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ノート:目黒蒲田電鉄新奥沢線

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「路線跡」節の記述の誤り

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「路線跡」節の記述、「線路跡は奥沢駅前の南方に延びている奥沢商店街と御嶽山駅を結ぶ道路になっている。」は事実に反すると思います。 ここで想定されている「道路」は文章から判断すると、奥沢銀座通りの延長で、調布学園グランド正門前を通って中原街道を横切り、操車場横を通って御嶽山駅に出る道路だと思いますが、これは次の古地図では明らかに新奥沢線の線路とは別になっています。 それは「雪が谷大塚駅」の歴史節で引用した「東京市大森区全図」(昭和7年)です。 それによると新奥沢線の線路はこの道路より大分西に、例えば諏訪分駅近くではこの道路より1本西の、調布高等女学校のすぐ裏の道路に沿って敷設してあります。 従って、線路跡が上述の道路になったことはないと思います。 そこでこの文章は削除が適当と思いましたが、一応はこれを書かれた方の根拠をお聞きしてからと考えました。 よろしくご回答下さい。--Midz 2008年7月16日 (水) 05:23 (UTC)[返信]

 線路と道路との位置関係については、もっと手軽には、「東玉川」の外部リンク「東玉川の歴史」の中の「諏訪分の耕地整理」文に載せられている昭和8年の地図で読みとることが出来ます。 ご参考までに。 --Midz 2008年7月16日 (水) 21:10 (UTC)[返信]
 上記の件について、10日お待ちして反論がありませんでしたし、線路跡について書くに値する新事実も思い当たりませんので、問題の文章を単純に削除しました。 よろしくご了承下さい。--Midz 2008年7月27日 (日) 05:57 (UTC)[返信]