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ノート:礼文町

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一部転記の提案

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現在の礼文町域を表す項目として、礼文島礼文郡があり、それぞれすみ分けはなされていますが、各項目ともいずれも同一の島ただ一つを対象としていることから、「#歴史」節について重複する記載もあり、いずれか1か所へ集約することが、閲覧者の利便性という観点からも好ましく思います。

私見では現状礼文町と礼文島については内容がほぼ同じであり、礼文郡については行政面での管轄の変化について書かれている印象です。 このため、私案としましては礼文町あるいは礼文島へ統合し、残るその他の項については参照とする形を取りたいと考えています。ただ、どちらへ統合するかは自身決めてかねております(個人的には「島の歴史」という観点から礼文島への統合を優先したい考えです)。 ただ、礼文郡については#郡発足以降の沿革については残存させた方が好ましいかと思っていますので、重複記載となることも致し方ないかなと思う次第です。

1週間ほど意見を伺いたいと思いますので、特に意見無い場合そのまま一部転記の作業に入りたいと思います。--IRishikawa521会話2018年6月17日 (日) 10:33 (UTC)[返信]

賛成 礼文町礼文島は確かに酷似していますね。礼文郡は行政面での、他の二つは包括的な歴史について記述されており、IRishikawa521さんの提案には賛成です。
また、礼文町礼文島のどちらに統合するかについては礼文町というものが行政が制定したものであるのに対し、礼文島は悠久の歴史の中で成立していったもののため、こちらもまた、礼文島への統合に賛成します。--Napoleon VIII(会話) 2018年6月23日 (土) 00:46 (UTC)[返信]
反対 「郡」や「町」は人為的な概念で、「島」とは性質が異なります。たしかに今現在の「礼文町」と「礼文郡」はたまたま範囲が一致していますが、歴史的には船泊村・香深村などに分かれており、完全一致する概念というわけではないです。統合ではなく転記するだけというなら反対まではしませんが、郡のことは郡の記事に書き、市町村のことは市町村の記事に書くということで、現状でも別に違和感は感じません。(多くの郡記事はそうなっています。)
実際のところ、いずれの記事も出典が充実しているというわけでもなく、それをわざわざ転記するほどの価値はないかなとも思います。手続きを踏んで転記しようが、出典がなければ除去できちゃいますから。ベストなのは出典を示しながら加筆することでしょう。
歴史に関して言うと、郡や市町村の行政の変遷など「沿革」としてまとめ、一般的な事象を「歴史」にまとめるという形で整理するというのはありでしょう。礼文町の記事には前身である礼文村のことも包含するとしても、それ以前の香深村・船泊村の時代のことは割り切って割愛したり、礼文島の歴史を参照、という形にするというのはありえますね。さらに記事が充実していくと、他地域のように、「島」や「町」ではなく「大字」単位の記事を作っていってもいいかもしれません。--柒月例祭会話2018年6月24日 (日) 06:15 (UTC)[返信]
提案 ご意見ありがとうございます。㭍月例祭さんが仰っておりますように、他の記事の例からも、郡は郡、町村は町村、とすることに提案者としましても異論はありません(拙速な提案をしてしまい申し訳ありません)。そこで㭍月例祭さんが示された案ですが、こういう解釈でよろしいでしょうか。
もしこれでよろしければ改めてこの案をもとに再度転記を提案させていただきたく思っているのですが、いかがでしょうか。ただ、出典については私も現状持ち合わせがなく、皆様のお力をお借りしたく思います。--IRishikawa521会話2018年6月24日 (日) 14:04 (UTC)[返信]
返信 原則は出典を示していくことです。それが為されないのに、分割だとか転記だとかを行っていじくりまわしてもあまり意味がないです。出典がない以上、いつでも誰にでも除去されうるのですから。
実際のところは、市町村・郡の記事は、ウィキペディアの初期に、内容はスカスカでもとりあえず日本中の郡・市町村を網羅するという取り組みがあって、ウツワだけは網羅されました。が、それ以降はめったに加筆されず、中身スカスカなまま放置されているのがほとんど、というところでしょう。まずはきちんとした出典を調べ、それからじっくり加筆して育てることです。育てきったときにボリュームやバランスをみながら分割や転記を検討すればいいでしょう。
その意味では、私は「こうしたほうがいい」的なことをいいましたけれど、例えば『礼文郡のすべて』みたいな文献があったとして、それに「行政の沿革」的な事以外の歴史的事象が書かれていたらなば、それはそれなりに書く意味があるということになるかもしれません。つまり、ある出来事が、B村とC村の合併に影響を与えた、とかというような関係性があるのかもしれないですよね。反面、まあたいていの市町村史誌って巻末に年表があり、たいてい上段が市町村の年表、下段が世界史の年表みたいになってたりもしますが、だからといっていちいち世界恐慌とかにまで言及する必要は(たいてい)ないでしょう。そういうのは単に時代背景だとかをイメージしやすくするために掲載されているものです。
どの記事も出典が示されていないのでしかたがないのですが、ウィキペディアでは、本来は年表形式ではなくきちんとした文章で説明することがベターです。これも適切な情報源にあたることで可能になるでしょう。
まああとは、記事の充実度だとかバランス感覚の問題でしょう。たしかに私は「香深村・船泊村の時代のことは割り切って割愛したり、礼文島の歴史を参照、という形にするというのはありえますね。」と言いましたが、あくまで「ありえる」だけであって「今やらなければいけない」というものではないです。現状ではいずれの記事も出典に乏しく、記事のボリュームもそう大きくありません。雑多な箇条書き・羅列があるだけです。たとえば東京都東京都の歴史ぐらい大きな記事になれば分割も視野に入りますし、「○○参照」方式のほうが読者にとって便利かもしれません。しかし礼文町香深村程度の記事であれば、わざわざ数行程度の情報しかないもののために別記事を参照させられるのはかえって不便です。両方の記事に重複して情報があってもいいし、むしろそのほうが読者にとって便利ではないでしょうか。
市町村記事と大字記事は、ちょっとむずかしいところがあって、たとえば香深村は「現存しない市町村の記事」としてみるならば、礼文村への合併後のことはもう書かない(消滅したのだから)ということになるのですが、「現存する大字の記事」とみるならばいま現在のことも書けます。そこらへん、記事が十分に充実して成熟したら「市町村」と「大字」を別記事としてもいいのですが、現実的には日本のほとんどの地域で「大字」と「(旧)市町村」の記事は1つの記事として同居しています。
礼文島#歴史に話を戻しますと、いまの記事には、(近代以降の)行政的な記述はありませんよね。だからこれはこれでいいですし、「行政の変遷は礼文郡礼文町参照」ぐらいのことを書き加えると読者は助かるでしょう。
礼文島程度の大きさ・歴史の島であれば、礼文島#歴史に礼文郡や礼文町の沿革を全部書き足してもいいかもしれません(ただし出典ありきです)。しかし本州島の記事に本州内の都道府県・市町村の沿革を書き始めたらとんでもないことになりますよね。そこらへんはすべてバランス感覚です。--柒月例祭会話2018年6月25日 (月) 03:08 (UTC)[返信]
コメント 賛成・反対の意は申しませんが、基本的に「たとえ市町村制以前・以後ともにずっと一島一村であっても」市町村と島の記事は別にするのが基本的な方向性と認識しております(例:姫島村姫島 (大分県))。ましてや礼文町は町村制施行以後も最初から一島一市町村だったわけではないですよね。町村の記事ではその町村の島内での位置、成立・消滅の歴史、政治史などを書き、島の地理・地形、島内交通、島内と島外の交通など、島そのものについては島の記事に書くのがいいのでは。もっとも、礼文島#歴史にも礼文郡や島内の村・町についての基本的な沿革は入れたほうがいいと思いますが。--Muyo会話2018年6月25日 (月) 05:54 (UTC)[返信]
コメント皆さまからのコメントを拝見いたしました。市町村記事における経緯などは私も無知な部分がありまして、ご迷惑をおかけしました。
つきましては、現状において上記の提案は時期尚早と言えることが分かりましたので、提案そのものは取り下げとしたいと思います。
ただ、ご指摘にあったような出典の不備や記事体裁についての提案はありましたので、別途議論していただければと思います。--IRishikawa521会話2018年6月26日 (火) 11:19 (UTC)[返信]