ノート:知的水準発言
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この記事は2008年4月10日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
出典について
[編集]脚注化は必須とされてはいません。出典は示されています。削除に関しては、出典を確認の上で願います。--Keisotyo(会話) 2017年4月12日 (水) 02:48 (UTC)
- 「誰々がどこそこで『~は重要であろう』と述べている」という記述ならともかく、単に「~は重要であろう」という書き方をしたら、出典のない単なる独自研究としか解釈されないのは当然でしょう。--126.13.28.140 2019年11月30日 (土) 23:32 (UTC)
利用者:Keisotyoによる2016年以来のリバート強行
[編集]いわゆる知的水準発言についての「前後の文章からはそうではなく、言いたかったのは~」「~は重要であろう」云々というあからさまな独自研究は何度も削除されていますが、IP利用者や利用者:Keisotyo(同じ人かどうかは不明)がしつこくリバートを繰り返しています。利用者:Keisotyoは「出店はついてます。確認なしに消さないで」、「出典による記述です」と主張していますが、どこに出典があるのでしょうか。--126.13.28.140 2019年11月30日 (土) 23:28 (UTC)
- 初版(2008年1月22日 (火) 14:06)投稿者が「参考文献と同じ意味」と考えている記述を、多くの読者は「同じ意味ではなく、初版投稿者独自の主張」ととらえているのでしょう。ただ同じ意味になるように書き改めたところで、この参考文献では中立的な記述にはならないと思います。
「前後の文章からはそうではなく」に対応する部分は、参考文献の「発言をよく読めば「学歴水準」であることがわかる」(失言王認定委員会『「大失言」』情報センター出版局、2000年、184頁。ISBN 4-7958-3302-8。)に対応するものだと思います。初版投稿者は「発言をよく読めば」=「前後の文章からはそうではなく」だから出典はあるんだ、と言いたいのでしょうが、多くの読者が「前後の文章」から想定する文章の範囲は、参考文献著者が「読めば」と言っている箇所より広いと思います。
また「重要であろう」に対応する部分は「その中で(中略)という鋭い指摘をしている」(前掲書187ページ)だと思います。しかし、参考文献著者は全面広告の指摘を引用しているだけで、参考文献著者の意見は「鋭い」だけです。初版投稿者は「鋭い」の言い換えのつもりで「重要であろう」としたのでしょうが、「鋭い」が広告の指摘自体に対する評価であるのに対し、「重要であろう」では、この件に多数あった抗議の中でもこの指摘が重要だ、という相対的な評価を導入しています。これは同じ意味ではないと思います。
つまり、初版投稿者は参考文献と同じ意味だと思って書いた文章は、多くの読者には「あからさまな独自研究」にしか見えず、出典がないと主張したり編集削除したりしている、それを初版投稿者はgeneral referenceへの批判と受け取り、文献を読みもしないで、と抵抗している、という図式だと思います。
では誰もが同じ意味に取れるような表現に修正すれば問題は解決するのかというとそうではないく、そもそもこの参考文献だけで記事を書くことに問題があると思います。『「大失言」』は政治家の失言を集めた本です。変なことを言った人を貶めて楽しもうという立場の本ですから、事実がおもしろおかしく誇張されていても驚きません。この中曽根発言を扱ったページには、全裸にネクタイだけをつけた男が、女はネクタイしか見ていないというから、と警察官に抗弁している絵が入っているほどです(前掲書185ページ)。こんな本に、翻案だと削除依頼が出されるほどべったりはりつきで文章を書けば、中立にはならないでしょう。
私は「知的水準発言」はいつのことだったか調べていてこの記事に出会い、特異な文章に驚いて、参考文献とされている『「大失言」』も読みました。その意味で、もう用件は済みましたので私は対処する気がありませんが、参考文献から選び直さないとWikipedia:中立的な観点に従った記事にはならないと思います。--西村崇(会話) 2021年4月17日 (土) 13:49 (UTC)