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ノート:甲午農民戦争

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東学党の乱が適当なのでは

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しろうとの質問なのですが,enは"Donghak Peasant Revolution",zhは「東學黨之亂,朝鮮稱東學農民運動,又名甲午農民戰爭」,koも「東學農民運動」となっており,甲午農民戦争を記事名にしているのは日本語版だけです.「東学党の乱」を記事名とするべきではないですか?--Rambler 2009年12月5日 (土) 15:21 (UTC)[返信]

確かに英語版、中国語版、コリア語版共に「東学」という名称を用いています。しかし、本文にもある通り「東学党」という団体はこの時期に存在していません。よって「東学党の乱」とするのは、不適当と考えます。--Bletilla 2009年12月6日 (日) 00:12 (UTC)[返信]
Bletillaさんの意見も参考になりますが、間違ってます(全琫準を含む東学教徒は組織として活動してます…組織内での対立はありますが…)。もっと重要な理由は、この事件に対する朝鮮史学界の歴史評価にあります。ものすごく簡潔に言えば、1884年に起こった甲申政変や1894-5年に行われた甲午改革が上から(ブルジョア(みたいな勢力))の運動であったのに対し、「甲午農民戦争」は下から(民衆)の運動でした。この下からの運動をもっと評価すべきという朝鮮史学界の要求が「甲午農民戦争」という名称に込められています。「東学党の乱」では下からの運動がよく見えませんし、「東学」という集団が起こした運動という誤解が生じます(東学が関わっていることは事実ですが)。韓国語版の記事名が「東学農民運動」となってるのは「農民」が入っているので問題ないです。英語版もちゃんと「Peasant」が入ってます。中国語版の「東学党之乱」の記事名は昔の呼称をそのまま受け継いでいるのでしょう。日本も昔は「東学党の乱」と呼んでいたので。ただ、中国で「東学党之乱」の呼称が本当に主流なのか、疑問です。あと、研究者の立場で「運動」だったり「革命」だったり「戦争」だったりします。 --夾竹桃 2010年2月10日 (水) 19:17 (UTC)[返信]
特に意見がなければ、2010年3月31日に質問のタグを取り外したいと思います。--夾竹桃 2010年3月12日 (金) 14:45 (UTC)[返信]

記事タイトルは、韓国政府の公式見解である「東学農民運動」が妥当じゃないですか?

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「甲午農民戦争」は、そもそも「戦争」というのがおかしいです。朝鮮に関するウィキペディア日本語版の記事タイトルで「戦争」がつくのは「朝鮮戦争」と「甲午農民戦争」だけですが、「丙子胡乱」や「文禄・慶長の役」が「乱」や「役」で「甲午農民戦争」が「戦争」というのはまったく整合性がありません。(概念的にこの2つは戦争だと私は考えています)それでも歴史的に長い間「甲午農民戦争」と呼称されてきたというのならまだ理解できますが、「甲午農民戦争」などここ2~30年程度に生まれた新造語でしょう。

ウィキペディアのドイツ語版は、「Donghak-Aufstand(東学の反乱)」です。

同英語版は、「Donghak Peasant Revolution(東学農民革命」です。

同中国版は、「東學黨起義(東学党暴動)」です。 *漢字は台湾正体

同韓国版は、「동학 농민 운동(東学農民運動)」です。 なお翻訳は公正を期すため、全部Google翻訳です。

実は日本版以外は、全部「東学」が含まれます。本国韓国を含め。まあ事件のいきさつというか、流れを見れば当たり前の話だと私は思います。運動の思想的背景は東学そのものですし、運動の中心は徹頭徹尾、東学教主全琫準でした。

朝鮮人は宗主国である清の暦(元号)を使っていました。しかし清の元号を嫌い、事件の名称を干支にからめます。丙子胡乱とか壬辰倭乱とかです。

韓国は教科書の検定制度がまだなく、韓国政府が定めた一種類の国定歴史教科書で歴史教育を行っています。小学生のものも、中学生のものも、明石書店が日本語版を市販しています。中学校の「入門 韓国の歴史(石渡延男監訳)」はウィキペディア韓国版同様「東学農民運動」と表記しています。

韓国の出来事ですし、韓国の公式見解である「東学農民運動」でいいんじゃないでしょうか?韓国が公式に「東学農民運動」としているのになんで日本人が60年に一度同じものが出てくる干支にちなんだ名称をつける必要があるんでしょう???

本当は日本人が慣れ親しんだ「東学党の乱」でいいんじゃないの?と思っていますが、事件の当事国が公式に採用している「東学農民運動」への変更を提案します。--Jumpin' Jack 2010年11月26日 (金) 06:18 (UTC)[返信]

名称をつけるというのは難しいですね。まず、「教科書の項目名=政府の公式見解」というは誤解です。教科書は学者が議論を尽くして執筆するものですからね。それで、そうした議論の中でもこの事件については、本当に呼称が定まっていません。上にも書いた通り、下には「運動」「戦争」「抗争」「革命」がつき、頭にには「東学」「甲午」「1894年」などがつきます。共通している点といえば、「農民」は外れないということだけでしょうか…。呼称が定まらない理由は、それだけこの事件が未解決であることを示しているのでしょう。「東学」を付ける付けないの問題も同じ理由です。趙景達先生は「東学農民運動と甲午農民戦争の歴史的性格」(『朝鮮史研究会論文集』19、1982年)という論文を発表してますが、ここでは「東学農民運動」と「甲午農民戦争」はベツモノになってます……ところで、韓国において、この事件の100周年に当たって近代史の専門家50名が共同執筆した全5巻の研究書があるんですが、そのタイトルは『1894年農民戦争研究』です。「東学」がついてません…。私はこのタイトルが韓国歴史学会の公式見解だと思っています。にも関わらず「東学」がくっつく理由は? 東学が外れると困る団体がいるんですよね…宗教法人とか…そこから研究費貰ってる人とか…(噂ですが)。とにかく!では日本の場合は、と言いますと、GeNiiの検索では「甲午農民戦争」が51件、「東学農民運動」が8件(だいたい翻訳本)、「東学党の乱」が12件ヒットしました。日本の先生方がだいたい「甲午農民戦争」を使用している以上、結論としては、「甲午農民戦争」が一番無難だと言えるでしょう。--夾竹桃 2010年11月28日 (日) 05:00 (UTC)[返信]
Jumpin' Jack氏がノートでの合意を経ずに勝手に項目名を「東学農民戦争」に変更したので、差し戻しました。
理由1:現在ここで「東学農民戦争」とすべきと主張しているのは、同氏のみであり他に賛同者がいない。
理由2:同氏は「韓国の歴史」であり「韓国の公式見解」と言うが、朝鮮民主主義人民共和国の歴史でもあり同国の見解が不明である。
理由3:同氏が主張するように他国語版では「東学」が項目名に含まれているが、ここは日本語版であり、日本語文献で一般に用いられる名称を用いるのが妥当と考える。--Bletilla 2010年12月3日 (金) 05:22 (UTC)[返信]
北朝鮮はたぶん「~農民革命」ってな感じで呼んでますよ。まず「東学農民運動=韓国の公式見解」なんてありえないし、北朝鮮がどう呼んでいるかは意味がありません。「東学農民革命参与者名誉回復審議委員会」は大韓民国国務総理所属の国家機関だそうです…。こんな例、いくらでもありますよ。理由3の通り、日本では「甲午農民戦争」が一般的だと反論するのが適切でしょう。ちなみに、韓国では「東学農民運動」が多数派のようです。しかし、本場ですから、日本とは比較にならない論文・書籍が発表されており、名称が定まっていないことは上に述べた通りです。
ここからは、雑談。少し勉強し直してみると、「(東学)農民運動」と「(甲午)農民戦争」は厳密には違うもののようです。「農民運動」の方は土地所有と税制改革に主眼があって、「農民戦争」は農民の蜂起に主眼が置かれている…もっと簡潔に言えば、「農民運動」は事件の「原因」に主眼があり、「農民戦争」は事件の「経過」に主眼がある、と言えます。しかし扱う題材は同じなので混同が生じているようです。それに(日韓共に)全ての研究者と一般市民がこの違いを共有しているのか、疑問です。概論書レベルでは、まず理解できませんね。あと、「東学」に主眼が置かれたものはそれほど多くないです。
「東学農民運動」はダメだ!と言うんじゃないんですよ。多数決の問題です。
--夾竹桃 -夾竹桃 2010年12月3日 (金) 17:21 (UTC)[返信]
>東学農民運動=韓国の公式見解」なんてありえないし、
外国を日本と同じような国と考えるのは完全に間違いです。国定歴史教科書を使う国というのは、国家が強い意志をもって歴史の解釈を拒絶しているんです。将来「東学農民運動」が違う名称になることは有り得るでしょう。しかし今現在は「東学農民運動」が国家の公式見解なんです。
先月の8日、インターネット上に「偉大なる金日成!偉大なる金正日!」と書き込んだ韓国の45歳の男性が「国家保安法違反」の容疑でソウル地方検察庁に起訴されました。http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1108&f=national_1108_172.shtml
そりゃ、天安事件のあとですし、非常識だと思いますよ。しかしだからといってネットに「偉大なる金日成!偉大なる金正日!」と書き込んだだけで国家保安法違反で逮捕されるのもどうかと思います。韓国には言論の自由がありません。たとえば李完用は批判してもいいんですが、閔妃とか興宣大院君とか高宗の批判は韓国では今もタブーになっています。金完燮は自分の著書「親日派のための弁明(2002年)」で閔妃批判を行ったところ、有害図書に指定され、閔妃の子孫に名誉毀損で訴えられ、しかも敗訴して賠償金を払わせられ、さらに逮捕されました。「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言(2005年)」を書いた人気タレントだった趙英男も芸能界から抹殺されてしまいました。
「親日派のための弁明」のように国定教科書と違う歴史解釈を行ったら逮捕されるというのが韓国なんです。繰り返しますが、外国を日本と同じような国と考えるのは完全に間違いです。ちなみに逮捕された金完燮は裁判にかけられましたが、なんと彼は裁判所の中で金九を暗殺した安斗煕を殺害した朴琦緖に殺されかけ、負傷しましたが、朴琦緖は逮捕すらされませんでした。朴琦緖は人殺しなのに安斗煕を殺したということで韓国では英雄扱いされています。韓国とはそういう国なんです。日本とは違うんです。
いい悪いの問題ではありません。国定歴史教科書の解釈を踏み外すと金完燮のように逮捕されるというのが韓国の現実です。今現在教科書に書かれていることは完全に韓国政府の公式見解です。--Jumpin' Jack 2010年12月3日 (金) 19:18 (UTC)[返信]


名称を「東学農民運動」にしたほうがいいと私が考える理由を述べます。

「甲午農民戦争」という新造語は、光州事件以降の韓国で、一部の左派学者が使いはじめた用語です。

では彼らはなぜ「東学党の乱」を「甲午農民戦争」と呼び直したのか?

それは「東学党の乱」をマルクス・レーニン主義的にとらえようとしたからです。ようするに「東学党の乱」を怪しげな新興宗教の暴動ではなく、偉大なる階級闘争、偉大なるプロレタリア革命の萌芽としてとらえたかったからです。だから「東学党」が消え、「農民」が登場し、「乱」は「戦争」になったのです。

韓国が「甲午農民戦争」を採用しないのは言うまでもありません。「甲午農民戦争」があまりにもイデオロギー的だからです。あまりに階級史観的だからです。だから韓国は「甲午農民戦争」を使わないんです。

>朝鮮民主主義人民共和国の歴史でもあり同国の見解が不明である。

私は北朝鮮がどの名称を使っているのか知りません。しかし北朝鮮は自分たちの先祖を「ホモサピエンス」でなく、「黒い山葡萄原人」と主張している人たちです。檀君の骨が発掘されたといって檀君陵をつくり、ロシアで生まれた金正日が白頭山で生まれたとし、朝鮮戦争は韓国がはじめたと主張しています。北朝鮮の見解はまったく学問的ではありません。また日本はアメリカ同様、韓国を朝鮮半島唯一の国家としています。北朝鮮を国家として公式に認めていません。

日本にいた在日朝鮮人は昭和20年代から真っ赤っかでした。民団系朝鮮人は少数派で大部分の在日朝鮮人は総連系でした。しかしベルリンの壁崩壊、総連系金融機関の崩壊、小泉訪朝等を通じ、総連は衰退し、民団が在日組織の中心になりました。

もうベルリンの壁が崩壊して20年も経ったんですから、そろそろ朝鮮半島の歴史は韓国的スタンスで考えるべきじゃないでしょうか?

「甲午農民戦争」という名称はベルリンの壁が崩壊する以前のネーミングです。歴史的に使われてきたいう由緒があれば別ですが、日本でも30歳以上くらいの人たちは学校で「東学党の乱」と教えられたはずです。「甲午農民戦争」は新造語にすぎません。

新造語であれば、言語は厳密に考えてみるべきです。「戦争」は「War」です。そもそも「東学農民運動」は「戦争」なんでしょうか?私はそうだとは思いません。「乱」は体制への謀反ですが、「戦争」は争う双方の立場を対等とする言葉です。

李氏朝鮮政府と全琫準一派は、はたして対等な立場だったんでしょうか???全琫準一派は臨時がついたとしても政府と呼べるような政体だったんでしょうか???

「内戦」は「Civil War」です。「Civil」のもともとの意味は「市民の」です。いうまでもなく、19世紀の朝鮮半島に「市民」など存在しません。実態は中国語版が採用している「起义(暴動)」が近かったのでは?と考えていますが、ネガティブな感じがします。韓国は「戦争」とか「乱」とか「暴動」はネガティブだと考え、「運動」にしたんでしょう。「運動」にポジティブなイメージ、正しい行動みたいな意味を込めたんじゃないでしょうか?

私はマルクス・レーニン主義的なイデオロギー臭コテコテの名称ではなく、友邦である韓国が正式に採用している名称のほうが正しい名称だろうと考えています。引き続き名称変更を主張します。--Jumpin' Jack 2010年12月3日 (金) 09:59 (UTC)[返信]

>韓国は教科書の検定制度がまだなく、韓国政府が定めた一種類の国定歴史教科書で歴史教育を行っています。

この事物を取り扱っている韓国近現代史は国定ではなく検定です。しかも、2010年からは国史も検定教科書になりました。--hyolee2/H.L.LEE 2010年12月23日 (木) 10:06 (UTC)[返信]

hyolee2/H.L.LEE さんへ

>この事物を取り扱っている韓国近現代史は国定ではなく検定です。しかも、2010年からは国史も検定教科書になりました。

高校の教科書が検定になったという話で、義務教育の教科書である小学校と中学校の歴史教科書は、いぜん1種類の国定教科書で行われています。違いますか?--219.176.114.38 2011年1月17日 (月) 09:26 (UTC)[返信]

テンプレート

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李王職さんがテンプレートを追加しました。この追加で同種のテンプレートが冒頭に二つ並ぶ結果になりました。個人的な意見としては同じテンプレートは二つも要らないと思います。「改名問題」と絡んでくる問題ですが、一つに統一すべきと思います。--Bletilla会話2012年6月25日 (月) 16:22 (UTC)[返信]

質問

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本文の記述のなかに「当時の朝鮮の民衆の生活は苦しい状況であった。朝鮮政府の暴政に対し次のような詩が朝鮮国内に広く伝昌されていた」という指摘があり、「金樽美酒千人血」で始まる詩が引用されていますが、これは18世紀に書かれた文学作品春香伝に出てくる有名な詩節です。これは、歴史記述の説明として適当なものでしょうか、お尋ね致します。Tizizano会話2013年8月2日 (金) 23:49 (UTC)[返信]