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ノート:白金 (東京都港区)

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白金(しろかね)は、東京都港区にある地名。高級住宅地として知られ、文教地区でもある。高所得の住民が住み、その専業主婦はマスコミにより「シロガネーゼ」として知られるようになった。但し高級住宅が立ち並ぶのは台地上にある白金二丁目・白金四丁目・白金六丁目で、古川沿いの低地の白金一丁目・白金三丁目・白金五丁目は商工業地域である。なお、「しろがね」と言う発音は正しいものではないが、近隣住民においても、都営南北線白金台駅ができるまで、「しろがね」とう発音が浸透していた。また、白金台は元々邸宅街であり、過去には白金以上に高級な位置づけが有ったが、現在において厳密な区別は無くなりつつある。

(1)上記4ヶ所の下線部分の出典の明示を求めます。上記の部分を書き込んだ方は、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するなどをお読みになってください。しばらくお待ちしても出典の明示がない場合には下線部分を削除させていただきます。

(2)「しろがね」と言う発音は正しいものではないがとありますが、正しい正しくないの基準は何なのでしょうか。--222.225.190.76 2006年9月19日 (火) 17:53 (UTC)[1][返信]

(3)不動産業界やマスコミが作り上げたイメージにかたよっている印象を受けます。修正をお願いします。--222.225.190.76 2006年9月19日 (火) 18:05 (UTC)[2][返信]


白金白金台が同じにカテゴライズされていることで上記の混乱が生じていると考えられます。白銀台を別に設定します。2006年9月28日 (木) 07:04 (UTC) 以上の署名の無いコメントは、Herr Weißes会話履歴)氏が[2006年9月28日 (木) 07:04 (UTC)]に投稿したものです(ブラッセルによる付記)。[3][返信]

「上記の混乱が生じていると考えられます」そうですか、残念ですね。どうしてあなたがそのように断定調の書き方ができるのか私にはわからない。改善をお願いしているのに、まるで私に問題があるかのようにも聞こえ、一住民として不快です。--222.225.190.239 2006年9月28日 (木) 11:44 (UTC)[4][返信]

いきなり横から失礼しますが,「正しい」という表現は語弊があるかもしれませんね。ただ,古くは,柳下上野介が「白金の長者」(しろかねのちょうじゃ)と呼ばれたことから来ているので,もともとは「しろかね」という読みのようですね。詳しい出典は申し訳ありませんが調べてませんが。

高級住宅地かどうかという点については,いわば玉石混淆というのが実際だと思います。一部は,「プラチナ通り」(外苑西通りの一部)と呼ばれる通りがあるように高級の雰囲気を醸し出していますが,一方で,白金高輪駅周辺などにはまだ高級っぽくない建物が存在していますね。白金アエルシティは再開発でずいぶん立派なものが建ちましたが,このエリアに関してはもともとは必ずしも高級感はなかったし,いまでも周辺は古くさい雰囲気もありますね。 --61.194.211.13 (2006-10-12 16:16) 以上の署名の無いコメントは、61.194.211.14会話履歴)氏が[2006年10月12日 (木) 07:17 (UTC)]に投稿したものです(ブラッセルによる付記)。[5][返信]

権田保之助の研究では、大正時代まで古川沿いには貧民街が発達していました。今日でも、同じ白金でも、高台(白金二丁目・白金四丁目・白金六丁目)と古川沿いの低地(白金一丁目・白金三丁目・白金五丁目)では全く所得階層が異なっています。
それに対し全てが台地上に位置する白金台は江戸時代は大名屋敷が並び、明治以降全て高級住宅地で占められていて今日でも高所得者の住居となっています。従って上記の白金と白金台のカテゴリー分けは十分に根拠があると思います。2006年10月12日 (木) 13:34 (UTC) --以上の署名のないコメントは、220.210.2.105会話投稿記録)さんが 2006年10月12日 (木) 13:34 (UTC) に投稿したものです(ブラッセルによる付記)。[6][返信]

白金台は全てが台地ではないです

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白金台は全てが台地ではないですよ。所得格差の解説も全てがそうであるような書き方には疑問を感じます。そのような傾向はあるとは思いますが、現在の低地の白金のあたりでも地価は23区でも高い水準にあると思います。そういう含み資産価値など考えると古くからの住民が狭い古い家に住んでいたとしても貧民の系譜と解説することは意味がないですね。あの辺に多い創価学会信者を貶める意図があるのでしょうか。創価学会が税金を払わないことは大変な問題ですが、そのように貶めるのもどうかと思います。 以上の署名の無いコメントは、218.231.237.135会話履歴)氏が[2006年12月1日 (金) 17:36 (UTC)]に投稿したものです(ブラッセルによる付記)。[7][返信]

偏った資料による決めつけによる記述

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権田保之助の研究では、大正時代まで古川沿いには貧民街が発達していた。その影響で今日でも、同じ白金でも、高台(白金二丁目・白金四丁目・白金六丁目)と古川沿いの低地(白金一丁目・白金三丁目・白金五丁目)では住民の所得階層に大きな隔たりがある。

権田保之助氏が貧民街があると報告しているのは事実なのだろうとは思うが、それを低地全域であるとするのはどのような根拠なのだろうか?現在の四の橋商店街には映画館も存在したほどで、繁華街としては麻布十番と並ぶ、近辺の商業域だったという資料が残っている。確かに古川両岸は現在のような護岸ではなかったようで、古い写真では河原が広く存在する。またいわゆる恵比寿通りから古川までは、きわめてびみょうではあるが、なだらかな斜面になっている。この道の丘側に寺社が立ち並んでいて、その創設は江戸時代の明暦の大火の後とのことなので、この道が河川域との境界的な意味合いがあったのではないかと地形的に想像できる。現在の東大医科学研究所の場所から北里研究所が移転したときも用地は空き地であったのだろうし、どちらかというと低所得層(他があれば好き好んで住み着く場所ではなかったのだろうと想像できるので)が住みついたのが始まりとは思うが、記述のように 貧民街が発達 とは思えない。また、現在の準工業指定でも分かるように、この一帯は著名企業も創業した由緒ある工業地帯に発展していた。労働者が中心であったのも間違いないが、仕事があり、勤労者が住み、そのためのサービスである商業があり、活気のある庶民の街で、資産階級でなくとも(つまり貧乏そうな人でも)しっかり暮らせていたというのが事実なのではないだろうか。権田氏は恐らく、そのような工場勤務者の生活をルポしているのであろうし、当時の産業を想像すれば、それをもってして貧民街とするのは間違いといっていいだろう。 また記述のありかたとして、 同じ白金でも というのも、決めつけが前提になっている。生活圏が違う事が行政区画の意味ではない。現在の行政区画は極めて事務的に区切ったものなので、同じ呼称が違う生活圏に付けられていることはなんら意味がない。この記述では実際に何をいわんとしているかというと

マスコミが勝手に面白おかしく名づけたシロガネーゼというものが、白金台の住民のことであるかのごとく、流布してしまったのだが、一般には、この地域を知らない人は更に、生活圏の違う白金の特に低地の人も、高級なもの=シロガネーゼと捉えているようだ。しかし本当は全然違うようにみえるよ~

といいたいだけで、そのような揶揄をここで発信することになんの意味があるのだろうか。なにか情報として成り立つのだろうか。また白金低地には高額所得者が存在しないのだろうか(その逆もまたあり)。極めて不正確な記述である。

という訳で、このような意向も最大限尊重して白金という地名のついた地域の特徴を書いたのだが、何故しつこく偏見と揶揄を書き加えるのか他の方のご意見もお聞きしながらよく伺ってみたいものだと思う。 以上の署名の無いコメントは、218.231.237.135会話履歴)氏が[2006年12月1日 (金) 18:53 (UTC)]に投稿したものです(ブラッセルによる付記)。[8][返信]

ご指摘のように古川沿岸が全て貧民街であったわけではないと思います。例えば、江戸時代二の橋、一の橋周辺は三田側に護岸ぎりぎりまで大名屋敷が立ち並んでいました。麻布側は映画館を含む娯楽施設の発達が戦後(昭和30年代)の時期まで見られます。但し、金杉橋古川橋周辺が明治、大正期に低所得層からなる地域で劣悪な居住環境であったことは諸々の歴史研究から否定できないと言って良いと思います。2006年12月1日 (金) 22:21 (UTC) 以上の署名の無いコメントは、220.210.120.146会話履歴)氏が[2006年12月1日 (金) 22:21 (UTC)]に投稿したものです(ブラッセルによる付記)。[9][返信]

それをもってして、貧民街と称するのが正しいのかお聞きしている訳です。 また、そのような由緒を表現するのであれば庶民の街として何故いけないのかお聞きしたいですね。 その時期の全体の生活水準を考慮してますか?戦前の日本は貴族が存在した階級社会なのですよ。 以上の署名の無いコメントは、218.231.237.135会話履歴)氏が[2006年12月5日 (火) 12:03 (UTC)]に投稿したものです(ブラッセルによる付記)。[10][返信]

賛成です。貧民街と形容するのは語弊があると思います。
古川沿岸に低所得者の住居群が存在し、その影響が今に残るとする表現でとどめておくのが穏当だと思います。 以上の署名の無いコメントは、220.159.11.9会話履歴)氏が[2006年12月5日 (火) 22:17 (UTC)]に投稿したものです(ブラッセルによる付記)。[11][返信]

「その折に、光文社が、その周辺に出入りするライフスタイルをシロガネーゼとして、決めつけた影響で行政上はしろかねとなる呼称がしろがねと伝わった。」

(1)出典は有りませんが、少なくとも30年以上前から、近隣住民の人々も「しろがね」と呼んでいました。「シロガネーゼ」自体も、「しろがね」という読みが広く浸透していたことから来てると思います。ですので、これ自体が原因では無いです。おそらく関東近隣では、白金は「しろがね」と呼ぶのが自然な読み方なんだと思います。--222.225.190.76 2006年9月19日 (火) 18:05 (UTC) 以上の署名を偽装したコメントは、 163.143.135.126会話履歴)氏が[2007年1月18日 (木) 09:16 (UTC)]に投稿したものです(ブラッセルによる付記)。 [12][13]][返信]

上記の問題について

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白金台近所の住民です。昨年来問題になっていた「しろかね」か「しろがね」かの呼称問題は、記事本文に「一般にはどちらの読み方もされてきたが」と書かれているように、公式には飽くまでも「しろかね」で、日常的には「しろがね」と呼ぶ人も多い、ということで結論が出ていると思います。

白金が高級住宅街か否かについても、特に2007年1月以前の版で色々ともめていたみたいですが、あまりマスコミや不動産業界が作り上げたイメージに偏りすぎず、今の記事みたいにさらっと触れているのなら大丈夫ではないでしょうか?そもそも今の白金は周辺のいろんな町を合併して新しくできた町なので、細かく見ていけば町内の地域ごとに高級住宅街・商店街・緑地帯・住宅密集地・工場街とさまざまな顔があるのは当然だと思いますし。--芝で生まれて神田で育ち 2007年12月24日 (月) 16:03 (UTC)[返信]