を提示して賛同を得るのが筋ですし、それが近道だと思いますよ。仮にあなたが賛同を得ることができたとして、単純に削除するのではなく、今後のためにも飾らない正しい歴史を書いてもらえることを希望します。ちなみに、武蔵國「新座」と相模國「高座」、そして大磯の「高麗郷」では、高麗神社=高来神社とあります。ご参考まで。Yhame 2005年6月13日 (月) 13:49 (UTC)
失礼、てっきりあなたがあの文を書き込んだのかと早とちりしました。 こちらがソースとなる史料です。ちなみに少なくとも675年以前に相模 の高座郡の前身である高倉郡は存在しております。
http://kodaishi-db.hp.infoseek.co.jp/
続日本紀 (716)霊亀二年 五月 十六日,(716),霊亀二年,五月 ,十六日, ,辛夘。 《十六》以駿河。甲斐。相摸。上総。下総。常陸。下野七國高麗人千七百九十九人。 遷于武藏國。始置高麗郡焉。
日本書紀 天武天皇四年(六七五)十月庚寅《廿》◆庚寅。詔曰。諸王以下 。初位以上。毎人備兵。▼是日。相摸國言。高倉郡女人生三男。
他にこの件に関連する古代史料が存在しないものと思われますので以下のようにするのが妥当です。 伝言ゲームは避けましょう。
1)神奈川県の項に於いては716年の段を全削除。
2)元の記載者が欲すれば金達寿の項にのみ記載
--219.125.102.116 2005年6月13日 (月) 21:27 (UTC)
- いずれにせよ、古代の高座郡は朝鮮系渡来人が多く住んでいた地域であることに間違いないのだから、そういう記述は必要だと思う。隠蔽はやめましょう。Cbns 2005年9月15日 (木) 07:36 (UTC)
- 高麗神社=高来神社を否定している人がいるけど、大磯町には高麗山がある。これで朝鮮と関係ないという内容じゃ百科事典としてどうかと考えざるをえない。Nssj 2005年10月27日 (木) 12:31 (UTC)
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/05/1644/topic/H14sj02/sj0233mt-koma.pdf
参考まで。
公の刊行物に掲載の論文ですので、ある程度信用できるのではと思います。
高句麗滅亡で逃れてきた王族が上陸したのが高麗山周辺、のちに彼らは武蔵國高麗郡へ移住。
ただ、高來(たかく)神社の創建はそれより前、すでにその時点で朝鮮文化の影響は少なからずあった。
高來神社とは別に高麗寺があったので、それらが混同されている。
と考えるのが妥当のようです。
--219.98.170.102 2005年11月16日 (水) 17:36 (UTC)
- このように皆さんが議論を尽くしているにもかかわらず、「2005年12月28日 (水) 14:10 203.138.91.178 (武蔵の新座郡の間違い) 」で自己中心的な編集がなされた。神奈川県民は、神奈川県が朝鮮人の居住地であったという歴史的事実をどうしても隠蔽したいのかね?ったく、呆れるね。Nssj 2005年12月29日 (木) 07:55 (UTC)
再度記載したいのならば、元記事の年度と地名の根拠となる歴史的史料(六国史などからの引用)の提出を要求します。明らかに存在しないとおもわれますがいかがですか。
--202.212.62.24 2006年1月3日 (火) 03:33 (UTC)
--202.212.62.24 2006年1月3日 (火) 03:33 (UTC)
- 本題だが、歴史的事実は、事実として載せるべきだろうね。
上のIPユーザー氏が紹介してくれたサイトを出展として,以下を載せるべきだろう。(http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/05/1644/topic/H14sj02/sj0233mt-koma.pdf)
- 668年に滅亡した朝鮮の高句麗の王族である高麗若光一族が大磯町に居住して湘南地区の大規模な開拓を行なう。現在も高麗山や高来神社など朝鮮半島ゆかりの地名が数多く残る。(以上)Cbns 2006年1月4日 (水) 08:52 (UTC)
分散して住まわされていた高句麗人は朝廷と交渉し716年に高句麗人1799人を埼玉へ結集させます。そのリーダーが高麗若光です。削除した758年に高座郡が置かれ,朝鮮系渡来人が多く住んでいたという記事をなんらフォローしません。歴史的事実に添うよう一次史料をチェックしてください。二次、三次のものは主観が介在していることがとても多いのです。書き換え合戦を避けるため、他の人がチェックできるように一次史料をここへ投稿の上の再投稿を要望します。
--202.212.62.24 2006年1月4日 (水) 15:20 (UTC)
- 貴殿の投稿内容は,「2006年1月4日 (水) 08:52 (UTC) 」の俺の提案とは全然関係無いということを明言しておく。
- 貴殿の投稿内容について一言いっておくが,「書き換え合戦を避けるため」って,書き換え合戦を始めた張本人が言えたことなのかね? それと相手に一次史料の再投稿を求める前に,自分が史料の再投稿を先にするのが筋じゃないのかね? Cbns 2006年1月5日 (木) 09:46 (UTC)
http://kodaishi-db.hp.infoseek.co.jp/
続日本紀 (716)霊亀二年 五月 十六日,(716),霊亀二年,五月 ,十六日, ,辛夘。 《十六》以駿河。甲斐。相摸。上総。下総。常陸。下野七國高麗人千七百九十九人。 遷于武藏國。始置高麗郡焉。
日本書紀 天武天皇四年(六七五)十月庚寅《廿》◆庚寅。詔曰。諸王以下 。初位以上。毎人備兵。▼是日。相摸國言。高倉郡女人生三男。
2006年1月4日 (水) 15:20 (UTC)の一次資料は上に既に出ているでしょう。 日本の公教育を受けていれば読めますよね?716年に高倉郡が置かれたというデマ及び、758年に高座郡が置かれそこに朝鮮人が多く住んだという一次史料を無視した出鱈目な思いこみだけで繰り返される投稿は何なんでしょうか。
--202.212.62.24 2006年1月5日 (木) 21:49 (UTC)
- 貴殿は資料の意味が解ってないな。ソースがなければ資料とは言えないのだよ。そういつた資料だけじゃなくて,私の「2006年1月4日 (水) 08:52 (UTC) 」の投稿のように対案を出すことだ。貴殿の投稿は全く非建設的であり,無意味なのだよ。編集合戦を起こした張本人である貴殿に対案が無いのなら,折衷案というべき私の対案を書き加えることにする。Cbns 2006年1月6日 (金) 10:08 (UTC)
http://kodaishi-db.hp.infoseek.co.jp/ このリンク先にソースがあります。それで不十分なら図書館へ行ってみたらどうでしょう。どんな図書館でも続日本紀なら置いてあります。
なぜ無理に書こうとしますかね?しかしながら私があなたなと同じ主張を持っていたとしたらこうするでしょう。
668年に滅亡した朝鮮の高句麗の王族である高麗若光一族が大磯町に居住して湘南地区の大規模な開拓を行なう。現在も高麗山や高来神社など朝鮮半島ゆかりの地名が数多く残る。
- 分散して住まわされていた高麗若光一族が大磯町に居住した根拠の提示(高句麗式古墳など)
- 叙位されて名字を与えられ臣民となっているので王族"であった"とする
- 高麗若光一族が大規模な開拓を行なう→7世紀後半から715年前に湘南で大規模開拓が行われた形跡が見つかっている、もしくはそれ以前に未開地であったと提示する
- 高麗山や高来神社など朝鮮半島ゆかり→高句麗は領土の殆どが満州で言葉も扶余系。朝鮮半島ゆかりから高句麗ゆかりとする。もしくは朝鮮半島由来の地名をさがしてくる
- 715年に埼玉へと移住したことを併記する
私の提案は全削除ですが
Wikipedia:事実を確認する
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E3%82%92%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%81%99%E3%82%8B
--202.212.62.24 2006年1月6日 (金) 11:46 (UTC)
大磯町が朝鮮の地名などといっていますが相模川から西は足柄県でした。
従って、神奈川県が韓川から来ているということとの直接な関係はありません。
しかし、韓川というのも完全な嘘です。本来の神奈川の由来は、
現在の神奈川区に川が流れていました。上流が見えないので上無川としました。
ヤマトタケルノミコトの剣が金色だったので金川としました。
次に源頼朝がこの地を訪れて神を大いに示す川として神奈川としました。
従って、語源が韓川から来ているということは何の根拠もない嘘です。
(2008年3月24日 (月) 22:51) 版にて、116.64.192.95氏が「神奈川=韓川由来説」を概要に記載していますが、 従来からの繰り返しと判断して、該当部分を削除しておきます。--吉閥 2008年3月24日 (月) 16:10 (UTC)
保護解除について
保護を解除しました。今後は編修合戦などを起こさないようにお願いします。KMT 2005年6月24日 (金) 08:45 (UTC)
緩慢な編集合戦が続いているようですので、一時的に保護を行いました。ノートで合意形成後にWikipedia:保護の方針で保護の解除を依頼してください。--Snow steed 2005年7月7日 (木) 03:22 (UTC)
解除しました。今後は編修合戦などを起こさないようにお願いします。KMT 2005年11月20日 (日) 01:20 (UTC)
再再度保護しました。KMT 2006年1月3日 (火) 03:58 (UTC)
- それにしても今回は保護が早すぎるんじゃないだろうか?>KMT氏。
- それは別にしても貴殿は,毎回毎回公平な立場とはいい難いタイミングで保護をかけている。チェックユーザーも,そういうスタンスでやる気ですか?こういうスタンスを続けるとますますトラブルが増えて,他の管理者が迷惑するんじゃないのだろうか?自分では公平と思っているのですか?,と問うてみたい。Cbns 2006年1月4日 (水) 08:52 (UTC)
ここまでのやり取りを見た感想。こんなことやってる限りいつまでたっても保護解除されませんよ。--Goki 2006年3月27日 (月) 12:53 (UTC)
- 現在保護解除依頼中ですが、IPユーザーの編集合戦で半保護の方針しています。--かなべえコバトン 2006年3月31日 (金) 02:05 (UTC)
「平成の大合併」時の市町村合併について
「平成の大合併」による神奈川県内の市町村合併は相模原市・相模湖町・津久井町の合併までまったくなかったのでしょうか?--61.24.189.218 2006年2月18日 (土) 13:21 (UTC)
- 無いです。参考:都道府県別市町村合併一覧 --雪風 2006年2月18日 (土) 15:16 (UTC)