ノート:発展場
無料系の発展場の削除
[編集]IPアドレス:59.129.26.205さんが、無料系の発展場を勝手に削除していたので復活させました。あわせてTootさんの意見に賛成します。無料系の発展場のなかで、幕張海浜公園と千葉マリンスタジアムは代表的な発展場ではないと思います。「発展場にしたい」ということであれば趣旨が異なりますので、削除した方がよろしいのではないでしょうか?--Toot--以上の署名のないコメントは、Toot~jawiki(会話・投稿記録)さんが 2007年9月3日 (月) 10:24 (UTC) に投稿したものです。
有料系の記載を何度も削除している方がいらっしゃるようですが?ここの項目は元々有料系発展場の記載が主を占めていたようですが、場合によっては、性風俗産業としての「有料系発展場」もしくは「クルージングスペース」と、一部ゲイの習慣・行動としての「発展」を分けたほうがよいのではないでしょうか?--156.156.156.156 2006年8月12日 (土) 08:20 (UTC)
有料系のみ、性風俗産業の一種としてまとめ直してクルージングスペースに移動させておきました。無料系の発展場、についてはどうしましょうか?ゲイの行動としてのハッテン(ゲイ)と、発展場(無料系)を同一記事にすべきかするべきでないか。ハッテン自体は曖昧さ回避項目となっていますが、空飛ぶ酔っ払い帽子を探しに来た人が、無料系発展場の紹介記事をいきなり見るようなことは避けるべきかと。--156.156.156.156 2006年8月19日 (土) 02:17 (UTC)
無料系の発展場記載について
[編集]無料系発展場として記載されている三つの公園は全て公共の場であり一般市民が利用する場。外で性器を露出する行為は刑法175条猥褻物陳列罪に違反しており明らかな犯罪行為。そのような犯罪行為が行われている場所を掲載するのは犯罪を推奨、誘発している。この記載により発展目的の人物が来訪する事は近隣の一般市民にとって迷惑以外の何者でもない。そもそも違法であるか否か以前にwikipediaの、検証可能性をみたしてない。独自研究の域でしかない。よって削除した。仮にゲイの雑誌に載っていたとしても掲載基準は満たせないのでwikipediaに載せることはできない。検証可能性にもあるとおりウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。とある故。検証可能性と併せて独自研究は載せないも熟読しておくように。--Aiueo789 2007年9月21日 (金) 17:02 (UTC)
出典、発展車両の記述を載せる必要性について
[編集]上にも書いてあるが、wikipediaの、検証可能性をみたしてない。独自研究の域でしかない。 よって削除した。 仮にゲイの雑誌に載っていたとしても掲載基準は満たせないのでwikipediaに載せることはできない。 検証可能性にもあるとおりウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。とある故。 検証可能性と併せて独自研究は載せないも熟読しておくように。これ読んでね。ということでゲイ雑誌のような信頼性のかけらもないマイナー雑誌は出典に値しない。ましてや知名度も無いどこの馬の骨かもわからないゲイが書いた本など論外。
発展車両について。ここは「発展場」という項目のため発展車両の記述の必要性なし。「発展場」という単語を電車内に当てはめ混同するものもいるはずもないので。混乱回避の必要性もなし。そもそもgoogle検索の結果、発展車両57件ハッテン車両154件というヒット数から見てハッテン車両という言葉は極めて浸透していない事が伺える。一般社会ならなおさらだ。というわけでwikipediaに載せる価値もない。以上--Aiueo789 2007年10月19日 (金) 15:53 (UTC)
それ以前に個人評論に終始しているので修正の必要があります。場合によっては修正依頼も検討しています。--目蒲東急之介 2009年4月8日 (水) 06:39 (UTC)
江戸時代にハッテンバはあったのか?
[編集]江戸時代のハッテンバの存在や、男色家(ゲイ)同士のハッテン・出会い事情について触れた書籍や情報を探しています。平賀源内の陰間茶屋案内書『菊の園』(1764年)、『男色細見』(1775年)はハッテンバ案内書でもあると何か(個人ブログ)で読んだ事はあるのですが、真相は分かりません。近代以降では、乱歩の『一寸法師』(1927年)に浅草公園(上野公園説あり)のハッテン事情が記されており、遅くとも大正年間までにはハッテンバはあったと見られています。それより前の明治、江戸時代のハッテン事情について記すことは、ゲイの歴史を留める上で大事だと思っております。銭湯や陰間茶屋がハッテンバになっていたのか、疑問は尽きません(個人的に銭湯がハッテンバになっていた可能性は高いと見ていますが、陰間茶屋に関しては有料のプロ売春茶屋であり、プロは素人の介入を絶対許しませんから、茶屋近くでの個人の客引きはなかったことでしょう。しかし離れた場所などではあったかもしれません)。この辺りの文献・事情にお詳しい方がいましたら宜しくお願いします。--115.162.51.99 2013年12月2日 (月) 05:29 (UTC) 同一編集者による修正--120.74.83.157 2014年1月25日 (土) 17:40 (UTC)
補足:江戸時代以前のハッテン事情に関する資料が少ない(?)ようにみえるのは、当時の日本は男色に寛容で、それどころか公然と行われていたため、同性愛者同士が人目を忍んで会う場は無用だったのかもしれません。--115.162.51.99 2013年12月2日 (月) 05:40 (UTC)
IP「210.147.48.20」による差別的編集について
[編集]IP「210.147.48.20」による編集(参照[1]は、極めて悪意的、差別的であり、ウィキペディアのガイドラインに触れる行為ではないでしょうか。参照リンクを見れば分かる通り、具体的に以下のような差別的な言葉を羅列しています。
- LGBT団体を「動物愛護団体」
- ゲイ狩りを「ホモ狩り」
- 強盗を「狩り」
- 襲撃を「討伐」
個人的には投稿ブロックに相当すると思っています。個人的に野外でのハッテン行為は賛成できませんが、LGBTの人権への配慮が何より求められます。なお、当該IPアドレス氏の編集は現時点では差し戻してはいません。--182.171.41.212 2016年6月25日 (土) 19:52 (UTC)