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ノート:琉球侵攻

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ノート:琉球征伐から転送)

「琉球征伐」から「薩摩の琉球侵攻」への移動(改名)について

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2012年8月24日 (金) 08:35‎ に、利用者:唐吉訶德的侍從さんによって、「琉球征伐」から「薩摩の琉球侵攻」への移動(改名)が行なわれました。しかし、これはWikipedia:改名提案の手続きによらないものでありました。改名提案を経なくても改名ができるのは、「明らかに、ページ名に誤字・脱字があるとき」「明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」に限られています。この改名は前者には当たりません。後者についてWikipedia:記事名の付け方のガイドラインを見ても、この移動の根拠となるような記述は見当たらないように思います。ガイドラインでは、特に「歴史的事件」について、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」と記されていますが、何が最も適切な表現であるの議論がなされないままの記事改名は疑問です。例えば、Google で引用符つきで検索しますと「"琉球征伐"」は約 3,480 件、「"薩摩の琉球侵攻"」は約 13,900 件で、これだけなら後者の方が妥当であるようにも見えますが、例えば「"薩摩藩の琉球侵攻"」は約 19,900 件のヒットがあるものとされます。このほかにも、ヒット数はさほどではありませんが「薩摩(藩)の琉球出兵」といった表現なども同じ内容を指す用語として存在しており、議論なしに「薩摩の琉球侵攻」が最も適切な改名案であると判断できる状況ではありません。

以上の認識に立って、いったんページ名を「琉球征伐」に戻します。その上で改名が必要であるとお考えの方には、Wikipedia:改名提案の手続きを採っていただけますよう,お願いを申し上げます。--山田晴通会話2012年8月24日 (金) 11:24 (UTC)[返信]

(コメント) 適切なご判断だと思います。--明銘会話2012年9月1日 (土) 07:59 (UTC)[返信]

この歴史的事件を調べていていつもこのページ名に疑問を感じていました。「征伐」は一方から見た主観が入った表現です。「出兵」は中立的、「侵攻」はやや侵攻された側からの表現と感じます。中立的な表現が望ましいと思います。「征伐」って、桃太郎でもあるまいし、確実に相手の国が悪いという表現です。途中でページ名を安易に変更しないというガイドラインの意図も分かりますが、先につければそれが正しくて、変更のハードルがすごく高いというのでは早い者勝ちになってしまいます。議論するのはいいと思います。また、括弧書きで(侵攻)や(出兵)などにすることもいいのではないかと提案します。--Yasucrayon会話2016年2月29日 (月) 00:27 (UTC)[返信]

(コメント) (追記) 「九州平定」のページには、『秀吉の「九州攻め」、「島津攻め」、「九州の役」「九州征伐」などの名称で呼ばれることもある(詳細は#呼称と開始時期について参照)。』のように、複数の呼称があることが記されています。このページでも、複数の呼称があることを記載するといいと思います。

ページの改名について、まだ不慣れですが、順次正式な手続きをしていきたいと思います。--Yasucrayon会話2016年3月4日 (金) 20:56 (UTC)[返信]

コメント 「xx征伐」とか「xx攻め」という表記は確かに攻め手側の言い方にはなりますが、こうした争い(戦争)には中立的な名称はあまりないといえます。例えば日清戦争はその名称自体が「日本側から見た」もので、中文版をみるとzh:甲午战争とされ、本文を見れば「第一次中日戦争」とも表記されます。つまり、当事者の主言語や残された文献によって表記がかなり振れるということになります。歴史は勝者のものが残りやすいといえますから、文献を当たるとどうしても「勝った側」の名称が残りやすいといえます。
あと、この琉球征伐(混乱を避けるためこの名称を使います)は、主力を薩摩藩が務めていますが、琉球を攻略せよと最終的な命令を出しているのは形式上でも当時の政府である徳川幕府(つまり、薩摩藩主体である官軍が攻めたことになる)ですから、「薩摩による」という枕詞をこの戦全体に用いるのには若干違和感があります。具体的に比較できる文献を調査して、その結果中立的あるいは「その中の名称で最も著名と思われるもの」を考えてはいかがでしょうか。現段階では改名を実施するべきとは言えません。括弧書きで出兵や侵攻とページ名として当てるというのはWP:NC違反ですからそもそも受け入れられません。--アルトクール会話2016年3月8日 (火) 04:09 (UTC)[返信]
(コメント)ページ改名はハードル高そうですね。私は沖縄に住んでいまして、こちらの資料では琉球側から見た資料が多いので、「琉球征伐」は「勝った側」の名称であると感じます。「勝った側の資料が多く残る」というのは、沖縄以外に置かれている資料と言うことになりますが、当事者の一方である沖縄では、「負けた(征服・侵略された)側」の資料とその呼称が多く残っています。数の問題とも思いませんが、ページ改名が無理であれば。記事本文の中で琉球側からの呼称の紹介ができたらと思います。今、正確にどのような呼称が琉球で使われていたか提示できませんが、時間ができたら行いたいと思います。--Yasucrayon会話2016年3月9日 (水) 05:28 (UTC)[返信]
コメント この件についていえば「日本」と「琉球」という2国間で行われ、国連のように中立的な機関があったわけではないので、何を持って「正確な呼称」というべきなのかというのはいつまで経っても消えることは無いでしょう。例えば、この「戦い」には介入していない(どちらを支持したかという議論はあるとしても琉球と日本の貿易相手国)の文献が残されていれば、ひとまずの区切りを付けられるかもしれません。この線でも考えてみるといいかもしれません。あとは呼称についてをもう少し深く文献に当たって記述を増やしてみるのも手だと思われます。--アルトクール会話2016年3月9日 (水) 06:16 (UTC)[返信]
(コメント) 勝ち負けのあるものであり中立の立場から見た名称が存在しない以上どちらかよりになるというのはある意味当然の帰結かもしれませんが、その文脈でいうと、「薩摩による琉球侵攻」への改題はどうでしょう。どちらかよりという意味では改善はなされていないと言えるのではないでしょうか。歴史的文献によるものでもなく学術的に「薩摩による琉球侵攻」の方が使用頻度が高いというわけでもないのに敢えて改題というには、充分な理由付けがなされていない気がします。ご自身の主観的な印象ではなく、学術的な使用頻度を調査し提示するとか学校教科書での扱いを比較衡量するであるとかの調査を踏まえた上で、もう少し丁寧な説明をお願いします。--落ち穂拾いする人(Talk) 2016年3月10日 (木) 05:47 (UTC)[返信]
コメント 日本史には、あえて当事者の名を使わず、地名を使って「関ヶ原の戦い」のように、あるいは元号を使って「応仁の乱」のように表す知恵があります(さらなる具体例は日本の合戦一覧を参照)。本件については、「琉球の慶長役」[1]あるいは「慶長の役」[2]のような呼称があります。文禄・慶長の役#慶長の役と紛れがあるのが難点ですが、慶長の役_(琉球)あるいは慶長の役_(1609年)と曖昧さ回避するのも一法です。--Cauli.会話2016年3月20日 (日) 08:00 (UTC)[返信]
コメント琉球征伐についての呼称は、「琉球征伐」、「琉球侵攻」、「琉球侵略」、「慶長の役」などがありました。文献を確認すると、琉球征伐は桑江常格「薩摩の琉球征伐とその諸条件」など、琉球侵攻は琉球侵攻と日明關係など、琉球侵略は近世琉球の国際的位置と対日・対清外交、慶長の役については島津氏の琉球侵略 : もう一つの慶長の役があります。
琉球征伐については、どちらかといえば古い文献や琉球征伐記を扱った文献に使用されています。琉球侵略、琉球侵攻については私からは文献数に大きな違いが見られません。そして、Cauli様の提案にあった「慶長の役」ですが、「文禄・慶長の役」があまりに一般的に利用されているため、「慶長の役」では、一般利用者ではわからない方も多いのではと懸念します。私が提示した文献でもあくまで「島津氏の琉球侵略」のサブタイトルになっている点から指摘できます。あまり、一般的でないので、賛同しかねるところがあります。
したがって、「琉球侵略」と「琉球侵攻」です。沖縄側の文献でも、本州側の文献でも見られるため、この両者の判断は私には難しいところがあります、題目とするにはこの2語のうちから選択するのが適当と考えます。
また、落ち穂拾いする人様の指摘があった「薩摩による琉球侵攻」ですが、「琉球侵攻」・「琉球侵略」の頭には、文献では「島津の」、「島津氏の」あるいは「薩摩藩の」などの表記が見られます。どれがふさわしいかと言われれば、判断が難しいところです。現状では頭に「薩摩藩の」は不要だと思います。なぜならば、(島津あるいは薩摩以外の琉球征伐のような記事があるのならば話は別ですが、)「薩摩藩・島津氏・島津の」が頭につかなくとも、この歴史的事件の題目となりえます。--Koshi2016会話2016年4月9日 (土) 04:26 (UTC)[返信]
コメント'追加'アルトクール様があげられた、明の立場から呼称というものに相当する一資料は、明朝廷の議事録「皇明実録」(国立公文書館所蔵)があり、それによると、「「汝(なんじ)の琉球を併する、及び琉球のひそかになんじに役属(えきぞく)するは、また皆、わが天朝の赦前(しゃぜん)の事なり」(日本の琉球併合と、琉球が日本に服属したことは、3年前の皇太后崩御時に明の皇帝が大赦を行った前の出来事だ)」とあることが確認されています八重山日報2013年6月4日。--Koshi2016会話2016年4月9日 (土) 04:51 (UTC)[返信]
コメント コメントというか、提案です。まず、現行の「琉球征伐」は、1.あまりに一方的過ぎて中立性を欠く。2.このような名称を使うことにより「正当化」することになり、「言語道断」のレベルだと考えます。「早急な」変更が必要です。

もう一つの問題は「総論賛成、各論反対」の状態で小田原評定を続けると、不適切な表記が、結果的に長期間存続してしまい、非常に有害であると考えられることです。そこでこのように提案いたします。とりあえず「薩摩」をつけずに「琉球侵攻」に暫定的に変更し、細かい論議はその後、継続的に時間をかけて論議してはいかがでしょう。現状が長時間継続することには絶対反対です。--Tanuki32会話2017年1月12日 (木) 05:22 (UTC)[返信]

単なる「琉球侵攻」では琉球どこかに侵攻したのか琉球どこかが侵攻したのか分からないので、「薩摩の琉球侵攻」とした方が良いと思います。前者については琉球・沖縄史の知識がないので、何とも言えませんが。--Bletilla会話2017年1月12日 (木) 06:07 (UTC)[返信]
コメント 私の希望は、「早急にまとまって、結論を出すこと」です。「琉球侵攻」でまとまるなら、「琉球侵攻・で良い。「薩摩の琉球侵攻」でまとまるなら、「薩摩の琉球侵攻」でよい。とにかく「琉球征伐」はすぐにやめるべき。100点満点出すのに100年かけるより、70点でもすぐに結論出すべき。--Tanuki32会話2017年1月12日 (木) 10:49 (UTC)[返信]
コメントBletillaさんね、あなたが細かいこと言うから、4ヶ月も議論が止まってしまった。その間、「琉球征伐」が生き延びてしまった。責任感じないのかな?項目名が「琉球侵攻」であっても「薩摩による」というのは本文で書けば分かる話。実際に軍隊を派遣したのが薩摩であっても、背後に幕府の承認があったということは既に述べられている通り。少しは妥協を考えようよ。--Tanuki32会話2017年5月11日 (木) 22:20 (UTC)[返信]
コメント「琉球征伐」というタイトルを見てびっくりしました。征伐とは、辞書では「罪ある者や反逆者を攻め討つこと」と定義されるようですね。日常会話でも使わないし、日本史の学界でもいまどき公然と「琉球征伐」なんて口にする人はほぼ皆無です。長いこと放置されていたのは、日本でのウィキペディアの社会的地位の低さを物語っているのでしょう。とりあえず、早急に「薩摩の琉球侵攻」に改名することに同意します。--Bodhisattva会話2017年5月22日 (月) 05:45 (UTC)[返信]
コメント 本文中に「征伐」の解釈を書くのはやめてください。で、「日本史の学会で使われていない」ということであれば、最近の(直近5年ぐらいで構いませんが)学会発表された論文や、学会の所属員によって書かれたレポートや書籍を提示してください。改名するにはまず「出典を提示すること」「それが検証可能性を満たしていること」「情報として中立的な観点からみて問題のないものであること」が求められます。
以前から申し上げていますが、琉球の流れをくむ沖縄からみたものであれば「侵攻(された)」ものですが、当時の政府(江戸幕府)側からすると「討伐」あるいは謝名氏が謝恩使の派遣を拒み続けたことを理由とする「征伐」です。しかしながら、幕府側が「侵攻(した)」のも事実であるので、検証できる文献で「琉球侵攻」を裏付けできればそれで改名すればよいでしょう。(完全に中立なら、Koshi2016さんが探してくれた情報から、明が琉球を併することを認めたことより「琉球併合」も候補に挙げられるでしょうけど)
議論を停滞させているのは「とにかく改名しよう」とするからです。論じるにまずは情報源の提示をしてください。中立的な観点から見て「征伐」が危ういものであっても、日本語としては一般的に「琉球征伐」が用いられている歴史があるならば、これに対抗する情報が必要ということです。Tanuki32さんとBodhisattvaさんは何か情報源を示しましたか?妥協云々を述べる前に、情報源を示してください。強引に話をまとめようとしているのは改名しようとしている側にしか見えません。--アルトクール会話2017年5月22日 (月) 11:53 (UTC)[返信]
コメント ご指摘ありがとうございます。では根拠を示しましょう。国立情報学研究所が運営する雑誌記事検索サイトcinii<http://ci.nii.ac.jp/>で、「琉球征伐」と入れてみて下さい。他書からそのまま引用されたものを除き、標題の中で薩摩島津氏が1609年に琉球に攻め込んだ事件を「琉球征伐」の語で表現する論文は、今からちょうど50年前、1967年の宮田俊彦「慶長十四年島津氏の琉球征伐」が最後です。同サイトで「琉球侵攻」と入れてみて下さい。1975年以降6人の著者がそれぞれ論考を発表しています。「情報として中立的な観点からみて問題のないものであること」を全ての人に承認させるのは至難ですが、このうち2009年の「琉球侵攻と日明関係」の著者は現東大准教授、掲載誌『東洋史研究』は日本の東洋史学界の代表的な雑誌ですので、さしあたり多くの人に納得してもらえるのではないでしょうか。以上は、ネットでお手軽に調べられる情報です。このほか、『国史大辞典』には紙屋敦之早大教授(鹿児島県出身)執筆による「琉球出兵」の項目で、「1960年代進入か侵入かが論争されたが、薩摩侵入以前の琉球=古琉球は外国だったから、これは日本の国内統一ではなく対外侵略」だと書いてあります。江戸幕府の側からすると「征伐」でよいのだというご見解ですが、以上のように現在の日本の歴史学界において「琉球征伐」の語は「中立的な観点からみて問題がある」と見なされており、ネット上の個別の主張を除いてほとんど使われることがありません。現在の標題が存続しているのは諸般の事情があるようですが、以上のように学界ではとっくの昔に議論が終わっている時代錯誤の用語である以上、本文で「征伐」の語義から説き起こすのは当然だと考えます。また、ご存じとは思いますが、英語版ウィキペディアは、大半の項目が標題の語源解説(etymology)から始まっていますが、日本ではそれをしてはならないという固有ルールでもあるのでしょうか?あなたの人格を尊重して、ここしばらくは「取り消し」を差し控えますが、どうか記事内容の進歩改善にもご配慮くださるようお願いいたします。蛇足ですが、「琉球併合」は学界では明治以降の「琉球処分」を指すことが常識になっており、「薩摩の琉球侵攻」を指すことはまずありませんので、念のため。--Bodhisattva会話2017年5月23日 (火) 02:32 (UTC)[返信]
提案者とそれ以外の方の意見が平行線のようですが、要は「琉球征伐」よりも「薩摩による琉球侵攻」が多く使われていることを示せば良いのでは?それをしないで改名ありきのうちはいつまで経っても改名には至らないでしょう。「学会では」を連呼していますが、なら「とっくに議論が終わってます」という文献を提示すれば良いだけのことです--東京中央銀行会話2017年5月27日 (土) 10:48 (UTC)[返信]
コメント平行線ではありませんよ。文献もお示ししているつもりです。ちなみに細かいことですが、「学会では」ではなく「学界では」です。ともあれ、あなたの書きこみの直前の議論を熟読して、内容をご理解いただいた上でご意見を賜れればと思います。反対意見にも聞く耳はもつつもりですが、まずはこちらの示した根拠に優越する根拠を示してください。--Bodhisattva会話2017年5月27日 (土) 21:03 (UTC)[返信]
コメント根拠を追加します。さしあたり、文科省の検定をへた中学か高校の教科書で、琉球征伐という言葉を使用しているものが一つでもありますか?ご自分の目でお確かめください。--Bodhisattva会話2017年5月27日 (土) 21:18 (UTC)[返信]
コメント Wikipedia:出典を明記するWikipedia:検証可能性において示されているのは文献を示すのは書きたい側、つまり証明しなければいけないのは「ないことの証明」ではなく「あることの証明」です。今回の「薩摩の琉球侵攻」なり「琉球侵攻」を使っているという証明をしなければいけないのは改名したい側です。なので、文部科学省の検定を通過した教科書で「琉球征伐」が使われていないことを証明するのではなく、「(薩摩の)琉球侵攻」が使われているかを示さなければいけません。それをまず示さなければいけないのは、Bodhisattvaさん、あなたです。--アルトクール会話2017年5月28日 (日) 04:28 (UTC)[返信]
コメント「あなたです」ってドヤ顔でおっしゃいますが、私あなたにCiNiiの検索結果という形で論拠をお示ししましたよね?それには正面から応答せず、横合いから「ドヤ!」って。納得できないなあ。。。正直、ほかのタイトルはgoogle検索のヒット数とかでホイホイ変更されてるのに、なぜ「琉球征伐」だけ執拗に新たな論拠の提示を要求されるのか、理解に苦しみます。別にあなたとけんかがしたいわけではありませんので、どうか私など相手にせず、ご自分の得意分野でご活躍ください。--Bodhisattva会話2017年5月29日 (月) 11:03 (UTC)[返信]

改名提案

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これまでも議論がなされていたようですが、やはり「琉球征伐」は「薩摩の琉球侵攻」に改められるべきだと考えます。理由を以下に列記します。

  • CiNiiの検索結果によるかぎり、現在の日本史学界では、1609年に薩摩島津氏が琉球王国に攻め込んだ歴史的事実を指す表現として「琉球征伐」の語が用いられることはありません。征伐は「罪ある者や反逆する者を攻め討つこと」(『日本国語大辞典』)と定義され、道義的に正しい者が邪な者を討つという意味があります。江戸幕府の公式見解は琉球側に非があるとするものでしたが、『国史大辞典』『対外関係史辞典』など、現在の日本史学界の一般的認識を代表する事典類は、そのような解釈をとっていません
  • しばしば誤解されるようですが、侵攻は、国際法上不当な行為とされる侵略とは異なり、単に「敵地に侵入して攻めること。攻めて相手の領地にはいりこむこと」(『日本国語大辞典』)を意味する語で、道義的不当性は含意されません。現在の日本史学界ではしばしば薩摩が琉球を「侵略した」との表現も用いられます(『国史大辞典』)が、この事件は近代的国際関係成立以前のことでもあり、価値中立的な「侵攻」を用いる方が異論が少ないかと考えます。「侵攻」にかえて「出兵」と表現することも可能ですが、「征伐」と比較した場合、両者の懸隔は極めて小さいものですので、後日の議論に期していただければと思います。
  • 侵攻の主体も、「薩摩」「薩摩藩」「薩摩島津氏」「日本」など、さまざまな表現が可能ですが、ここでは直接の行為主体が薩摩島津氏であり、かつ薩摩とすれば島津氏を指すのが自明であることから、「薩摩」とするのが妥当であると考えます。

以上のことから、あらためて「琉球征伐」から「薩摩の琉球侵攻」への改名を提案します。--Bodhisattva会話2017年5月24日 (水) 09:35 (UTC)[返信]

コメントこの改名提案は、通例に反してページの上部に記入されており、気付かれにくくなっておりました。このため、改名提案に先行する議論である「#「琉球征伐」から「薩摩の琉球侵攻」への移動(改名)について」において、本件提案後にも関連する議論がなされ、本件改名提案についての直接の賛否を述べた議論と見なすべきか否かが曖昧なコメントが提案後に続いております。
このような見通しの悪い状態は好ましくないと思われますので、節の位置を通例に倣ってページの下に移しました。
その上で、提案者のBodhisattvaさんに質問です。ご自身がお示しになっているCiNiiの検索結果で近年の研究論文で「琉球侵攻」が使われることはわかりますが、その表現は、「島津軍琉球侵攻」、「薩摩藩の琉球侵攻」、「薩摩の琉球侵攻」、「薩摩による琉球侵攻」、「島津氏の琉球侵攻」、(特に修飾のない)「琉球侵攻」とばらついています。なぜ改名案として「琉球侵攻」ではなく、(CiNii の検索では NAID 40007405630 の1件しか用例がない)「薩摩の琉球侵攻」を提案されているのか、追加のご説明をお願いいたします。--山田晴通会話2017年5月28日 (日) 16:26 (UTC)[返信]
コメント不慣れなもので、お手数おかけしました。さて、確かに論文の標題にはばらつきがありますが、このうち主語が明確で、最も簡潔な表現として、「薩摩の琉球侵攻」をご提案した次第です。この場合の「薩摩」とは、江戸幕府から薩摩・大隅、および日向の一部についての知行権を認められた鹿児島島津家、およびその勢力の代名詞として、学校教科書でも用いられています。その軍事行動を承認したのは江戸幕府ですが、学校教科書では、戦闘の主体であり、その後の琉球支配の主体である薩摩島津氏を侵攻主体とみなすことが一般的です。以下に、教科書の引用をお示しします。
コメント 山川出版社『現代の世界史(世界史A)』(2012年3月検定済、2016年3月発行版)p.52:「琉球(現在の沖縄県)は、17世紀に薩摩の侵攻を受けてこれに服属したが、中国への朝貢は続き、中国と日本に「両属」する形となっていた。」
コメント 実教出版『世界史A』(2012年3月検定済、2016年3月発行版)p.91:「薩摩藩は幕府の許可のもと、1609年琉球王国に侵攻した。」
コメント 三省堂『世界史B』(2006年3月検定済、2007年3月発行版)p.186:「そのため、中継貿易でさかえた琉球王国がおとろえ、薩摩の島津氏の侵攻をうけて服属し、薩摩藩に支配されながら、清とも朝貢するという関係をむすんだ。」
コメント 山川出版社『新世界史B』(2013年3月検定済、2016年3月発行版)p.189「琉球とマラッカ」:「琉球は、16世紀にはその活動範囲を縮小させ、17世紀の初めに薩摩の侵攻を受けてこれに服属した。」
コメントあと、岩波講座にはこうあります。
コメント 『岩波講座 日本歴史』(2013-2016年版)第11巻,近世2,p.113,木村直樹「近世の対外関係」第1章第1節:「一方、中世以来、薩摩藩は琉球への影響力を強めようとしており、さらに島津家内部の家督をめぐる主導権争いから、当時の藩主島津家久は琉球侵攻によって、求心力を高めようと企図していた。そこで、慶長11年、島津家久は上洛し、家康から琉球侵攻の許可をとりつけると、同14年3月薩摩藩の軍勢は琉球への侵攻を開始し、4月には王府のある首里城を占拠、5月になって琉球王尚寧以下、琉球王府の首脳部を薩摩へと連行した。」
コメントご覧のとおり表現はさまざまですが、これらが同一の事実を指していることから「薩摩」は「薩摩藩」「薩摩島津氏」と同義として一般に認知されていると言えます。このほか、侵攻についても「出兵」「征服」「占領」「侵略」など、さまざまな表現がありますが、相互に大きく意味が異なるものではありません。ただし、文科省検定教科書で「琉球征伐」と称するものは一つもありません。個人的には、「Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと」の「明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」に該当するレベルだと思っています。--Bodhisattva会話2017年5月29日 (月) 11:03 (UTC)[返信]
コメントご説明ありがとうございました。ご趣旨は了解できたと思います。
改めて、Bodhisattvaさんのご説明を伺い、「琉球征伐」がある観点からして望ましくない表現であるとしても、それに代わる決定的な言い回しがあるわけではないという印象を強くしております。このような場合、最終的な記事名がどうなるにせよ、まず、適切な典拠の提示によってある表現が使用されていることが確認される限り、多数の転送記事が設けられることを許容することが不可欠だと考えます。つまり、最終的な改名案を決めることとともに、「琉球征伐」も転送記事として残し、「島津軍琉球侵攻」、「薩摩藩の琉球侵攻」、「薩摩の琉球侵攻」、「薩摩による琉球侵攻」、「島津氏の琉球侵攻」などなどを転送記事として設けることに反対しないという合意の形成も必要だと思います。
その上で、必ずしも一致した表現が定着していない中で「侵攻」の主語を明記する必要があるのかという点については疑問も感じます。もし、「琉球侵攻」への改名でも良いのであれば、そちらの方が合意形成を図りやすいのではないでしょうか?(山田としても「薩摩の琉球侵攻」への改名には反対というか懐疑的ですが、「琉球侵攻」であれば反対する理由はありません。)
何らかの主語が絶対に必要だとするならば、その点を敷衍していただけますか? また、愚考するところでは、「琉球侵攻」への改名でも現状より良いということなら、いったんそちらで合意形成を図って改名した上で、さらに議論した方が、「琉球征伐」を長く残さないという観点からは好ましいと思うのですが、いかがお考えでしょうか。--山田晴通会話2017年5月29日 (月) 11:49 (UTC)[返信]
コメント山田晴通さん、建設的なご提言ありがとうございます。
この事件については、専門家のあいだでも一致した呼称がないというのは、確かにそのとおりだと思います。これは研究者間で呼称を一致させる特段の必要がないため、改まった合意形成がなされていないことによるものでしょう。いずれにせよ、「琉球征伐」の語が教科書や事典類で忌避されているのは動かない事実ですので、代替すべき呼称が確定していないからといって現状を維持すべきではないと考えます。
「薩摩」という主語については、事件の内容を端的に表現するという意味で、個人的にはあった方がよいように思います。ただ、「薩摩」か「薩摩藩」か「島津氏」か「島津軍」かといった、本来どちらでもいい不毛な議論がこれまでの改名提案の足をひっぱってきた経緯もありますので、主語については固執しません。「琉球侵攻」で、より多くの方々の同意が得られるのであれば、「琉球侵攻」とすることに異存はありません。
「琉球侵攻」に改名後も、「琉球征伐」の語は歴史的呼称として記事の中で言及されるべきだと考えます。したがって、転送記事として確保されねばならないというお考え、ごもっともと存じます。確認ですが、もし「琉球侵攻」とするなら、「薩摩の」「薩摩による」「薩摩藩の」「島津氏の」というところまで細かく設定する必要はないということでよろしいでしょうか。むしろ、「琉球出兵」「琉球侵略」(「琉球征服」はすでに項目があるようですね)など、「侵攻」の代替語について、いくつか転送記事を設定する必要がありそうですね。
以上、お答えになりましたでしょうか。ご意見いただければ幸いです。--Bodhisattva会話2017年5月30日 (火) 05:58 (UTC)[返信]

いったん仕切り直します。これまでの議論のなかで、「琉球侵攻」については、専門家の間でも呼称が不確定であるにもかかわらず主語を「薩摩」と確定することには抵抗がある、というご意見をいただきました。ただ、「琉球侵攻」への改名提案そのものに対しては、今のところどちらからも有効な反証をともなった反対意見は提示されておりません。よって、あらためまして以下のように提案いたします。

  • 標題を主語なしの「琉球侵攻」に改める。
  • 従前の標題「琉球征伐」のほか、「侵攻」と互換可能な「琉球出兵」「琉球侵略」を転送記事に設定する。
  • 転送記事の候補としては「琉球征服」も想定されるが、すでに曖昧さ回避の項目が存在することに鑑み、後日の議論に期する。

以上、あらためまして、ご承認のほどよろしくお願いいたします。--Bodhisattva会話2017年5月31日 (水) 09:53 (UTC)[返信]

賛成琉球侵攻」への改名に賛成することを表明しておきます。転送記事についても、論文等で使用例のあるものは積極的に設けておくべきであると考えます。--山田晴通会話2017年6月3日 (土) 04:46 (UTC)[返信]
賛成琉球侵攻」への改名に賛成します。少し古い本ですが、『沖縄県の歴史』(山川出版、県史シリーズ47、1972年)には「島津氏の侵入」とあって、局地戦は「沖縄攻略」とされています。専門家でないのでよくわかりませんが、「征伐」や「侵攻」といった軍事色の強い表現は、少なくとも1574年まで島津氏と琉球王府との間で友好善隣関係が維持されていたことが文献上確認できること、琉球側の戦闘の様子を述べた唯一の一次史料『喜安日記』が文飾過多ゆえに内容の審議に疑問が多いこと、薩摩軍との間の戦闘があったとしても太平橋近くでの小競り合い程度であったと考えられることなどを総合的に考慮して、史実にそぐわないとして避けられたのかもしれません。ともあれ、今よりマシな「琉球侵攻」への暫定的な改名に賛成します。--ねをなふみそね会話2017年6月4日 (日) 04:25 (UTC)[返信]

賛成を表明くださったお二方、どうもありがとうございました。提案から一週間たちましたが、反対のご意見も出されていないようですので、改名を実施いたします。

コメント 改名および転送記事の設定を完了しました。ご協力いただいた皆様には心より感謝申し上げます。本文の方も依然として問題の多い記事ですが、現時点では改名にともなう最小限の修正にとどめてあります。今後時間をかけて修正していきたいと思います。--以上の署名のないコメントは、Bodhisattva会話投稿記録)さんが 2017年6月8日 (木) 08:53 (UTC) に投稿したものです(山田晴通会話)による付記)。[返信]
Bodhisattvaさんによって記事は既に移動され、「Wikipedia:改名提案」への報告もおこなわれています。また、リンクの修正もひと通り行いましたので、この節に「解決済み」テンプレートを貼付します。--山田晴通会話2017年6月8日 (木) 20:00 (UTC)[返信]

琉球征伐が忌避されている事実はありません。忌避している人はこのノートページにもおりますが、桑江常格「薩摩の琉球征伐とその諸条件(1976年)」や、仲原善忠「琉球の歴史(1978年)」中の1章「慶長十四年島津氏の琉球征伐(宮田俊彦)」など学術的にも実際に用いられております。また、「琉球側の戦闘の様子を述べた唯一の一次史料『喜安日記』が文飾過多ゆえに内容の審議に疑問が多いこと、」との見解もありますが、喜安日記はむしろほとんど戦闘には言及しておらず、紙屋・上里両氏はほぼ歴代宝案に準拠して叙述しております。ちなみに喜安日記の真偽に疑問が多いというのは具体的にどの部分ですか?私には全く思い当りません。--Neoairwolfk会話) 2017年7月23日 (日) 03:55 琉球征伐が忌避されている事実はありません。忌避している人はこのノートページにもおりますが、桑江常格「薩摩の琉球征伐とその諸条件(1976年)」や、仲原善忠「琉球の歴史(1978年)」中の1章「慶長十四年島津氏の琉球征伐(宮田俊彦)」など学術的にも実際に用いられております。また、「琉球側の戦闘の様子を述べた唯一の一次史料『喜安日記』が文飾過多ゆえに内容の審議に疑問が多いこと、」との見解もありますが、喜安日記はむしろほとんど戦闘には言及しておらず、紙屋・上里両氏はほぼ歴代宝案に準拠して叙述しております。ちなみに喜安日記の真偽に疑問が多いというのは具体的にどの部分ですか?私には全く思い当りません--Neoairwolfk会話) 2017年7月23日 (日) 04:26 (UTC)(UTC)(ソックパペットによる編集を取り消し--Xx kyousuke xx会話2017年7月23日 (日) 04:17 (UTC))[返信]

報告 利用者:Neoairwolfk会話 / 投稿記録さんにより、本文中の「侵攻」を「征伐」に戻す編集が強行されたため、本記事は1週間の全保護となっています。--Fusianasan1350会話2017年7月23日 (日) 06:58 (UTC)[返信]