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ノート:真宗大谷派

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revertに関して

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ムカイさんの加筆・修正の一部を差し戻しました。

  • 「大谷派御歴代」から「大谷派歴代門首」にセクション名を変更した件 - 「門首」はお東騒動以降に用いられ、「第二十三代法主」以前には用いられていない呼称であり、蓮如の場合は、「法主」ではなく「留守職」と時代により職名が変遷しているため、「歴代門首」では当時の文献などとの整合に欠くため正確性が失われ、百科事典の記述として問題があると考えます。真宗大谷派における正式な歴代の総称表記である「大谷派御歴代」と差し戻しました。(セクション名の下に注意書きを追記しました。)
    • 本山のHP等において、歴代を歴代門首と表現する場合(東本願寺 - 諸殿拝観・大谷祖廟の記述)があるのは、認知しています。しかし、百科事典の記述で「第十二代(門首) 教如上人」と受け取られる表現では、問題があると考えます。
  • 漢数字からアラビア数字に関する件 - 真宗大谷派で用いられる正式名称は、漢数字による表記が正式表記であり、Wikipedia:表記ガイド#漢数字でいう「固有名詞」と考えます。よって漢数字に差し戻しました。(参考文献、真宗大谷派宗務所出版部発行「真宗大谷派手帳」P2〈横書きであっても漢数字を用いている。〉)
    • 例…「第3代 覚如」⇒「第三代 覚如」 - 江戸幕府三代将軍「徳川家光」の表記も「第三代将軍」となっているので問題ないと考えます。
  • 「概要」から「宗憲」にセクション名を変更した件 - 上記の通り、編集した文章です。もともとが「宗憲」について述べているセクションではないので、差し戻しました。『宗憲』は公示されている文章とはいえ、原文に可能な限り忠実である必要があると考えます。よって漢数字に差し戻しました。
    • 「概要」のセクションは、ムカイさんの修正された通り「導入部」の次に記述すべきセクションであると考えます。レイアウトを変更・修正しました。
  • ムカイさんの修正で「~とする」から「~された」という変更について - 省略されている主語が「(真宗大谷派は、)」・「(真宗同朋会)運動のテーマは、」などであり、文法的に問題があると考えます。「(真宗大谷派は、)~とする」に差し戻しました。「(真宗同朋会)運動のテーマは、~である。」に変更しました。

この修正に、疑問・提案がありましたら、以下にお願いします。--Resto1578 2008年12月7日 (日) 19:05 (UTC)[返信]

  • 了解いたしました。
しかし、数点について疑問がありましたので、コメントいたします。
また同派での正式表記に基づき、「大谷派御歴代」と総称し、敬称を付す。
宗派ではそれが正式であっても、このページはあくまでもウィキペディアの記事ですので敬称は付けないようにするべきではないでしょうか(ガイドラインに従った上で「同派では正式には大谷派御歴代と称し、敬称には上人を用いる」といった但し書でもいいと思います。)(参考Wikipedia:ウィキペディアは何でないか8.布教する場所ではありません。一方的に特定の宗教を前面に押し出すのではなく、その側面から触れて、できうる限り宗教的に中立であるべきです。〉)。
漢数字からアラビア数字に関する件については、歴代の人名では、表記ガイドの例に「ナポレオン3世」もありますので「第**代」までを固有名詞とするのは無理があるのではないでしょうか。三代将軍については名称として考えられますが、「第三代将軍」は修正するべきと思われます。
規則については、原文を引用ということで了解いたしました。よろしければ、全文をウィキソースに移動執筆されてはいかがでしょうか(Wikipedia:原典のコピーはしない)。
見出しについて
「御歴代」は中立的であるとは見えませんので「大谷派歴代--」というようにできませんか。例えば、「歴代門主・法主」でもいいと思います。
「概要」は「あらすじ」や物事に関する大まかな内容のことですので、もし「概要」を用いるのでしたら、大谷派に関する簡潔な内容にするべきではないでしょうか。--ムカイ 2008年12月8日 (月) 14:24 (UTC)[返信]

(コメント)

「大谷派御歴代」のセクション名に関して
この件に関しては、ムカイさんの意見を踏まえて、下記のように修正したいと思います。(ただし敬称を付すことが、布教活動に当るとは思いません。公式な方針の「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」〈8.布教する場所ではありません。〉の問題ではないと考えます。考慮すべきガイドラインの「Wikipedia:表記ガイド#人名」に沿う記述に変更することには、同意します。)
「門首」のセクション内に「歴代」というサブセクションの形で移動・記述し、
大谷派では、歴代(留守職・法主・門首)を正式には「大谷派御歴代」と総称する。
同派では、宗祖親鸞を除き、歴代を「第○○代法主(門首)」と「世」ではなく「代」で呼称する。また宗祖親鸞のみ「聖人」と敬称し、第二代以降は、「上人」と敬称する。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。
と変更するのはいかがでしょうか?
漢数字からアラビア数字に関する件に関して
ポレオン3世と江戸幕府三代将軍徳川家光を同列で比較するのは無理があると思います。
徳川家光は、一般的に考えても有名な歴史上の人物であり、多数の方が査読されているページであると考えます。そのページで漢数字が用いられていることを考えても、多くの文献が漢数字で表記する本願寺の歴代を漢数字で表記することに問題は無いと考えます。
「Wikipedia:表記ガイド」は、考慮すべきガイドラインです。「原則としてアラビア数字を用います。」としています。
「蓮如」を『大辞林』三省堂、第二版では、漢数字(第八世)を用いて表記しており、『広辞苑』第五版では英数字(第8世)を用いて表記しています。逆にナポレオン3世に関しては、両辞典ともに漢数字(三世)で表記しています。
よって本ページの記述対象である真宗大谷派が用いている表記が正式表記であり、漢数字(第八代)を用いるのが百科事典として正確な記述であると考えます。文献との整合の面からも漢数字を用いるほうが有益と考えます。
「概要」に関して
無理に「概要」のセクション名を用いる必要性は無く、導入部の記事が概要を表す内容なので、「概要」のセクションは不要と考えます。
「規則については、原文を引用ということで了解いたしました。よろしければ、全文をウィキソースに移動執筆されてはいかがでしょうか(Wikipedia:原典のコピーはしない)。」 についての解答。
「前文をウィキソースに移動執筆されては…」とのご意見ですが、『真宗大谷派宗憲』は、前文・13の章、101の条からなる文であり、真宗大谷派の説明に用いる以外の部分に関して執筆する意思は、今のところありません。
またWikipedia:原典のコピーはしないの方針は、「小説などの作品の原典をコピーしない」という考慮すべきガイドラインと考えます。よって、公示されている文章には当てはまらないと考えます。
原文の引用に関して了解していただけたので、補足です。もともと本ページに記述されていた文章が、この『宗憲』を修正したものを「Wikipedia:独自研究は載せない」の公式方針をふまえ、真宗大谷派が公示されている『宗憲』の原文を引用の形を取り記述したものです。

以上を踏まえ加筆訂正したいと思います。またご意見がありましたらお願いします。 --Resto1578 2008年12月10日 (水) 15:40 (UTC)[返信]

(コメント)ご返事頂きありがとうございます。

敬称を付けることで、「布教をする場所ではない」という部分を読んでいただきたかったわけではなく、「一方的に特定の宗教を前面に押し出すのではなく、その側面から触れて、できうる限り宗教的に中立であるべき」の部分を読んでいただきたかったわけであったのですが誤解を与えてしまったようでお詫び申し上げます。「大谷派御歴代」のセクション名に関してはそのようにしていただいていいと思います。
  • 徳川家光は、一般的に考えても有名な歴史上の人物であり、多数の方が査読されているページであると考えます。
徳川家光の2003年7月18日 (金) 23:19の版の時点で、ログインユーザの方によって、和暦の年月日を含んで漢数字に書き換えられたまま現在の版で落ち着いています。また、徳川歴代将軍では、第4代家綱以上と第9代家重が漢数字でほか10人はアラビア数字で書かれています。征夷大将軍では徳川家光は「第3代将軍」と書かれています(徳川将軍一覧)。なので、「家光の第**代は間違いではない例と思われるので問題ない」というのは、少し違うように思います。
  • 「蓮如」を『大辞林』三省堂、第二版では、漢数字(第八世)を用いて表記しており、『広辞苑』第五版では英数字(第8世)を用いて表記しています。逆にナポレオン3世に関しては、両辞典ともに漢数字(三世)で表記しています。
よって本ページの記述対象である真宗大谷派が用いている表記が正式表記であり、漢数字(第八代)を用いるのが百科事典として正確な記述であると考えます。文献との整合の面からも漢数字を用いるほうが有益と考えます。
同ガイドラインの「原則」というのは、固有名詞や熟語を考慮したことによるものと思われます。以下のようなものには漢数字があてられるものと解釈されます(Wikipedia:表記ガイド)。
    • 概数表現で、漢字が数字に置き換えられている場合。
例: 何百人、十数年、数十日、十余日
    • 固有名詞などで項目名になりうるもの。
例: 五色不動尊、内田百閒、御三家、三国同盟、百年戦争、正十二面体
    • 紙幣・貨幣の額。
例: 一万円札、百円玉
    • 熟語表現や慣用表現。
例: 柔道三段、三振、一所懸命
日本語の縦書きで書かれた辞書では、慣習として漢数字を用いることが多いようですので参考にはなり得ないと思われます。また辞書にあるからというのは、「こちらの辞書のほうが正しい」という議論になりかねません。
例として、原文では漢数字が用いられている日本の新旧憲法の記事では、アラビア数字が用いられています(参考 日本国憲法 、ウィキソース「日本国憲法」)。
これに関しては「ウィキペディアは何でないか」にパブリックドメインやその他の情報源からのコンテンツの保存場所ではありません。本の一部や全部、ソースコード、オリジナルの歴史文書、手紙、法律、声明、そういったものはウィキペディアで収集していません。Wikipedia:原典のコピーはしないを参照してください。もし、第一級史料があればウィキソースにて収集しています。とあります。小説などの作品のみに限らず、歴史的文書なども含まれるようです。
  • もともと本ページに記述されていた文章が、この『宗憲』を修正したものを「Wikipedia:独自研究は載せない」の公式方針をふまえ、真宗大谷派が公示されている『宗憲』の原文を引用の形を取り記述したものです。
出典が明記されて、検証可能であればほとんどが独自研究には当たりませんので、宗憲そのものを引用という形で載せるよりも、文章に組み込んだほうが読者としても読みやすくなるかもしれません(Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける)。--ムカイ 2008年12月11日 (木) 15:57 (UTC)[返信]

(コメント)こんばんは、ムカイさん。建設的な議論ありがとうございます。

「日本語の縦書きで書かれた辞書では、慣習として漢数字を用いることが多いようですので参考にはなり得ないと思われます」に関しての件
この議論の最初に述べましたが、参考文献に用いた真宗大谷派宗務所出版部発行「真宗大谷派手帳」P2は、横書きです。漢数字を用いて表記しています。宗務所が発行した手帳の記述が、正式表記であると考えます。
ムカイさんが、なぜここまでガイドラインに過ぎない「アラビア数字による表記」にこだわるか、説明をお願いします。
「本願寺8世」と表記されるよりも、真宗大谷派が正式に用いる「本願寺八世」と表記される方が、ムカイさんの意見を聞いた後でも良い記述であると、私は考えます。「辞書」が正しいよりも「正式表記」が正しいと考えます。
そのページの記述の対象(真宗大谷派)が、公式に用いる表記(漢数字による表記)。
フリー百科事典「ウィキペディア」の「公式な方針」ではない「考慮すべきガイドライン」に沿う表記。
私には、Wikipedia:ウィキペディアを引用することを踏まえても、漢数字による正式な表記を百科事典として用いるべきと考えます。
また「柔道三段」が、熟語的表現で用いる事が可能なら、「本願寺八世」が熟語的表現ではないという理由を教えてください。
ガイドラインは、あくまでも考慮すべきガイドラインであり、正当な理由があれば漢数字を用いる事は可能であると考えます。
「Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」の件に関して
Help:箇条書きに基づき編集しました。今回の改訂は「;」と「:』を用いて、「;」=「用語」、「:」=「用語の説明」とし、「説明文の入らない単純なもの」であれば、*を用いて箇条書きの形式で用いました。
「Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」に関しては、Wikipedia:表記ガイド#文体も参照して下さい。
「『ウィキペディアは何でないか』にパブリックドメインやその他の情報源からのコンテンツの保存場所ではありません。本の一部や全部、ソースコード、オリジナルの歴史文書、手紙、法律、声明、そういったものはウィキペディアで収集していません。」の意見に関して。
記述した文章は、セクションにその概要を、その下にその用語の説明をHelp:箇条書き#推奨される例Help:箇条書き#箇条書き の形式で記述したものです。ムカイさんの言う「コンテンツの保存場所」とは、考えません。
また、Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるとは違うと考えます。サブセクションにした部分は、セクションの概要を表す「表」の言葉をリンクで表示するために用いました。ただし一部に関しては、編集・文章化することの方がよい部分があることも認めます。(「内局」のセクションなど)
「2008年2月12日 (火) 23:31」の版と現在の「 2008年12月11日 (木) 18:12」の版との比較
元の版の「概要」(所依の経典)には、「七高僧の撰述の聖教」とあるが、真宗大谷派が用いる「正依の聖教」は、天親の例を挙げると『浄土論』(正式名称は、『無量寿経優婆提舎願生偈』のみであり、説明不足である。
元の版の「現在の組織」を見ると、雑多な内容を箇条書きした節であると考えられる。
元の版は「別院」・「教区」は、簡単な説明があるだけで、あとは箇条書きでしかない。
上記のことを踏まえると、真宗大谷派の『宗憲』を引用することによって正確な記事となると考えます。また、引用文を用いているので、引用箇所を示す必要があるので、脚注にて補足しました。--Resto1578 2008年12月11日 (木) 19:10 (UTC)[返信]
地方組織などの記述について

こんにちは。だいぶ加筆修正されたようですが、素人目でひとこと。

宗憲の記述を丸写しするのは、どうかとおもいます。著作権的に問題があるということではなく、実際に即して平易な文章で簡潔に説明することはできないのでしょうか。地方組織の項目などは、堅苦しい文書であるために第三者にはわかりづらい気がします。小節がこまかく分かれているのも、ゴチャゴチャしている印象です。
漢数字が正式という論はもっともですが、可読性という点で歴代一覧は見づらいです。頭をアラビア数字にし、歴代の法名だけをボールド(太字)にするなどの工夫はできないでしょうか。
御歴代、上人などの敬称表現は宗門内では正式な表現なのかもしれませんが、百科事典的中立の立場からは問題です。この件は解決しているようですが。

--MKT (Talk) 2008年12月12日 (金) 01:12 (UTC)[返信]

(コメント) MKTさん、ご意見ありがとうございます。

ムカイさん・MKTさんのご意見を踏まえ、記述の修正・加筆をしました。

「歴代」のセクションに関して
ムカイさんの指摘を踏まえ、セクション名の下に「大谷派における歴代の正式呼称」と注を加え、宗祖・第2代・第3代・…の形式で記述しました。
MKTさんの提案の「アラビア文字による箇条書き」は、「宗祖」・「第○○」と表記するのに都合が悪いので、上記の通り記述しました。「歴代の法名のボールド(太字)化」に関しては、Help:箇条書きの問題があるので、うまく修正できませんでした。
「組織」・「地方宗務機関」のセクションに関して
ムカイさん、MKTさんの指摘を踏まえ、文章を要約化しました。
また、参考文献に 『真宗大谷派宗憲 宗教法人法』を挙げているので、冒頭の「導入部」に「本ページは、『宗憲』に定められている事項を中心に要約・引用し、記述する。」と注を加え、脚注の引用部分は削除しました。

Help:箇条書きの形式に沿っていない記述を修正しました。(まだ誤りがあるかもしれません。)

ムカイさん、MKTさん、いかがでしょうか?--Resto1578 2008年12月12日 (金) 21:14 (UTC)[返信]

(コメント )了解いたしました。

  • ご質問がありましたので、修正された後で申し訳ありませんがお答え申し上げます。
    • ガイドラインに過ぎない
多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、公式な方針ではありません。」ガイドラインは、「方針の大まかな指針」つまり、ルール・マナーなどのことです。これらが「考慮すべき」ガイドラインであるから従わなくてもよいという解釈をされておられるのでしたら、改められてください。
    • 「柔道三段」が、熟語的表現で用いる事が可能なら、「本願寺八世」が熟語的表現ではないという理由
柔道三段は熟語的表現ではなく慣用表現で挙げられています。段級位制については従一位などの官位と同様で漢数字でかかれる場合は漢数字が用いられます。項目となりうる語句、熟語、慣習的にその組織内ではなく一般において用いられているものであれば「本願寺八世」はよいと思います。
    • 私には、Wikipedia:ウィキペディアを引用することを踏まえても、漢数字による正式な表記を百科事典として用いるべきと考えます。
引用することよりも、読者が参照すること(読みやすいか、など)に重点が置かれるものと思われます。また、表記ガイドは議論を経ています。ウィキペディアの方針やガイドラインに疑問があるのでしたら、その方針やガイドラインのノートなどで提案されてみてください。--以上の署名のないコメントは、ムカイ会話投稿記録)さんが 2008年12月13日 (土) 15:19 (UTC) に投稿したものです(ムカイによる付記)。[返信]

報告

「方針やガイドラインのノートなどで提案されてみてください。」の提案より
Wikipedia‐ノート:表記ガイド#表記ガイド 漢数字について 「正式表記の場合」における議論を経て、考慮すべきガイドラインであるWikipedia:表記ガイド#漢数字に、「正式表記に漢数字を用いている場合。(正式表記と確認できる場合のみ)」を追加しました。追加後、2ヶ月ほど様子を見ましたが、異論がないようなので、上記の意見を踏まえ本文に反映します。 --Resto1578 2009年4月12日 (日) 18:04 (UTC)[返信]

「本山」のセクションに関する議論

[編集]
  • 誤りというより、短い文章の羅列や表現がまだ硬い文章も見られますので、修正していきたいと思います。
例えば、以下のように編集してはいかがでしょうか。
修正前
==本山==
真宗大谷派は、「真宗本廟」をすべての寺院及び教会の本山と定めている。大谷派に属するすべての個人及び団体は、これを
崇敬護持しなければならないとする。
また「真宗本廟」は、宗祖である親鸞の真影を安置する「御影堂」および「阿弥陀堂」を中心とする聖域であって、本願寺と
も称し、大谷派の崇敬の中心、教法宣布の根本道場であるとする。
===大谷祖廟=== 
また大谷祖廟は、宗祖聖人墳墓の地であって、大谷派に属する者は、これを敬仰護持しなければならないとする。
修正案
==本山==
真宗大谷派の本山である「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)」は本願寺とも称し、通称で東本願寺とも呼ばれる。
大谷派のすべての寺院および教会の本拠地で[32]、宗祖である親鸞の真影を安置する御影堂および阿弥陀堂を中心とする
寺院である。(寺院としての詳細は東本願寺を参照のこと。)
 大谷派の宗憲では大谷派に属するすべての個人および団体は、親鸞の墳墓の地である「大谷祖廟(おおたにそびょう)」とともに、これを
「崇敬護持」しなければならないと定めている[32][33]。(親鸞の墓地の詳細は大谷祖廟を参照のこと。

大きく修正を加える場合はこういった提案を行ってまいりますが、もし、この件ように修正したものに誤りがあるようでしたら差し戻しよりもノートへご意見をお願いいたします。今後ともよろしくお願いいたします。--ムカイ 2008年12月13日 (土) 06:19 (UTC)[返信]

(コメント)

ムカイさんの「修正案」について
「大谷派のすべての寺院および教会の本拠地」という、「本拠地」の表現には反対します。
「本拠地」…本拠(活動の主なよりどころ。また、その場所。根拠。)とする場所。(「大辞林」第二版 三省堂)
ムカイさんは、大谷派のすべての寺院および教会の活動の「主なよりどころ」を「本拠地」と要約して用いる案を出されたと考えますが、『宗憲』の条文の意味を、歪める恐れがあると考えます。
門徒の活動の日常生活の中における主な拠り所は、「自宅のお内佛」・「所属寺院」・「別院」・「(所属寺以外の)師事する住職の寺院」などであり、「根本道場」の語彙を外すと、真宗の教義形態に誤解を生ずると考えます。
宗祖である親鸞は、「寺院」を開基せずに「草庵」(聞法の道場)において教化したことからも、「道場」という言葉は、真宗門徒にとって、意味のある言葉です。よって『宗憲』においても、「根本道場」という言葉で、表現するものと考えられます。
崇敬と敬仰
同様に「崇敬護持」・「敬仰護持」の使い分けをしている点も、霊魂の存在を否定する教義を持つ浄土真宗では、意味を持って使い分けているので、原文の通りに記述すべきと考えます。

修正案2


本山

真宗本廟
真宗大谷派は「真宗本廟」を、大谷派に属するすべての寺院及び教会の本山と定める。
「真宗本廟」は、宗祖である親鸞の真影を安置する「御影堂」・阿弥陀如来立像を本尊として安置する「阿弥陀堂」の両堂を中心とする聖域であり、「本願寺」とも称する。大谷派の崇敬の中心、教法宣布の根本道場であると位置づける。大谷派に属するすべての個人及び団体は、崇敬護持しなければならないと『宗憲』に定める。
大谷祖廟
大谷派が定める親鸞の墳墓の地[1]である「大谷祖廟」は、大谷派に属する者は、敬仰護持しなければならないと定める。

脚注


1. 真宗大谷派が定める親鸞の墳墓の地…浄土真宗各派により親鸞の墳墓の地は、それぞれ異なる。(本願寺派が定める墳墓の地は、「大谷本廟」であり、高田派は、「本山専修寺」 「御廟」・「本寺専修寺」 「本寺御廟」、佛光寺派は、「(佛光寺)本廟」などである。



ガイドラインに関しての反論
Category:ガイドライン」に、「従うことが推奨されますが、公式な方針ではありません。」とあります。このことからも下記の御指摘には疑問を持ちます。
「これらが『考慮すべき』ガイドラインであるから従わなくてもよいという解釈をされておられるのでしたら、改められてください。」(少し居丈高に感じました。)
「ガイドラインは、あくまでも考慮すべきガイドラインであり、正当な理由があれば漢数字を用いる事は可能であると考えます。」と述べたように、、「従わなくてもよいという解釈」などはしておらず、正当な理由を記述した上で、ガイドラインに沿わない記述形式を取ることは可能であると考えました。
今後、このような議論になるときは、ムカイさんの御指摘を考え、そのガイドラインのノートページに意見を述べ、議論を行いたいと考えます。--Resto1578 2008年12月17日 (水) 20:29 (UTC)[返信]

(コメント)修正案へのご意見と第2修正案をご提示いただきありがとうございます。

  • 大谷派のすべての寺院および教会の活動の「主なよりどころ」を「本拠地」と要約して用いる案を出されたと考えますが、『宗憲』の条文の意味を、歪める恐れがあると考えます。」・「門徒の活動の日常生活の中における主な拠り所」のご指摘について
「根本道場」の「根本」は「おおもと」という解釈でいいのだと思われますが、「道場」については、道場 (曖昧さ回避)に「また、禅修行の場や、浄土真宗、時宗の寺院の名称としても用いられてる。」ともありますので、この解釈が正しいのでしたら「根本道場」は「おおもととなる寺院」と言い換えることもできると思います。
「道場」という言葉は、真宗門徒にとって、意味のある言葉です。」について
門徒にとっては大切な言葉であるかもしれませんが、一般でいう武道などの道場と解釈されることも考えられますので、真宗大谷派における「道場」について具体的な解説があるといいかもしれません。具体的な解説があれば、態々言葉を置き換える必要がなくなります。
  • 敬仰護持」と「崇敬護持」について。すみません、私の単純な読み間違いによるものです。また強調だけではなく解説などを付記してはいかがでしょう。もしくは、噛み砕いた言葉に言い換えてはいかがでしょうか。たとえば、「崇敬」は「崇め敬う・心から尊敬する」「護持」は「大切に守り保存する」というようにです。「敬仰(読みは「けいぎょう」でいいのでしょうか)」については私の手元にある国語辞典では見つけられませんでしたので、真宗大谷派や仏教独特の言葉であることも考えられます。
これらのことから以下のように第3案を提示させていただきます。
修正案3
===真宗本廟===
真宗大谷派の本山である「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)」は本願寺とも称し、通称で東本願寺とも呼ばれる。
宗祖である親鸞の真影を安置する御影堂および阿弥陀堂を中心とする大谷派のすべての寺院および教会のおおもととなる
道場である。(寺院としての詳細は東本願寺を参照のこと。)
『宗憲』では大谷派に属するすべての個人および団体は真宗本廟を心から尊敬し大切に守り保存することと定めている[32]。
;道場
:真宗大谷派における「道場(どうじょう)」とは、親鸞が「寺院」を開基せずに「草庵」において教化したことから・・・。
===大谷祖廟===
「大谷祖廟(おおたにそびょう)」は大谷派が定める親鸞の墳墓の地である。
(親鸞の墓地の詳細は大谷祖廟を参照のこと。)
『宗憲』では大谷派に属する者は、'敬仰 護持しなければならないと定めている[33]。
 ちなみに、浄土真宗各派により親鸞の墳墓の地は、それぞれ異なる。
本願寺派は「大谷本廟」、高田派は「本山専修寺」「御廟」・「本寺専修寺」「本寺御廟」、佛光寺派は、「(佛光寺)
本廟」などである。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
==脚注==
32.(脚注として宗憲の本文、引用または抜粋を入れます。)
33.(脚注として宗憲の本文、引用または抜粋を入れます。)
(ウィキソースへ宗憲を執筆されれば、表現や語句を言い換えた記事であってもこのような宗憲の本文を入れた脚注は必要で
はなくなる可能性があります。)
  • ガイドラインに関しての反論について
たしかに、訳あってガイドラインに外れることはありだと思います(Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい)。しかし、「なぜここまでガイドラインに過ぎない「アラビア数字による表記」にこだわるか」といった発言ほかについてガイドラインを軽んじておられるように解釈できる表現がありましたので、最低そういった解釈で発言されておられるのなら改めていただきたい意味で発言させていただいたしだいです。
ともあれ、私の言葉遣いに配慮が足らなかったことによって居丈高に感じさせてしまったことをお詫び申しあげます。--ムカイ 2008年12月19日 (金) 13:25 (UTC)[返信]

(コメント)

修正案3に関して
「道場」については、真宗門徒として普通に用いている言葉であるため、熟慮しませんでした。脚注、もしくは注釈を入れた方が誤解の無い記述と思います。ただ、真宗で主に用いられる言葉ではありますが、『広辞苑』を参照しても、真宗に限定された言葉では無いようです。
「崇敬護持」と「敬仰護持」についての強調は、本文にそのまま修正記述する意味での、強調表示では無かったのですが、誤解を招く例の記述でした。すみません。
「崇敬」 - あがめうやまうこと。(『大辞林』第二版、三省堂・『広辞苑』第五版、岩波書店)
「敬仰」(けいぎょう) - 謹んであおぐこと。うやまい尊ぶこと。けいこう。(『大辞林』)・うやまいたっとぶこと。(『広辞苑』)
とあります。両辞典に掲載されているので、真宗大谷派や仏教独特の言葉ではないようです。逆に『岩波仏教辞典』第二版、岩波書店・『新版 仏教学辞典』法藏館には、掲載されていませんでした。
「崇敬」と「敬仰」の文言については、原文を尊重する方が好ましいと考えます。意味の違いは微妙ですが、あえて『宗憲』は異なる言葉を用いて表現している(前回のコメント参照してください。)ので、脚注で補足する方法が良いと思います。
「護持」について、「大切にまもり保つこと。尊んでまもること。」(『大辞林』)・「守り保つこと。守護。」(『広辞苑』)とありますが、「保つ」の意味に、次代に相続する(守り伝える)の意を含むので、やはり脚注で補足した方が良いと考えます。
Wikipedia:独自研究は載せないの方針を踏まえ、信頼できる情報源(=『宗憲』)に基づき、その文言を必要以上には要約せずに、脚注で対処するのが最善と考えます。その方が、このページの記述対象である「真宗大谷派」が、自ら定義している事柄について、正確に記述できると考えます。
修正案(1)についての同意点
(寺院としての詳細は東本願寺を参照のこと。)と(親鸞の墓地の詳細は大谷祖廟を参照のこと。)を加筆する点については、同意します。
脚注から本文へ
「ちなみに、浄土真宗各派により親鸞の墳墓の地は、それぞれ異なる。本願寺派は(中略)などである。」は、脚注ではなく本文に記述した方が解りやすいですね。この点についても、同意します。

修正案2に、誤解を招きかねない語彙に対しては、脚注を付し、(ムカイさんの案で加筆された)上記2点について追記する。「…聖域であり、」⇒「…聖域とし、」・「…と『宗憲』に定める。」⇒「…と定める。」と変更する。

表現がまだ硬い文章かと思われるかもしれませんが、記述の内容の正確性を重視したいと思います。いかがでしょうか?ご意見お願いします。--Resto1578 2008年12月28日 (日) 20:20 (UTC)[返信]

こんにちは。誤解を招きかねない語彙に対して、脚注を付記することには賛成します。しかし、ほとんど原文を引用された状態のままというのは同意できません。

「その方が、このページの記述対象である「真宗大谷派」が、自ら定義している事柄について、正確に記述できる。」とのことですが、そもそもこの提案は、本文がほとんど引用文であり表現について理解しがたい可能性があることから述べさせていただいているものです。ほぼ引用文のままでは、語句は正確かもしれませんが、あらゆる読者にとっては読みやすい文章ではない可能性があります。(原文をそのまま執筆される場合はウィキソースへ執筆されることをお勧めさせていただいたことは前述しています。)

誤解されやすいであろう語句はそのままにし脚注で補足を付け、議論の余地のない解釈のある語句は言い換えたり言葉が前後しても差し障りはありませんので、できる限り分かりやすい表現や、できれば宗憲以外の文献を元にした記述も加筆されるとよいと思います。真宗大谷派とは関わりはありません。正確に記述しようとしても完璧である必要はないと思います。--ムカイ 2008年12月30日 (火) 08:52 (UTC)[返信]

(コメント) 第三者による客観的な視点からの意見を求めるため、合意形成のためのコメント依頼に依頼しました。

前回のコメントで「(寺院としての詳細は東本願寺を参照のこと。)」と「(親鸞の墓地の詳細は大谷祖廟を参照のこと。)」を加筆する点については同意しましたが、内部リンクで対処できると思います。

私の加筆した部分についても、パイプ付きの内部リンクで対処できるので、削除しました。また「本願寺と称し」の文言は、誤解を招く可能性があると考え削除しました。

前回、修正案を提示しなかったので、改めて提示します。

修正案4
「セクション名」を拡大表示・「脚注」をa・b…で表記しました。

本山
大谷派は、「真宗本廟」を同派に属するすべての寺院及び教会の本山と定め、「御影堂」と、「阿弥陀堂」の両堂を中心とした聖域とする。同派の崇敬[c]の中心、教法宣布[a]の根本道場[b]であると位置づける。
同派に属するすべての個人及び団体は、崇敬護持[d]しなければならないと定める。
大谷祖廟
大谷派は、「大谷祖廟」を宗祖 親鸞の墳墓の地と定める。
同派に属する者は、敬仰[g]護持しなければならないと定める。
注意
親鸞の墳墓の地は、本願寺派は「大谷本廟」、高田派は「本山専修寺」の「御廟」と「本寺専修寺」の「本寺御廟」、佛光寺派は、「(佛光寺)本廟」などと、浄土真宗各派によりそれぞれ異なる。
(参考)『宗憲』原文
真宗本廟
真宗本廟は、宗祖聖人の真影を安置する御影堂及び阿弥陀堂を中心とする聖域であって、本願寺とも称し、大谷派の崇敬の中心、教法宣布の根本道場である。
真宗本廟は、すべての寺院及び教会の本山とし、大谷派に属するすべての個人及び団体は、これを崇敬護持しなければならない。
大谷祖廟
大谷祖廟は、宗祖聖人墳墓の地であって、大谷派に属する者は、これを敬仰護持しなければならない。

脚注
a. 教法宣布…仏の教えをあまねく行き渡らせること。
b. 道場…仏法(仏の教え、仏)の修法の所の意。特に浄土真宗では、親鸞が「寺院」を開基せずに「草庵」において教化したことにちなみ、「道場」の語を用いる。
c. 崇敬…あがめうやまうこと。
d. 護持…大切にまもり保つこと。尊んでまもること。また、「まもり保つ」は、次代に相続する(守り伝える)の意が含まれる。
g. 敬仰(けいぎょう)…謹んであおぐこと。うやまい尊ぶこと。

参考文献
  • 真宗大谷派宗務所 編 『真宗の教えと宗門の歩み』 真宗大谷派宗務所出版部、2007年、第3版。ISBN 978-1-8341-0273-4
  • 真宗大谷派宗務所 編 『真宗大谷派宗憲 宗教法人法』 真宗大谷派宗務所出版部、2006年。ISBN 4-8341-0355-2
  • 菊池祐恭 監修 『お内仏のお給仕と心得』 真宗大谷派宗務所出版部、1981年改訂。ISBN 4-8341-0067-7
  • 松村 明 編 『大辞林』 三省堂、1995年、第2版。ISBN 4-385-13902-4
  • 新村 出 編 『広辞苑』 岩波書店、1998年、第5版。ISBN 4-00-080111-2

「原文をそのまま執筆される場合はウィキソースへ執筆されることをお勧めさせていただいたことは前述しています。」とのご意見について。
私も以前に述べたとおり、『真宗大谷派宗憲』は、前文・13の章、101の条からなる文であり、真宗大谷派の説明に用いる以外の部分に関して執筆する意思は、今のところありません。
私としては、「修正案4」であれば、ムカイさんのおっしゃる「ほぼ引用文」の記述からは大分修正を加えたつもりです。「あらゆる読者にとっては読みやすい文章ではない可能性」がある部分を具体的に示して頂けると、議論する上で助かります。--Resto1578 2008年12月30日 (火) 20:37 (UTC)[返信]

(補足) 「(参考)『宗憲』原文」は、比較対象のために記載しました。--Resto1578 2008年12月30日 (火) 20:49 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia:コメント依頼から来ました。ウィキペディアは百科事典であって特定の宗派のサイトではありませんし(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか)、読者層も多様ですので、専門用語は同等の言葉があればそちらを使ったほうがいいでしょう(参考:Wikipedia:素晴らしい記事を書くには#専門用語には解説を)。また私見ですが、お釈迦さまだって「対機説法」を用いたといいますので、万人が見るような場所ではわかりやすい表現をこころがけるのがよいかと思います。--Kurz 2009年1月1日 (木) 06:26 (UTC)[返信]

(コメント)こんにちは。Kurzさんコメントありがとうございます。

  • …参照のこと。)について、もちろん内部リンクでも充分参照は可能ですが、読者へ詳細のある項目へ導くという働きのほかに、執筆者が誤って加筆しないようにする意図もあります。
  • 「ほぼ引用文」の記述からは大分修正を加えたつもりです。とのことですが、現案の、文面はだいぶ換えられていますが、内容は宗憲のもののままです。

前コメントで(私のコメント)できる限り分かりやすい表現や、できれば宗憲以外の文献を元にした記述も加筆されるとよいとと述べました。現在の提案文と原文ではどういった存在であるかということは説明されています。しかし、それ以外に施設の特徴など(何々の法要や行事などがここでのみ行われるとか、誰が建立したかなどの具体的な事実があればいいと思います)があまり見られませんので、できればそういったことを概要程度に執筆されてはいかがでしょうか、ということを述べさせていただきました。私個人としては、序文(項目冒頭)に「本山は真宗本廟(東本願寺 京都市下京区)である。」とするだけでも充分ではないかと思います(東本願寺に本項の本山と同様のくだりがあります。)。--ムカイ 2009年1月1日 (木) 11:12 (UTC)[返信]

(コメント) Kurzさん・ムカイさんコメントありがとうございます。

施設・法要・開基等は、寺院としての「東本願寺」の項目に記述すべき事項と考えます。この項目「真宗大谷派」における「本山」のセクションは、宗教法人としての「真宗大谷派」がどのように本山を定義しているかを記載すべきと考えます。

Kurzさんが、専門用語とご指摘されている語彙は、『広辞苑』等に載っている事項です。難解な言葉ですが、仏教専門用語ではありません。難解な言葉は、脚注で説明することによって対処した案を提出したつもりです。

繰返すようですが、「明確な定義がある事項」ですので、文章の順序の入替・誤解を招きかねない事項の削除・難解な語にたいしての脚注による補足以上は、「独自の研究」ではないでしょうか?--Resto1578 2009年1月1日 (木) 15:19 (UTC)[返信]

(コメント)こんにちは。

  • 文章の順序の入替・誤解を招きかねない事項の削除・難解な語にたいしての脚注による補足以上は、「独自の研究」では
解釈については広辞苑など出典が明記されており個人的な解釈でなければ問題はありません。また原文である宗憲も出典として明記されており検証可能ですので独自の解釈によるものにはならないと思います。私論「Wikipedia:引用のガイドライン(草案)」には「執筆にあたっては、複数の信頼できる検証可能な資料を参照し、その内容に基づいて記述を進めるべきです。しかし、ウィキペディアでは、その資料を引き写すのではなく、あなたが十分その内容を理解し、咀嚼し、百科事典にふさわしいあなた自身の表現で執筆することが求められます。」と語られています。-ムカイ 2009年1月2日 (金) 02:48 (UTC)[返信]
コメント 私は特に特定の語彙を指定はしていませんよ、たぶんそれは他の方の意見と混同しているかと。専門用語について脚注で説明するのであれば、その方法に特に異論はありません。--Kurz 2009年1月2日 (金) 06:13 (UTC)[返信]

(コメント) 長文化してきたので、この「本山」のセクションに関する議論をセクション化しました。

ムカイさん、こんにちは。「修正案4」に対しどの点に関して修正、もしくは反対されているか、論点を明確にするため、「箇条書き」などにして提示していただけるとありがたいです。よろしくお願いします。--Resto1578 2009年1月5日 (月) 01:36 (UTC)[返信]

こんにちは。

修正案4について

宗憲を元に執筆されていること、全くの引用文ではないが基づいた文であること、それらについては問題はないとおもいます。論点は、大まかには宗憲のみの条文のような硬い文章では読みにくいのではないか、というものだけです。

  1. 現在の案は、宗憲の引用文を改変した程度であり、内容自体の変化はありません。
    参考文献が宗憲のみでほかに述べるべきことがないのでしたら、ここでは省略して本山である東本願寺の記事に執筆され、ここでは大見出しではなく序文に記す程度にして誘導してはどうかということを提案させていただいていたつもりです。また、大谷祖廟についても同様です。
  2. 脚注化した専門用語と語句の解説については特に問題はないと思います。
    しかし、読者としては、その場で集中を切らさず読めるほうがいいかもしれませんので、できれば難解な語句については言い換えるべきと思われます。これは、専門用語以外の脚注化する語句について述べさせていただきました。
    私としては言い換えた文と別に脚注として宗憲の原文を記す、またはウィキソースへ執筆し参照の誘導をする方法の旨を前述しました。
    言い換えを行うとき、辞書を用いられ、また複数の意味があると思われますが、どれも意味に差はありませんので、訳に使う語句は相応の言葉を選んでいただいていいと思われます。

ほか詳細は、過去の議論内容をご覧ください。--ムカイ 2009年1月5日 (月) 15:10 (UTC)[返信]

(コメント) こんにちは、ムカイさん。

1.に関して
「参考文献が宗憲のみでほかに述べるべきことがないのでしたら、ここでは省略する」のご意見に対して、複数のソースから記事を作成するのが望ましいとは思いますが、単一のソースのみで記事を執筆できない訳ではないと思います。
「東本願寺の記事に執筆され、(中略)序文に記す程度にして誘導して」のご意見に対して、前述しましたとおり導入部では、真宗大谷派の本山を記述し、本山のセクションでは、「真宗大谷派」は、どのように本山である「真宗本廟」(「東本願寺」)を定義しているかを記述すべきと考えます。
2.に関して
やさしい語彙に言い換えをするとのことですが、必要以上に言いかえを行うと原文の内容から逸脱する恐れがあります。
「複数の意味があると思われますが、どれも意味に差はありません」とコメントされましたが、このことはムカイさんの観点であり、同意しかねます。また、私自身が言い換えたとしても、同じく私の観点であると考えます。よって、文章が硬いという理由で言い換えることに対して、反対します。百科事典としては、文章の平易性よりも、内容の正確性が重要であると考えます。
現状での同意点を反映
「脚注化した専門用語と語句の解説については特に問題はないと思います。」とのご意見をいただけたので、とりあえず現在の文章に脚注を付しました。--Resto1578 2009年1月12日 (月) 00:44 (UTC)[返信]

(コメント)こんにちは。「現状での同意点を反映」について、編集作業ありがとうございます。しかし、私としては全く合意したというわけではなく「問題ない」ということですので、反映ではなく、できれば、今までの議論を要約していただき、議論終了後に反映していただければと思います。

宗憲を元に執筆されていること、全くの引用文ではないが基づいた文であること、それらについては問題はないと、前述したように、私に、反対意見はありませんのでその通りしていただいてよいと思いますが、一つだけ問題点として、大まかには宗憲のみの条文のような硬い文章では読みにくいのではないか、ということがあります。

宗憲のみの条文のような硬い文章 単に硬い文章ではなく、法律文のような文章ですので、ほかの文献などを参考に執筆されてはいかがでしょうか、と提案させていただいていたつもりでした。ほか特に書くことがなければ大見出しで纏めるよりも省略して、序文や本山である東本願寺へ執筆されたほうがよいかもしれないということも提案させていただきました。ただし、一つのソースのみで記事を執筆していることについて否定しているわけではありません。

参考文献が宗憲のみでほかに述べるべきことがないについて、Resto1578さんとしてほかに加筆することがないのでしたら私としてはいうことはありません。

私自身が言い換えたとしても、同じく私の観点であるととのことですが、「広辞苑」などの辞書を出典としており検証できる言葉については言い換えても問題はないと思います。正確であることも大事ですが、できる限り読者の可読性も考慮すべきと思われます。その方法として、脚注化した用語の解説か文章に組み込むことを提案させていただいています(私は、できる限り言い換え、文章として組み込むことを推奨します)。

また必要以上に言いかえを行うと原文の内容から逸脱するについてですが、同様にこの記事で宗憲を元にした文章については同様の作業を行わなければならないかもしれません。脚注化した文が長大になることも考えられます。それらも考慮して私は言い換えることを推奨します。また、その重要視されたい正確性が些細なのであれば、可読性を重視した方が、より理解が高まる可能性があります。

省略できる部分は省略する、言い換えられるところは言い換えるという具合に、できる限りであり、全てを言い換えるべきということではありません。丸で意味が変わってしまわぬように逸脱しない言葉に言い換えればよいと思います。例えば「護持」の意味は「守り保つこと」でいいと思います。「次代に受け継ぐ」といった解釈よりも「守り保つこと」といえば、そう解釈できる可能性も含むことができるからです。逸脱してしまうほど、一つの言葉に違う意味があるのであれば、そのままにして、理解できない可能性がある語句でしたら、意味を付記すればいいと思います。--ムカイ 2009年1月12日 (月) 08:46 (UTC)[返信]

外部リンクについて

[編集]

こんにちは。 Resto1578さんによる外部リンクの投稿(2008年12月26日 (金) 17:45)について質問させていただきます。

外部リンクとして、各支部や別院の外部ページなどを多数追加されておられますが、教務所や別院のページは「真宗大谷派公式ホームページ」の全国教務所一覧からもリンクされているようですので、必要はないのではないでしょうか。また「真宗会館」「親鸞仏教センター」「しんらんしょうにんホームページ」真宗大谷派学校連合会の直リンクについても、公式ページのトップからもリンクがありますので、特別執筆の参考(出典として明記されているもの)にされていなければ省略できる可能性があります。--ムカイ 2008年12月26日 (金) 15:53 (UTC)[返信]

あくまでWikipedia内の「真宗大谷派」のページですので、ポータルサイトのように外部リンクを並べる必要はないのではないでしょうか。宗門公式サイトだけでもその用をなしているように思います。反論なければ、削らせて下さい。--MKT (Talk) 2008年12月26日 (金) 17:30 (UTC)[返信]

(コメント) ムカイさん、MKTさん、こんばんは。

外部リンクの追記について。
私の編集する前の版までは、HPを持つ教区のサイトの中で「金沢教区」・「名古屋教区」・「大阪教区」などの一部の外部リンクしか掲載されていないため、中立性の観点から追記しました。
ムカイさん、MKTさんのご意見に、基本的に同意します。
そこで、提案です。外部リンクのセクションをスリム化する修正案です。非推奨の記述形式ですが、Help:ページの編集#外部リンク「2. ブラケットで囲んだだけ」を用いて、「教区・別院一覧」のセクションに「教区」・「別院」などの外部リンクを追記するのは、いかがでしょうか?非推奨の記述形式では、問題があるでしょうか?

私としては、Wikipedia:外部リンクの選び方の「基本的な考え方」(1.および2.)・掲載してよい外部リンク(1.)に当てはまると思いますが…。
問題点としては、教区・別院一覧に内部リンクを持つ「名古屋別院」などの扱いはどのようにすべきかです。
ムカイさん・MKTさんのご指摘通り、「別院」・「教区」などの外部リンクは、一切削除する。もしくは、「教区」は、教務所が宗務運営の中心なので、教務所の後ろに上記の形式で外部リンクを置く。閲覧する人にとってどちらが有益なのでしょうか?
私には、判断しかねるのでご意見を頂けたらと思います。--Resto1578 2008年12月28日 (日) 20:20 (UTC)[返信]

(除去票)こんにちは。「HPを持つ教区のサイトの中で「金沢教区」・「名古屋教区」・「大阪教区」などの一部の外部リンクしか掲載されていないため、中立性の観点から追記」とのことですが、「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」に「(単なる外部リンク集ではありません。)もちろん、執筆するときに参考にしたサイトなどのリンクを付け加えることは全く問題ありません。」、「Wikipedia:外部リンクの選び方」に「方針Wikipedia:出典を明記するなどの観点から、記事の質、また読者の理解を高めることに資する出典や資料とする目的であれば、記事の外部リンク先に含める事が出来ます。」とあります。中立的な観点から付記されたとのことであり執筆されるときに参考にしたサイトということではなさそうですので、一切除去されたほうがよいと私は思います。--ムカイ 2008年12月29日 (月) 14:27 (UTC)[返信]

(要約)一部を残し、除去。

全ての別院と教区のサイトおよび「真宗会館」、「親鸞仏教センター」、「しんらんしょうにんホームページ」、真宗大谷派学校連合会の直リンク、に関しては、「真宗大谷派公式ホームページ」にリンクがあること、また、特に執筆するときに参考にしたページではない可能性があるという判断により除去し、出典と判断できる内容が見られる「真宗大谷派公式ホームページ」、「聖教電子化研究会」、「社団法人大谷保育協会」は存続します。

これにて(曖昧な表現でした)一週間程度、ほかにご意見がありませんでしたら、以上の内容で修正させていただきます。ご意見をよろしくお願いいたします。--ムカイ 2009年1月1日 (木) 11:12 (UTC)[返信]

(報告)要約以降、特にご意見がありませんでしたので、以上の内容で編集を行いました。ご意見を頂きありがとうございました。--ムカイ 2009年1月9日 (金) 13:35 (UTC)[返信]

入滅という表記に関して

[編集]

死去という一般的表記のほうが百科事典的であると思いますが。入滅を改めて故人は死去で統一すべきでは--Battuta 2009年11月22日 (日) 22:27 (UTC)[返信]

反対
「真宗大谷派」の記事以外でも、「日蓮」の記事では「入滅」とし、「空海」の記事では「入定」としています。
「入滅」・「入定」ともに仏教用語であり、Battutaさんが問題視されることは分かります。
あくまでも私見ですが、「死して去る」の意である「死去」に対して、「滅度(涅槃)に入る」の意である「入滅」の方が、真宗関連の人物の記事として適切かと思います。浄土真宗において「死」は、「去る」・「眠る」・「没する」ものではないという概念があるので、「死去」という語を用いる事に抵抗感があります。
もしくは、仏教用語ですが「僧侶の死」を表す「寂す」という語もあります。『真宗辞典』(法藏館)では、「寂す」(「寂した」)を用いてます。ただし、「寂す」が一般的な用語とは思いません。
コメント
この記事だけの問題ではないので、この「ノート:真宗大谷派」で問題提起されるより「Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 人物伝」などで提案され、広く意見を求められた方がよい問題かと存じます。--Resto1578 2009年11月26日 (木) 13:33 (UTC)[返信]
賛成
依頼者票。wikipediaは仏教辞典ではないのですよね。仏教徒以外にも理解できる言葉を使うべきでしょう。--Battuta 2009年11月28日 (土) 13:23 (UTC)[返信]