ノート:畠山義就
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河内の戦いにおける淀川の堰切りについて。
二川物語
[編集]岡見正雄博士還歴記念刊行会編 編「二川物語」『室町ごころ』角川書店、東京、9月 1978。 を確認しましたが、義就の母に関する記述は見当たりませんでした。また、横澤信生氏による『二川物語』からの引用とする文言も見当たりませんでした。--二十時三十分 2009年8月9日 (日) 12:04 (UTC)
- 原本を確認しましょう--KASAGI 2009年8月22日 (土) 08:07 (UTC)
- 原本に当たらなければならない理由がわかりません。--二十時三十分 2009年8月22日 (土) 20:26 (UTC)
- 横澤信生氏による引用は仮名がカタカナですが、『二川物語』の仮名はひらがなです。--二十時三十分 2009年8月23日 (日) 06:10 (UTC)
- 横澤氏はただ「『二川物語』によれば」としているだけで、あなたの参照した1978年角川書店出版の本のことを参照史料と明記しているわけではありません。よって原本を当たるのが筋でしょう。仮名が違うのはあなたが参照した本と横澤氏が参照した本が違うものであるという証左でしょう--KASAGI 2009年8月23日 (日) 11:49 (UTC)
- 『室町ごころ』の『二川物語』は彰考館本の写しです。横澤信生氏は何か他の文章を引用したようですが、その出典はわかりません。--二十時三十分 2009年8月23日 (日) 21:16 (UTC)
- また、この記事では横澤信生氏が『「二川物語」によれば』と主張していることを明かしていないので、出典をつまびらかにする責任は加筆者にあると考えます。--二十時三十分 2009年8月23日 (日) 21:20 (UTC)
- 出典がわからないではなく、出典が『二川物語』なのは横澤氏が明記しています。あなたが参照した角川書店の本が全てとは限りません。全文翻刻なのか抄訳かも不明ですし、彰考館本とは別系統の本かもしれません。どうしても確かめたいのなら原本を調べるしかないでしょう。とにかくあなたの出典要求に対しては回答しました。出典に対する出典要求までは答える義務はありません。納得いかないなら富山史壇編集部へ問い合わせてはどうですか?--KASAGI 2009年8月24日 (月) 12:09 (UTC)
- タイトルだけで、それも一般に知られている文献とは違うとなれば、ウィキペディア上では出典は示されていないと判断せざるを得ません。ウィキペディアで出典を示すのは、その記述を載せることを望む者の責任です。--二十時三十分 2009年8月24日 (月) 16:37 (UTC)
- 一般に知られているかそうでないかというのは出典の適否には関係しません。そもそも、学術誌に発表されている学術論文の内容は当然専門家の査読を経ています。匿名のどこの馬の骨とも知れない素人の判断が優先すると考えるのはおこがましいと言えましょう。--KASAGI 2009年8月25日 (火) 10:18 (UTC)
- タイトルだけで、それも一般に知られている文献とは違うとなれば、ウィキペディア上では出典は示されていないと判断せざるを得ません。ウィキペディアで出典を示すのは、その記述を載せることを望む者の責任です。--二十時三十分 2009年8月24日 (月) 16:37 (UTC)
- 出典がわからないではなく、出典が『二川物語』なのは横澤氏が明記しています。あなたが参照した角川書店の本が全てとは限りません。全文翻刻なのか抄訳かも不明ですし、彰考館本とは別系統の本かもしれません。どうしても確かめたいのなら原本を調べるしかないでしょう。とにかくあなたの出典要求に対しては回答しました。出典に対する出典要求までは答える義務はありません。納得いかないなら富山史壇編集部へ問い合わせてはどうですか?--KASAGI 2009年8月24日 (月) 12:09 (UTC)
- 横澤氏はただ「『二川物語』によれば」としているだけで、あなたの参照した1978年角川書店出版の本のことを参照史料と明記しているわけではありません。よって原本を当たるのが筋でしょう。仮名が違うのはあなたが参照した本と横澤氏が参照した本が違うものであるという証左でしょう--KASAGI 2009年8月23日 (日) 11:49 (UTC)