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ノート:砲術

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定義について

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砲術が「火縄銃や大筒、棒火矢などを用いる日本式の伝統的な射撃術のこと」であるという出典を教えてください。もともと火薬自体が外来のものであるにも関わらず砲術が日本固有のものだという見方をする事には歴史的な矛盾があります。また、どの辞書を探しても砲術のそのような用法の記載を見ることができませんでした。一体どこの誰が唱えている定義なのですか。専門家による一次資料がなければこの定義は認めることができません。--István 2008年10月20日 (月) 12:28 (UTC)[返信]

専門的な文献にあたったわけでもないですしこの議論のために文献を探しにいく予定もないですが、砲術というページで解説する代表的なトピックを日本伝統の砲術にするかそれとも今現在「砲術」と呼ばれうる技術全般に拡張すべきか、というとこが論点なんじゃないでしょうかね。--倫敦橋 (Londonbashi) 2008年10月23日 (木) 18:48 (UTC)[返信]
手元にあった百科事典で調べてみましたが、
『日本大百科全書』(小学館 1988年刊)の「砲術」の項には
> 近世武術の一つ。和流砲術。
とあり、砲術の項の最後まで日本の伝統的な砲術についてのみしか記されておりません。
ですので、「日本式の伝統的な射撃術のこと」という定義はおかしくないと思います。
もし、本記事に現代の軍事的な砲術について記したいということでしたら、同じページ内で見出しで分けて並記する方法もあります。Himazin 2008年10月26日 (日) 15:45 (UTC)[返信]

砲術の由来について

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ポルトガル人が砲術を伝えた、という、冒頭定義の内容と矛盾する加筆がありましたので、定義の部分と同様要出典とさせていただきました。深入りするつもりはなかったのですが調べてみるしかなさそうですね。--倫敦橋 (Londonbashi) 2008年11月9日 (日) 18:17 (UTC) コメント出来ないのでここに記述しますが、ポルトガル人が種子島に砲術を伝えたのは天正12年ではないでしょうか。天保12年では江戸時代となり、ポルトガル人は密かに種子島に砲術を伝えたことになります。(maomk68)[返信]