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ノート:畑正憲

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確認

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駒場寮で飼っていた犬を学園祭で食用として売ったのは空手道部ではなく合気道部ではなかったろうか。ソースが今ないので記憶があいまいですが。当時合気道部だった亀井静香が張本人だったように記憶しています。確認できる方がいらっしゃればお願いしたいと思います。59.140.44.78 2006年10月24日 (火) 12:05 (UTC)[返信]

利用者:165.76.107.77さんの編集による削除部分ですが、畑正憲氏自信がご自身のエッセイなどで告白されている内容に基づいて書いたものなんですが、やはり主観的な文章ということになってしまうのでしょうか。投稿した私自身もちょっと自信がなくなってしまいましたので、第三者の裁定を仰ぎたいと思います。--ウミユスリカ 2005年9月18日 (日) 05:50 (UTC)[返信]

私はまったく知識がないのですが、口をはさませていただきます。元の文では、悪気があって書いているようにも読めると感じました。性格形成は本人にも他人にもわからない部分があります。「後に畑は、この経験が・・・と顧みた。」という形で書きなおすのはどうでしょうか。Kinori 2005年9月18日 (日) 22:50 (UTC)[返信]
悪気があるように読めてしまったなら、それは全く私の筆力の至らなさによるものです。本意は、畑正憲氏が世間一般に思われているような単なる動物好きの好好爺ではなく、内面に大きな葛藤や屈折を秘めていることをばねにして創作を行っている文学者であることを記述することを目的にしていました。世間一般に語られる畑正憲氏像は動物好きの好好爺とその偶像破壊としての週刊誌的な中傷記事の両極に偏りがちですので、創作者としての内面の複雑さ、人間としての厚みを記述したかったのです。
「このことにより、両親と生死を共にした弟と、日本で安全に暮らしていた自分との間に深い溝を感じるようになり、また幼馴染をほとんど全て集団自決で亡くしたことによる、根深い人間不信、人間嫌いの心情を抱くようになったことを、自分自身の随筆やインタビュー記事で告白している。これは、元来の自然史好きの傾向にくわえて、コンラート・ローレンツとの対談で自らを「クレイジー」と言わしめるほどの動物好きに傾斜していったことと無関係ではないかもしれない。」
この表現はいかがでしょうか。あと、最末尾の削除部分の悪意に読まれにくい改定案もアドバイスいただけると助かります。ただ、肝心な参考資料は全て遠隔地の実家で段ボール箱の肥やしとなっているため、細部の再検証ができていない弱みがあります。--ウミユスリカ 2005年9月24日 (土) 08:59 (UTC)[返信]
その文章で良いと思います。私はウミユスリカさんが書いたものを他の記事で読んできましたので、その判断を信頼していますが、ふつうにはウィキペディアの記事は正体不明の人の作として読まれます。人物評のような執筆者の判断が出ることをうまく書くのはとても難しいと思います。自分もまとめの評価を隙なく書けた覚えがありません。後の部分についてですが、やはり畑本人の見方を支えにしての評と、そうでないものとでは価値がだいぶかわってくると思います。おっしゃるようなテレビで作られたイメージと、多くの日本人に敬愛されている事が記されているといいなあと感じます。具体的にどうまとめるかは無知な私には荷が重いです。Kinori 2005年9月25日 (日) 13:37 (UTC)[返信]
「親と生死を共にした弟と、日本で安全に暮らしていた自分との間に深い溝を感じるようになり、また幼馴染をほとんど全て集団自決で亡くしたことによる、根深い人間不信、人間嫌いの心情を抱くようになったことを、自分自身の随筆やインタビュー記事で告白している」
との部分について。私は畑氏の著作物は可能な限り入手している愛読者ですが、「幼馴染をほとんど全て集団自決で亡くしたことによる根深い人間不信・人間嫌いの心情を抱くようになった」との意に読み取れる記述は、私が目にした畑氏自身が著者として発刊された単行本には思い当たりません。これは雑誌・マスコミ等におけるインタビュー記事などによる畑氏自身の発言なのでしょうか?あるいは青春期・放浪記シリーズ等における満州に関する記述を編集者の方が”独自”に解釈したものでしょうか?そうであれば「自分自身の随筆やインタビュー記事で告白している」との記述は不適切であると思われます。可能であれば出典を記載頂ければと思います。R6256 2006年4月7日 (金) 19:29 (UTC)[返信]

まず、私は1990年代初頭に読んでいたエッセイの中で、畑氏は終戦時に起こったことはいずれ書かなければならないことであるが、まだ関係者が生存しているのでまだ書けない旨を記しているのを確認しています。その後、90年代中葉だったかそのあたりに、新しく出された単行本の中で確かに、まだ早いとも思うのだけれどという但し書きつきで集団自決による満州時代の知己の全滅と両親、弟の逃避行、そのあたりから来る心の傷について記しているのを読んで、がんと頭を殴られるような想いをしているのを確かに記憶しているのです。ところが、私の蔵書が現在北海道、関東、九州の3箇所に分散していて、該当書籍がなかなか見つかりません。同じ内容の告白は2000年代になってからも立ち読みしていた週刊誌でのインタビュー記事で目にしているので、私の記憶違いではあるまいとの確信はあるのですが、直に参考文献を横にみながら書いたものではないので、記憶をたどりながら書いたこともあり、我ながらかなりの駄文になっていると思います。私を含め、どなたかが関係資料を発掘するまで削除してくださってかまいません。--ウミユスリカ 2006年4月7日 (金) 22:52 (UTC)[返信]

畑隆幸

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元西鉄ライオンズの投手、畑隆幸(稲尾和久と同期)と従兄弟とのことです。--Qura 2005年10月16日 (日) 19:01 (UTC)[返信]

Quraさんの記述を本文に入れておきました。--number8 2005年12月26日 (月) 17:11 (UTC)[返信]

大麻関連の記述について

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2006年3月16日付の産経新聞の「ムツゴロウの東京物語」によると、大麻品評会で準優勝との記事は全く事実無根とのことです。記事には、氏は麻薬の類が極端に嫌いであり、周囲にも手を出すなと戒めてきた。誰かが氏の一番嫌いなものをつけ加えた悪意に満ちた人物紹介だと書かれていました。「インターネットのフリー百科事典」とはこのウィキペディアのことでしょう。大麻に関する記述は削除したほうがいいのではないでしょうか。59.146.185.180 2006年3月16日 06:57(UTC)フォーマットを修正し、署名を追加しました by nnh

当該の記述は2006-01-05 13:45:48(UTC)に書き足されたもののようです。とりあえずコメントアウトだけしておきました。nnh 2006年3月16日 (木) 07:29 (UTC)[返信]
確かに畑氏のエッセイ中に、マリファナを吸った知人のインド人が家族に暴力を振るう行為を厳しく批判してマリファナ無害論を非難しているものがありましたので、不自然な加筆だとは思っていましたが・・・。北海道で野生化した大麻を吸引用に採取するアーティストがしばしばいることから派生したデマでしょうか。--ウミユスリカ 2006年3月16日 (木) 07:45 (UTC)[返信]
同一のIPによって、その品種の名前が勝新太郎書き足されている(今でもあります)のですが、これもデマでしょうか。nnh 2006年3月16日 (木) 08:36 (UTC)[返信]
情報 本件については畑正憲#大麻栽培の噂とウィキペディアに対する批判最新版固定リンク)やこのノートの「#大麻栽培に関する都市伝説についての補足」節もご覧ください。--侵入者ウィリアム会話2023年4月22日 (土) 00:54 (UTC)[返信]

文章

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魚も命を奪って食べることを拒絶するようになったことに衝撃を受け、もっと深く生の自然に触れさせて、表面的な生き物好き的な精神の虚弱さを払拭させて育てることを決意して東京を離れ、北海道厚岸郡浜中町に移住。

↑の文章はどうにかならないだろうか

   ↑どうにかしてみました。--220.108.192.71 2008年1月12日 (土) 16:55 (UTC)[返信]

無人島への移住について

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魚の命を奪って食べることを拒絶するようになったことに衝撃を受け、もっと深く生の自然に触れさせて、表面的な生き物好き的な精神の虚弱さを払拭させて育てることを決意して東京を離れ、北海道厚岸郡浜中町の嶮暮帰島に移住

の記述は

外部リンク先(R25 畑正憲ロングインタビュー)の記述(本人談)によると、

デビューして、ムツゴロウと名づけられるのはこの翌年だ。3年後の71年、突如、北海道厚岸郡の嶮暮帰島という無人島に移住する。俗に“動物を愛するがあまり魚すら食べられなくなった娘さんを本当の自然に触れさせるため”と言われているが…。「もちろん教育はしますけど、それによってぼくの人生が変わるなんてことはあり得ません。ノンフィクションが書きたかったんです。ぼくはロバート・ルイス・スティーヴンソンの『トレジャー・アイランド』が好きだったんですねえ。でも最初に読んだときには失望したんです。島の描写がウソなんです。南の島じゃなくて、あれはアイルランドとかスコットランド。それで、あの『ロビンソン・クルーソー』とか『トレジャー・アイランド』をノンフィクションでやってみたらどうだろう…よし無人島だ! っていう、これがぼくのモーティブ・フォースですよ。大事なのは、自分が何をしたいか!」

だそうなので、

無人島に住む体験をノンフィクションとして書きたかったため東京を離れ、北海道厚岸郡浜中町に移住。

とでもした方がよいのではないでしょうか。

最高位戦について

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『実録・麻雀盛衰記』p.214に記述があります。 それによると、直接の原因ではないが、畑からの言葉が旗揚げのヒント・一助にはなったとのことです。

出展は一応ありますので、文章を変えてタグを取るのが妥当だと思われます。--なのこえ 2010年2月28日 (日) 05:49 (UTC)[返信]

大麻栽培に関する都市伝説についての補足

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この噂が2001年2月の雑誌記事で既に取り上げられていたことを確認しました。記事にも加筆済です。--侵入者ウィリアム会話2023年10月15日 (日) 21:46 (UTC)[返信]

「畑正憲が大麻を栽培している」という虚偽の噂現時点での記事最新版では、「大麻に関する虚偽情報をウィキペディアに加筆されて本人が激怒した」ことを本人の著書を出典として記述)について補足です。この噂に関して調べてみて二つのことがわかりました。

  1. 大麻栽培の噂自体はウィキペディア日本語版に加筆される以前から広まっていた可能性が高い
  2. その噂で栽培品種名を「ムツゴールド」とするのはウィキペディアが初出の可能性がある

以下に詳しく述べます。--侵入者ウィリアム会話2023年4月22日 (土) 00:49 (UTC)[返信]


1. 大麻栽培の噂自体はウィキペディアに加筆される以前から広まっていた可能性が高い
2. その噂で栽培品種名を「ムツゴールド」とするのはウィキペディアが初出の可能性がある
  • 上記に挙げた5ちゃんねるの書き込みで、畑正憲の栽培したという品種名がどのようになっていたかを見ると、「十勝ゴールド」が2件、あとは「ムツゴロウ」「雅(みやび)」「ムツ」といった具合で一定しない。少なくとも栽培品種名を「ムツゴールド」としているものは見当たらない。「ムツゴールド」については2006年1月5日のウィキペディアでの加筆から広まった可能性がある。

説明は以上です。なお、「『畑正憲が大麻を栽培している』という噂はウィキペディア以前から存在した」と記事に書くには、これだけでは証拠が弱いと考えています。5ちゃんねるもYahoo!知恵袋も匿名であり、ごく少数名の発言や意見を多人数に見せかけることが可能です。よって「上記で挙げたような複数の書き込みは実際には特定の一人が繰り返し発言していただけで、世間でこの噂は全く広まっていなかった」という可能性も残ります。東スポの記事も「ウィキペディア以前から存在」と明言したわけではありません。しっかりした活字メディアで2006年1月以前の言及が見つかればよいのですが。--侵入者ウィリアム会話2023年4月22日 (土) 00:49 (UTC)[返信]

  • 報告 活字メディアでの2006年1月以前の言及(『月刊サイゾー』2001年2月号の記事)が見つかったため、それを出典として記事に少し加筆しました(差分)。なおサイゾーの記事では品種名は(「ムツゴールド」ではなく)「ムツ」となっていました。--侵入者ウィリアム会話2023年10月14日 (土) 18:53 (UTC)[返信]