ノート:石嶺聡子
石嶺聡子のフォー・マイ・プレシャス
[編集]2006年3月末に終了した、石嶺聡子のレギュラーラジオ番組。10年間放送が続いた。番組の制作は放送開始から終了までFM長崎が行っていたが、収録は東京・半蔵門のJFNのスタジオで行われた。
30分番組で冒頭に映画や流行り物を紹介。自分の曲を2曲流し、フェイバリット・ソングとして自身が好きな曲(主に洋楽)を1曲エピソードと共に紹介、その合間にトーク。話の内容は近況報告やファンからの便りを読むことだった。2001年からは月1回(2週)ミュージシャンのゲストを呼び、30分間インタビュー形式のトークを展開。ゲストが居ない時にはガチャポンコーナー(カプセルの中に石嶺への質問が入っていて答える)や、スポンサーの結婚式場で挙式したカップルが選んだ曲を流すコーナー等もあった。
スポンサーは、冠婚葬祭互助会大手のメモリード。従ってFM長崎の他にメモリードの拠点があるFM佐賀、FM宮崎、FM群馬でも放送された。メモリードが石嶺の曲を宣伝に使い、また年に1度か2度、無料招待ライブをメモリードの結婚式場で実施。2001年より冠婚葬祭互助会最大手のベルコが提供に加わり、FM福岡とFM北海道でも放送開始。Kiss-FM KOBEでもJFN入りに合わせ2003年4月より放送開始。ベルコでもメモリードと同様に結婚式場での無料招待ライブを実施した。
一時は沖縄でも放送されネット局が8局まで増えたが、2005年3月、FM長崎を除くメモリードがスポンサーになっていた局では放送終了となり、押切もえを起用した『もえラジ』に変わる。ネット局は長崎・兵庫・北海道と3局に減少し、翌2006年3月に放送終了した。
篠木プロデューサー
[編集]篠木雅博。かつて渡辺プロダクションでマネジメント業務を行っていた経験を生かし、デビューが決定したのに所属事務所が一向に決まらなかった石嶺を、「PeLoMu(プラム)」というマネジメント組織を東芝EMI社内に設けてマネジメントした。篠木が東芝EMIを離れることになってプラムは消滅し、石嶺はアモンに移籍した(その後プリズムに移籍)。