ノート:磐城の戦い
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原発と結びつけたトンデモ論を削除
[編集]以降、出典なきトンデモ論を復活させる輩は管理者通報の対象となりますのでよろしく。--106.188.149.15 2015年10月17日 (土) 04:27 (UTC)
トンデモ論の主犯は、履歴によるとIP 利用者‐会話:203.141.154.203 のもよう。--106.188.149.15 2015年10月17日 (土) 04:31 (UTC)
星亮一氏『仙台戊辰戦史』は参考文献として適切なのでしょうか
[編集]他の戊辰戦争関連の記事でも度々参考文献として氏の著書が挙げられているのを見かけますが、氏はあくまで作家であって歴史家ではありませんし、それを抜きにしても、『仙台戊辰戦史』は私が確認した限りでは歴史書というよりは小説という性格が強いように感じました。 例えば当記事[16]の「磐城平城に入っていた古田山三郎らは相次ぐ敗戦の雪辱に燃え、戦意高揚していた」とか、[43]の「しかし、敗走する磐城平藩を見てきた充胤は、藩兵に対する人質であることを理解していたため」といった記述は、氏の小説的脚色である可能性も十分考えられると思います。当然、星氏も各資料を読み込んで書いているようですが、あくまで小説である以上、他の一次資料なり二次資料なりで確認出来ない内容を氏の著書のみを情報源として記述するのは不適切ではないでしょうか。--おーぎゅすと(会話) 2021年11月18日 (木) 16:44 (UTC)
- 初版作成者です。こちらはウィキペディアに参加し始めた頃に書いた記事で、信頼のできる情報源を現在ほど理解していなかったため、手元にあった資料をかき集めた中にあった小説に近いものを出典として使ってしまったものだと思います。これは例えばローマ史で塩野七生のローマ人の物語を根拠とするのと同様、不適切なものでした。現在取り掛かっている記事が終わり次第、信頼できる出典をもとに別の表現に変えます。それまで該当部分を除去されても構いません。--Sikemoku(会話) 2021年11月19日 (金) 00:31 (UTC)