ノート:社共共闘
表示
三里塚闘争に係る記載への疑義
[編集]初期の闘争を指導したのが革新政党であるにもかかわらず、あたかも全くかかわりを持たなかったかのような書きぶりには賛同できない。
60年代は民青や社青同がゲバ棒持ち出すこともままあったし、都合よく書きすぎではないか。
「社会党は千葉県知事と紳士協定を結び~」という記述について、山野車輪の『革命の地図 戦後左翼事件史』(イースト・プレス、 2016年)で同様の記載があったと記憶しているが、今のところ三里塚闘争の一次資料・二次資料で事実確認できていない。--4th protocol(会話) 2017年12月19日 (火) 13:27 (UTC)
- 追記。紳士協定云々の記述はWikipediaの方が先であった。つまり、確認できる根拠資料は今の所ゼロ。--4th protocol(会話) 2018年12月8日 (土) 08:05 (UTC)
- 再追記。なんとこの記事の初版の方が古かった。これが初出の情報なのであろう。Wikipedia黎明期の出典不在の記載であり、信憑性は限りなく無いに近しいと結論せざるを得ない。ひとまずコメントアウトする。--4th protocol(会話) 2018年12月8日 (土) 11:26 (UTC)
- 出典明記要請・ノートでの問題提起にも関わらずいまだ根拠提示なし。極めて恣意的な虚言と判断し、コメントから削除。--4th protocol(会話) 2019年11月16日 (土) 00:06 (UTC)
- 当事者である、友納武人・加瀬完・小川国彦の著書を読めば、当時「紳士協定」など結ばれる余地がほぼなかったことは明らかである。--4th protocol(会話) 2019年11月16日 (土) 00:12 (UTC)
- 出典明記要請・ノートでの問題提起にも関わらずいまだ根拠提示なし。極めて恣意的な虚言と判断し、コメントから削除。--4th protocol(会話) 2019年11月16日 (土) 00:06 (UTC)