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ノート:社会民主主義

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マルクス主義とマルクス・レーニン主義の区別

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マルクス主義とマルクス・レーニン主義の区別がついていないのではないかと思う個所かいくつかありました。本記事にコメントアウトして書きましたが、ブレアの労働党もロワイヤルの社会党も、マルクス・レーニン主義(共産主義)は放棄していますが、マルクス主義的要素は放棄していないどころか継承しています。マルクス主義といってしまうのも不正確な気がします。なぜならマルクス自身が自分はマルクス主義者ではないと言っているからです。それにマルクスの思想体系を完成させたのはマルクスではなく、エンゲルスです。マルクス的思想としたほうがより正確ではないでしょうか。まあ、細かいことには拘りません。--218.110.181.232 2007年11月17日 (土) 09:44 (UTC)[返信]

日本社会党関係

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日本社会党は1951年第七回大会で平和四原則を決定して以来、1994年の村山首相国会答弁および同年9月党大会での追認まで、非武装中立を基本的に掲げてきました。石橋構想が六十年代中期に批判を受けたのは、非武装中立を掲げたからではなく、自衛隊の段階的解消を提唱した、すなわち自衛隊が現実に存在することを認めたからです。また、日本社会党内に平和同志会、社会主義協会などマルクス・レーニン主義を主張する勢力がいたことは事実ですが、党自体がマルクス・レーニン主義を公式に掲げたことは一度もありません。1970年の第33回大会で、右派提出の「社会党はマルクス・レーニン主義の党ではない」、左派提出の「社会党はマルクス・レーニン主義の党である」という二つの修正動議は、いずれも否決されています。--匿名希望1 2008年1月24日 (木) 01:09 (UTC)[返信]

それでも「新宣言」の書き出しが、「平和的手段で社会主義革命を達成し」となっています。新宣言採択後も、北朝鮮と親密な関係を続け、拉致も否定してきました。社会党や社民党の構造改革は中途半端なものに終始し、結局はマルクス・レーニン主義を放棄しきれませんでした。それが今の停滞を招きました。--Sokizo 2008年4月3日 (木) 04:06 (UTC)[返信]

「新宣言」の冒頭は、「人間解放をめざして一歩一歩改革を進め、社会の質的変革を実現していくことが社会主義である。」となっています。「革命」は使われていません。「新宣言」を読み直してください。それとも、私がみている「新宣言」とは別のテキストがあり、Sokizoさんはそれを読んだのでしょうか。 「日本社会党の新宣言」[1]--匿名希望1 2008年4月3日 (木) 06:53 (UTC)[返信]

2013年3月15日の修正

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「欧州社会民主主義の外交政策」の節に書かれていた、ニカラグアコントラ戦争グアテマラ内戦、エルサルバドル内戦の和平・終結のあっせん、、生物兵器禁止条約化学兵器禁止条約包括的核実験禁止条約対人地雷禁止条約の採択ですが、この時期のイギリスは、フランス、ドイツなどの欧州の主要な大国は社会民主主義政権ではないので、これを社会民主主義政権の功績と表現することは、成果を過剰に表現することになるので削除しました。 --Fugen会話2013年3月15日 (金) 04:50 (UTC)[返信]

思想普及が目的?

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異様なほど社民主義を宣伝するかのような記述が多すぎませんか?西欧の穏健な社民主義者の「実績」を称賛するばかりで、英国病など負の側面についての説明は少ない。何故それほどまでに「素晴らしい」はずの社民主義政党や社会党が独仏では著しく衰退しているのでしょうか。ドイツ社民党幹部が支持しているANTIFAも穏健なのでしょうか。

それに中国やベトナムの社会主義体制にはあえて触れないのに、ソ連だけを執拗に批判していますね。河上や独墺の社民党最高指導者は親ソ派だったのに、その事実も無視されている。それはそれで構わないのですが、指導者が交代するたびに「ソ連型」の意味するところも変わってくると思います。スターリンとフルシチョフでも少し違うし、ゴルバチョフなんか全然違うでしょう。どうしても社民とそれらの差異について知ってもらいたいのなら、中ソだけでなく朝鮮やベトナムも含むレーニン主義との差異について書きましょう。

また社民主義に限らない(自由民主主義や他の思想にもいえる)ことや、民主社会主義と被っている箇所もありますね。それらみんな編集で消したいと思います。

出典コトバンクが多すぎたので半分除去しました。Housefresh会話2020年6月25日 (木) 19:12 (UTC)[返信]

コメントHousefreshさんによる大量削除[2]を取消しました。(1)記事のノートページは記事の記述の改善の場です。編集者の政治的見解の演説台ではありません(目的外使用。なおANTIFA = 反ファシズム運動です。)。(2)出典にコトバンクが多い事は削除理由になりません。コトバンクの内容は市販の百科事典等です。より良い出典や記述があれば順次改善すれば良い事です。(3)どの思想や宗教の記事も、その提唱者やその主張の記述が中心になるのは自然です(過去、ファシズムの記事を英語版から翻訳したところ「ファシストの主張を宣伝するのは許せない」と批判された方もいましたが。)例えば「プロテスタントの記事に、カトリックの批判やプロテスタント賛美が多い。そんなに素晴らしい宗教なら米英はなぜ理想国家ではないのか」などと書くようなものです(NPOV、百科事典の無理解)。批判を含め、信頼できる出典により特筆性に応じて中立的に記述すべきです。(4)社会民主主義は歴史的にソ連(マルクス主義、ボリシェヴィキ、コミンテルン等)との対立・対比の思想や概念のため、ソ連批判が多いのは自然です。現代のベトナム等との比較は当記事と無関係です。(5)あらゆる思想に、自由主義や社会主義(社会干渉主義)などの要素が含まれているのは自然です。それを重複と言って削除すれば、思想の記事は成り立ちません。(6)社会民主主義と民主社会主義は、明確に分離不可能です(内容はほぼ同一でも、単に比較や強調で呼び変える場合も多い)。単純に一部名称だけで一括削除するのは不適切です。(7)例えば大量削除には社会民主主義の歴史上で重要なフランクフルト宣言も含まれていました。失礼ながら、記事の主題に関する基本知識が不足されているかと思います(現代の社会主義国だけでは社会民主主義は理解できません)。(6)いずれにせよ、編集に参加される場合には、中立的な観点をはじめとしたウィキペディアの各種ガイドを熟読して、百科事典である事を理解されてから、お願いいたします。(7)最後に、記事改善ならば英語版などを参考に歴史を充実させれば、断定的な内容が「いつだれがどのような状況でそう主張したか」(社会民主主義にも経緯や幅がある)が判ると思います。--Rabit gti会話2020年6月25日 (木) 23:02 (UTC)[返信]

  • フランクフルト宣言について、これはソビエト一国ではなく共産主義を徹底的に批判しているわけだから、ソビエト社会主義批判とするよりも共産主義批判と記述したほうがいいじゃないですか。繰り返しになりますが、スターリン政権時代とフルシチョフ・ゴルバチョフ政権時代では、ソビエト社会も大分変わっているわけですよ。ブレジネフは抑圧的な政権運営を行いましたが、デタントを進めて西ドイツのブラント元首相とは親しくしていた。社民主義者はソビエトとの交流にも力を入れていた。ここではそういう事実が無視されております。Housefresh会話2020年6月26日 (金) 12:18 (UTC)[返信]

コメント(1)ソ連批判か共産主義批判かの話。フランクフルト宣言[3]で使われている表現は「共産主義」です。ただし「ロシアのボルシェヴィキ革命以後、共産主義は」との表現で登場し、「共産主義は硬直的独断思想となり、マルクス主義が有していた批判精神とも両立しえないものとなっている」とあり、この「共産主義」はマルクス主義全体ではなく、ボルシェヴィキ(いわゆるレーニン主義マルクス・レーニン主義)を指しています(社会民主主義内部にはマルクス主義も含まれている)。ブリタニカ国際大百科事典[4]では「フランクフルト宣言を採択,資本主義と共産主義の双方と対決する方針を打出したが,ソ連圏と対決することに重点をおき」との表現です。批判対象が「ソビエト一国ではなく共産主義」なのは正しいですが、ウィキペディアは一般向け百科事典なので単に「共産主義」では範囲不明で多くの人はマルクス主義全体と思うため、平易に「ソ連など、ソ連圏」としてもおかしくは無いと思います。(記述の改善は必要ですが、正確さと平易さのバランスの話。)(2)ソ連も時代により相違があるのは正しいと思いますが、デタント等は主に西側との軍事的・政治的な緊張関係の強弱であり、背景には中ソ対立(西側から見て東側の分断)もあり、「社会民主主義」から見れば、ソ連(圏)のプロレタリア独裁に基づく一党独裁は変わっていない(現在の中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバも基本は同様)、記載の批判内容(複数政党制、議会制民主主義、混合経済)はかわりません。なお「社会主義国も時代や国により色々」という話は社会主義社会主義国などに記載されています(社会民主主義の理念や主張自体は、デタント前後も現在も特に変わってはいない)。--Rabit gti会話2020年6月27日 (土) 09:12 (UTC)[返信]

  • マルクス主義全体ではなくレーニン主義と区別しているのは、私も理解していますよ。ですから最初に「ベトナムも含むレーニン主義との差異」と書いたじゃないですか。わざわざベトナムを加えたのは何故かというと『社会主義インターは日本社会党が反対する米国の「ベトナム戦争」を支持』していたということが、Wikipediaに記載されていたからです。それに加えて社民連の田代表がベトナムのカンボジア侵攻を批判していたという事実もあります。もっともこれはポル・ポト側に問題があったわけなんですが。

フランクフルト宣言の採択時点で「ソ連圏と対決」していたことも承知しております。しかしその後、国際情勢に変化がありました。東方外交でその名を知られるヴィリー・ブラントの登場です。その前後から、ドイツ社民党はソビエトなどとの友好関係構築に前向きな努力を開始します。フランクフルト宣言の1951年で時計の針が止まっているわけではないのです。ブラント以降のドイツ社民党はそこまで旧東欧を悪し様に罵ってはいませんよ。Housefresh会話2020年6月27日 (土) 19:32 (UTC)[返信]

コメント 当記事は現在、主に「社会民主主義」の基本(原則)的な主張や位置づけを記載していると思いますが、「歴史」の節が弱く、いつ誰の主張か不明確と思います。信頼できる情報源があれば、それを出典に中立的に改善すれば良いと思います。各国語版を参考にする手もあります。(節構造は平易に見直し予定です)--Rabit gti会話2020年6月28日 (日) 02:10 (UTC)[返信]

不要な節

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「ソ連型社会主義との差異」という節の記述内容を、変な例えですけど「アメリカの保守リベラルとキューバ社会主義の差異」に置き換えてみて下さい。アメリカの共和党保守派や民主党のリベラルホークは、キューバ社会主義体制を強く批判していますよね。だからといって、保守や共和党の記事内に「キューバは非常に貧しい。キューバは酷い国である。このようなキューバ社会主義の現実と比較して、保守主義はアメリカの経済発展を実現したのである」と書いてあれば不自然でしょう。そんな記述を除去したら、アメリカ保守派のキューバ批判は、アメリカの保守主義にとっては重要である。それゆえに、このような記述も「自然です」と主張されるのですか?そもそもこの節自体、社民を説明するにあたって不要かと。他にも過剰な表現や、同一内容の反復などがあれば除去してもいいじゃないですか。保守や共産やリバタリアニズムの記事には、そこまでの礼賛はなく中立的にまとまっていますよ。

コメント この節は「共産主義#社会主義との違い」や「ファシズム#用語」(本来はナチズムは含まれない)などのように、世間一般で混同されがちな用語(社会主義=共産主義=マルクス主義=ソ連・中国)に対し、「社会民主主義の視点では異なる」との説明と思います。内容も、政治的には一党独裁ではなく議会制民主主義、経済的には計画経済ではなく混合経済、など妥当な内容と思います。改善すべきとしては、いつ誰の主張か具体的に書かれておらず、このためウィキペディアによる見解にも見えてしまう(NPOV懸念)ため、出典により今後改善していけば良いと思います。(なお共和党の記事の中に、共和党によるキューバ批判や共和主義賛美が書かれていても自然と思います。)この節を単純に削除すると、「社会主義(ボルシェビキ)と社会民主主義の対立軸」が不明になります。--Rabit gti会話2020年6月27日 (土) 09:31 (UTC)[返信]

  • 現在の共和党は保守主義ですよね。別に共和主義賛美とは結び付かないのでは?私は「キューバの現実と比較して、保守リベラルが経済の発展を実現」などと記述することについて疑問符を付けたのですが、伝わらなかったのでしょうか。それは本題から逸れるし、別に構わないんですが。
  • ボルと社民の対立軸が不明になる心配ですか?それなら、フランクフルト宣言が出てくるところで、プロレタリア独裁を肯定するレーニンの共産主義に反対と記述すればいいでしょう。そうすれば、この節は必要性が消滅しますね。大体この節には問題点が三つあるんですよ。(1)あなたが社民との違いとして強調する一党独裁は、何もソビエト社会主義に限定されませんよね。ソビエトと対立していた中国や、中ソよりも教条主義的なアルバニアも当然のことながら独裁でしたよね。(2)何度も繰り返していますが、ソビエト社会主義といっても、独裁者スターリンと穏健なゴルバチョフとでは正反対だということ。フルシチョフらは両者の中間でしょうか。(3)これも繰り返しになりますが、同宣言では、〇〇型社会主義ではなく、国際共産主義が明確に批判されているということ。以上、除去したほうがいい理由です。Housefresh会話2020年6月27日 (土) 20:41 (UTC)[返信]

コメント (1)(記事の主題と逸れますが)アメリカ共和党は(アメリカ建国時の)共和主義を掲げています。「保守」「中道右派」などは政治的スペクトル上の呼称です。(2)私は「一般向け百科事典としてどう記載する方が良いか」の話をしています。Housefreshさんは個々の語句に拘っているように思われます。社会民主主義者から見れば「本来の社会主義は自由と民主主義を前提とする我々、ソ連などの共産主義は間違い」で、レーニン主義者から見れば「我々が正統なマルクス主義者で、社会民主主義はプチブル的な修正主義」です。ウィキペディアでは中立的に記載する必要があります。また一般向けに、前半は平易に、後半で詳細化なども必要です。(3)一党独裁は社会民主主義が一貫して批判しています。また「ソ連圏」「ソ連型」などは、単に一国を指しているのではなく、モデル対比としての「東側」(ソ連が指導的な国際共産主義、コミンテルン系、「マルクス・レーニン主義」諸国。特に東欧。広くはキューバ・中国・ベトナム等)です。時代や国の相違はありますが、共産党一党独裁は共通です。(4)ゴルバチョフは複数政党制を目指しましたが実現前に失脚し、ソ連は最後まで一党制でした。(5)記事の改善は必要ですが、対立軸を記載した節(英語版で言えば en:Social democracy#Philosophyen:Social democracy#Policy regime に相当ともいえる)の単純削除は反対です。節構造は英語版を参考に見直した方が良いと思います。--Rabit gti会話2020年6月28日 (日) 02:24 (UTC)[返信]

  • G.マルチネは、社会主義国を五つに分類(私の朧げな記憶では、中国型・ソ連型・ユーゴ型・ハンガリー型・キューバ型だったと思います)しています。当たり前ですが、中国の影響を受けていた民主カンボジアは「ソ連圏」「ソ連型」に含まれせんよね。
  • ゴルバチョフは、1990年2月に一党独裁の放棄を決定し、3月以降ソビエトは複数政党制に移行していました。だから「実現前に失脚し、ソ連は最後まで一党制でした」というのは、Rabit gtiさんの事実誤認です。Housefresh会話2020年6月28日 (日) 18:34 (UTC)[返信]

コメント (1)「ソ連型」の範囲は、その対比先次第です(私は前回も「特に」「広くは」と書いています)。仮に「社会主義国を5分類」ならソ連自体か、東欧迄かもしれません。しかし当記事や各出典では、社会民主主義(イギリス労働党など)との対比で、一党独裁や計画経済を批判する対象として使用しており、この意味では中国もポルポトも北朝鮮もアルバニアなども含めるべきでしょう。用語は目的(対比対象)に応じて使われるものです。(2)複数政党制は確かに正確にはそうですが、制度はできても、その運用(選挙、複数政党による議会での議論)はなく、共産党が分裂したり禁止されたり、僅か1年後の崩壊で、実質的な実現は伴っていません。--Rabit gti会話2020年6月29日 (月) 05:42 (UTC)[返信]

新しい節を設けたほうがいい

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「ソ連型社会主義との差異」という節が好ましくない理由については、何度も説明させてもらいました。フルシチョフはスターリン批判をし、それから一党制民主主義(かなり限定された形であるとはいえ)とでもいえるような政治状況が生み出されていたのです。その後は、ブレジネフが停滞の時代をもたらし権力を腐敗させましたが、しばらくするとまた改革的なゴルバチョフが出てきたりするなど、非常に揺れ幅が激しい。ソビエト型というのは何も「収容所を作って弾圧します」というだけの単純な代物ではない。そこでこの節に替えて「マルクス・レーニン主義との差異」という新たな節を設けることを提案します。Housefresh会話2020年6月28日 (日) 18:59 (UTC)[返信]

コメント 「ソ連型社会主義との差異」の節削除案には反対ですが、「ソ連型ではソ連と言う国と誤解される」という理由で「マルクス・レーニン主義との差異」に節名変更し、内容を出典に応じて更新するのならば良いと思います。(マルクス・レーニン主義は社会主義国#一覧でも分類に使用)。(なお私は現在の節構成や記事全体は、いずれen:Social democracyを参考に全面描き直しした方が良いと思っていますが)。--Rabit gti会話2020年6月29日 (月) 05:52 (UTC)[返信]

  • 「マルクス主義から派生したレーニン主義は、暴力革命と一党独裁の理論的根拠を与えた。中ソやベトナム、北朝鮮などでは非民主的な政治体制が確立し、人権侵害がまかり通り、言論の自由は抑圧された。こうした事実に鑑み、社会民主主義者はマルクス主義とレーニン主義を区別し、理論的指導者のカール・カウツキーはレーニンを批判した。そして社会民主主義者は幾つかの国で政権を獲得し、保守や自由主義者と選挙で争いながら複数政党制を守り、混合経済を維持し続けてきた」こんな感じで、中立的な文章に替えてみたいのですが、どうでしょうか。Housefresh会話2020年6月29日 (月) 07:02 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:中立的な観点などを満たしていれば良いのではないでしょうか。--Rabit gti会話2020年6月29日 (月) 09:13 (UTC)[返信]

  • わかりました。あなたに勧められて英語版の思想関連記事をチェックしてみましたらen:Libertarian paternalismなど興味深い記事を幾つか発見することができました。英語版でも少しは編集に参加してみようかなと思っています。お付き合いくださってありがとうございました。Housefresh会話2020年6月29日 (月) 20:52 (UTC)[返信]

その他

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  • アフリカ民族会議のマンデラはアパルトヘイト時代にソビエト寄りの共産主義者と言われていたので、本当の社民である[w:Afrikan Alliance of Social Democrats|社会民主アフリカ連合]]に置き換えたほうがいいんじゃないですか。
  • 社民主義というのは福祉や男女平等や環境に関する思想でしょう。外交政策などの節は必要ないと思います。Housefresh会話2020年7月6日 (月) 13:03 (UTC)[返信]